共時性現象を通して観る生命

このサイトの概要

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サイトの趣旨

本の紹介が目的

 

共時性は人間の根幹、生命の本質が関わることがらです。私にとって共時性とは、自分のいのちと向き合うたいせつな指標や指針のひとつ。それ以上でもそれ以下でもありません。当然のことですが、自分以外のだれかに思想や信条などを強要することは、厳に慎むべきだとおもっています。

 

しかしながら、人の「こころ」や「いのち」という、つかみどころのないものが、今も昔も、そして、今後も重要な命題であることにきっと変わりはありません。ですから、自分の体験、先人が残してきた研究や実体験の記録のなかで、普遍的だと感じることは、参考になる情報・知識として、だれでも入手できるような場を提供する必要がある、そういう思いでこのサイトを開設しました。

 

「おりづる書房」は、販売のための店舗や事務所、組織などがあるわけではありません。『神秘の大樹』の内容に共鳴した一個人が、著者夫妻の許可を得て、著者夫妻による「おりづる書房」という名称を借り、一個人でこのサイトを運営しています。 

 

当サイトでは、以下に挙げる本の紹介がいちばんの目的です。これら(本)の中身を見られるとともに、閲覧や貸出が可能な全国の公立図書館名をお知らせしています。また、一部の著書は電子版の入手も可能です。興味・関心をもった方のお役に立てれば幸いです。

 

 

 

 

著者は本を記すことによって、いったい何を伝えようとしたのでしょうか。私は「肉体は消えても魂は消えない」という一点に集約されるのではないかとおもっています。「縮小凝縮」が生、「拡大膨張」が死であり、「死の世界は生きている間の心の世界」の延長線上にあって、死は、すべて御破算という意味でのリセットではないということ、裏返せば、生きている間の心のありようと体との向き合い方がいかに切実な問題かということです。この答えに至る過程には、著者自身の壮絶な酒乱地獄との闘いがありました。そして、並々ならぬ苦悩の末ついには何としてもこの夫を救うのだという「自然界の生命愛」が全開した妻の存在があったのです。やがて著者は自分のいのちに目覚めてゆきます。

  

…ここではっきりしていることは、子孫の誰かが、この先祖ぐるみの悪習慣を断ち切らなくてはならない。命がけで、生命に恥じない人間性を取り戻さなくてはいけないのである。

 そのためにも、単に人間的自我というくらいでは到底太刀打ちができない。自然界の愛が窓口にならなくては、汚れ切って、軟弱化した人間の心を、浄めることはできないだろう。

 人間発生前の、生命の愛に戻って、我々を、「生かして、生かして、生かし続ける愛の力」を借りなければ、人間は改心できない。

 

 妻がよく言う言葉に、

「人間以前の食物たちの生命(心)に戻らないと、人は成仏できない。人霊の活躍は、まだ自我がある。人間以前の生命の愛がないと成仏できない

と、いうことがある。

(『酒乱』p.110〜111より抜粋)

 

米(食物・自然界)の生命愛に身も心も重ね、波乱万丈な人生もどんなに苦しい思いも澄み切ったものへと昇華した著者夫妻。その二人が遭遇した共振共鳴共時の記録は、「こころとは」「いのちとは」という命題に対する答えの証しです。

 

本の紹介・説明

酒乱

米の生命いのちが生きるまで

書籍『酒乱こめのいのちが生きるまで』の詳細・閲覧ページにリンクしています
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かつて、父子二代にわたり家族を巻き込み酒乱因子を開花させてしまった男性が、苦悩の末ついには男女の愛を超越した妻の深い生命愛に守られながら、やがて自分のいのちに目覚め夫婦二人三脚で新たな生き方を再出発させるまでの道のりを語っています。

本文の一部抜粋

「酒乱地獄二十八年から目覚めた自分。目覚めることのいかに、素晴らしいことか。今までの自分の、不調和な生き方から、本当に目覚めた時、生命の中から、喜びが湧いてくる。その喜びは、生かし続けた、米の生命(愛)の喜びであり、透明な光となった、清酒の生命の喜びであり、食物一切の、生命たちの喜びである。さらに、自然界の、生命たちの喜びでもある。人となった、その生命たちは、真理(調和)の中で、生かさねばならぬと、祈り願った、愛の喜びである。」

 菅原茂/MBC21/1993年(H5) 

死んでも生きている

いのちの証し

書籍『死んでも生きているいのちのあかし』の詳細・閲覧ページにリンクしています
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平成5年8月6日の広島。岡本天明絵画展を訪れた著者夫妻は、「一羽の折鶴」と衝撃的な出合いを果たしました。これを機に同夫妻が山形から天明氏の墓参に訪れる旅の道中で出合う数々の縁を通して、偶然の一致の必然性を強調しています。

本文の一部抜粋

「この世に生まれて六三歳となった今、好きでこの本を出版しようと思ったのではなく、たとえようのない義務感というか、使命感には達しないそれこそ神秘的心理状況下でペンを執ることになった。

 まさかこの神秘的な本を書くことになるとは、私の人生からは考えられない世界である。 五二歳の時でこの世の現実的職業は、天に吸い上げられたように消えてしまった。十六年間の不動産業が最後であり、その吸い上げた天の代役は、私の中の虫であった。酒という虫が、時には暴れだし手のつけられない怪獣ともなった。

 酒が天に代わって現実社会の武器(職業)をすべて奪ったのである。

 そして、天から降された〝玉手箱〟には、自己改革の命題が印されていて、ついに、外界に向けていた五感は、一氣に内界の虫(酒)の真実を探ることになった。

 そして、生きる原点・心の原点に達し、人間のいのちの最前線に立つ〝米のいのち〟から出直す人生となったのである。」(まえがきより)

 菅原茂/たま出版/1997年(H9) 

いのちのふる里

書籍『いのちのふる里』の詳細・閲覧ページにリンクしています
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食と農といのちの実情を直視せず、その重大さに実感がもてない現代の私達。時代が移り変わり社会が発展しても、人の心身が培われる原点は変わらないはずなのですが…。私たちの身と心は原点を取り戻せるのでしょうか。

本文の一部抜粋

「思考の世界では主観と客観に分離出来るが、いのちの世界から見るならば、主観も客観もなく世界は一つだ。外の世界と自分は完全に分離していると考えがちだが、いのちの世界から見た時そうではなくなる。内なるスクリーンには常に外の世界が映し出されているのが真実だ。“内は外なり、外は内なり 主観は客観、客観は主観なり”ということになる。」(p.19)

菅原茂/おりづる書房/2008年(H20)

いのちの顔

書籍『いのちの顔』の詳細・閲覧ページにリンクしています
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本文の一部抜粋

「この “いのちの顔” は、主に、雲を筆頭にしたものが多くなっている。客観する皆さんには、必ずしも “顔” や “ある形” に似ていると思うかどうか、(中略)。俗に、偶然の出来事として、面白おかしく取り沙汰されていることでも、私にしたらとんでもない関心の高い領域であるから、子細なことでも記録に残してきた。この体験記録を改めて観ていると、そこには示唆や啓発に富んだ情報の多いことに気づかされる。」

 菅原茂/おりづる書房/2009年(H21) 

神秘の大樹だいじゅ

偶然が消える時

書籍『神秘の大樹 第一巻 偶然が消える時』の詳細・閲覧ページにリンクしています
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「霊魂」というと死者のイメージが強く、ネガティブで暗い印象に結びつきやすい。「死」は、多くの人にとって遠ざけたいこと。しかし、「霊」や「死」に対して、いたずらに恐怖心や不安をいだくだけでは、生命の本質を見逃してしまうことを、この本は伝えています。

本文の一部抜粋

「魂の世界は「霊界」、「無意識世界」「潜在意識」「深層意識」などなど表現はさまざまですが、私は一言で魂と呼んでいます。魂の世界は、人類発生から今日まで「今の心」をベースにして延々と形成されてきました。肉体を消した死の世界は、生きていた当時の心が積み重なって出来たものであればこそ「今の心」の尊いことが分かってきます。心は縁の力を持っていて、運命を支配する力をも持っています。心は常にいのちの絶対調和力の統制下にあって統御されている立場にあります。だから、縁はいのちの調和として存在し、人は、縁によって様々な人生劇場を繰り広げることになります。」(まえがきより)

 菅原茂/おりづる書房/2011年(H23) 

神秘の大樹だいじゅ

ヒロシマとつる姫

書籍『神秘の大樹 第二巻 ヒロシマとつる姫』の詳細・閲覧ページにリンクしています
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「現実を生きる自分が、実は億万年から連なる亡き心たちの複合霊体(魂)であること、そして、死んで消えたのではなく、心は実に生き生きと輝いていて、自分を自分たらしめている原動力であるということ、そして、死んでも生きている心の世界」にも言及。縁結びのしくみを「心のつる草」など比喩を用いた物語で表現しています。

本文の一部抜粋

「一人ひとりのいのちの中で命が新たないのちを育て上げるまでの運びには、いかなる人知も、いかなる自我も立ち入ることができません。立入厳禁の〝聖域〟なのです。この聖域の旗印が、帆に書かれている〝食心の目は共時の目〟という世界なのです。 ユングと天明には、新たな驚きとひらめきが交差していました。そして口を開いたのはユングです。ユング「つる姫様 ありがとう 単純明快にいのちの中心には 食がありました 毎日の食べ物が いのちとなる次元こそ 共時性発生の次元でした ここにこそ 心と物質が融合一体となり 生命発生の謎がありました 食って生きる こんな単純なところに 山ほどの理論を 積み上げたことから 解放されたような気分です ありがとう」と、ユングの目は輝いています。そこに天明も続いて、天明「つる姫様 ありがとう 神示の一点が 解けてまいりました」(第二章より)

 菅原茂/おりづる書房/2011年(H23)

神秘の大樹だいじゅ

文字・数・色で証す新次元

書籍『神秘の大樹 第三巻 文字・かず・いろであかす新次元』の詳細・閲覧ページにリンクしています
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文字・数・色は人間の意思だけではなく、生死の境やほかの生物などと境なく、いわゆる「霊」や「魂」の意志性を代弁しています。共時性現象(=偶然の一致)は、それを認識させてくれると同時に、一人ひとりに対するあたたかい道案内の現象です。

本文の一部抜粋

「文字・数・色は魂の代弁者なのです。一人一人の運勢運命の道明かりとなりますから、偶然の一致はただの一過性の意志エネルギーではありません。連続性のいのちの光に溶けて伝えようとする尊い魂の扉開きなのであります。文字に生きて、数に生きて、色に生きて、声なき声の光となって、人々の心に響かせる意志エネルギーなのであります。偶然の一致といわれる共時性現象には、貴重なメッセージが秘められております。」(まえがきより)

 菅原茂/おりづる書房/2012年(H24)

神秘の大樹だいじゅ

田之助たのすけとミロクの亀

書籍『神秘の大樹 第四巻 田之助とミロクの亀』の詳細・閲覧ページにリンクしています
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酒乱から脱却し、自分のいのちに目覚めて間もない著者が、心おもむくままに訪れた旅先で次々と出会う「亀」。体験の記録を、第2巻と共通するシナリオ形式のコミカルな物語として展開し、縁は単なる偶然ではなく、宇宙根源に根ざす生命の本質(真性魂)による道案内だと伝えています。

本文の一部抜粋

「その時、私は、五六歳になっていた。亀の姿に身を変えた魂の誘いであったのか、やりきれない衝動にせきたてられて、目的のない放浪の旅に出たのは、酒乱五年目の、平成二年六月のことであった。

 旅に出た当日には、手招き姿の海亀と出会い、その翌々日には、国道を横切ろうとしていた小さな亀と出会い、農薬を心配した私は、近くのお寺の池に放したのである。

 それからというものは、旅の先々で、いかにも意図的に亀との出会いが続くようになった。

 まるで現代版の浦島太郎の世界に入っていたのかも知れない。

 そこには、計り知れない異次元世界が広がっており、それが私の心の世界と共振共鳴しながら、出会いの縁を重ねる旅となった。」(まえがきより)

 菅原茂/おりづる書房/2012年(H24)

サイトマップ

本に関する総合情報

いのちと共時性の考察

備考

  • 「物理学者の見解」は「因果性は何か」に統合しました。
  • 「客観と主観」はサイトの趣旨から外れていたため一部を除き削除しました。

ご存知の方もおられるとおもいますが、一般的に理解されている共時性の定義には、「非因果的」ということばが入っています。いっぽう、『神秘の大樹』では「因果」ということばを用いており、前者とはその点においてちがいがあります。いちばん基礎となる定義ですから、たとえわずかなことでも、それが全体の解釈におよぼす影響は小さくはありません。そこで、科学者と著者のあいだにある差について、理論的な整理をして浮かび上がってきたのは、物理学の存在でした。興味深いのは、両者の差を埋めるのもまた、主に物理学者の見解だったことです。その理論的な考察を上記のページに掲載し、補助的・二次的なページとして位置づけています。個人的な体験はもとより、上の作業をとおして、『神秘の大樹』が、共時性現象をより明快で身近なものにすると確信するがゆえに、両者をつなぐのも、このサイトの目的のひとつです。共時性現象は経験したことがある身近なものだとお気づきになるとともに、それが、ご自身の生命観・死生観に新たな風を吹き込むきっかけになることを願ってやみません。