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神秘の大樹だいじゅシリーズ第一巻
神秘の大樹
   偶然が消える時

 

 

三重にひびく文字・数・色

 


何か動けば何かが動く…
誰か動けば誰かが動く…
左に回せば右に回り…
右に回せば左に回る歯車同志…
高気圧・低気圧・気象リズムの仲の良さ…
作用あれば反作用あり…

 こうした相対性の働きは、いのちの本質(宇宙絶対調和力)に根差す生命世界(この世)の普遍力だと私なりに認識をしている。まさしくこの世はひびき合いの世界なのだ。
 ビリヤードのような玉突き現象にも似て、そして、永久的で決して止まることなく、一方に偏在させることもなく、一極に支配させることもなく、この世は右へ左へと蛇行の流れであっても、決して中心から外れて一方向偏重の世界になることは無い。
 悪も善もまとめて中心に戻す働きこそが、生命の本質であると考えている。この世は原子のひびき合いなのだ。
 また、私たちが生きていくうえでの食物の元素こそが生命原子エネルギーといえるし、食によってこそ存在できる我々こそ原子のひびき合いに支配されている身の上でもある。そして、錯綜混沌としていても生命の軸を失うことは決してあり得ない。いのちある限り、十字に結んだ中心軸を失うことはない。
 このような生命感を私にかき立てたのは、次の共振共鳴の現実を見たときのことである。
 それは、昭和六三(一九八八)年一一月一七日午後のこと。この日妻は、そわそわしながら着替えをしていた。着替えを終えて見ればみどり色の上着であった。ちょうどその頃、関東にいるT君から電話が入った。勤務先の〝みどり美容院〟の中に〝二匹のカニ〟が迷い込んできたというのだ。カニは川や海にいるものなのだが、ここがどこなのか、あるいはみづくろいでもしたいというのか、こともあろうに二匹のカニがかさこそとやってきた。かたや妻はみどり色の上着に着替えていた折のこと、四〇〇キロも離れた関東の、みどり美容院にカニが二匹店の中に入ってきたという奇怪な話だ。
 T君は、何か変わったことがあると電話をかけてよこすが、この日の場合はそれだけでは終わらなかった。その翌日のこと、市内のA子が一枚の「絵」を持って訪ねてきた。その絵というのは、小学生の弟が描いたという二匹のカニの絵である。それは前日に描いたものだった。弟がよく絵を描いていて、とくに魚やカニなどの絵が好きであったから、A子は、私にもカニの絵を描いてくれないかと、何げなしに頼んだら〝二匹のカニの絵〟を描いてくれたので届けたくなったというのだ。その絵を見るとなかなかの楽しい絵で可愛らしいものであった。そんな具合で
みどり色の上着姿の妻…
T君とみどり美容院と二匹のカニ…
A子と二匹のカニの絵…
という、天から降ったか地から湧いたか、三人三様の行動が、単一の点と点が線となり、三重に結び合うことになった。
「みどりという色」「カニという文字(象形)」「二匹という数」、すなわち文字・数・色という表現手段は、人間社会には無くてはならない不可欠の三種の神器である。
 この三種の神器の文字・数・色は、個人個人から発する心の波(心波エネルギー)に乗って、同時に時空を超えて受信者の心をノックする。それは、テレビ・ラジオ・電信などのごとくに、受信者の心の扉をひらき、心の映像スクリーンに映し出す。心の扉は直感智の扉だ。そして、文字や数や色などに転換するものと考えられる。
 ある人がある人に何かを伝えたいと思うことは、相手の、心のチャンネルが開かれている限り、即時即刻リアルタイムで、夢心地に、直感智となって閃きが惹起じゃっきされる。
 この世は、錯綜混沌とする電波・磁波・霊波の世界であるが、極微サイクルの差で、日常生活には混乱を招くことも無く生きていることになる。これが、何もかもオールチャンネルであれば、いのちがいくらあっても足りることはないパニックの連続だ。
 おかげで万人の心のサイクルチャンネルは、ごく微妙にそのズレがあればこそ、難無くこの世を生きてゆくことができるという図式になる。一人一人のいのちは尊いものだ。

 

 

天神様と
文字と色のエネルギー

 

 昭和六三年(一九八八年)のこと、A子を天理に残して別れたのは、冷え込みも厳しさを増す一一月二七日のことであった。ここまで三人一週間の旅であったがそこからは、妻と二人の旅となった。
 今回は、最長一二日間のフルムーン切符を用意してきたので残り日数もかなり余裕があり、これからの道程は成り行き次第の旅となった。まず妻は着替えをして汚れたジーパンなどを小包便で家に送り、上着は赤色、ズボンは白色と上下紅白の身支度に整えていた。
 その日は、福岡の知人宅に一泊のお世話となり、翌日の夕刻には太宰府市へと移動し、その夜は、ユースホステルに宿をとった。
 翌朝未明のこと、私は夢を見ている。妻と二人で長い行列の中に並んでいたが、私は何かを買うために席を外れ、戻ってみると並んでいたはずの妻がどこにも見当たらない。どうしたものかと少々戸惑っていると、なんと前列の奥からいたずらっぼい顔をしてひょっこり現れた。その顔を見ると、まるで紅白の餅のような姿であった。真っ赤に塗られた口紅と顔の肌は真っ白の化粧が鮮やかだった。
 そんな夢を見た朝であったが、出かけるときは雷雨となっていた。雨具の用意も無かったので宿の方にお願いをしたところ、古い忘れ物の傘がたくさんあるから好きなものを使って下さいという。私は真っ白の傘を手にしたが、これがいいと妻が手にしたのが、真っ赤な傘であった。その時私は今朝の夢を思い出した。「真っ赤」な口紅と「真っ白」の化粧、そして手にした傘が「赤と白」。さらに昨日妻が着替えていた衣服が上下紅白という、どうにも気になる色合いであった。
 その日は、かねてから訪ねたかった太宰府天満宮行きである。南無天満大自在天神の神霊名で知られる、学問の神様で名高い「菅原道真公」が祀られている天神様である。
 菅原姓のルーツをたぐれば、菅原道真公にたどり着くと聞くから、そのご縁には深い思いがあった。妻は菅原姓で私は旧姓長南姓であるが、これまた、そのルーツを探れば、道真公の第一一子直系の流れをくみ、現在の千葉県長南町にその発生の由来があるという。天神様には縁深い者かと思っている。
 菅原道真公は、平安時代前期・醍醐天皇の世、右大臣の要職にあったが、権力抗争の渦に巻き込まれ、延喜元年(九〇一年)左遷され太宰府の地でその生涯を閉じている。承和一二年(八四五年)六月二五日に誕生され、延喜三年(九〇三年)二月二五日に逝去され、よわい五七歳であった。
 この日、天満宮を訪ねてその建造物の色を見た時、朝から気にかけていた紅白のエネルギーがさらに増幅されることになった。境内に並ぶ建造物群は、壁は白色で木部は赤色なのである。神々の社はことごとく「紅白」の配色に彩られていた。拝殿前の梅でさえ白梅と紅梅というめでたい紅白エネルギー。それはとりもなおさず道真公の潔白無実の証しなのかとさえ思い知らされる。この日は、目一杯の時間をとり天神様の聖地で過ごすことにした。
 境内には、楠の木の巨木が所狭しと立ち並び、その威風壮観には感嘆させられた。黙して刻むその歴史感は見事なものだ。奥の院の裏手にはこれまた広大一面の梅林があり、その中をゆく人々はなぜかタイムトンネルに入った気分になる。ところどころに点在する茶屋がやさしく迎えてくれる。その一つで軽く休憩をとることにした。あんこ餅にきなこ餅も、ここでは一層風情があって時の経つのも忘れがちとなる。三時過ぎには博多駅に出なければならないから、重い腰を上げて、ときおり小雨降る曇り空の中、私たちは帰路に立つ。
 奥の院の近くを通り過ぎようとしたその時であった。私は右手に一瞬確かな心圧を感じた。くの字になるかと思うほどに引き寄せられる感じにハッとする。妻にそのことを話し、ここには何かがあるから寄ってみたいと言った。そこは奥の院、道真公一統のおたまや(御霊屋)が立ち並ぶ聖廟である。目をこらして廟名を見た時、ハッとした。
「菅公・四男〝淳茂〟霊を奉祀す」
と記されているではないか。これが引き寄せた発信源であった。「淳茂あつしげ」の文字に即応するように、私が「茂」で、息子が「淳」であるから、親子の文字がぴったりくるではないか。文字は魂の依り代なのだ。
 文字(象形その他も含む)・数・色というのは、現実の世で、最大有効な意志の表現手段であると同時に、声なき声の無意識世界(潜在意識=霊魂)の発現する表現媒体でもある。文字や数や色は、表面世界での発現発信手段に限らず、裏面ともいえる霊魂世界からの発現発信手段でもある。少なくとも私はそう信じて生きている。
 何げない旅の中でも気を留めていると、意外なことに直感智が働くことも多くあるもので、それが鍵となって、目に見えない世界が目に見える現実シグナルとなる。
 この世では、過ぎたことは過去であり、死んだ者は消えて無くなるというのもそれは真実だ。だが、何かに気づくことも大切なことだ。現実的に直言するならば、自分の本体は、生命本体に宿を借りている自分の過去意識と亡き霊魂という魂の世界といえるだろうし、言い換えれば心の歴史博物館といったところだ。その複合霊体の船頭ともいえるのが今の自分ということになる。だから、今を生きる自分は、魂を乗せたいのち船の船頭さんであるのだ。生きる原点(心の原点)、すなわち、食うことと息をつくこと、すなわち、「食と呼吸」の大切さに気づき、初心に返り、生きるいのちの大本に心を寄せて今日を生きたいと思う。この話を、元の流れの天神様とのご縁に戻してみると、縁や運命というものの裏方にはそれなりの「いのちの裏時計」が働いているということであり、それを知って生きることは大事なことだ。天神様での霊魂のシグナルを列記すると、
 
旅の途中で妻が着替えた 赤色と白色
夢の中の妻の口紅と顔の化粧 赤色と白色
ユースホステルでいただいた傘が赤色と白色
天満宮の建造物が 赤色と白色
神殿前の梅の木が 赤色と白色
 
という紅白エネルギーを、魂の意志表現媒体として、私たちをこの地にいざなっている天神様(菅原道真公)が目に浮かぶ。さらに、身を引き寄せて知らしめた菅公一統の霊廟に祀る菅公・四男「淳茂」霊と、私たちの親子の文字「茂と淳」という文字エネルギーを媒体化した霊魂がある。このような縁エネルギーは、人類存続の限りあり続けると思っている。この根源的エネルギーは、いのちの食が胃の腑で消化されて、小腸で吸収される生命転換次元からそのひびきを発するものと考えてみた。そして、そここそが、生きる原点、心の原点であるだろうと思うのである。

 

 

天地普遍の縁エネルギー

 


世に出会いの灯がともり
行く先々に灯がともり
寝ても覚めても夢うつつ
目に触れて
耳にさやけしいざなうひびき
肌にふれ
匂いゆらめくそこそこに
食べて感じて手で触れて
目に満光満色星の数
世に果てしなく出会いの縁は
永遠にいのちのある限り
 
 テレビのブラウン管に映し出された一人の御仁。それは、NHK―TV、日曜美術館で信州新町美術館が紹介された時のことであった。昭和六三年(一九八八年)七月二一日の放映である。それをじいっと見ていた妻が、「あっ」と大きな声を発してから言葉を続けた。
 「そこに行きたい! この方と会いたい!」
それは、美術館長の〝関崎房太郎〟氏であった。私は、はなからこの番組をフィルムにコマ撮りするつもりで三脚にカメラを据えておいたから、きちんと収めることができた。
 それから四カ月後の一一月二一日、別の用件で旅に出ることになり、この時妻は、その時の写真をバックに入れて持ち出していたのである。金沢に立ち寄った後、写真の美術館に回ることになったが、目当てとなるものは一枚の写真。長野市近郷のようであるから、取りあえず長野駅へと直行したのである。金沢発一一時二八分・白山二号に乗り込み、四時五〇分、長野駅に到着した。
 写真をたよりに駅の案内で行き先を訪ねると、とんとん拍子で知ることができた。ここから車で走ること二〇キロの道程という。駅からはバスもあるのだが、時間の余裕があまりなかったからタクシーで走ることにした。運転手の話によれば、その方はこの地方の指導者で、村長時代を経て町長になり、退職後は、美術館長などの要職についている名士であることがわかった。これはどうなることかと、今訪ねようとしていることに心がさわいだ。写真一枚持って、それも四カ月も前のテレビ番組から撮った写真を持って、ただ何の理由もなく〝会いたいという一念〟の縁のエネルギーにいざなわれてやって来た者。前代未聞の変人と思われて当然だ。
 車は山間を縫うように曲がりくねりながら、四、五〇分ほどで美術館に到着した。これから先、長野駅に戻れるちょうどよいあんばいの連絡はないからタクシーを待たせておいて、私達二人はそそくさと受付の前に立った。そこで訪ねた訳を伝え、写真を手渡してそのまま入場すると、何かと気の馳せる思いで一巡した。
 ここは有島生馬記念館にもなっていた訳で、それとも知らずに入場していた。有島氏は洋画家であり文学者であり、兄弟三人(兄・有島武郎、弟・里見惇)の、すぐれた文学者一家であることを知った。
 ところで、妻がこれほどまでに「この方」に会いたいといって火花を散らしていたのは、館長の〝関崎房太郎〟氏であった。
 受付で理由なき一枚の写真を届けてはみたが、その帰り際のこと、この出会いの真髄に触れることができたのである。
 帰りを待っていたかのように館長が現れて、館長いわく、ここは五時閉館だが心がさわぎ、かつてない早退をすることにしたとのこと。三〇分は早い四時半の早退。そして話は回り始めた。
「自分は、八一歳になり、四二年間館長を務めているが、早退したことなど一度もなかったのに、今日はなぜか心が動いた」
という。ここで妻は静かに館長の生年月日を尋ねた。すると館長は、
「明治四一年(一九〇八年)一〇月八日生まれの八一歳です」と言ったから妻の驚きは尋常ではない。
「館長さん、私も昭和九年(一九三四年)の一〇月八日生まれなんです」
と言って、一瞬感極まりて館長に抱きついた。
 館長が一〇月八日生まれの八一歳…、妻も一〇月八日生まれ…。
 この広い世の中、国内だけでも数十万人とも一〇月八日生まれはおられると思うものの、それじゃ探してみるかとなればこれまた至難のことである。不可能に近くなる。それがなぜ、いともやすやすとそれも劇的に、酒田からここ長野まで距離にすれば四〇〇~五〇〇キロを一瞬にして引き寄せる意志的エネルギー。否、それは必ずや〝ある意志〟が働いたと思っている。
 数の霊魂(数霊)が天地にひびきわたり、時空を超えて引き寄せたといえるものだ。縁のエネルギーは強大なものである。
 テレビのメディアを通し、二人は奇遇の出会いとなり、待たせてあったタクシーで「館長のご自宅までご一緒しませんか」と申し入れると、快く「ではお言葉に甘えてよろしく頼む」と言って同乗してくれた。車内で館長申すには、
「四二年間、参観者の車に乗せてもらったことなど一度もありません。全く初めてのご縁です」
という。関崎館長の思いの中からは、何かしら激しい感動を刻むひびきが伝わってくる。そのことを知らせるかのごとく、後日丁重な礼状をいただくことになった。
 
非現実が現実となり
不可視が可視となり
現実の裏で働く真実
 
 いのちほど神秘な世界はない。見える現実の奥できらめく縁のエネルギー。満光満華の光で交差している真実世界。出会いの秘密はどうもここにあるようだ。現実世界を紡ぎ出す裏方さんのその縁の発生源は、生命の本質、いのちの本体にその秘密が内在されているようだ。まず、生きる原点を覗いたとすれば「食と呼吸」に行き着く。
 
食が生命に転換する次元
口から入った食物が胃で燃やされて
小腸で吸収され血となり肉となる生命転換次元
 
に、縁エネルギーの結びの神がおられるようだと考えてみた。そこは思えば思うほど、自分ではどうにもこうにも手のかけようもない不可侵の聖域なのだ。そこを生命のゼロ磁場の世界と私は考えた。
 いのちの単位には、一体の生命体にしても、それを構成する細胞一つにしても、原子(元素)一つにしても、必ずやゼロの磁場があると思っている。この命のゼロ磁場こそ万物普遍の情報をキャッチできる次元で、人知ではコントロールできない次元ではないのか。
 この世の億万兆の情報をキャッチできる次元のその接点を結んだ時、「あっ、この方と会いたいっ!」と、全身に閃きを発生させ.意識へと昇華されるのかもしれない。
 共振共鳴共時の現象は、おおむね「文字・数・色」に分類されて、相互にその接点を結び合う吸引・反発の霊魂の働きと考えてもみた。その発生場がいのちの中心軸=ゼロ磁場ではないのだろうか。
 こうして私たちの、共振・共鳴・共時の旅は果てしなく続いている。

 

 

数霊は霊魂のシグナル

 

 今、見舞ってきたばかりの、長期療養者の魂が、病院を抜け出して私たちの帰りの車に同乗してきたんです…と言ったら、誰でもぞくぞくと鳥肌が立つような話である。
 一度は耳にしたことのあるこのような話は、幽霊や怪談話としてこの世にいくらでもありそうな話だが、これは本当の実体験の話である。
 ここで話を一八〇度転換すると、この世の一人残らず皆幽霊に着物を着せているようなものであるから、表現方法が違うだけのことであって、自分も幽霊も同じことなのである。亡くなった魂を幽霊と言っているだけのことであって何ら変わりはないではないか。そこかしこで着物を着て行き交う人々の本体は霊体なのであって、また、別の言い方をしたなら、過去世の心(死霊)と、この世での心(生霊)の複合霊が自分なのであって、それは見ることはできない。鏡に映しても駄目なのであって心は決して見えないのである。よく耳にする一〇億分の一というナノ単位の世界なのだ。
 だが、見えないはずの心が見えたら、それは幽霊というしかないであろう。ずばりいうなら、自分というこの生体こそその大半は過去世の心そのものであり、その中心を貫いている宇宙根源にさかのぼるいのちの光以外の何物でもないから、自分というのはこのいのちの光にまとわりついている霊意識にほかならない。生き続けてきたあらゆる情報を持つ複合霊体であるといっていい。
 このいのちの中は、生き生きピカピカと輝き続ける立派な物申す霊体なのであり、死んでからも活躍できる唯一の仕事場こそこの自分なのである…、という言い方もできる。
 霊魂なんてとんでもない、と否定したらどうなるか。中は空っぽでもぬけの殻になる。同時にそれは、この世の存在価値はゼロとなり、活躍どころか何もできやしない。何といってもこのいのちは、心の発祥地であり、複合霊体が現在を担当する自分とともに一生懸命働いている姿ではないか。心は生きている。魂は生きているのだ。
 よく耳にする霊界というのはそういうものだと思うし、別の世界ではない。現・幽一体なのであり、怖いのは、自分をコントロールできないだけのことだ。
 この地球上に最後の一人が存在する限り、人類という種の霊魂は、その一人に集約されると思うし、最後の一人が消えたとき、初めて人類の霊魂は消滅するであろうと思っている。
 つまり、人類が発生した原初のルーツに霊魂の里帰りをすることであり、その先々は、生命発生のルーツにさかのぼって行くであろうし、人類の魂は、やがて生命元素(原子)の心性物質に同化されて、地球生命のいわば構成元素となるであろう。
 死んでドロンと消えこそするが、最後の一人が消えるまで人類という霊界は生き残るであろう。霊魂は時空を超して、自在無碍むげの存在となり、最後の最後まで物申す霊魂であり続けるものと思っている。
 一生命体としての自分を形作っている霊魂は、自在の世界だから、がっちりと管理統御していないことには、出たり入ったりが自由となる。自分の本体である霊魂の管理責任者こそ、今の「自分」なのである。
 ところが、現代社会においては、医療能力を凌ぐ病気も多くなり、その中でも特に自分の心を管理できない人が少なくないのも事実であろう。その方たちは、たとえ意識が無い病の人でも、生きている限りその霊体は、ピカピカ光り、生き生きとしているものだ。
 霊魂は、自分の全細胞に内在していて、意識不明というのは、物心両性である肉体の中のどこかにその表現機能の接続不良がある訳で、決して霊魂(心の総合体=過去世の心と現世の心)が空っぽになったのではない。
 死は、生命の組成元素(原子)がバラバラに分離拡散して、生命体としての機能が消滅することと理解されるし、その逆が誕生である。それは、生命組成元素(原子)が結合して、その機能が作動することと思うし、逆に、本来の生命組成元素に戻ることを死の世界だと考えてみるとぞくぞくする思いだ。
 実際のところ、魂不滅と考える者にとっては生と死をはっきり分けることなどできないと思っている。死んで肉体は消えてしまっても、霊魂は子孫・縁者に引き継がれておるもので、もっと拡大して極言するならば、人類万人に限らず、この世一切にアクセスできる光のネットワークをもつ魂の世界だといえる。死んで全てが終わりではないのだ。生命組成原子それ自体が生死同体であり、拡大膨張・縮小凝縮が自在の、意志性波動の持ち主と考えている。
 生命組成元素(原子)が寄り集まって自分となり(生)、また、分離拡散して自分は消える(死)という生死の概念を変えてみることも新発見に結び付くものと思う。
 いのちをつくり上げている生命組成元素(原子)は、言うまでもなく毎日の食と呼吸によって形成されていることは当然であり、食は、生命組成元素(原子)そのものであり、その元素の素性は物心両性という見方に立つ。食は物質(物性)であり、心(心性)でもあるという、物心両性の元素(原子)という見方に立つ。
 食を摂ることは、物質を食べると同時に心をも食べていることになる。何につけ、生き続けるには食い続けることであり、食はいのち、いのちは食である。だから、食はいのちの中心、いのちが回転する命の中心軸といってよい。肉体をつくり、心を紡ぎ、そして、無限的心の貯蔵庫となる。それをさらに発展させていえば、もともと我々は、男女両性・雌雄両性で、物心両性のすこぶる合理的な生命元素の塊と考えてもおかしくはないだろう。両極を併合した総合エネルギーが真の生命力であると思っている。
 だから、縮小凝縮して一生命体が誕生し、それが、拡大膨張して死となる。ここで、生命組成元素(原子)は、宇宙における不変の存在としてありつづけるわけで、死んでも生きていても、われわれは、心であり、同時に、肉体であり続けることになる。
 死んでも、生きても、意識があっても無くても、無ければそれは生体の機能上にそのトラブルがあるわけで、意識不明でも、心(魂)は立派に存在し続けているといえる。そして、以心伝心で心はいつもその扉は開かれている。
 意識が戻らぬまま、二七年間、七二歳のお方が、ご自分の魂を見舞った人の車に同乗して行くくらいはいともたやすいことであろう。
 それは、平成元(一九八九)年一月九日のことであった。亡くなられる一カ月前のことであった。「二七年間」の闘病生活の間、夫を看病し続けてきた奥様は、もう限界だとその思いを口に出すほどの歳月であった。生命の尊さは身に迫るものの、いったい生きるとはどういうことなのかと、尽きぬ疑問も内在していたことであろう。
 「意識無き二七年間」。奇しくも今年でよわい七二歳となった。「二七年と七二歳」、この数の霊から受け取れることは、表裏一体に秘められた本人からの意志性のひびき、すなわち〝魂は死なず〟といえるメッセージだろう。肉体根源からのご意志であるのかもしれない。病床の夫のいのちは、四五歳から二七年間、意識無き日々であっても心の扉は全開されている。つねに心の発信体制下にあって、チャンネルさえ合一するなら以心伝心となって具現することになる。この方を見舞うことになってから、何度か共振共鳴共時の現象を体験することになった。
 最後となったこの日の見舞いから帰宅したのは夜の九時六分である。ところがこの方の誕生日が、大正五年(一九一六年)九月六日であったのだ。
 それは、その方のいのちの登録ナンバーともいえる、固有波動をもつ数の霊魂であった。数字で示す魂の世界。紛れもない意志伝達の数のひびきで伝えてくる魂の世界。
 この平成元年一月九日の日記を原稿にするため、ひらひらとめくり始めたのであるが、平成二〇年の今日、一月「二七日」であることに息を呑んだ。
 どうもこの方には二七などの数霊が動いているようだ。二七年間の闘病生活、七二歳の寿命、そしてこの原稿を起こしたのが二〇年後のこの日、一月二七日、見舞いから帰宅したのが九時六分、この方の誕生日が九月六日である。
 その心のひびきの表現は、文字や数や色などという表現媒体を通じて、われわれの目の前にその姿を見せてくれる。
 それば、普段の生活の中で気づかないだけの話であって、少し関心を向ければ、この世は、魂の世界であることが理解できてくるであろう。そして、霊的波動に充ち充ちているこの世の縁エネルギー空間を感じるはずだ。縁は出会いとなり、出会いはあなたの運命を運ぶ。そして、この世に限りない前進のシグナルを送り続けていると信じている。

 

 

鮭の尾っぽと小説の主人公

 

 出会いのチャンスは山ほどあるではないか。それだけ縁結びのチャンスがいたるところで待っているし、ましてや今は、地球上はおろか宇宙の果てまでもその縁結びのチャンスがあふれ出している御時世ではないか。身の回りを見るだけでも、新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・ケータイにパソコンなどの電磁波や電波が、文字・数・色の媒体を通して、我々の日常は光線銃の波状攻撃に晒されている身の上ではないか。
 情報過多症候群の、訳も分からぬ病魔が我々を狙っているから気をつけねばならない。ボタン一つ押すだけのたったそれだけで、居ながらにして縁の神様が入って来る御時世が現代社会のありようというものである。
 情報が天地せましと溢れだし、それだけ心がコロコロと動きが止まらず、縁のセンサーが過熱気味ということになる。
 
縁は円だよぐるぐる回り
運勢・運命結びの縁だ
泣くも笑うも人生劇場
演じて気づけばいい役者
気づかぬ自分は大変だ
振り向く首が回らない
振り向きゃ人生無駄はない
縁は異なもの味なもの
縁のもとなら人心
心次第で味かわる
甘いぞ苦いぞ塩辛い
人生模様の味の素
心コロコロ縁の素
人の心でこの世も変わる
縁のセンサー心でつくる
無色透明心のセンサー
見える心の色ならば
怖くてこの世は歩けない
心は縁のチャンネルだ
縁のセンサー休み無し
 
 俗にいう偶然の一致は、たまたまという感覚でとらえるなら、刹那の感動にはなるものの大抵は忘れられてしまうものである。
 人はたんにそれを断片として見るであろうが、どうしてどうして、それは火山噴火にも似てそのエネルギーは大変なもので、地下深くのマグマ溜まりであり、造岩物質の流動体が数十億万年の時を刻んでいる地球生命の息遣いにも似て、自分の奥深い心の蓄積がその出会いの縁を求めて、万劫の時を刻みつつこの世の出会いを求めて流転している。
 点…点…と、点から点へと流転し、その一点が偶然という出会いであり、一種の「役縁」ともいえる、刹那の深奥からのあいさつのようなものである。
 実際問題、役縁が人生に及ぼす影響は小さいかもしれないが、その役縁が続く先々には、本縁という人生のターニング・ポイントともなる大変なエネルギーが首を出してまいる。底深いところでは、点、点という役縁の数珠玉が続いているし、その人の人生行路に大きなチャンスを与えてくれる出会いとなる。もちろん、縁は両刃の剣ともなるからその逆も心に留めて置かなくてはならない。よく言われることに、人生には三度のチャンスあり…と。
 共振・共鳴・共時の現象を記録し続けてくると、縁の媒体メディアには、文字(=象形・図形その他)・数・色の三つの媒体がほぼ全体を占めていると考えられる。ここで、一つの体験を見てみたいと思う。
 夜行列車を乗り継いで二〇〇〇キロ以上彼方の駅に降り立ったのは、平成元年(一九八九年)一月一八日・朝六時五六分のことであった。今度の旅は、さしてこれという目的もなく一種の衝動的な旅であり、駅前に立っては見たもののこれからどこへ行くのかと思案顔をしているところに、私達の素振りを見て取った一人の中年女性が近寄ってきて、
「観光ですか? こちらは初めてですか?」
と、いろいろ尋ねてきた。
「まあ…これは私の性分でして、時々なんですが旅の方々に鹿児島の文化などをお伝えすることがうれしくて…」
とおっしゃるので、ここでこちらも素直な気分になり、出生地や名前などを伝えてからその方のことも伺ってみると、◯◯幸子、田上在住と言う。市内観光ならば市内観光バスが一番いいのだと言う。そこで九時発車のバスに乗り込み、その方とは一期一会の出会いとなったが、その後、年に一度の年賀のあいさつを欠かすことなく、すでに二〇年も続いており、縁の明かりは消えていない。ひしひしと温かい真心が伝わってくるお方である。
 バスのルートは、熱帯植物園・城山展望・磯庭園と続いたが、私達の旅というのは、共振・共鳴の旅であるから無理してまでも団体行動と一緒はできない。ここからは、心の向くまま動くのが一番いいし、心に強制のタガが外れれば内なる魂のセンサーは活発となる。
 そこでいったんバスを中止してタクシーに乗り換えることにした。ここでご縁となった方は、大野◯、木田在住という運転手である。そしてタクシーは、南州神社・西郷隆盛墓地・桜島へと渡って行った。
 ところが、渡って間もなくのこと、車はエンコして身動き出来なくなったのである。この方の車は、四日後の一月二二日に新車に切り換える寸前だという。どうにも閉口した彼は、止む無く同僚に連絡を取り、客人のリレーを頼むことになった。
 彼が言うには「二二日」に新車がくる手筈という。それにしても私は「二二日」生まれであるから、縁の結びというのはこうした些細なことにも、センサーが微妙に動いている。
 ようやくして交代したタクシーの運転手は、◯野幸雄、下田在住。母は大正元年(一九一二年)生まれで名は「フミエ」という。ところで妻の名が「フミコ」であるから驚いた。ひびき合う名前ではないかと。
 その日はこうしてあれやこれやで過ぎ去り、桜島にも別れを告げて駅に戻り、夜二二時二〇分発の寝台車で帰路に就いた。
 無目的の一種の観光旅行ではあったが、出会いの記録を取ってみると、「袖振り合うも多生の縁」を地で行く思いが次第にはっきりとしてくる。
 私たちの心の中には、生まれながらにこの世に持ち込んだ心の倉があるものなのだ。それを、集合意識とか、潜在意識とか、無意識とか、あるいは霊魂などと表現されているようであるが、いずれにしても今私はこれを本念と呼んでみたいと思う。本念に対して、この世での自分自身の生きざまで築いた心の記録を宿念と呼ぶことにする。目には見えない心の倉には本念と宿念がひしめいている。
 さて、降り立ったはるか遠いこの地で、この日出会った三人の方々の本念と宿念をここに羅列して見ると、引きつ引かれつの、共有できるひびきのあることに気づかされる。
 
声をかけてきた「◯◯幸子」さん(田上在住)
案内役のタクシー「大野◯」さん(木田在住)
車のピンチヒッター「◯野幸雄」さん(下田在住)
 
 この三人について、文字的に、また数的にそのひびきの共有を探ってみるとまず、所在地に目が留まる。それは「田の字のひびき」である。
 私達が「酒田」、◯◯幸子さんが「田上」、大野◯さんが「木田」、◯野幸雄さんが「下田」というように、普段は何も気にしないでいる自分たちの所在の文字に、一貫して共有するひびきが連打していることがわかる。
 つぎに、三人の名前には、何とも言えぬパズル合わせにも似た文字がある。
 名が「幸子と幸雄」、姓が「大野と◯野」というように、「幸せのひびき」と「野のひびき」が浮き出してくる。これらは、三人の生まれながら持ってきた本念や宿念であるから、本人にとっての固有的生命波動といえる。
 こうして、鹿児島での出会いに心を寄せつつ寝台列車は揺り籠となり、張り詰めた神経はいつしか緩んで深い眠りの宇宙へといざなわれていった。やがて、夜もようやく明るみかける頃、博多駅に到着したのは五時四四分。ここで、ひかり五〇号に乗り換えて一路大阪へと進んで行った。
 いつも同様なのだが、何とも忙しい旅である。いったん旅に出れば分刻みで渡り歩き、移動は夜行列車が多く、常用のフルムーン切符を二〇〇パーセント活用してその価値を高め、心の向くまま、魂の道案内に大かた任せきりで出会いの明かりを求めて一歩、また、一歩と進む。家に着くまでは目一杯無心で歩むばかりであるし、また、よくしたもので、次々と道しるべが脳裏に浮き出てくる。
 大阪までにはまだ中頃であったと思うが、昨年度目にした一冊の週刊誌のことを思い出す。あの時のことは、テレビでも放映されたと思うが、難病の筋萎縮症の夫とともに生きる奥様の看護の姿と、夫の絵画描写の話であった。夫は、首の収まりもままならず、天井から吊り下げられた紐に腕を通して、点と線で描き上げていくという神気迫る集中力は、花や野菜の新たな生命力を生み出して生き返らせる。
 この記事を読んでいた妻に電撃が走った。どうしてもこの方に会いたいと言い続けていたのを私の心にも同じく残っていた。もう四~五年にもなるが、妻が事あるごとに言い続けてきた言葉がある。
「私は今、鮭の尾っぽ(尾鰭おひれ)の付け根に居る! 胴体と尾っぽのクロスした所に居る!」
その尾っぽの付け根のところは、ちょうど、中骨の先端であり、魚にしてみれば、推進力と舵取りのかなめといえる。それはまた、生きてゆく要でもある。
 久しく言い続けてきた「鮭の尾鰭」の妻の話が私の脳裏をよぎるなり、急きょ大阪駅で普通列車に乗り換えてその会いたいお方を目指すことにした。その方は中林◯さんというお方である。駅を降りて電話を調べて連絡すると、奥様は快く訪問を受け入れてくれた。
 思えば何らの理由すらもなく、ただ会いたいというだけの話であるから迷惑な話である。先方にしたら、遥か遠方からの唐突な訪問者であり大変戸惑ったことと思う。ところが、ご本人に会った感激にもまさる劇的出会いが発生したのである。目にした、テーブルの上にあった一枚の絵がそれだった。
 その絵は、書き終えて間もない一月一二日の完成だという。今日一九日から一週間前のことであった。その絵は「鮭の尾っぽ」の部分だった。絵の右下には、〝塩ジャケ・一九八九・一・一二・OSAMU〟とサインされていた。
 その時の妻の驚きは筆舌に尽くしがたく、そこがどこかも忘れて絶句した。
「鮭の尾っぽだ! お父さん、鮭の尾っぽだよ」
と、二、三度叫んで感激の涙が頬を伝わり落ちた。中林ご夫妻には何のことやら全くそれを知る由もない。
 
底に流れる深遠世界
時空を超えた不可侵世界
見えぬ手でいのちの証し道しるべ
鮭が道ひくいのちの証し
人心次元のさらなる先に
この世に満ちるいのちの光
いのちの本流背骨なら
人世は尾鰭で生きてゆく
それを結ぶは一食一排大地の光
食のいのちでございます
食は命の要です
食は心の要です
縁の結びの要です
食はいのちの波動です
食はいのちの元素です
食は記憶の元素です
鮭のいのちは元素の光
人心超えた光の元素
人心超えた心の元素
 
 思えば通わす命綱となりて、鮭は魂の光となりて、魂不滅の道案内をしてくれたのである。
 この日、もう一つ旅の続きがあった。この話も妻の思いの中から出たものだが、かねてから会いたかったというお方がいて、それはかの著名な作家・水上勉先生である。そこで先生の若州一滴文庫に行ってみたいということになった。
 そこまで行くには、敦賀駅から小浜線に乗り換えて若狭本郷駅まで所要約一時間半の道程。そこからバスで若州一滴文庫の停留所まで一五分。さらに徒歩五分くらいで到着したのは午後三時頃であった。
 何ゆえに妻が、作家・水上勉なのか。どうしてお会いしたいのか。その理由を聞くこと自体が無理なことで、妻自身も答えようがない。ただ会ってみたい、行ってみたいのであって、それは深いご意志の流れに引き寄せられたというほかはない。
 若州一滴文庫は、佐分利川左岸の段丘に平屋建の棟が幾つも立ち並び里山の静かな息遣いを感ずる場所にあった。この年は、大寒に入ったというのに雪もなく、薄明るい霧雨まじりの日であった。
 訪ねてみると、水上先生は不在だったが、係の方が、先生とは無二の親友で、画家の渡辺先生がお見えになっていますと言う。もし何でしたらご紹介いたしますということになり、間もなくお会いすることができた。「水上先生は出かけていますが、自分がお話を伺いましょう」と言って名刺を渡された。
「先生の挿絵を書いている渡辺です」
と、おっしゃってから、
「先生は、昨年から、山形新聞に〝故郷〟という連載を書いておられます。その挿絵を担当しています」と聞かされたが、その連載のことは私の目には流れているはずだが、これまで新聞の小説を読んだことはないのである。しばしの間、渡辺先生との談義が続いたが、帰りの時間のことも考えてその場を失礼すると、私達は竹人形劇の広場などを見学させてもらい、せわしく巡りながら若州一滴文庫を後にした。そして、バスを乗り継ぎ電車を乗り継いで一九時一二分には敦賀駅に到着した。
 これより、敦賀駅一九時二一分発の寝台特急・日本海一号に乗り、翌早朝三時四五分で酒田駅に到着した。帰宅一番、妻は留守中溜まった新聞を取り出して食い入るようにめくり始めた。
「ありました! 驚きました!」
一滴文庫に吸い込まれていったその流れの一端を見せつけられた。平成元年一月一九日付けの山形新聞連載には、「故郷(二二〇)水上勉作・渡辺淳画」と、載っていたのである。
 目を皿にして読み進めて見て驚いた。なんとそこには主人公らしい一人の夫人の名前があったのだ。
 
富美子…富美子…富美子…富美子…
 
水上先生に会いたいと言い続けた妻の名は、文字もぴったりの「富美子」なのである。
 それではと思い、日付を数日さかのぼってみると、三日前の一月一六日には、今度は妻の富美子ばかりか、私の名前「茂」に通じる「茂兵衛」という人物が登場していたのである。
 
富美子…茂兵衛…富美子…茂兵衛……々々
 
と、頻繁に登場しているではないか。どのような内容なのか、この小説はすでに連載ナンバーも二二〇回に進んでいた。
 一九日は「二二〇回で私は二二日生まれ」なので、ここにも微かなひびきを共有していたのである。また画家が渡辺淳で、私の息子は菅原淳であり、ここでも文字的な共振・共鳴が真に迫って揃って登場しているではないか。
 
登場主人公が「富美子」、「茂兵衛」、挿絵が「渡辺淳」
こちらは、妻が「富美子」、私が「茂」、息子が「淳」
 
 さらに、連載ナンバーが二二〇回、この時の話が第二二話というのも、私の二二日生まれと微妙に振れ合う。あまりにもでき過ぎてはいないか。
 作家・水上勉が、この小説『故郷』の中で活躍させる人物名をどうしてそのように設定されたかは知る由もないが、妻の富美子が昨年から水上先生と会ってみたい、一滴文庫に行ってみたい、と言い続けたその底の流れはどのようにして現実化に結ばれたのか。
 時空を超えて、何もかも透過貫通して、ひびき合い引き寄せ合い、あるときは引き離す力を発するいのちは、どこにその管制塔があるのか。時空に支配されない心の采配はかくも、こうして、働くのか。ご意志の本拠地はどこにあるのか。水上先生の、この小説の、その動機づけはどこから発したのか。それは、ご意志の本拠地からのいのちの糸があったはずである。
 正に人知のあずかり知らぬ「いのちの裏時計」。人間をそうさせ得る人心の基底となる世界。そして、表面には出ずに、正確無比の、人心統御機能が必ずあるはずである。
それを私は宇宙絶対調和力(一大調和ご意志)と感じている。
 その基底の秘密は、一人一人のいのちの成り立ち、食が人心に変わる次元にあると考えて不思議ではない。一大生命界とこの自分のいのちの接点はどこなのか。まぎれもなく「食と呼吸」次元にその一大神秘が秘められているはずである。