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神秘の大樹だいじゅシリーズ第一巻
神秘の大樹
   偶然が消える時

 

 

光町の鳥と銚子の鳥

 

 かなり以前から時々妻に聞かされていた神の絵図面という言葉があるが、なかなか理解しがたいことであった。
 ところが考え方によっては、物をつくるにはまず設計図があるように、この世の流れにもまた、それぞれの人生にも、その人に添った心の図面といえるほどの設計図がそれとなく見えてくる思いになる。それも、人の心というカンバス(画布)に絵を描くようにして、その人の心に添った歩みの道を照らしてくれている設計図のようなものが現実的には存在すると思えてくるから実に不思議だ。
 ふだん当たり前に使う言葉で、「たまたま」とか、「ふと」という現象を「偶然」と表現するものだが、予期せずに出会ったときなどに便法的に使うのが「偶然」という言葉であろう。
 一方、我々の人生は、神の絵図面を歩いているのだという視点で考えてみれば、たまたまとか、ふととか予期せぬことだったとかということにはならないのではないか。
 それは、各人の心のカンバス(画布)には、その心に添った神の絵図面があって、その人は、その絵図面という設計図の上を歩んでいる中での出来事だと理解されることになる。とするならば、偶然と言っていたことは当然の図面通りということにもなる。そのことは、心変われば設計図も変わってくることにも通じてくる。
 どうも我々が考えているよりも先々へ進んでいる世界が、この自分といういのちの中に存在するようだ。いわば、その人の心に基づいた人生設計図を作成するお方がこの自分の中におられるということが、いろいろ体験することでその現実感が色濃く高まってくるのだ。
 設計者は、時空を越えたところで、実に客観的に心を見抜いて図面を引いているようだが、設計するための一大ヒントといえば、それは何を隠そう自分の中の心の蓄積にほかならない。心こそ人生のアイディアマンであろう。
 蓄積された心の情報を細大漏らさず網羅しているのが、潜在意識とも、霊魂とも、深層意識などともいうようだが、それらの心の情報は、さらに、この生命体を存在させている生命情報とともに記憶装置にインプットされているのであり、ここでの設計作業こそ私達の運勢、運命、宿命、幸不幸、その他人生で起こるあらゆることへの影響力は甚大なものだ。だから、我々の心の倉にどんな情報がどれだけあるかで、この世での進路に大きく左右することになるから、ふだんの心を内省して見ることの大切さを知らされる。
 さてここから旅の続きを走ってみることにする。平成元年(一九八九年)五月一〇日、千葉県の九十九里浜海岸での車中泊から一夜あけて一路銚子へと向けて走行していると、一瞬目を引く標識があった。光町という文字なのだが、これにはちょっと気分をよくしながら走った。まもなく信号停止となり待っていると、対向車線にも一台の小型トラックが進入してきて停止線の五~六メートル手前で静かに停まったかと思うと、運転手の男性はドアを開いて降りたのであるが、車の後ろ近くに落ちていた小さな物を拾い上げると、おもむろに草地に置いたのである。石などであれば投げ捨てるであろうが、その仕草から鳥などの生き物であると感じた。
 それが気になり、私も青信号を待ってそこに直行してみたらやはり小鳥であった。車に戻って出発しようとしていた運転手に私は声をかけた。
「少し愛情をかけてみようかと思って…」
と、心にもない偉そうなことを言ってしまった。彼は無言でそこを去った。私が瀕死の鳥を両手で包むようにして、元気になれよ、と見つめていたところに
「猫にでも食われるかと思って…」
と言いながら彼が戻って来たのである。
 どうした訳か二人の男は、小鳥を前にして不器用ながらも一心なのであった。私は手をかざして小鳥の全身に命の光を送っている感覚になっていた。とその時、小鳥はわずかに動いたかと思ったら、素早く飛び立ち空を切って低空のまま人家の軒先に消えたのである。この時彼は「光が当たったんだなぁ」と安堵の思いを浮かべながらつぶやいた。互いにニッコリしながら何かふっきれたように、よかったよかったと言い合ってその場を別れたのであるが、私にはいいしれない心残りがあった。彼を写真に残したい、だがフィルムがないのだ。
〝光町に光の真心を見せてくれた男がいる〟
と思うとたまらなかったのである。朝八時過ぎ、交通量が少ないから急いでフィルム探しに走り回ってようやく求めることができたが、今度は彼を探さねばならない。
 地元風の方であったからどこかにいるのではないかと探していると、遠くからスピーカーの声が聞こえてくる。
「古新聞…古雑誌はございませんか…。ありましたらチリ紙交換です…チリ紙交換です」
と呼びかけていたのだ。やはり彼であった。すぐ駆け寄って
「すみません…戻って来ました。写真を撮らせて下さい、お願いします」
と頼むと彼はスピーカーを止めて
「こんな人もいたっとなぁ…」
というのであった。
「そうです、そうです」
と、私はいささか興奮気味で、めったなことでこういう方とはご縁になれないものと思い、仕事の迷惑も考えずに写真を写してから
「旦那さん…旦那さん、お名前を…」
とせかせかと聞くと「安藤」と一言言ってニコリと笑った。気をよくした私は「私、山形なんです」と、聞かれもしないのに勝手に言った。
 国道は次第に交通量も増えてきた。これ以上は邪魔になるからと再び別れたのであるが心はまだ別れていなかった。住所を聞くことを忘れたと思いきや再び彼を探しに走ったが彼の仕事柄すぐに会うことができた。追いすがるように私は
「安藤さん…写真を送るから住所を教えてくれませんか」
と尋ねて再びスピーカーを止めさせたのである。
「そんなのいらんよ。こんな人もおったけな…とそれでいいんだろ」
と、今度ばかりは語気が強くなり一瞬憮然となった。迷惑千万で営業妨害になっていた。ここでどうやら私も心にブレーキをかけて「すみませんでした。どうもありがとう」と言うと彼は
「気を付けて行って下さい」と、逆に後ろから声をかけてきてくれたのである。本当に心の澄んだ方だと思うと自分のおぞましさを悔やんだ。
 光町に光の真心と出会い、傷ついた鳥(ツバメ)の一命に光が通ったという印象深い思いを胸にして、私は一路銚子へと車を進めたのである。
 そして、この光町の前後には、得も知れぬ神の絵図面(縁の糸)が流れていることに気づくのである。
 一昨日、東京の玉光神社を出た直後、矢も楯もたまらずに、海へ海へという誘う波動に激震のごとくせきたてられて房総海岸に直行した。昨日は館山で、後方ドアを全開して走るというアクシデントが発生し、それが縁で、大鳥のクジャクと出会い、また、白浜海岸では、天草採りの海女さんと出会い、それも山形とは深いご縁のお方と知り、さらに、今日はこうして九十九里浜の光町で瀕死の鳥と安藤さんに出会い、そしてこの日、銚子の地球展望館に到着してみれば、こともあろうか、館内の廊下には名画『鳥の死をいたむ少女』という絵画と出会うことになったのであった。
 『鳥の死をいたむ少女』を描いた作者は、フランスの画家、ジャン=バティスト・グルーズであり、一七二五年八月二一日生まれで一八〇五年三月四日死亡、八一歳というのである。東京からやみくもに、はるか遠い房総の海岸に導かれてくる中で、

大鳥(クジャク)と出会い
天草とりの海女さんと出会い
小鳥(ツバメ)と安藤さんと出会い
鳥と少女の絵画と出会う
 
という一連の流れは、妻の言っていた神の絵図面を歩いているということなのかもしれない。そして、魂不滅の謎はこのあたりにあるのかもしれない。