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神秘の大樹だいじゅシリーズ第三巻
神秘の大樹
 文字・数・色で証す新次元

 

 

 

稲霊いなだまの喜びが開花した
いのちの証し

 

 平成七年九月一六日、長野県中野市の中山晋平記念館を訪ねた際、記念館前の田んぼで稲刈りをする農人に頼んで、二束の稲をいただいた。

 めっきり目立つようになった減反田の自生稲や、昔ながらの農人魂が光る米作りに、異常なほど心を引かれる私は、雨の中で、コツコツ稲刈りに励む目の前の農人の稲が欲しかった。

 農人の名は、田川功さん。

 翌年私が、うるち米〝亀の尾〟の苗(創始者、阿部亀治の子孫より受けた苗)を段ボール箱で送ったところ、田川さんは、立派な稲に育ててくれた。

 秋の収穫も終えた田川夫妻は、旅行業者に頼み、二泊三日のプログラムで東北の旅に出ることになり、その時、元気な根の付いた〝亀の尾〟の稲束を、忘れず持参したのである。

 ホテルで待ち合せすることになったが、そのホテルがこれまた、〝亀屋〟というではないか。〝亀の尾〟の縁が実って泊ったホテルが〝亀屋〟とは、稲の魂が働いたというほかない。

 元気に育って里帰りをした亀の尾を中にして、喜びの話題はつきなかった。この稲束で結ばれた両者と、亀の尾の一連の話を、信濃毎日新聞は、二度にわたって紹介してくれた。

 ところが、記事になった縁のエネルギーの強さに心を引かれ、田川さんから、取材記者のことを訊ねてもらったところ、昭和二二年四月一六日生まれだという。また、田川さんは、昭和一二年一一月二五日生まれ、奥さんは、昭和一六年九月四日生まれであることを前に伺っている。

「彼(記者)は、四月一六日生まれか、俺も初めて知ったよ、そういえば、俺の結婚は四月一六日だ……」

と、田川さんは言い出した。そして

「ウン、ウン……やっぱりな」

と頷きながら、

「うちの娘も同じ日だったな」

と不思議そうに言った。田川さんの愛娘は、本名も〝愛〟である。

昭和四一年一月一六日生まれで
平成元年四月一六日に結婚

していることがわかった。なるほど、そうか……と頷く私に、彼は、再び、

「俺の親爺も同じ日だよ……」

と言う。

 父親は、昭和五年四月一六日に結婚しているというのだ。

 

取材記者は〝四月一六日〟生まれ

田川功の父は〝四月一六日〟に結婚

田川功も〝四月一六日〟結婚

娘の愛もまた〝四月一六日〟結婚

奥さんは昭和〝一六年〟生まれ

娘も一月〝一六日〟生まれ

 

と、次々、〝四一六と一六〟数霊が出現することになった。

 さらに、田川さんと私たちがご縁になったのは、

平成七年九月〝一六日〟

のことであった。

 まさに、米の魂(稲霊)が、日本全土から寄り集まって、田川さん一家を祝っているようだ。

〝一六〟という数霊の波動は、米の心性波動を象徴する一形態であると思っている。

 米の数的表現では、昔から、八八歳の米寿といわれ長寿の祝いとして喜ばれてきた。日本民族の魂には、心の共鳴磁場として、八八歳の米寿は深く刻まれていることでもある。

 その和数〝一六〟「八八=一六」は、米のいのちの収束されたエネルギーの一つとして、シンボライズされていると考えてもいいだろう。

 記者と田川家と私たちのラインには、稲霊(八八=一六)を共鳴媒体とする〝心の共鳴情報磁場〟が確立されていたと考えていいだろう。

 田川家では、昔も今も変らぬ手作業を基本として、畦畔は鍬で塗り固め、苗は手植えをして、収穫した稲は、ハゼ掛けをして自然の風で乾燥するという真心の作業を守り続けている。

 そこから伝わってくることは、米のいのちとぴったりの自然感だ。

 人間の真心とともに、いのち全開した米のいのちは、人間の魂と同化して、いのちの根源力となって、明るくひびかせることになる。

 

 

 

 

 

 

普賢岳に抱かれたご夫妻

 

 この地上で健康体で生きていくには、炉に溜まったかすを掃除する必要があるように、体内で燃えたいのちの滓を排出しなくてはならない。それを四文字で表せば「新陳代謝」という働きになるであろう。

 機械や道具類なら、維持管理することがそれらを長く使用に耐えられるようにする必須条件である。ましてや、有機体のわれらのいのちを円滑に持続させるためには、それなりの維持管理が当然必要となる。すなわち、健康管理である。

 いのちはリズミカルに呼吸している。肺を使って体外から天の気を呼吸し、体内では、毎日欠かせない食事から地の気を呼吸する。

 これらの呼吸は、目には見えないが、全身六〇兆以上ともいわれている体の細胞一つひとつが生きるためのエネルギー供給源となり、それを受けた細胞は、そのエネルギーでいのちの呼吸をしている。

 吸っては吐き吐いては吸う呼吸は、ミクロ世界の生死を司る営み。これを「代謝呼吸」と私は呼んでみた。

 このように、体外呼吸と体内呼吸がリズミカルに働くことによって、私たちの生きる土台は維持できている。

 生命誕生の母体であるわれらの地球生命ももちろん呼吸をしている。宇宙を一体の生命体とした宇宙生命が呼吸をするのも当然であろう。

 地球が億万年単位の寿命を維持するために、それ相応の新陳代謝があるのは当然のことである。その最たる現象が火山噴火・地震・台風・雷鳴などであろうし、そうした自然現象のあらゆる面で、それらが地球生命にとっての健康維持となるであろう。そう考えることによって、たとえ私たちにとっては恐ろしい自然災害も、地球生命にとっては健康法の一つだということが分かる。地球生命が円滑健全であればこそ、私たちのいのちは安全無事ということになる。

 われわれにいのちがあって地球にはいのちがないと誰がいえようか。ましてやわれわれは死んで煙となり、白骨となって地球母体にUターンする宿命を背負っている。新しく生まれ変わるための元の姿、すなわち生命元素に戻ることが、死という扉開きといえる。

 最初の代謝呼吸を〝生〟としたら、最後の代謝呼吸は〝死〟である。死んで、いのちのリニューアルともいえる世界で一新され、再利用される日まで元素の姿で地球母体に抱かれていることになる。

 こうしたわれわれのいのちと、母なる地球生命と宇宙生命という考え方からいえば、この世は、いのちの代謝呼吸の息吹で満ち溢れている。その最たる現象を火山噴火に見ることができる。

 生命母体の地球が、まるで内圧を調整するように安全弁を作動させている姿が火山噴火や地震などの現象だと捉えるなら、地球生命の息づかいが、美しくも神々しく、その燃え上がるいのちの躍動が心の目に映し出される。

 火山噴火は世界各地で、生き生きと激しく呼吸をしている。それは、いのちの営みであり、地球母体が生きている証しでもある。

 燃え上がる溶岩と水蒸気を噴き上げる生きた火山に強烈に魅せられ、その一生涯を火山現象学に捧げたご夫妻がおられる。

モーリス・クラフト(四五歳)

カティア・クラフト(四四歳)

 このクラフト夫妻の足跡は、火山研究に不滅の金字塔をのこしてくれた。

 クラフト夫妻は、アメリカの火山学者仲間からは「火山の鬼」という異名で呼ばれるほどで、噴火を知ると世界中どこにでも出かけていき、いち早く現場に分け入ったそうだ。

 クラフト夫妻は、噴火活動を直接その目で観察して行う研究の専門家であった。いつも一緒に行動する中で、危険な現場にひるむこともなく、身を挺して貴重な映像を残してくれた。

 夫のモーリスさんはフランス人で、一九四六(昭和二一)年三月二五日、医者の次男として生まれた。子どもの頃、家族でイタリアのエトナ火山やストロンポリ火山などを訪ねたときの感動が、彼を地質学・鉱物学へと向かわせ、ストラスブール大学に学んだという。

 妻のカティアさんは、やはりフランスに生まれ、十代のときに訪ねたイタリアの火山の驚異に魅せられたことがきっかけとなり、やはりストラスブール大学で地球科学の道へと進んだ。ここで夫となるモーリスさんと出会うことになり結ばれたのである。

 クラフト夫妻が、最後の足跡をのこした火山噴火の国は日本であった。長崎県の雲仙普賢岳で、一七九二(寛政四)年の噴火大崩落から一九九年目となる一九九一(平成三)年五月二四日朝、激しい噴火が起こり溶岩の崩落が始まった。

 それを知ったクラフト夫妻は、米国人研究者ハリー・グリッケン(三三歳)とともに五月二九日に島原市に入り、そして六月三日午後四時九分、発生した大火砕流に巻き込まれて、帰らぬ人となったのである。

 それからちょうど一月後ひとつきごの七月三日、私は、一本のVTRを見ながら一つの運命的共時性に気づいた。

 生前、クラフト夫妻が発した言動には、予知・予言性が内在していて、確固たる現実性が秘められていたのである。

 クラフト夫妻は、それまで二〇年間、一二〇回にもわたり活火山に近づき、火を噴き上げる生きた火山にこそ最大の興味を持って引き付けられたという。夫のモーリスさんは、「火山の噴火で生命を失うのなら本望だ」と話し、妻のカティアさんは〝一四歳〟のとき火山学者になることを決意され、雲仙普賢岳の印象を記者に聞かれると、「この山がとても気に入りました」と笑顔で答えていたそうだ(山形新聞・平成三年六月七日)。

 そして夫妻は、身命をこの普賢岳のいのちとともにし、四一人の死者行方不明者とともに、予言的暗示性の命の運びとなったのである。

 一四歳(=四一)のとき火山学者を決意し、四一人の命とともに普賢岳に抱かれた命であった。

 

 

 

 

 

 

夢と現実と鳥海山噴火

 

 南北に延びる街の幹線道路を北に向けて歩いて行くと、右側には若浜小学校があって、訪ねた建築設計事務所は校舎に隣接して建っていた。中に入ると、見知らぬ若い二級設計士がおり、奥には旧知のKさんがいた。彼は、リサーチ会社経営のジャーナリストであったが、いつのまにか一級建築設計士になっていた。

 話も終ってそこを出てからいくらも歩かぬうちに、北方の山並みが一面の火炎に包まれているのを見て驚いた。それが鳥海山の噴火であることを直感したときには、すでに溶岩流はすぐそこまで押し寄せていた。国道七号線酒田バイパスの路面の二、三カ所からは溶岩が烈しく噴き出し、街中は騒然と慌ただしくなり、非常サイレンが鳴りひびいていた。

 不思議なことに、周囲には誰ひとり逃げ惑う人が見当たらない。思うように走れない中で私は考えていた。「海へ逃げよう、海なら大丈夫だ。街は全滅しても船で海へ逃げたら何とか生き延びられるだろう」と、必死に走った…

 はっと、目を覚ましたときには四時半を回っていた。夢もこれほどまでに現実味を帯びて迫ってくると、恐怖で心臓も早鐘を打つ。ドロドロの溶岩流と激しく天に突き上げる噴火は、淡い黄色とピンク色の火炎となって、その美しさにも魅せられた。

 平成三年八月一五日早朝の夢だったが、その日の正午過ぎのこと電話のベルが鳴り響き、出てみると「Kです」と言われた。夢の中に出てきた彼であった。

「今夜のことですが、杉沢の熊野神社で年に一度のお祭りがあるんです。重要文化財の比山芸能で鳥海山の噴火を鎮めるための奉納なんですがどうですか、行ってみませんか」と、誘いを受けた。

 夢の中では一級建築設計士であったが、電話の主は、職業は違っていてもまったくの同一人物なのである。そして、鳥海山噴火の夢と鳥海山噴火鎮めの比山芸能の話を持ち出されたのである。今朝の夢は、今夜の比山芸能と深く密接に繋がっていた。

 夢の中のKさんと本人からの電話。夢と現実、現実と夢。どちらも現実となって、表裏一体の姿でその魂を紡いでいたのであった。

 

夢はいのちの子

現実もいのちの子

一卵性の双子です

夢と現実は双子です

一卵性の双子です

心も体もいのちの双子

夢は心性(心)で

現実は物性(肉体)で

一卵性の双子です

分離できない双子です

あるときは夢で

あるときは現実で

表裏一体の双子です

いのちが生んだ双子です

 

 夢が現実なのか、現実が夢なのか、この世のあらゆることが見分けがつかなくなってくる。現実が真の現実に決まっているのだが、そうはっきりいっていいものかどうか、と割れた思いが問いつづけてくる。夢の中の現実も真の現実なのである。

 共時性現象を探索する者として、現実は現実で、夢は夢という分け方でいいのか、と自問する。混沌として、夢と現実が不分離一体のままで、渦の中に投げ出される思いが続く。

 いのちが生んだ双子、物性と心性(霊性)が、あたかも宇宙創成期とでもいうようなカオスの中に投げ出される思いに立つ自分。だから、いのちの双子の物性と心性が、互いに混沌のソウル雲海(心霊磁界)に生きているときは、夢(心性)も現実(物性)も一緒の世界にある姿ではないかと思うのである。

 奥深い、いのちの物心両性の双子、それが物的現実化したとき、それは、この目で見える物的現実として見ることができる。これが、意識する現実といえる。ところが、夢で見ている現実(夢の世界)は、これまた心で見ているれっきとした混沌不離一体の物心両性の世界で、共振共鳴が起こり、心性から心に変わった心的現実としてとらえることができるし、これが夢の現実と考えて何の不思議もない。

 だから夢も現実も、いのちから見れば、どちらも、生命エネルギーの具象化した姿ということになる。

 夢も現実も縦糸と横糸で紡がれている織物のようであって、その糸は、密なる意志性の伝達の糸であり、共振共鳴の原動力となるのではないか。

 この世は自分の魂形成の宿念エネルギー。それ以前は自分の魂形成の本念エネルギー。われわれの、祖先累々の、引き継がれてきた魂(生きざま)。五代くらい先までは分かりやすいものの、それ以前の魂は闇の中。一〇代さかのぼれば約三百年、一〇二四人の先祖集団となり、四〇代さかのぼれば約一二〇〇年、一一〇〇億人強の魂が関与した自分。それ故に、五代以前(一五〇年位)の魂を総括してソウル雲海(心霊磁界)と呼びたい。そこは全生命の魂が、宇宙の果てまでも含めて、混沌とうごめく心霊磁界だ。宇宙運行から単一生命(自分)運行までもかかわってかぎりない世界。運命は自分の心で紡ぎ出す。いのちあるかぎり、いのちの結びに切れ目はない。あの世もこの世も天地万物、虚(夢)もじつも、すべてが真実の中で、心の糸で結ばれる。

 

夢は現実

現実は夢

どちらも現実

夢は無意識の現実

現実は意識の現実

夢も現実もどちらも現実

 

 

 

 

 

 

永代供養と幸福の木

 

 小学生の頃から不得手な学科といえば一番に数学があった。あの算式が無機的で味気なく思えてなじめなかった。音楽も音痴であったし、譜面のオタマジャクシがなぜか数学に似ているように思え、なかなか覚えることができなかった。

 まあ、並にはついていったが、これぞと得意なもののない中で、気が乗るといえば、野原や川原、小川などを相手に駆け回ることであった。魚捕りなどは大好きだったし、そこらにある草木などから遊び道具をつくる創作的なものには、気を乗り出して時の経つのも忘れるほどであった。黙々と心向くまま誰の制約もない独りの世界にいるときが一番うれしく、これが性格に合っていたようだ。その一端として今の写真世界、今も続く六〇年余りのカメラの趣味世界となっている。

 苦手だった数学の世界、数字の世界なのに、七〇歳を過ぎた今、日課となっているのが、偶然の一致という、神秘世界を考えるうえでどうしても避けて通れない「数字」が、心一杯に広がっているのだから、皮肉といえば皮肉なものである。ただ、数字といっても、算式を解くという学問上の世界ではないから、私にも受け入れられるということになろう。

 偶然の一致という現象を、偶然ではないのだといえるには、それなりの証明を出さなくてはならない。

 ところが、科学には馴染まないこの神秘世界は、反復実験可能の世界ではないから、偶然ではないのだという証しは、体験記録によって、その中枢に近づかなくてはならない。

 それが、「いのち(生命)とは何ぞや?」という大命題にぶち当たっての模索となるから、数字が苦手だの、何が苦手だのとはいえないのである。

 この世の一切がいのちそのものであるから自分をとりまくすべてが「いのち」で充満しているのであるし、そのいのちのひびきはすべてが、意志性の心性の響きであるし、その心ごころのシンボル表現こそが、数字(数霊)であり、文字(文字霊)であり、色(色霊)であり、と考えられるのである。

 人間が築き上げた科学技術の世界では、その基礎学問こそが数学だといえるほど、物理系の基礎は数学世界といえよう。

 山形新聞のコラム欄「気炎」から引用してみると、(前文省略)今年を「世界天文年」とする。「哲学(世界の基本原理)は、われわれの目の前に常に開かれている。この巨大な書物(宇宙)は数学という言語と三角形や円、その他の幾何学的図形という文字で書かれている」と宣言した、ガリレオの実践による現象の究明こそが近代科学の先駆けとなった云々(平成二一年一月三〇目付け山形新聞)とある。

 宇宙という巨大な書物は、数学という言語と幾何学的図形という文字で書かれている、というのだ。

 これを読んだとき、私の内奥からひょっこり覗くようにきらめく思いが湧いてきたのである。「数的世界は、万物万霊の共通語的意志伝達のひびきをもっている」と、確信めいた思いになったのである。

 追い求めている偶然の一致というのは、単に偶然ではないのだ。心は生きているのだ。出会いの縁には、秘められている一つの流れがあるのだ。そう思ったのである。この世は、意志的エネルギーの流れで満ち溢れているのだと考えて、何ら不思議ではないのである。 私たちは、目に見えない心霊世界を、目に見える文字・数・色を共振共鳴の媒体エネルギーとして、この世の魂の意志エネルギーを、この目で見ているのだと、考えるようになったのである。

 私の考える「いのち」とは、代謝エネルギーを中心とした躍動エネルギーと安定エネルギーの一大循環、すなわち、宇宙絶対調和力に括られている世界であるから、いのちの中枢を成すものは、数的(量的)に象徴される代謝エネルギーというほかはない。数的(量的)バランスこそ、いのちの中心力と思うし、数霊(数字に宿る意志性)は生死を越えて、心のひびきを発している。

 この世は、生死共存の世界といえるし、この自分も、生死共存の魂の一生命体であるから、一人ひとりに現れる縁に秘められている数霊はもとより、文字霊・色霊をどのように受け止められるか、または無視するかであって、その数霊の意志性を受け取ったとき、偶然という知見はおのずと消え失せることになろう。「たまたま」ではなくなるのである。心の博物館ともいえるこの自分のいのちでは、心に古いも新しいもなく生きているし、そして、出会いの縁には、秘められている魂の流れがあって、その現れとしての数霊であり、文字性の響きであるといえる。

 今をせわしく生きている普段の生活の中では気づかないだけであって、いのちの中では別世界のように、心(霊魂)の共振共鳴が休みなく働き続けている。

 ここで、数字が示すメッセージ性として、数字には魂が生きているということ、その意志性を暗示する共時性現象を紹介してみようと思う。

 

 

 昭和五七年一一月一二日、二人の叔母姉妹の間で、姉を養母としての養子縁組が結ばれた。ところが、それより一年後の昭和五九年一月四日四時五二分、養母の叔母が亡くなり、寺も墓もないから、生家の墓に納骨することになった。

 養女の叔母はこれからのことを思い、永代供養の法要を行うことにして、生家を訪ねたのは、養母が亡くなってから八年目の平成三年一〇月一二日のことであった。

 生家の村には、叔母の同級生が四名いて、当日は永代供養を済ませてから、その同級会にも出席する予定になっていた。

 私たち三人で出かけた菩提寺での永代供養を終えてから、同級生の一人、志田宅に立ち寄ることにして、叔母とはそこで別れることにした。

 志田宅は、生家の三軒隣であって、古くからの付き合いであり、遠慮のない間柄である。叔母を置いてから帰りぎわのこと、縁側にある沢山の鉢植えに目が留まった。特に、肉厚の観葉植物が根分けされている鉢に心を引かれたのである。聞くと、この植物は挿し木で簡単に根が付くといい、名前は「幸福の木」というから縁起物であり、心を込めて大事に育てているということであった。

 その鉢を一心に見入っている妻の姿を見ていたこの家の主人が、「一鉢あげるから持って行きなさい」と言ってくれたので、妻は大喜びである。「この鉢がよかろう」と選んでくれた鉢を抱いて帰宅し、玄関の下駄箱の上で向きを見ながら鉢を回転していると、その鉢には数字が書かれてあった。

〝六三、四、一二〟という数字なのだがどうもそれが月日ではないかと思い、電話で聞いてみると、植え込みをした年月日であることが分かった。

 その日の話はこれだけのことであり、特にどうこうならないのが普通の生き方だろうとは思うが、共振共鳴の共時性現象を探索する者にしてみれば、その数字一つ目にするだけで、心躍り上がることにもなるのだ。四月一二日は、私たちの結婚記念日である。そしてこの日は、一〇月一二日。

 「四月一二日と一〇月一二日」。それのみか、永代供養のご本尊である叔母姉妹が養子縁組をした日が昭和五七年一一月一二日である。当日の一〇月一二日は、ちょうど一月早い〝縁日〟の一二日であったのだ。

 一二日に養子の縁を結び、一二日に養母の永代供養の法要、四月一二日に植えられた幸福の木をいただくという流れ…。四月一二日が、私たちの結婚記念日ということは、どのように理解したらよいものか。そこに、必死に呼びかけている意志のひびきを感じてならない。無理に個人的に注釈をつけることは、むしろ真意を曲げるおそれを招くことにもなりかねないから、その意志のひびきを受け止める情感が大切と思うのである。…

 この日一日の一連の行動が、この世の現実としては、永代供養であり、それも、同級会と併せての叔母の来訪であり、幸福の木を授けてくれた志田家の奥様が、叔母の同級生であるということである。これにて一日の行動は終了だが、これはあくまでも、時計でいえば今何時何分という針を見ていることと同じ現実にすぎない。

 ところが、正確にその時計の針を動かすには、目に見えない時計の中にこそ、その中枢本体がある。肝心要の針を動かすこと、それも正確無比に動かし続けてくれる本体が、目には見えない中に組み込まれているのである。

 魂に生死の境はなく、心は生き続け、生死は不離一体で魂は不滅、心に新旧はなくピカピカ輝き生き続ける。

 積み重ねられてきた心の集積、心身一体のこの自分、死んでも生きている心(魂)の本体こそ、縁ある魂と共振共鳴して、縁ある魂がこの身に生きて、数霊を介して、文字霊を介して、色霊を介しての、今日なる現実を動かしているのである。

 現実を動かすいのちの本体は〝心〟、霊魂なのである。この日の現実を動かす原動力となっているいのちの本体、それは精神体であり、心性であり、心であり、魂といえるものであり、表現の文言の違いはあっても、すべて同義であると私は理解をしている。

 養母の叔母は、縁者のいのちの中で、生者の世界を見ている。人々の行動の原動力となって、また、言葉の発信体となって、その証しを数霊に示しつづけて、いのちの中で生き続けているのである。

 

 

 

 

 

 

生命8字は心の宝

 

 心の波長を限りなく微細に絞り込んで、集中力を高めようとする。その集中度の個人差がある中で、各人が、それらの思いを寄せたところの、心の磁場において、はっと何かを知覚する瞬間がある。それはあの、魚を釣り上げる一瞬にも似て、心が何かと見事に同調する体験は得難いものである。

それは、黄金の神域から発する微細な光の糸と結ばれる一瞬なのかもしれない。そんな体験は誰にもあることであろう。

 心をある一点に絞ったとき、心のサイクル同調が成立したとき、その一瞬の出会いは宝、いのちの宝である。

 私は五二歳で断酒禁煙してからというもの、自分の心の世界に没入することになり、はや二三年を経過して、そこに一つの命題が浮き上がってきた。

「いのちとは何ぞや」

ということである。

 今生きているこのいのちとは何か? 心を持ったこの肉体とは何を意味するのか? そう考えるようになった。

 そして、一人ひとりから集団を成す社会となりエネルギーを高め、ある一方向に進もうとしている人類世界。その人間社会の流れは、時代の流れとなって進む。

 一体このいのちというものは何をもってこうあらねばならないのだろうか…と考えを回す。そうした思いは、生きているかぎり、命あるかぎり尽きることはない、不思議なことである。

 いのちとは一体どういうものなのか、知りたいと考えあぐねて堂々めぐりの日々を過ごしてきた。私のいのちは確かに両親からの引き継ぎであり、その先々のルーツを辿れば、原初の最果てはわれらの地球に突き当たる。生命母体の地球生命に引き込まれていくのである。

 いのちの光は、万人が絶対的に等しい光のはずである。そして、自分のいのちはイコール地球のいのちである。また、地球のいのちは太陽のいのちである。太陽のいのちは惑星すべてのいのちと等しく輝くいのちである。

 次々と原始の世界に夢心地で思いを進めるなら、億万兆の星をかかえている宇宙生命に結ばれていることを思い知らされる。私たちの小さないのちのルーツは宇宙生命以外にはない。極微の自分のいのちには極大の宇宙が宿っているのである。幼稚園児にも分かるようなことを命題に据えて、私は、いのちというものを考え続け、答えなき苦戦の真っ只中にいた。

 いくら考えても考えは堂々めぐりとなり、始発駅の自分に戻され、理屈では分かっていてもそれは観念上の思いに過ぎず、いのちとは何ぞやという答えにはならない。ブーメランのように円を描いて手ごたえなく戻ってくるのである。

 いのちという言葉を紡ぎ出したのは誰なのだろうか。いのちの文字を人の世に提供してくれたのは誰だろうか。知りたいものである。

 人の世にいのちなるひびきを持ち出してくれたのは、人に非ずしてのお方なのかもしれない。宇宙生命の、ただ一点の、絶対なるお方なのかもしれない。そのお方こそ、万物万人のいのちの中心に御座おわして、そのいのちのひびきを発しているに違いないのである。

 いのちの中のただ一点のいのちの中心に、もしも、自分の心のチューナー(心の同調装置)で、その超微細な波動をキャッチできるならばいのちの何たるかが分かるような思いに包まれたことがあった。

 それは、五人で鳥海山登山を終えた翌日の平成三年二六日のことであった。

 電話台の上に二枚のメモ書きが置かれていて、何であろうかと読んでみると、それは、妻が書いた「いただきもの」という文章だったのである。

 そのメモ書きは、前日の登山中に記した文章のようであり、その内容は難解な部分が多くてストレートには理解できないのが正直なところであった。しかしそこには、奥深い言葉のひびきが秘められていて、あとになってその真意が分かることが多いのも事実であった。奥深い心の磁場から、光のうねりとなって結ばれた心結びとでもいうことができよう。

 その当時は、私もいのちを探しに日々考えあぐねていたときのことである。その二枚のメモ用紙には次のような文章が記されていた。

 

〝八をおぼえ祈る

言葉の愛が

枝につく幸せ

平成三年九月二五日五時二五分〟

 

 その言葉の真意のひびきをどう受け止めて理解を深めるか。すぐにはピンとこなかったが、〝八をおぼえ祈る〟という、その「八」という数字を見たとき、血の気が一時停止したような静止感に包まれたのである。さらに二枚目の紙には、

 

〝心の愛が生む力

ときの幸せ

鳥海の山

平成三年九月二五日五時二八分〟

 

とあった。

 メモの一枚目に出てくる〝八〟という漢数字が、私を奇想天外な発想に結びつけるビックリ箱になった。メモの二枚目には〝鳥海の山〟が出てくる。〝八と山〟が一体化し、「八」の形状が山の姿となり、「山」の形状が「八」の漢数字となって目に映ったのである。

 心の場面ががらりと一転し、宇宙生命の本質エネルギーは「8字還流」になっているのだと、激しく心が突き動かされたのである。

 実に他愛のない発想なのだが、それが、嘘から出た真のような話で、後年私は、この円形8字に、さらにその中心にゼロの磁場を入れて「生命8字還流」と名付けた。マクロの生命宇宙からミクロの原子生命単位までも、根源的生命エネルギー磁場を秘めているのだと、考えるようになったのである。

 8字還流というとき、二つの渦状の、生成消滅エネルギー対流にもイメージできるし、円の中心には、絶対静の慣性場(ゼロ磁場)を配して、共振共鳴の共時性現象(縁のメカニズム・俗称=偶然の一致)の生気エネルギーと死気エネルギーが織り成す世界だと考えるようになった。

 生気エネルギーは、拡大エネルギーとも共時エネルギーともいえるし、死気エネルギーは、縮小エネルギーとも調和エネルギーともいえるいのちの二大エネルギーだと私は考えている。すなわち、いのちのシンボル図形「生命8字還流」を示す流れとなっている。

 妻のメモ書きから発した生命8字還流こそ、私のいのちを考える上での土台となったというのが、率直なところである。

 この、九月二六日の妻のメモ書きから触発されて考え出したいのちのシンボル図形の8字還流とそっくりの図形が後日、テレビで報じられたのである。

 それは、一月後ひとつきごの一〇月二七日にNHKで放映された番組であった。私は凄い衝撃を受けて、背筋に電流が一気に駆け上がった。夜九時からのスペシャル番組、〝アインシュタイン・ロマン〟の中で、宇宙の謎を解く究極の理論に迫った一人の学者が示す宇宙の図形に、共振共鳴したのである。なんと一月前ひとつきまえに、妻の二枚のメモ書きに触発されて私が書いた生命8字還流の図形とまるでそっくりなのである。

 学者は、そもそも宇宙は最高精神が創造したものなのだと語る。そして、宇宙の流れは数字の「8」の字で表すことができる、円に「8」を書いて表現していたのである。それはまさしく、宇宙生命であり、その意志性を紹介してくれた番組であった。

 九月二六日に、妻の文章から発して生命8字の図形となり、一月後ひとつきごの一〇月二七日に、そっくりの8字生命図形を目の前にした衝撃は激しいものであった。

 心は光である。心は宇宙意志を物質化させる光のエネルギーなのだと考えても不思議ではないのである。

 自分から発する心のサイクルと、集中する磁場のエネルギーが、同調できるただ一点のゼロの磁場で、時空を越えて、現実のこの生活の場で、目に見える姿となって共振共鳴が起きているのだと思っている。

 

心は光です

心は物質化します

心は運勢運命のカギを握る舵取りです

心は宝です

命の宝なのです

 

 

 

     

       

 

 

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