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神秘の大樹だいじゅシリーズ第三巻
神秘の大樹
 文字・数・色で証す新次元

 

 

 

思えば寄せ来る文字と数

 

 科学の世界で電子工学分野の活躍は目覚ましいものがあり、電子機能や通信機能によって、この世は驚異的な時代革新を遂げている。

 その成果は生活全域までに浸透し、情報の氾濫に溺れそうにもなる。無視できればいいのだが、その濁流に呑み込まれている現状の中で、どうしたらいいものかとその恩恵に困惑することは贅沢な話かもしれない。

 これほどまでに科学力を発展させてきた知的人類という生命体とは一体何物なのかと、ふと、ファンタジックな疑問にぶち当った。

 ここで唐突なことを言わせてもらえば、この世の一切の生物は、地球がつくった生命ロボットのようなものではないかとそんな思いにもなってくる。ロボットならば地球の思いのままになるのではないか。

 地球がつくった地球生物は、その生命ロボット別に、姿・形・心までもそれぞれの特性を持たされて、この地球上に生かされ続けている。そこに一体どんな目的があるというのであろうか。地球は生命ロボットをつくり上げて、さらに心までも吹き込んでいる。

 その心は、地球自身の心であろうし、また、身体構造も地球自身のエネルギー構造を凝縮してつくられたように思えてならない。特に人類には知性を吹き込んだ。だが、今ではその知性が独り歩きしているように見えてくる。生命エネルギーの中核をなす核融合エネルギーを、脅しと実戦に使い始めている。

 地球のいのちは、われわれと一緒で、呼吸をし、エネルギーの食事供給をしている。そのエネルギー供給源は、自給自足の核融合エネルギーといわれているから、半永久的ともいえる食の摂取といえるであろう。われわれもまた、その延長線上にある核融合エネルギーを生体エネルギーとして生きているのが実態であると私は思っている。

 地球の血を引く生物として、その生命エネルギーは、核融合エネルギーに準ずるものであり、その供給源は〝食〟と〝呼吸〟による化学反応ではないのか。

 毎日の食の摂取によってこの生命が維持されているのはいうまでもないが、その食物は、口から入って胃、十二指腸、小腸に進みながら、それら三部門それぞれの消化酵素によってアミノ酸次元まで分解され、小腸の吸収細胞から血液に送り込まれて各細胞に届けられる仕組みになっているといわれる。

 端的にいえば、食物から吸収した生命元素(原子)が核エネルギーに変換されるからこそ、小さな生命体として生きていけるのだと思うのである。核エネルギーを食として呼吸する次元では、地球も私たちも同じ次元なのであろう。

 生物は地球と同じく原子構造になっていることを考えてみたとき、いのちたち同志の心の発信、受信活動は、光(電磁波)の次元で交差されているのが、この世の実態ではないであろうか。

 人それぞれに、何かを考えたり思ったり、また、声を出したり無言であったりと、心の光を発しているが、その心は一種の電磁波(光)であると思うから、それが時空を越えた次元で同調サイクルの心を持った人々に一種のひらめきにも似た心の動きを作動させると考えたとき、私は、〝思えば通わす命綱〟となって、何事かの意志が伝わると思うようになった。

 人はそれぞれの思いのエネルギーを持っているが、その思いは電磁波(光)となって発信するとして、その周波数のチャンネルに心のチューナー(同調装置)が合うか合わないかの問題であって、合えば、それとなく他者の心の何かを促すエネルギーとなるであろう。

 心は微妙な電磁波(光)となって飛び放っている。自分の心の周波数に合わなければ、心は決して動かない。また、テレビやラジオのように、心を選局するなどという器用なことはできない。ところが、一心一念の時は、強い周波数の光を発しているから必ずや同調のチャンスがやってくる。

 その一例を紹介してみたいと思う。それは、平成五年二月二〇日土曜日のこと。朝起きると妻は何やら忙しく動きだしていた。

「今日は二〇日でお婆さんの月の命日です。何を上げたらいいか…」

と言いながら、「あっそうだ白玉をあげよう」と決めたかと思うと、棚から引き出した一本の白玉粉を手に持った妻は、

「これは大山の白玉です。清子さんからいただいた白玉です」

と言ったものの、どこの清子さんなのかがわからない。何度も呼ぶから不思議に思っているとさらに妻は、

「横浜の荻野さんに送った米も清子さんからいただいたものです」

と付け加えた。今度は荻野さんに送った米の話に清子さんが出てきたのである。その荻野さんは私の大恩人。数カ月前に亡くなったのだが、一月二〇日生まれでこの日の二月二〇日に何かと通じるひびきが生まれていた。

 こうして、朝から清子さんのひびきが続いたのだが、それから数時間後の昼下がりのことであった。久しぶりにやっと会えましたと言いながら訪ねてきた方は、左の手に小さな包みを持って立っていた。後藤清子さんであった。

「二回訪ねたが留守でした。今日で三回目です」

と言ってカステラの土産を渡してくれた。このカステラが動き始めたのである。

 賞味期限が、平成五年二月二〇日というのはこの日のことである。朝から清子、清子と、妻は呼ぶようにしていた。すると清子さんがやってきた。そして、五年二月二〇日期限のカステラ。そればかりではなかった。清子さんは、

「私は昭和五年二月二〇日生まれなんです」

 いよいよもって文字霊・数霊のひびきが積み上がってきた。

「今日、お父さんが出版社に原稿を送るんです」

と妻が言うと清子さんは、

「あら、うちの息子は出版社に勤めているんです」

と言った。共振共鳴の鐘は鳴り響きが止まなかった。

 話の展開は何やらしり取りのようだ。何かが動けば何かが動く、高気圧と低気圧が互いに作用反作用しあうようにして調和を保つ天気図のように、人の心の中もお互いに、知らずに反応しあっているようである。人の心には共鳴磁場があって、そこには、三つの魂の引き出し箱があるようだ。

 

心は魂の引き出しに入っている

引き出しは三つある

文字の引き出しと

数の引き出しと

色の引き出しに分かれていて

外の情報を受けて考える心と

内からわき出る心があって

考えた心の情報は三つに分かれて

魂の引き出しに収められる

文字・数・色の三つに分けて

魂の引き出しに収められる

引き出しの中でピカピカ光る心

生きて生きて生きようと輝く心

そして縁結びの船頭となって

いのち船を進める三つの心

 

 この日は一〇月二〇日に亡くなった妻の母親の月命日で、二〇日の数霊が波のように寄ってきた。清子、清子と呼べば清子が寄ってきた。

 噂をすれば影とやら…

 想いが通じてクシャミとなり

というように、俗言が人の心の真実を伝えているようである。

 

 

 

 

 

 

カラスとクルミと納豆

 

 とりわけ鳥類の特性には、空を飛ぶことができるすばらしい能力がある訳だが、その中でもカラスの霊眼は子ども心に聞かされてきた。物質を貫く透視力はひときわ優れているようである。

 物質の中の光を見る能力というのか、あるいは、カラス自身の目からは、X線のような高エネルギーの電磁波(光)で物質の中を透視できるのであろうか。

 人間が自然界に放り出されたときのことを考えると、カラスと能力の優劣を競うことなど、はなからできない相談なのである。カラスも人間も優劣などない。あるのはその〝特性〟の違いといえる。

 平成五年三月四日木曜日のこと。朝の運動に、スピード・ウォーキングを始めて三日目のことであった。歩くにもただ速く歩くのではない。一、二、三、…一、二、三と、丹田呼吸を集中させながら力強く、それも速く歩く。

 その日は、いつものコースを外れて酒田本港の埠頭まで足をのばしてみた。風もさわやかで、頭上ではカモメやカラスが楽しそうに風に身をまかせて飛んでいた。

 ところが、カラスの様子がいつもとは少々違うことに気づき、歩くのを止めてしばらく観察することにしたのである。

 空中に停止できるのは、ヒバリくらいなものだと思っていたのだが、カラスが空中で一時停止したかと思うと体をくねらせキリモミしながら急降下を始めたのである。そのとき、カラスは何かをコンクリートの埠頭に落としていたのである。

 私は、カラスが退屈まぎれに遊びだしたのかと思ったが、三回目の急降下のとき落とした黒い物はエサではないかと感じたのである。何かを落として叩きつけて割っているのである。

 そこへ大きな影が近づいたかと思うと、トンビがカラスに攻撃をかけてきて、カラスも危機一髪素早く反応して貨車の下に身を隠した。

 カラスが空中からエサを落として割っている様子は、これまで見たことがなかった。カラスは再び私の前にやってきて、四回目のフライトに挑戦した。

 そのとき、今度はカモメがそれをかすめとろうとして突入してきた。カラスは超低空に旋回したかと思うと素早く身をかわして上空に再び舞い上がり、一瞬の停止とともにその物を落下させると素早く急降下した。今度は二つに割れて大成功である。ピョン、ピョンと近づいて、それを右足で押さえつけ、くちばしで中から実を取り出して食べ始めたのである。

 何を食べているのかと息をこらしながら静かに近づくと、カラスは食べ終えたところらしく、残りを置いたままにして飛び去って行った。

 それはクルミであった。中の果肉はほぼきれいに食われている。

 家に帰った私は、カラスのクルミ割りの光景を得意げに妻に話してみた。すると妻は、
「あら、わたし今クルミ納豆つくったばかりなのに」と、言い出した。

 クルミ納豆なんか、これまで妻はただの一度もつくったことはなかった。納豆といえば、梅干し・長ネギ・大葉など定番にしてつくっている妻が、どうして今朝はクルミ納豆にしたのか不思議に思ってその訳を聞いてみると、

「クルミは〝来る身〟なんでしょ」

と、意味深長な禅問答のように、妻は私に暗示を与えてきた。

 この話が終わったのは一〇時一三分であったが、それからほんの二、三時間後に届いた一通のハガキが、クルミの謎を解いてくれたのである。

 昭和六二年一一月三〇日に出会った長野県の信州新町美術館館長関崎房太郎氏が、平成四年五月一〇日に逝去されたことが記されてあった。館長職を引き継がれた塩入氏からのお知らせであった。

 ハガキとともに、〝魂の御身〟がおいでになった。まさしく、〝来る身(クルミ)〟のひびきである。

 私がカラスとクルミ、妻がクルミと納豆、そして、〝来る身〟を暗示した妻。数時間後に、命日を知らせる霊魂の一報が届けられたという流れの現実がある。

 ハガキの発信が三月二日だから、二日前にはすでに館長の魂が私たちにも深い心の次元からひびきの光を送られていたのかもしれない。また、心の流れが妻に連動し、カラスに連動し、さらに私を証人に見立てるという、生命世界の神秘は、威厳に満ちている。
 これらのことを、私は単なる偶然とは受けとれない。偶然が日常的に起きていてはたまらない。

 人類の発展に欠かせないのは、人間の優れた知性があるからである。その知性の中でも中心的特性として、人間は、文字を考えだし、数字を考えだし、色を考えだした。その、文明文化の土台となる文字・数・色の知性こそ、人類に不可欠の絶対要素となった。これこそが、人類の〝三愛の神器〟であると、私は思っている。

 三愛の神器の中でも、中心軸となるのが「数」である。数字は、いのちのシンボル。また、数は、宇宙調和力のかなめを成すものだと思っている。

 科学の世界は、数字と文字的記号や色の表現によって真理が探求され、それが次々と解明され進歩している世界だと思う。

 数字と文字とその類型、そして、色彩文化は、人類に不可欠の神器となって、人間社会を支えている。安定調和力などは、数の量的バランスで表象することができるといえる。

 言い換えれば、文字・数・色は、心という人間の意志を代弁していると同時に、自然界の意志性をも代弁していると言ってもおかしくはないであろう。

 カラスとクルミの話からかなり飛躍したかもしれないが、届いたハガキを舟にして、関崎氏の魂がおいでになられたという表現もできようし、また魂は数字のひびきに乗ってこられたということもできるであろう。

 その証しの一つとして、文字のひびき、数のひびきに置き換えてみるとき、クルミは九六三となり、さらにその和数が一八となり、関崎氏の誕生日が一〇月八日で、その和数が一八となり、一八と一八の数霊が共振共鳴している。

 クルミ(九六三=一八)という現実、妻のクルミ納豆づくりの現実、そして関崎氏の命日の知らせという時を同じくする現実、さらにこれらの現実を総括するが如く、証人となった私がいた現実がある。魂の数霊が共振共鳴することは、霊魂不滅の証しになると私は考えている。

 

 

 

 

 

 

吉田茂の本と私

 

 ご縁は常に身近なところにやって来ている。待っているともいえよう。普段、そんなことにいちいち気を留める人はいないであろうし、大方は、ご縁の磁力を感ずることもなく通り過ぎていく。

 生活するにはそれでいいのだが、共時性現象に関心を持つものとしては、誰も気づかないようなちょっとした触れ合いにも、「あれ」と息を呑んで心の目が開くのである。

 何げなく心引かれるところには、実は何かがある。心を引っ張る一瞬には必ず何かがあるのである。

 考え方を逆転させるなら、私たちの生体というのは、物性体(肉体)であると同時に、心性体(心)でもあるから、いわば、肉体一〇〇%であり、心一〇〇%という魔法まがいのようなもので、一生命体が二〇〇%で一体という魔訶不思議なことにもなるのである。

 この二〇〇%のいのちは、さらに電気を帯び、磁気も帯びているから、プラスとマイナスの引き合いと押し合いが生じる。

 常識で考えれば、物質一〇〇%のところには何一つ入らないのが当たり前なのだが、そうではないところがこの生命体の不思議。物質一〇〇%に、さらに心が一〇〇%、それも易々と同居しているのだから驚きである。自分というこの生命体は、心であると同時に肉体である訳である。

 心ばかりの自分でもなければ、肉体ばかりの自分でもない。肉体であると同時に心でもあるという不離一体の姿こそ、自分の正体であると、私はいつもそう思っている。

 

いのちは両性

物性と心性

両極両性でいのち

いのちはバランス

両極両性でいのち

一元一体で二象体

不離一体・融合一体は

いのちの宿命

心だけのいのちはなし

肉体だけのいのちもなし

 

という具合に、生命体は、実に神秘に充ちた存在であるという思いが日を追うごとに強まっていく。

 何も考えずに道を歩いていても、ふと心を引かれることや、嫌な思いを感じることも少なくない。それは、心にも肉体にも電磁波があるからだと私は考えている。

 日頃から、心の積み重ねが、いのちの中にどんどん入っていく。その心の集合体が魂であると私は考えているから、どんな魂がどんな勢力圏を張り合っているのか、自分のいのちの世界に関心をもっている。

 心が成長し、自分のいのちの中にそれぞれの色合いを持った心の集団をつくり上げてきた魂は、それをたぐっていけば、先祖がどうのこうのというよりも、人類全体を、さらにさかのぼれば、とてつもなく深く広い心性世界まで繋がっている。だから、人類は皆いのちの親子であるともいえる。極言するなら、人類の魂(心性)の岩盤は一つなのであり、一人ひとりの魂にもその岩盤が共存して共有している世界だと私は思っている。人類皆いのちの親子であり、心の親子であるともいえる。

 そのことは取りも直さず、自分が暗い心やよくない心になればそれは自分だけの問題ではなくなり、他の人にもその暗い心や、よくない心が、いのちの霊脈を通って知らず知らずに流れていくということになる。一人でも多くの人たちが、明るく良い心で生きていられたらと思う。昨今の人類世界は現実に暗い面の映りが強く、戦々恐々としているのが辛く私に伝わってくる。

 

単独一体のいのちはなし

みんな繋がっているいのち

順々繋がっているいのち

世界はいのちで一体

魂はどこかに必ず繋がっている

共振共鳴で響き合う魂

霊脈を呼び起こせ!

良い霊脈を呼び起こせ!

 

 さて、時は平成五年にさかのぼるが、出先で見た朝日新聞の平成五年一二月二二日づけの広告欄に心が引かれた私は、そこをスクラップして持ち帰った。それは、「貿易は国を滅ぼす」(ラビ・バドラ著)と「父吉田茂」(麻生和子著)という、二冊の出版案内であった。

 だからといってその本を注文することもなくそのままにしておいたのだが、それから二月後の年が改まった平成六年二月一八日、妻が一冊の本を買ってきた。「父吉田茂」であった。

 いずれは読みたいと思っていた本。頼んだ訳でもないのに、きっと同じような機微が妻に働いたのであろう。これも以心伝心の共時性といえる。

 早速読んでみた。前に書いたように、それとなく心が引かれるということの裏には、必ずや何かがあるのである。共振共鳴するときというのは、心の底に何かしら通じるものが必ずあるからその思いが無意識に心をつき動かすのである。読んでみて、それがはっきりとした。

 そんなささいな事かと思われるかもしれないが、それが私が大切にする世界なのである。

 日本の国は、第二次世界大戦で大敗して無条件降伏をしたが、その戦後処理と復興の重責を担ったのが自由党総裁の吉田茂という方であった。

 昭和二三年から二九年までの七年二カ月の長期にわたって、荒廃し、疲弊した日本国を、独立国として立ち直らせた偉大な業績と尊厳なる人格に強く引き付けられる。

 名前が同じ「茂」というだけでも私はうれしくなる。文字一つでも共振する心の因子となるが、本を読み進めてみて、吉田茂の生まれた月日が私と同じであることに気がついた。

 吉田茂は明治一一年(一八七八年)九月二二日生まれ。

 私が昭和九年九月二二日生まれ。

 さらに、吉田茂の命日が昭和四二年一〇月二〇日だが、私の養母の命日が昭和五八年一〇月二〇日なのである。

 数字というのは確かに言葉のひびきを持っている。数字にはそれなりの意志性が秘められていて、能動的な意志表現が感じられてならない。ましてや、文字・数・色とは人類文明の三愛の神器といえるから、心の全権大使役の働きを持ち、これほどすばらしい意志表現媒体はない。

 特に、数字の持つ意志性には格別のものがある。そして、互いに共振共鳴して話し合っていることが私には伝わってくる。

 肉体は亡くなっても魂は生きている。生きているからこそ今の自分がありえるのであって、これこそが魂不滅の明白な証しといえる。

「歴史は繰り返す」という。このことこそ、死んでも生きているいのちの証しであるし、魂不滅の証しとなる。この「歴史は繰り返す」を実証するような現実の話を次に紹介する。

 本稿を書き進めている最中のことだが、日本国の政治に大きな変化が起きた。平成二一年七月二一日、衆議院が解散。翌二二日から、自民党の麻生太郎氏と民主党の鳩山由紀夫氏が雌雄を決する政権闘争に突入した。

 吉田茂が政権を担当することになったのには、当時の自由党総裁鳩山一郎が組閣直前にマッカーサー指令下で公職追放されて、その後継に吉田茂が起用されたという経緯があった。鳩山と吉田は友人関係にあったという。

 ところが、昭和二六年に追放解除された鳩山一郎は、吉田茂に政権移譲を求めたが、拒否された。その後、鳩山と吉田の確執が続いたといわれ、吉田退陣により政権担当の座についた鳩山一郎は、昭和三〇年、現在の自由民主党を結成して総裁総理になっている。

 奇しくも、第四五回衆議院選挙では、自民党総裁麻生太郎氏が吉田茂の孫であり、民主党代表鳩山由紀夫氏が鳩山一郎の孫であり、代が変わって両雄の対決となった。まさしく、魂の復活戦の様相を呈している。その火ぶたを切った日が、

〝七月二二日〟

であることと吉田茂の誕生日が、

〝九月二二日〟

であることは、魂不滅の一証左といえよう。加えて繰り返すなら、一二月二二日付の朝日新聞に九月二二日生まれの私が心を引かれ、引き付けた吉田茂が九月二二日生まれで、第四五回衆議院選挙が孫の麻生太郎を党首として七月二二日から実質上の選挙戦に突入した。

 さて、魂は全人類に繋がっているという事実がある。生命が途切れることなく万古創世のときから繋がっていると同時に、心の集合体(霊魂)もまた、途切れる事なく繋がっている。

 いのちのネットワークは、天地一切・森羅万象に結ばれている。生命エネルギーは差別なく与えられているが、心はいのちの二次製品のようなもので、万物共通ということにはならない。知性、人格、その他万般にわたって万人万様であるから、心の遺伝子(DNA)は、自分自身の心の方向性次第で別人格までにも進化させることができると思う。

 

吉田茂と私は茂で一緒

生まれた日も一緒

いのちで一緒

人間で一緒

男で一緒

日本人で一緒

地球人で一緒

五臓六腑も一緒

何もかも一緒

二本足でも一緒

何が違うのか

何処が違うのか

容姿顔形もほぼ一緒

何が違うのか

そうだ!

魂のDNAが違うのだ

魂の流れが違うのだ

霊脈が違うのだ

魂が問題だ

吉田茂の魂にアクセスしたいものだ

いのちのネット・ワークを通じて

魂のネット・ワークを通じて

霊脈を呼び起こせ!

呼び起こすには

その良き魂を学ぶしかない

 

 

 

 

 

 

漂流三七日間を守った海亀

 

 三分間位呼吸が停止すると仮死状態になり、五分間停止したなら死んでしまうであろう。馬鹿げた話だが私にはそんな練習を重ねた一時期があった。呼吸停止のタイムに挑戦したのであったが、片や、食の停止も何度か続けていた。妻と一緒に体験してみたのだが、二十一日間が最長の断食であった。断食といっても飲み水補給の中で続行したのであって、水分をまったくとらねば十日くらいで死線を歩くことになるのではないのか。

 とにかく「呼吸と食」は生きるうえでの絶対条件であり、どちらを欠いてもいのちの終わりにつながる。ところが、そのいのちの終わりを終わらせないで九死に一生を得た海難事故の話が伝えられた。往々にして奇跡というものには、異次元世界からの守りを感じられてならない。

 異次元世界とは、知性を主体とする人間以外の動物、植物、鉱物などの精神性のあらわれと私は考えている。

 時は、平成六年二月九日に発生した漁船沈没と乗組員九名の漂流の話である。

 沖縄県那覇市のマグロはえ縄漁船第一保栄丸(五九・九八トン)に事故が発生したのは二月九日であった。エンジン室から浸水して操船不能となり、船長の本村実(五二才)さんとフィリピン人乗組員八名は救命いかだで脱出して漂流三七日間の死線を生き延びた奇跡の生還であった。

 太平洋上で小さなゴム製の救命いかだに九人が膝を抱えて足を伸ばすことさえもままならぬ中で、食料は四、五日で底をつき、つづいて飲み水もなくなった。ついに風の吹くまま、潮の流れるままに命を天にまかせ海にまかせるほかはない漂流の日々を生き延びたのであった。

 当時の新聞や週刊誌などで報じられた記事を見ると、そこには救助されるまでの中に、異次元からの守りの意志があったとしか思えない「数霊と海亀」の働きが浮かんでくるのである。次にその数霊を列記して考えてみる。

 

「数霊」八

 フィリピン人乗組員が〝八名〟

 フィリピン人を雇用したのは〝八年前〟

 海亀との出会いが三月〝八日〟

 漂流から二八日目のこの日、海亀が出現して救命いかだの周りを二時間以上もゆったりと泳ぎ回る。当時の状況を本村船長から取材した記事が次のように伝えている。

 

「この頃には体力も弱ってきていましたし、もうどっちでもいいと思う瞬間もありました。頭がボーッとして、考える気力がなくなるものなのですね。思い起こせば、とても不思議なことがあったのはこの頃です。一抱えもある大きな海亀が救命ボートに近寄ってきて、回りをゆったりと泳ぎ始めました。海亀というのは臆病な生き物で、人間に近づくことば絶対にありません。ちょっとした音でも聞きつけ、素早く逃げるものなのです。だからボートの回りを泳ぐのは理解できないことでした。

 二時間ほどたって、乗組員の一人がその海亀を抱き上げて救命ボートの真ん中に置きました。この時期になるとみんな、何でもいいから口の中に入れたい思いで一杯です。フィリピン人は、海亀を引っくり返しました。

 しかしわたしたち九人は、海亀の腹をじっと眺めながら約一〇分間、誰も一言も発せずにいました。そしてなぜか、海亀を放してやったのです。海へ帰った海亀は、ボートの回りを大きく一周した後、西へ向かって泳ぎ去りました。私には、海亀がボートを何度か振り返りながら遠ざかって行ったように見えました。

 それから一週間後、私たちは西の方角に位置するミンダナオ島の漁民に救助されることになったのです。私も乗組員たちも、あの海亀を食べなかったから助かったのだと、本気で思っています。きっとあの海亀は、浦島太郎が助けた亀の子孫に違いない(笑)、とさえ考えているんです…」(以上は週刊文春一九九四、三、三一号の一九九ページを転載した)

 

 救助日の和数が〝八〟

 救助されたのが三月一七日。一七日の和数が八となる。

 救助現場からの帰路が〝八時間〟

 救助してミンダナオ島までの所要タイムが約八時間。

以上、数霊〝八〟が動いていることが分かってきた。

 次に、

「数霊」九

 乗組員が〝九人〟

 漂流開始が二月〝九日〟

 海亀との出会いから救助される日までの日数が〝九日〟

 救助した小型マグロ漁船(二トン)の乗組員が〝九人〟

以上、数霊〝九〟が働いていることが分かる。

 次に、

「数霊」三七

 漂流日数が〝三七日〟

 救助した漁船船長・ギナレス・デオドーロ〝三七才〟

「数霊」二八

 海亀と出会うまでの日数が〝二八日〟

 漂流した距離が約二八〇〇㎞

 

 以上のように、八、九、三七、二八という数霊が働いている。数字には意志があるという大前提にたって考えれば、八の数霊から何を受け取れるのか。八は一体何を語ろうとしているのか。八がいわんとする中心となって、八人のフィリピン人たちの魂が強く働いていたのではないか。その魂が海亀を呼び寄せたのではないのか。

 彼らは、日に三回の礼拝をするという。また、飢餓の絶頂にありながらも、海亀を食べようとはしなかったという。

 頭がボーッとして、考える気力さえも薄らいでいる世界こそ、海亀に通じる次元といえよう。

 食べると神様から罰が当たるとも思ったようである。海亀が救命いかだの周りをゆったりと回り始めたのが三月八日ということも、その海亀には、異次元からのある意志波動と同調して、魂の融合が起きていたのではないのか。

 その異次元の意志とは、すなわち、彼ら八人の魂との共有現象が、海亀のいのちに起きていたのではないのか。その証しとして、八日に現れたということも考えられると思う。

 では、異次元とはどういう世界なのかといえば、知性を主体とする現代人の精神性を、ずっと掘り下げた世界、すなわち、知性主体以前の心性世界のことで、それはどこにあるというものではない。各人のいのちの中にこそ異次元があるのである。万物共有の精神地盤とでもいえようか。動物、植物、鉱物の果てまで共振共鳴できる世界を、私は異次元世界だと考えている。この世界でなら、人間の魂と海亀の心性世界は、以心伝心で語りあえる世界ではないかと思うのである。

 海亀たちと通じ合える人間の精神状態であるとき、きっと海亀は人の心を受け取ってくれると思うが、常にそうだとは限らない微妙千万な心の世界であるとも思うのである。

 

 海亀を救命いかだに引き揚げて、中央に裏返しをした。そのとき、本村船長は、食べればいいのにと、ふと思ったという。だが、置いたままにして九人は見つめるばかりで、無言の中で海に帰したのである。

 そのとき、海亀に通じる異次元世界での心の交信ができていたと思われる。八日に、八人のフィリピン人の魂と共振共鳴したと思われるし、海に帰された海亀は、何度か後ろを振り向きながら西へと去って行ったという。振り向いたのは気のせいばかりではないと私は思っている。

 西へ泳ぎ去ったという西に心を向けると、西は数霊のひびきが二四となる。さらに、二四は、フシ(不死)という言葉のひびきに還元されても不自然ではないと思う。

 不死(二四=西)には〝決して死にはしません〟というメッセージが感じられる。そして、海亀と別れてから九日目の三月一七日に救助された。一七の和数は八の数となり、海亀とフィリピン人八人の魂が共鳴した証しととらえてみても決して不自然ではないと思うのである。

 三七日間の漂流と、救助した船長が三七歳で、その船の乗組員が九人で、遭難した漂流の九人を救助した。

 フィリピン人八人の魂に共振した海亀は、西方へと不死(西=二四)の道明かりを残して去って行った。

 九人のいのちを守った八日の海亀は、九日目の一七日(=八)に、その命の証しをたててくれたのであろう。

 

 

 

 

 

 

戦争を終わらせた八一五字

 

 日本が超大国の米国を相手に太平洋戦争へ突入したのは、昭和一六年(一九四一年)一二月八日のことであった。

 当時、国民学校に入ったばかりの私たちは、戦争という実態をまったく知らないから、国を守る兵隊さんの出征していく姿がとても格好よく目に映ったものだった。学校の講堂に全員集合させられて出征兵の壮行会を見るたびに憧れた。壇上で兵士になる若者が、「それでは皆さん元気で行ってまいります」と、満面紅潮させてあいさつをする姿はとても眩しく輝いて見えた。

 そうした壮行会も回を重ねていく中、晒しの白布で包まれた骨箱を前にして合同慰霊の場も増えてきた。小学生の私たちは、国を守った名誉の戦死者として、深く頭を下げることしかできなかったのである。

 体育館には、実弾をこめれば実戦できる銃が数多く立て掛けられていたし、確か三八式歩兵銃という鉄砲のように記憶しているのだが、引き金を引く前に弾をこめる操作が一つの訓練でもあったようだ。弾を装填する操作が楽しくてカチャカチャ触って、一種の遊び道具くらいの感覚でいじくり回していたのだが、それが人を殺傷する凶器などというイメージはまるでなかった。現代なら、銃刀法違反の罪人となる。

 時代の教育とは恐ろしいもので、教育次第で、人の脳は随分と片寄った道具になるものである。マインド・コントロールは一種の麻薬である。国を挙げての殺し合いをやる戦争のために、その正義性だけを叩きこまれる。脳の働きは両刃の剣となり、毒にもなり薬にもなり、叩きこまれた脳が、その量の多少や期間の長短にもよるが、新しい脳に清められるには大変な努力と時間が必要となるのである。

 戦争当時の教育現場では、それこそ戦士を鼓舞するような、死は名誉の戦死といって何ら疑問も起きない一種の聖戦気分をあおり立てるような空気の中で、国のため、天皇のためといわれた時代であった。子どもの心が、戦争の正義性に塗り替えられていた時代でもあった。

 誰もがそれなりのエゴを持っているものであり、その自己主張や利己心ともいわれるその中心軸で働くのが人の欲望である。

 欲望もまた両刃の剣のようなもので、良くも働き、悪くも働くといったもので、その片寄りによっていろいろの問題を生むことになる。何事も進歩発展の原動力は欲の心あればこそであって、欲の心は決して悪者ではない。欲を何に向けるかそのコントロールが肝心であり、無益なエゴとエゴのぶつかりあいの弊害は、お互いに傷つけあい、果ては国益と国益を剥き出しにして収拾困難を呼び起こし、そして、紛争が起こることもありえるであろう。

 争いは欲心のマイナス部分で起こることだが、そうした欲心も、自分で即座にコントロールできれば立派なもの、自己調和心こそ人の道の基本ではないかと私は考えるようになった。

 第二次世界大戦までエスカレートした日本と米国。どちらにとっても正義と正義の旗を掲げた戦いであった。その戦争も昭和二〇年(一九四五年)に入り、日本の敗戦は避けられない現実となった。連合国側から、対日戦争の終結を意図した「ポツダム宣言」が発表されたのは昭和二〇年七月二六日のことであった。広辞苑でポツダム宣言の頁を開いてみると、次のように説明されている。

 

「ポツダム宣言」

 一九四五(昭和二〇)年七月二六日、ポツダムにおいて、アメリカ合衆国、中華民国、イギリス(後にソ連が参加)が日本に対して発した共同宣言。

 戦争終結、日本の降伏条件と戦後の対日処理方針とを定めたもので、軍国主義指導勢力の除去、戦争犯罪人の厳罰、連合国による占領、日本領土の局限、日本の徹底的民主化などを規定。

 日本ははじめこれを無視したが原子爆弾の投下、ソ連の参戦により同年八月一四日受諾し、太平洋戦争が終結。

 

 昭和二〇年当時、情報の少ない田舎にいた私たちにも、日本の劣勢が手に取るように感じられた。

 学校からの下校途中、爆音と共に急に姿を現した一機の戦闘機(確かグラマン戦闘機)が西の方から超低空でグングン大きくなり、翼を左右に揺らしながら迫ってくる。それが何であるか直感し、流れの早い農業用水路に飛び込んだこともあった。

 酒田市の機関区で機銃掃射された話も聞いた。雷鳴のような真昼の轟音も下校途中で聞いている。仙台沖からの艦砲射撃だと聞いた。米兵やロシア兵が上陸して、女は連れ去られ、男は金抜き(去勢)されるというデマが飛び交った。また、竹槍もつくった。地方の田舎でさえもこんな状況で、戦況は否応なくわかるものなのである。

 その頃、村にもそろそろ真空管ラジオが普及していたから、昭和二〇年八月一五日の敗戦を告げる、天皇陛下の玉音放送を聞くことができた。

 日本国は、七月二六日に、連合国側からポツダム宣言を突き付けられたが、戦争の指導部はそれを無視した。もし受諾していたなら、広島と長崎の原爆投下は避けられたに違いない。戦争の暴走は最悪に至らないと停止できないようである。

 そうした局限にあった政府・軍部の中でも、戦争終結に向けて、ポツダム宣言を受諾すべしという提言もあったが、その意見は反映されなかったといわれている。

 平成六年四月二三日、盛岡市の先人記念館に立ち寄った私たちは、戦争終結に向けて一心に働いた方がこの地におられたことを知った。

 当記念館の案内図録から転載して紹介したいと思う。

 

良識の提督〝米内よない光政みつまさ

 海軍大臣・内閣総理大臣在職中の米内は、拡大する一方であった日中戦争に対しては不拡大の方針を提唱し、また日独伊三国同盟締結には英米との関係悪化を懸念し一貫して反対し続けた。…中略…一九四四(昭和一九)年七月に懇請されて海軍大臣として現役に復帰した彼は、当時の情勢から敗戦必至と判断し天皇の意志の下でポツダム宣言を受諾することを鈴木貫太郎首相に進言した。

「為萬世開太平」(萬世ノ為二太平ヲ開カム)-能筆で知られる米内はこの書を晩年多く書き残している。昭和天皇の終戦詔勅を象徴するこの書には平和への願いが込められており、米内の当時の心境を今に伝えている。(以上)

 

 記念館には、米内光政が筆写した終戦の詔書が展示されている。米内光政は八月一五日の終戦を機に、残務整理の余暇を縫って「終戦の詔書」(ポツダム宣言を受諾したときの詔書)を筆で書き写している。その展示説明を見ると、

 〝終戦の詔書八一五字〟

とあり、文字の数まで紹介していたことに私は強く心を引かれた。戦争を終結するために筆をとられた昭和天皇の文章(詔書)が、

〝八月一五日に符合する八一五字〟

になっていることから、尋常ならぬ神性意志が伝わってきたのである。

 連合国側が日本に無条件降伏を迫ったポツダム宣言は昭和二〇年七月二六日。それを無視した日本は、人類史上初の原子爆弾の洗礼を受けることになる。

八月六日午前八時一五分、広島に投下。
八月九日長崎に投下。
八月一四日ポツダム宣言受諾(終戦詔書八一五字)。
八月一五日終戦の玉音放送。

 以上から、数霊に秘められている意志的暗示性が次のように感じられる。

①八月六日の八-六の和数一四。一四は一四日のポツダム宣言受諾を暗示。

②八時一五分原爆投下。八一五は終戦日の八月一五日を暗示。

③六日広島、九日長崎に投下。六‐九は調和のシンボルと受け取れる。円の中の6‐9の姿を見れば勾玉にも似てぴったり収まる。広島と長崎は人類最初で最後の恒久平和の大調和を暗示。

④終戦の詔書に秘めた〝八一五字〟は、終戦日、八月一五日とし、「万世の為に太平を開く」という昭和天皇のご意志の象徴のあらわれではないのか。

 数字を単なる数としてとらえるなら、無機的で計算の道具以上にはならないが、それでは数字の存在自体が無意味になってしまう。

 数字にははっきりと霊魂(意志)が宿っている。心が宿っている。思いが宿っているのである。数霊は生きて物言う魂の代理人なのである。だから、共振共鳴共時性現象(通称=偶然の一致)は、数字による霊魂の媒介表現が圧倒的に多くなり、物言う姿となって目の前にあらわれる。

 米内光政が筆写した終戦の詔書に添えられていた説明文の〝八一五字〟という表示も、心を向ける者との出会いを待っていたのではなかったのか。

 昭和天皇の御霊と米内光政の御霊が、「萬世の為に太平を開かん」との思いを強くして数霊に魂不滅の光を発していた。

 八一五字の魂の光、それは人の世に開く太平の光を開かんとする八一五字であると思うのである。

 八と一と五の和数は一四となる。それは、意志(一四)の光であろう。

 

 

 

     

       

 

 

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