便利な生活を享受するために、工業を中心にしてひた走ってきた日本社会。そのいっぽうで、むかしもいまも、ずっと変わらずいのちの原点でありつづける食のふる里。個人の生き方として、また社会の健全な姿としてのバランスを、どうやって回復したらよいのでしょうか。美しい原風景の写真とともに思いをつづっています。
随想写真集
印刷版:全100ページ
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10代から今日までの60年あまり、私の身辺から離れることのなかったカメラとその機材は、単なる趣味の域でありそれを越すものではなかった。
ところが、平成7年ころから意識的に撮り残したい衝動に駆られるようになったことがある。それは、農村地帯(主に山村地帯)を撮影することであった。これからの農業環境が急カーブを描いて変化することを思い、今こそ残しておきたいモチーフであると思った。
その原因といえば、酒好きの私は酒が禍となって、ついには、意識転換を余儀なくされ、その価値観が一変したことである。
価値観が逆転してみると、現実社会を見る目も逆転していることに気づくことになった。私の見る目は、現実の裏面からの視点へと変化をし、そのために、どうも批判的になる傾向が強くなった。社会に恨みつらみがある訳ではないのに、むしろ、自分の内面にこそその的があったといえる。
酒のために考えを変えてみると、そこには、酒の親ともいえる「米」という人のいのちを支える主食という問題にぶち当たり、人のいのちと心(実際は自分のいのちと心)を探求する毎日となった。そのため、私の目の前には常に米(農業)があり、そして、人が生きること、さらに、調和円満に生きたい社会像があった。
社会の裏面からの視点は大分薄れてきて現実感が濃くなったが、この随想を記したころはその絶頂期でもあった。一歩外に出て農村地帯を廻ると荒れ放題の減反休耕田が目に飛び込んでくる。片や、主食の米を含めて日本の食料品の70%程が外国に依存する時代だという。これは大変深刻なことだと悲痛に考えるようになった。
所詮、犬の遠吠え感ではあるが、写真撮影と共に率直な自分の思いを書いてみたかった。この随想の原文は平成8年にノートしたものである。
人の生きる原点、また、心の原点ともいえる山・川・田(畑)・人(農)といういのちのふる里が、社会の中心軸になって、回ってほしいという思いに今も変わりはない。
菅原 茂
平成8年ころ、農村を取り巻く社会情勢はその逼迫の度がいよいよ高まり、農村は暗い渦巻きの中で翻弄されていた。
主食の米を作っても価格は下落し、米余りで減反政策は有無を言わせず、荒れ放題になった田圃には、こぼれた稲籾が自然発芽して草たちと競い合い秋の実りで色づいていた。そんな田圃に振り向く人もすでにいない。時代は国際分業論が声高に語られ、山村に出かけるたびに殺伐たる思いになった。
私は、自然発生した稲籾を採集して何年かにわたり保存したが、その数はあまりにも多く、夏には蛾が大発生する始末。やむなく、ある日全部脱穀して玄米にした。採集範囲は隣県三県を含めた広範囲だから玄米の種類は数え切れない。だから、その食味はいのちの歓喜をおぼえ、最高の気分であった。
私にできることは写真しかない。しかし、文章を書かなければ、思いが伝わらない。どうしたものかと考えたすえにこのエッセー集にまとめたのである。その原稿を持ってある出版社にご検討を願ったが受理には至らなかった。
その後、他の出版社に折衝する気にもならず、月日は早や7~8年過ぎ去った。今、改めて写真集を出す予定で進めている中、どうも気になるこのエッセー集を取りだしてみれば、その内容の本流にはなんら変わりも無い自分に気がついた。では、もう一度その気になって、当時の文脈文体をそのまま訂正せずありのままに出してみることにした。
農村をとりまく時代変遷の一証左となれば幸いである。
菅原 茂
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米(食物・自然界)の生命愛に身も心も重ねることで、波乱万丈な人生もどんなに苦しい思いも澄み切ったものへと昇華した著者夫妻。その二人が遭遇した共振共鳴共時の記録は、「こころとは」「いのちとは」という命題に対する答えの証しです。