いのちの真実、共時性の真価
この文章の目的は、平成5年(一九九三年)8月6日「広島原爆忌48年」の日におきた、一羽の折鶴に関するできごとと、それがしめす普遍的な真実を知ってもらうこと。私自身がそれを知ったのは、縁あって読んだ共時性現象についての本でした。スイスのユング博士がさきがけて研究し、それをうけて、心理学者の河合隼雄さん(元文化庁長官)も研究したことで知られる、共時性現象(「意味のある偶然の一致」)です。平成9年のことでした。
その15年後、かつて読んだ本の著者が、あらためて出版した本『神秘の大樹』を手に取ることに。この本が伝えているのは、おもに、魂は肉体の死後も不滅であり、この世に生きている人の精神世界のなかで、意志をもつ存在として生きている、ということ。それを証明する文字・数・色による共時性現象は、人の道に明かりをともす道案内だと、体験からあたたかい視点で述べています。
そのことばの原点は、折鶴の共時性現象にあります。とても重要なことなので、疑いや誤解を与えないように、だれでも生活において体で実感できる普遍的なことだけを、じぶんの生活経験にもとづいて述べたいとおもいます。
青く澄んだ
いのちの星
われらの〝地球〟
地球初の洗礼
原爆の傷跡まだ癒えず
人類初の洗礼〝広島〟
原爆の傷跡まだ癒えず
そして〝長崎〟
地球も広島も長崎も
魂の傷跡いまだ癒えず
広島の
元安川の
元安橋に降り立った
〝一羽の折鶴〟
平和のシンボル〝折鶴〟
万霊が集いに集う元安橋
元・安らぎの川原に集う万霊万魂
万霊集う平和の集い
元・安らぎの元安橋に
一羽の折鶴が降りた
平和の折鶴が降りた
出典『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』25〜26頁
「元安橋に一羽の折鶴が降りた」というのは詩としての表現ですが、落ちている一羽の折鶴を発見した本当の話です。平成5年8月6日のことでした。たった一羽ですが、強いメッセージ性をもっています。
当時山形に住んでいたある夫妻は、友人から見せられた新聞記事の切り抜きで、日月神示というもの、岡本天明という人物、出生地が倉敷市玉島、その絵画展の存在を知ります。いくつかの「偶然」が重なり、一気に広島への旅程が具体化。当時すでに亡くなっていた岡本氏の故郷「倉敷市玉島」への墓参を兼ねた旅となりました。
そして絵画展開催当日の8月6日。広島の「もとやすばし」の上で小さな〝一羽の折鶴〟を発見します。昼食のために入った食堂で、折鶴の外見が個性的な色彩であるため何の紙なのか気になったのでしょうか、折鶴をひらいてみた瞬間のことです。「あっ……と息を呑み、ざわめく昼の店内は、しばし、時が止まった」と、そのときの衝撃を表現しています。共時性現象の要点は、次のとおり。
夫妻はすぐに会場へと戻り、折鶴は岡本夫人の手に渡りました。
岡本天明氏(天明は雅号、本名・信之)は、昭和19年、47歳から自動書記現象がはじまり、のちに周囲のひとびとが作った宗教法人の会長にかつぎ出されました。岡本氏は昭和38年に亡くなり、妻・岡本三典氏が継承しますが、「一羽の折鶴」の真意と普遍性を理解した山形の夫婦の働きかけによって、岡本夫人は、平成19年にこの宗教法人を解散しています。夫人は、法人の会長を継承したまちがいを、あらためて認識されたそうです。
宗教的な集団は、霊・魂という人間の本質がおのずとかかわるので、たとえ小規模でも、団体や組織化には、問題があるとおもいます。ひとたび「じぶんたちは特別」という集団心理が生じると、不調和の原因になりかねません。
いわゆる霊感の強い人がいるのもたしかな事実のようで、なかでも「特別な人」にしか感じられない霊感による示唆を中心にして、人があつまる傾向はむかしもいまも変わらないようです。注意する必要があるのは信仰心です。信じる心は、ときどき、じぶんや他人に対して強迫的でもあります。ですから、信じられるかどうかを自他にせまる信仰心が社会全体を平和的に変える力は、もち得ないとおもいます。
先ほどの山形の夫婦[昭和9年(一九三四年)生まれ]は、苦渋の半生を、まこと一筋で、のり越えてきた二人。いのちをテーマとする著書も出版しています。「食物たちの生命は、それぞれ違う者たち同士ですが、人間のように争うことはいたしません。」(『酒乱‐米の生命が生きるまで』97頁)夫人は、いつしか食物のいのちこそ、にごりなき澄んだいのちだと気づいたといいます。著者は、夫人を「米になった人」と表現しています。
折鶴を発見してから19年後、ひらいた広告紙の断片に、同夫妻がはじめて定規を当ててみたところ、「7.4」センチ四方だとわかりました。岡本天明氏の命日「4月7日」に、数が重なることも、単なる偶然ではないとおもいます。心の目を開き自己調和に努めるよう促す書『日月神示』を担った岡本天明氏。折鶴をとおしていのちの真実と平和への祈りを訴え、責任をまっとうしようとしているとしてもふしぎではありません。この折鶴は、発見後すぐに岡本三典夫人に届けられ、その後16年間、いつも岡本夫人の傍らにあったそうですが、夫人が亡くなる半年前に、上記山形の夫妻のもとへ手紙とともに送り届けられました。
アイ.
至恩通信平成19年5月23日号(258号)に基づく。
ウ.
上記山形の夫人から直接伺った。
エ.別著
『死んでも生きている‐いのちの証し』
おそらく、こじつけだと感じる人が多いのではないでしょうか。たしかに、一般的にはいま述べたような見方をしないので、それもしかたがないことです。しかし、ひとつ重要な点があります。それは、共時性現象が、信じるかどうかの問題ではないということ。
共時性について簡単に説明しますが、知識として理解するだけでは、信じるか否かの話になってしまいます。ふだんあまり気にとめていない縁の体験、とくに偶然性が強い、劇的な縁の「時」を見のがさずに、認識する必要があります。
一般的に、偶然の縁に驚くのは、じぶんが置かれている状況に、まさしくぴったりだからです。よくあるのは、じぶんの思いと同じか似ているものが、かたちになって返ってくる場合です。なかには、強い目的意識のもと、疑問をもち続けていたら、答えが何らかのかたちになって現れる場合もあるはずです。そのときは、あまりにも暗示的で、びっくりするものです。ときには継続的であることもあり、何かの意思が働いているとしかおもえないと、直感する人もいるとおもいます。
また、タイミングがいい(わるい)こともしばしばです。時間は秒刻みで変わっていくものだからこそ、その一瞬の「時」にも、暗示性が集約されているようです。そういう劇的な出合いが、だれかの誕生日や命日の数と重なったり、何かを暗示する数だったりする、これが共時性現象の大きな特徴です。文字や色が関わる場合もあります。折鶴の一件のように、具体物をともない、五感でたしかめられることも多いようです。
縁は、よくもわるくも、じぶんのいのちに、もっともふさわしい対象との出合い(出会い)だということもたいせつです。相手が故人の魂であれば、不純ないのち(やこころ)に純粋な魂は関われないし、純粋ないのち(やこころ)に不純な魂は関われないようです。じぶんの内的な実態を見あやまることさえなければ、じぶんが感じる魂との縁が、あり得るものか、あり得ないものかの判断はつくとおもいます。もし、見あやまると、とんだ思いこみや迷信、こじつけにもなってしまう点には注意が必要です。
(4・5・6…下段へ)
共時性現象のことをふまえて、平和の問題に話を向けたいとおもいます。広島市では、被爆された方々の高齢化にともない、被爆体験の継承が重要課題になっています。いま体感している日常の時は、止まることなく移りかわっていきますから、放っておくとほんとうに風化してしまう恐れがあるようにもおもえる切実な問題です。
ただ、過去の経験や記憶としてではなく、将来、私たちも、とつぜん体を失う、一生の傷を負う、そういう可能性はあります。その場合の衝撃やとまどい、痛みや苦しみ、悲しみや無念さを、いまのじぶんのこととして想像すると、体がいかにたいせつな存在かを感じます。体がしてくれている高度な働きも、いまの状態があたりまえではないと気づかされます。
そのうえで、歴史上おびただしい数の人たちに起きた事実へと、あらためて目を向けると、広島と長崎で原爆が生んだ人々の凄惨な様子は、写真や絵画だけでも衝撃的ですが、被爆された方の心の内を想うと、ほんとうにいたたまれません。この文章の冒頭に紹介した詩のように、地球上の傷が癒えていないというのは、比喩ではなく本当のことではないかとおもいます。
しかし、もしかしたら、戦争で苦しんだ国内外すべての人の気もちとしては、被爆体験は、戦争体験のひとつとして、それだけが特別ではないのかもしれません。じっさい原爆以外で傷つき、死んでいったいのちが、むかしもいまも世界中にたくさんいます。さらに、当時の国内における立場の区別を超えて、日本の立場は、戦争の被害者であると同時に、加害者でもあります。そして、戦争体験がない日本人の多くは、最大の関心事が「平和」以外のことがらに向いていることが想像できます。つまり、日本をふくめた世界の現状は、いろんな立場、思惑、ひとつではない価値の基準などが複雑にからみあっているのです。
ですから、なぜ、人間は争い傷つけあうことをやめられないのか、という人間が共通してもっている心の根を掘りおこしてみることが重要です。8月だけの祈りになってはいないでしょうか。戦争・被爆体験の風化と継承の危機は、よく言われるように当事者意識の欠如や想像力の不足以外の何物でもありません。その本質はいのちに対する鈍感さ。じぶん以外のいのちの「痛みがわかる心」の希薄さです。究極的にはじぶんの体への感謝の希薄さにあるとおもいます。
そのいっぽうで、直接の被害者・体験者の声に依存する私たちの心も象徴しています。しかし、そもそも、問題の核心はほんとうに「記憶」や「知識」でしょうか。これは「心とは」「いのちとは」という問いに対する答えの不確かさゆえの課題かもしれませんが、いつまでもそのままにしていい問題でもありません。むしろ、これらへの理解や感性を育てることが重要ではないかと感じます。
戦争にかぎらず、ぎくしゃくした近隣諸国との関係や、国内外のさまざまな社会問題、身近な人と人との衝突など、どれも人の心が関与している以上、根は同じです。そして厄介なことに人間の心の内は、じぶんが置かれた状況によっては自己を正当化し他者を否定するという、いつでも発火しかねない不調和の火種がくすぶりつづけているのが現実です。
オ.
『ナガサキ‐核戦争後の人生』長崎で被爆された方の言葉「平和の原点は人の痛みがわかる心をもつこと」(三七九頁)
人間同士の闘争について、私たちが知らなければならないのは、世間や海外で起きている事件や紛争はもちろん、過去の戦争でさえ「対岸の火事」ではないこと。心の世界に時空の隔たりはないので、いわば「地続きの出来事」です。私たちの心も似たような火種を大なり小なりもっていますから、闘争や不調和の心でこの世を去った魂が、私たちの心のなかで、それに同調し、増幅させているとしても、特に不思議なことではありません。
怒りや憎しみにかぎらず、激しい欲望や感情におそわれる背景も同じです。つまり、私たちの心が引きよせる魂が関与した縁の現象でもあるということ。
心は、時空を超えた世界ですから、生きている人の魂も、故人の魂も、基本的には生きている人の精神世界に存在している、または心の世界を共有している、というのはごく自然なことだとおもっています。
外見上、人間はひとりひとりが独立した存在ですが、精神世界は、みんなひとつにつながっているようです。魂は、生死の境も、動植物との境もなく、ほかのいのちに対して常にオープンで、無防備にさらされているとも言えます。心は、不健全な魔がさす危険性も常にあるということです。
もちろん、望ましくないことばかりではありません。むしろ、食物のいのちや先人の魂が、人間を根本から守り育て、応援してくれていることを、共時性現象は気づかせてくれます。その生命愛は、国籍や立場、血縁関係などを超えるほんとうに大きなものです。
はじめにふれた「一羽の折鶴」が示唆している本質とその背景をまとめておわります。
折鶴は祈りの象徴として広く認識されており、鎮魂の祈りや願いは、その多くが生きているいのちから亡くなったいのちに向けられます。いっぽう、8月6日に広島で発見された一羽の折鶴は、亡くなったいのちから生きているいのちに向けられる平和への祈りや願いが存在することをしめしていました。生者も死者も、意志または意思をもついのちであり、よくもわるくも、私たちはその応援をつねに(日常的に)うけているということです。
ただ、これだけではほんとうなのか判断できない、または納得できないのは当然。しかし、まずは、知ってもらうことが必要だとおもっています。いのちへのまこと・その意志をそだてることがどれほどたいせつか、それを欠くことがいかに重大な問題か、身をもって痛烈に感じているからです。
この共時性現象との遭遇は、一九九三年(平成5年)の夏。当事者のひとりである男性は、これより前の同年2月、自分史『酒乱‐米の生命が生きるまで』を出版しています。酒乱因子を「開花」させてしまった男性(=著者)ですが、ある一件をきっかけに自己調和の意識が目ざめ、やがて自身のいのちへの誠実な思いを深めていきました。夫人の言動もひじょうに印象的です。「どんな辛い思いも、感謝にかえたまえ」という自己調和の決意、「いのち」への深い洞察と厳粛な生命愛。
いのちの調和へ向けた夫婦の生きざまは、『米の生命が生きるまで』という本の副題にも表れているように、苦悩しながらも自然界の秩序(自然律=いのち)にかなう生き方へと自己調和していく姿と言えます。とりわけ夫人のように米のいのち・食のいのちと同化したさまを「まこと」というのだろうとおもいます。
時代の大きな転換期にあってもなお、または、だからこそいっそう私たちは近視眼的思考の傾向が強くなるようです。しかし、永い目で見れば、生涯をつうじて自己調和をつみかさね「まこと」を体現する価値や社会的意義は計り知れません。「一羽の折鶴」の現象はその一端をまちがいなく示唆しています。