いのちの
  エッセーと
     詩歌集


本の概要

 

印刷版:全292ページ
おりづる書房、2019年

本文からの抜粋

目次

 

まえがき

 

第一章 いのちのエッセー集

  • カニとナマズとおやじ
  • 心を調べた一匹の蚊
  • 恋猫の春
  • 炭焼き父さんの含蓄
  • 猫とネズミと人間
  • 葦(アシ)が葦(ヨシ)に変わる時
  • 共存の原点は食
  • いのちの母体
  • 濃密な野生
  • 待つは心の華(はな)
  • 森ガエルの伝統お産
  • アリのいのち
  • 自己確立に向けて
  • 天神様の平和
  • 間違いは魂の真実
  • 神秘こそ命の根源
  • 早朝のアメ玉二個
  • 枯木の角
  • たし・・二はゼロの算術
  • オレは二倍生きて魂を輝かすのだ
  • カモは人じゃない
  • 死んでもタネを蒔くアメリカタンポポその一
  • アメリカタンポポの一大変身その二
  • 愚痴の落ち葉
  • 雲の夫婦 (空こそ遊びの天国)
  • ウメ星問答
  • 雲に顔あり心あり
  • 喜びの田の文字
  • 第一回目『バンジージャンプ三十四メートル』
  • 第二回目『天空に舞って魂を知る』
  • 内は外、外は内
  • 心の二律背反
  • 星空ツアー
  • 第一話「魂の同化磁場作用」
  • 第二話「妻と同姓同名が待っていた」
  • 募る不思議
  • トイレの幸せ
  • 夢と現実
  • いのちの不思議
  • 神の封印と夢
  • 出会いに働くもの
  • 死を思う

第二章 いのちの詩歌集

  • モグラはるんるん
  • 天が布置した寿命 (死)
  • 理想の生まれ変わり
  • イネとモグラ
  • 丸く丸めて大調和
  • 死と生の共存
  • 寿命は宇宙の調和の心
  • 魂のメッセンジャー・一羽の折鶴
  • 原爆鎮魂歌・一羽の折鶴
  • 魂の降臨・一羽の折鶴
  • 因果の花
  • 食とおにぎりと花火
  • クマ・リス・ヤマネコと人間
  • 綱引き合戦
  • 春の歌
  • 花の宮参り
  • 心いろいろ
  • 肉体脱げば
  • 不思議を越えて丸くなる
  • 生と死と八分咲き
  • 命のめぐり
  • 縁はいのちの当たり籤
  • ニワトリ様
  • 私はこの世の食の花
  • これでオイラもなっとくさ
  • 三毛猫タロウ
  • 食の川
  • 死生川 (ししょうがわ)
  • 僕は台風
  • 命の水が解放される時
  • 自己嫌悪は希望の星
  • 猫沢生まれのツバメ
  • △□は〇になれ
  • 人生航路
  • いのち船
  • ニャン・ニャン小太郎
  • 小さくなったわれらの地球
  • 男船
  • ファミリー賛歌「富士の花」
  • 米の里「庄内平野」
  • 止めてけれッ (不戦岳と軍艦島)
  • それそれ「日本食」
  • ねがい酒
  • ゲ・ゲ・ゲのゲ
  • いのちの橋
  • 愛妻挽歌
  • 神の呼吸

第三章 番外編 米のいろはかるた

 

あとがき

 

 


 

 

カニとナマズとおやじ

 ここはカニのお家です。

 村のはずれにある小川の中に、父カニと母カニと息子カニが幸せに暮らしていました。

 母カニは、近くのカニスーパーにパートで働きに出ていました。息子カニはカニ幼稚園に通っていました。父カニは、今日は休日でしたが、一寸のあいだ晚ご飯のおかずを買いに母カニのいるカニスーパーに出ていて家は留守でした。

 ところが、このとき家の前を通りかかった大きなナマズが、何を感じたのかカニの家をのぞいていました。

〝うえー…誰もいねーのかッ?〟

と思うと、素早く中に入っていきました。

〝これはいい家だッ…

ひとり者のオレにはぴったりだッ

ようし、今日からここに住むかッ…〟

というなり、土足で奥へ入っていきました。そうかと思うと、体をぐるりと回転させて入り口の方に頭を向け、長い二本の口ひげをゆらしながらうたた寝をはじめたのです。

 そこへ、カニスーパーから戻った父さんカニは、家の前に立ったとき中から大きないびきが聞こえたから驚きました。恐る恐るのぞくと家の中には、なんと、でっかい口をあんぐりとあけて、二本のひげを揺らしている大きなナマズを見てしまいました。

 父カニは、命からがら家を離れて遠くから様子をうかがっていました。その時でした。小川の中が急ににぎやかになり、よくよく見るとわが家の中で何か大騒ぎが起きたのです。

 悪魔のようながっちりとした大きな手がものもいわずに、ナマズの首根っこをわしづかみにして引きずり出し、どこかにつれ去ったのです。

 ナマズは、あまりの急に命乞いどころではありません。気が付くと、体中に塩をふりかけられ、ゴシゴシとしごかれ、あっと言う間にまな板の上に押さえ付けられていました。

大ナマズは命がけで頼みました。

「命と同じに大切なこのヒゲを切り落としてもいいから命だけは助けて下さいッ…」

と、涙を滝のようにして頼みました。

 ナマズをカニの家から引きずり出したのはこの家のオヤジでした。フンドシ一丁で、頭にはねじり鉢巻きをして、右手にはキラリッ…と光る出刃包丁が今にも切り落とそうとしていました。そばにいた女房は、魚や肉などを食べないからよけいナマズの涙声には同情してくれました。

「あんたっ…

一級品を買ってくるから

ナマズなんか

川に戻したらどうなのッ…」

と、声を張り上げてナマズの命乞いをしてくれました。

 この家のオヤジは聞く耳は持っていませんでした。川魚が大好きというオヤジでした。それもナマズの髭に負けずと八の字の立派な髭をはやしていました。

 ナマズはしっかり観念をしました。このオレを照り焼きにして、酒の肴にするのが無上の喜びというこの家のオヤジのことだ。ナマズは助からないと覚悟を決め、仏のような心になっておりました。ナマズはつくづく懺悔をしていました。

〝幸せに暮らしていたカニの家族を泣かせて、家を横取りした罰が当たったのだ……〟

と、すでに涙は涸れていました。

 その頃、カニのお家では、命からがら家へ戻った父さんカニと、パートから帰った母さんカニ、そして、幼稚園帰りの息子カニが今日の出来事を話していました。

 もう少しのところでわが家を乗っ取られるところでした…と、全く油断も隙もない世の中になったことを嘆いていました。そして、胸をなでおろしながら家族の無事を喜んでいました。

平成十四年七月二十一日 68才

 

 

猫とネズミと人間

 動物の感覚の鋭さは改めて驚いた。生きることは食うことから始まるいのちの世界。

 食を求めて鋭くアンテナを伸ばす。猫の好物はネズミ族。ネズミの好物は穀物。とくに米が大好きなネズミ。

 食となる獲物のありかを察知する能力は、人間には想像外の世界。猫は、超ミクロ波をキャッチする嗅覚と聴覚を働かせる。視覚は一点集中で、全感覚と同調する敏捷な四体を持つ。地上にはわずかの接点を印すだけで空間を地面すれすれで滑走する。獲物を捕らえる猫の姿はまさに芸術的絵画となる。

 それら全てに劣る人間。猫に敬意と嫉妬性の心を覚える瞬間だ。

 ネズミもそれに劣らぬ生命機能を持つ。エサを察知する能力は天に届き、地中を通す能力だ。

 猫とネズミの能力に感心した私は、その結果、彼らにしてやられることになった。

 昨年から私たちは、海抜一〇四メートルの鳥海山麓で湿地原野を拓き田圃と畑を造った。その田圃から収穫した貴重な米を家に運び、どこに保管するかで二転三転考えた末に、二階の物干し場に特設の棚をつくることになった。

 少々未熟の稲を刈り取っていたから、乾燥だけでもしっかりしなくちゃと干場を選び棚を作った。この時ネズミのことを特に注意した。

 ところが、二~三日過ぎるころから夜中にことこと音を立てるものがいる。心配で米の覆いを外して見るとそこには猫の寝た形跡がはっきりと残っていた。もみ米の袋が、ほどよく丸く盆地のように窪んでいた。その時私はある接点を描いた。

 猫がいるなら、最も神経を使うネズミに荒らされる心配はないとみた。まあ…ネズミの番人(?)と思えばいいだろうと考えてしまった。それでも、主食の米に獣を寝かせることが我慢できずにネットを被せることにした。

 その翌日のこと、夜中の零時すぎであった。猫ともネズミの鳴き声ともつかない声を二回聞いた。ニャッ・ニャッ…と、鋭く、断片的な叫び声。

 翌朝、いち早くもみ米を調べると驚くなかれ猫の吐いた汚物が二カ所にあるではないか…。その汚物を少しかき分けてみると、そこには、はっきりと分かるネズミの頭部が混じっていた。

 ネズミ番の猫と思って寛大に見ていたら、もみ米を布団代わりにしていい気分の夜を過ごす猫。そして、そこにこそこそやって来たネズミをがぶりと捕らえたものの、何が害したのか吐き出すことになった猫も猫だ。

 ありがた迷惑のネズミ番。やはりぐずぐずしてはおれない。食物連鎖のことはよく分かったけど、私にとっては両者とも排除するしかない。それにしても、よくもまあー米がここにあることが分かったものよッ…。ネズミの感覚は猫にはない天与の穀物感覚だ。

 生きるためには食わねばならない。その生命維持の基本は人間も同じこと、同一スタートラインにある。生きることは食うことだ。私も米を守らねばならないのだ。

 猫とネズミの戦いは終わった。猫の出入り口を塞ぎ、ネズミの届かない棚をかさ上げした。そしてその周囲にはネズミ捕りの接着板を四枚おいた。

 昨夜、一声…チュッ…と鳴いたのを聞き取っていたから今朝調べて見ると、一枚の接着板に小さなネズミが横になり死んでいた。

 生きるために死ぬことは実に寂しい矛盾と思えてならない。

 生命界は、矛盾こそ見えざる原点なのかもしれない。生きることは、矛盾に充ちた冒険だ。私は、もみ米を守るため知恵を出す。退化した野性感覚をカバーするための知恵を出す。その知恵で凌駕する人間のことを彼らは知らないのだから、ここで、共存共栄で幸せというものなのかもしれない。

平成十一年一月二日 65才

 

 

葦(アシ)が葦(ヨシ)に変わる時

〝豊葦原の千穂ちいほ瑞穂みずほの国…〟

という日本国の美称を思い浮かべた。日本の風土を端的に表現したものに違いない。

 一面の湿地原野に葦が生い茂る原風景が目に浮かぶ。山があって、川が流れ、肥沃な葦原を耕し、田畑を造り、生きる原点となった農村風景。

 美田に変貌する以前は、鳥や動物・草木などで賑わう生き物の楽園であり、その典型的象徴とも言える湿原に広がる葦の群生。

 彼らは、われわれの先住の民(いのち)なのだ。秋ともなれば尾花を一斉に咲かせ、全開した花はそよ吹く風を待つ。風に乗り、波に乗り、いのちは生き生きとどこぞに着地する。その確かさは彼らのノウハウであり、大自然のノウハウなのだ。秋の原野は葦の花でクライマックスを迎える。一面の葦の世界は秋を彩る白衣の天使なのかもしれない。一年の最後を飾る貫禄を見せてくれる。

 湿原に群生する葦。豊かさを象徴するかのような葦の原。その湿原は、米作りの母胎が映し出されている。アシが群生し、水が澄み渡り、多くの鳥たち虫たちのひびきわたるアシの原。人間は、この湿原に生きる道を見いだした。

 アシがよく育つ湿原…そこは人の食を育んでくれる稲作の最適地。

 アシの原野が豊かに栄えていることは、又、人間の食料の豊かさを象徴してくれているようだ。そこは稲作の適地として、人間を定住させてくれる素地となった。

 アシの原野が豊かなことは、われわれの食文化にその主流となる稲作を保証してくれるのだ。

 そこで、妻と二人で先人たちに習い湿原原野を拓くことになった。この豊葦原を切り開いたのは、平成十年八月二十五日。人生六十四才からの出発であった。

 自然水といわれ、村の人々の命を支えてくれた五所水という出水がある。五所水の流れをうけた湿地帯は五反歩(五〇アール=一五〇〇坪)ほどの広さだったが、そこは、一メートル先が見えなくなるほどの豊かなアシの群生地だった。

 その湿原を、先人たちの労苦をなぞるようにして一から開拓に入った。ところが、豊葦原という葦の豊かさとは裏腹にくる日もくる日もアシの根にはばまれて苦戦を強いられることになった。平にした鍬を打ち入れて根を掘り起こそうとしたらかえって白分が土に引き寄せられるばかり。アシの根は最悪の障害となるのだ。

 艱難辛苦どうやらアシの群生を切り開き、その根茎の量は小さなトラックなら数台にもなったであろう。

 先人たちは、何時頃からか、葦(アシ)のことを『ヨシ』(葦)と呼ぶようになった。『葦(アシ)は悪し』のひびき音に通じるほどに、葦原の湿原開拓は苦難に充ちたことを自分の体験で容易に想像できた。そこで考えたのは『アシ(悪し)をヨシ(善し)』と呼んだのであろう。

 そのヨシの根は二年間七台のコンポーストに熟成しておいたが、それを、今回堆肥として田圃に戻す作業をやった。ところがこのアシなるヨシの根は心躍らす立派な腐葉土に変身していて手のひらの中でポロポロと砕けてくれたのだ。凄い自給自足のありがたい肥料となっている。私は切れ端一本でももったいないと思いながら、田圃一面にまき終えた時、アシ(悪し)はヨシ(善し)となって立派な姿で里帰りしたのだと思った。

 この年、念願の原種の稲・亀の尾と女鶴を育てることができた。

 現代農業は、人力もほとんどが農機に委ねることになったが、先人たちの重労働は命を縮める苦労であったはずだ。

 国家を支え、人々の命を支える根本土台の農業、その『農の心』を抱いて生きる人心こそ人の道ではないだろうか。

平成十二年十月十二日 64才

 

 

待つは心の華(はな)

待つことは待ちどおしいもの…
待つことは多くの心を起こす…
待つことは爆発力を包む…
こないなあー
どうしたんだろうなあー
何か忙しいことが
重なったのかなあー
おかしいなあー
もう来てもいいんだがなあー
材料がなかったのかなあー
或いは
後回しにされたのかなあー
それ程意にかけてないのかなあー
もう届いてもいいのに……
もう応答があってもいいのになあー
こっちを
変に思っているのかなあー
何か癩に障ったことでも
あるのかなあー
もう届いてもいいのに……
便りがあってもいいのになあー
無視されたのかなあー
何か悪いことでもしたのかなあー
何も心当たりが
ないんだが……
何か期待をかけたり
約束事をしたり
相手から
便りやら
あるものの注文やら
返事やら
待ち合わせやら
相手と
合うこと・届くこと
待つことは
心を浮き立たせるものだ
待つことは
わき出る心の泉となる
よくも悪くも
内からわき出る心の泉
それらは皆
自分自身の心の姿
自分のみすぼらしさ
自分の心の明るさと暗さ
心の光と闇を感ずるときである
待ってたものが届いたとき
それらは一気に昇華する
ただ喜びの渦の中で
それら一切が消える不思議
手に取り・喜び…
お礼をしなくちゃ……と
心浮き浮きと
はやるのだ
心は自在
心は変化に富み
責任のない世界で
遊ぶに似たりし心
そこに
いささかなるかな
懺悔をともない
いささかなるかな
恥もある
そして、完結の時
心は昇華して
感謝が残る

平成十三年五月三十一日 67才

 

 

自己確立に向けて

俺はこれでいいのか
何を求めて生きるのか
まだはっきりとしないのだ
これが迷いだッ
すると頭をよぎる言葉

〝迷いあるうちはダメだッ〟

と、内なる魂が叫ぶのだ
この生身の中は魂の集団だ
この生身の中は
幽霊たちの競り合いだ
オレが出て行くぞッ…
いやッオレが出るんだッ…
イヤイヤッ
わたしの出番だよッ
バカったれ
オレの番だぞッ………
と、いつも競り合う内なる幽霊
この身は多層民家ならぬ
多層意識民家だ
とにかく賑やかで
混雑しているよ
これからだ
これからなんだ
私という
自己意識の確立に向けて
魂の交通整理をしなくちゃっ…
と、頭を抱え
迷い…心が散り……
そして又、自己検分をやる
これからは
こうした迷いの期間を
挽回しなくてはならないのだ
それには長生きすることだ
長寿健康若々しく
その中で
人として
人の道を、
中心軸からぶれずに
尊く自己確立をするのだ
そして
その日が必ず来るのだ……
と、心に聞かせて
今日の一日をしめくくる

平成十三年七月二十三日 67才

 

 

オレは二倍生きて魂を輝かすのだ

 あふれる情報の中から深く心に刻まれる記事と出合うことが多い。

 それは、一意専心に生きる方々の人生である。その一途で一生懸命生き続けている人達を知るとやけに寂しさにひしがれることが多い自分に気づく。

今朝もそうだ。コラム記事『あのときあのシーン』、二代目写真家・岩合光昭氏の記事を読んだときのことだ。凄く悲しい心、寂しい心が内燃した。厭世観さえ湧いてくる思いにもなった。同時に、立ち直す自己激励の思いも湧いてくる。

 どうしてみんなは勇敢で、優れていて光るのか、と自分を責めつつも、ああーそうか…やっぱりなぁー…と思い返す。

 強烈な遺伝子の開花なんだ。歴史を重ねた祖先からの魂の伝承なんだ。そして、なかば研ぎ澄まされた感性と勇気の魂が、この世で子孫によってより一層の磨きをかけられてその感性は限りなく上昇して神域へ近づくほどに開花結実するのだ、と考えてみる。きっと先天性の魂の開花結実なのだ。

 それじゃ…この俺は一体どうすりゃいいのさッ…と、いぶかりながらも今の俺は直ぐに心を入れ替えて立て直す事もできる。

 いい先天性、悪い先天性……どちらであろうとも俺は長生きすることだ。俺は人の倍も生き続けるぞッ…と、いたいけな心痛と共に発奮する。

 元気で、長命で、たゆまぬ人間性の確立と学習、そして、数々の貴重な体験をするのだ。それは、すばらしい先天性を伝承した以上の磨きとなって己れの人生へと大転換できるというものだ。何も、劣等感にメソメソするんじゃないのだ、と真剣に心を確かめている。受け方を変えれば、この世はみな先生なのだ、と。

平成十四年十二月三日 68才

 

 

 

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米(食物・自然界)の生命愛に身も心も重ねることで、波乱万丈な人生もどんなに苦しい思いも澄み切ったものへと昇華した著者夫妻。その二人が遭遇した共振共鳴共時の記録は、「こころとは」「いのちとは」という命題に対する答えの証しです。