書籍『いのちのエッセーと詩歌集』/このページでは、この本について詳しく紹介します。下の目次のうち「スライダで閲覧」という項目はスクリーンリーダーに対応していないため「本文からの抜粋」のご利用を。

本の概要

夫人と米の生命愛による守護の中で、酒乱の因縁から自分の生命に目覚め、いのちへの誠実な思いを深めていった著者。「自己調和」をむねとする日常生活において試行錯誤する様子をありのままに綴っている。第一章は自らの日記から抽出した文章(エッセイ)。六十歳代、七十歳代、八十歳代と自己調和の日々とともに年齢を重ねた著者。その等身大の生きざまとその心意気が伝わってくる。 

 

 

印刷版:全292ページ
おりづる書房、2019年

 

本の総合情報

本文からの抜粋

 

 

 

恩を着せず
恩を受けず
他人に負担をかけず
負担をかけられず
侵さず侵されず
干渉せず干渉されず

(「早朝のアメ玉二個」の一節)

 

 

 

早朝のアメ玉二個

 今日は月二回となった資源ゴミの日。コンパクトにして二袋持ち出した。
 家の門を曲がると、野良着姿に完全装備したご婦人が前を行く。よく見かけるあの神社境内を清掃する奇特なお方だ。
 ふいッと後ろを見たとき視線が合った。どちらからともなくニッコリ笑って「おはようございます」…とあいさつを交し、私はいそいそと先に出た。この時、ご婦人が声をかけてきた。
『今日ビンなんか出す日だのッ』
瓶などの出す日なのかと聞いている。
『そう…月に二回の日なんです』
と私は言った。
 それきりで先を急ぎ私は袋をおいてその帰り際のことだった。婦人は腰から何か降ろしてモゾモゾ捜し物をしていたが、何かを取り出して声と一緒に右手を差し出し声高で言った。
『アメ玉やるーッ』
と言うのだ。唐突な出来事となった。婦人の手のひらには、セロハンに包まれた透明なアメ玉が二つ載っていた。
『いやぁー…
おれアメ玉くわねんだ』
と言って私は辞退した。すると反射的に
『子供さんにやれエー』
と言う。子供に持って行けというのだ。
『子供いねーものっ…』
と再びお断りした。すると婦人は電光石火反応して
『ご夫婦二人がァー』
と今度は語気が強くなった。夫婦二人なのかと言っている。丸く大きく輝かす目玉は、言い得ぬ炎が立っている感じの鋭い光に充ちていた。
 それきり私は急ぎ足で家に戻ったが、このことが気になってしきりに自問自答した。
 せっかくのご親切にアメ玉を貰ったらよかったのに…と、又、食べなくともいただいていたらあの婦人は喜んだのになあー…と、思ったりもした。
 ちょっとした心遣い一つにしても、相手に不快な思いにさせたのではないか…と考えてもみた。差し出された物はご厚意をありがたく戴くことが円満なのかとさえ思った。
 何時頃からだったか私は、対人関係は対等に生きることだと考えるようになっていた。
 恩を着せず
 恩を受けず
 他人に負担をかけず
 負担をかけられず
 侵さず・侵されず
 干渉せず・干渉されず
常に対人関係で、+・=ゼロに立って生きたいと思いながら過ぎてきた。
 一線を越さず、何事も一線をオーバーすると逆現象が出てくるものだ。例えば
親切心も過度になると
大変迷惑となるし
愛することだって
執念深くなると煩わしく
うるさく、憎しみにさえ
変化してしまうものだ
一線を越さない節度を持ち、自己調和に心かけたい思いで過ぎている。
 今朝のご婦人のアメ玉のことは、さらりと
『ありがとう』
と戴くことがいいのか。
『その気持ちだけ
戴いておきます』
と辞退するか、相手の胸の内を思いやりながら、人間関係の機微を考えさせられた朝となった。
平成十四五月二十三日 68

 

 

 

 

よくも悪くも
内からわき出る心の泉
それらは皆
自分自身の心の姿

(「待つは心の華(はな)」の一節)

 

 

 

待つは心の華(はな)

待つことは待ちどおしいもの…
待つことは多くの心を起こす…
待つことは爆発力を包む…
こないなあー
どうしたんだろうなあー
何か忙しいことが
重なったのかなあー
おかしいなあー
もう来てもいいんだがなあー
材料がなかったのかなあー
或いは
後回しにされたのかなあー
それ程意にかけてないのかなあー
もう届いてもいいのに……
もう応答があってもいいのになあー
こっちを
変に思っているのかなあー
何か癩に障ったことでも
あるのかなあー
もう届いてもいいのに……
便りがあってもいいのになあー
無視されたのかなあー
何か悪いことでもしたのかなあー
何も心当たりが
ないんだが……
何か期待をかけたり
約束事をしたり
相手から
便りやら
あるものの注文やら
返事やら
待ち合わせやら
相手と
合うこと・届くこと
待つことは
心を浮き立たせるものだ
待つことは
わき出る心の泉となる
よくも悪くも
内からわき出る心の泉
それらは皆
自分自身の心の姿
自分のみすぼらしさ
自分の心の明るさと暗さ
心の光と闇を感ずるときである
待ってたものが届いたとき
それらは一気に昇華する
ただ喜びの渦の中で
それら一切が消える不思議
手に取り・喜び…
お礼をしなくちゃ……と
心浮き浮きと
はやるのだ
心は自在
心は変化に富み
責任のない世界で
遊ぶに似たりし心
そこに
いささかなるかな
懺悔をともない
いささかなるかな
恥もある
そして、完結の時
心は昇華して
感謝が残る

平成十三年五月三十一日 67

 

 

 

 

対岸のこと、とも思わない
( 「内は外、外は内」の一節)

 

 

 

内は外、外は内

 もう二十年近くになるかもしれない。こんなことを考えていた。〝内は外なり、外は内なり〟と。それはどういうことかというと、この自分の中というのは外の全世界と切れないで繫がっている、即ち、外の全世界はこの自分の中にあるもので決して無縁のものではなく、常にその影響下にあると考えていた。なんだそんなバカなことを言って、中は肉体臓器の何物でもないよ、と反発するかもしれない。
 当然ながら私の考えているのは、心的なこと、意識的なこと、その精神性の結びのことを考えているのであって生命エネルギーそのものからの発想なのである。
 世の中で起こる社会的なことから、個人的なことまで全てが無縁とは考えないし、対岸のこと、とも思わないのだ。だから、天に向かって詫びたい思いになることさえある。
平成十七年七月十四日 71

 

 

 

 

目次

 

まえがき
■第一章 いのちのエッセー集■
カニとナマズとおやじ
心を調べた一匹の蚊
恋猫の春
炭焼き父さんの含蓄
猫とネズミと人間
葦(アシ)が葦(ヨシ)に変わる時
共存の原点は食
いのちの母体
濃密な野生
待つは心の華(はな)
森ガエルの伝統お産
アリのいのち
自己確立に向けて
天神様の平和
間違いは魂の真実
神秘こそ命の根源
早朝のアメ玉二個
枯木の角
たし・・二はゼロの算術
オレは二倍生きて魂を輝かすのだ
カモは人じゃない
死んでもタネを蒔くアメリカタンポポその一
アメリカタンポポの一大変身その二
愚痴の落ち葉
雲の夫婦 (空こそ遊びの天国)
ウメ星問答
雲に顔あり心あり
喜びの田の文字
第一回目『バンジージャンプ三十四メートル』
第二回目『天空に舞って魂を知る』
内は外、外は内
心の二律背反
星空ツアー
第一話「魂の同化磁場作用」
第二話「妻と同姓同名が待っていた」
募る不思議
トイレの幸せ
夢と現実
いのちの不思議
神の封印と夢
出会いに働くもの
死を思う
■第二章 いのちの詩歌集■
モグラはるんるん
天が布置した寿命 (死)
理想の生まれ変わり
イネとモグラ
丸く丸めて大調和
死と生の共存
寿命は宇宙の調和の心
魂のメッセンジャー・一羽の折鶴
原爆鎮魂歌・一羽の折鶴
魂の降臨・一羽の折鶴
因果の花
食とおにぎりと花火
クマ・リス・ヤマネコと人間
綱引き合戦
春の歌
花の宮参り
心いろいろ
肉体脱げば
不思議を越えて丸くなる
生と死と八分咲き
命のめぐり
縁はいのちの当たり籤
ニワトリ様
私はこの世の食の花
これでオイラもなっとくさ
三毛猫タロウ
食の川
死生川(ししょうがわ)
僕は台風
命の水が解放される時
自己嫌悪は希望の星
猫沢生まれのツバメ
△□は〇になれ
人生航路
いのち船
ニャン・ニャン小太郎
小さくなったわれらの地球
男船
ファミリー賛歌「富士の花」
米の里「庄内平野」
止めてけれッ(不戦岳と軍艦島)
それそれ「日本食」
ねがい酒
ゲ・ゲ・ゲのゲ
いのちの橋
愛妻挽歌
神の呼吸
■第三章 番外編 米のいろはカルタ■
あとがき

 

 

 

 

葦(アシ)が葦(ヨシ)に変わる時

 

〝豊葦原の千穂ちいほ瑞穂みずほの国…〟
という日本国の美称を思い浮かべた。日本の風土を端的に表現したものに違いない。
 一面の湿地原野に葦が生い茂る原風景が目に浮かぶ。山があって、川が流れ、肥沃な葦原を耕し、田畑を造り、生きる原点となった農村風景。
 美田に変貌する以前は、鳥や動物・草木などで賑わう生き物の楽園であり、その典型的象徴とも言える湿原に広がる葦の群生。
 彼らは、われわれの先住の民(いのち)なのだ。秋ともなれば尾花を一斉に咲かせ、全開した花はそよ吹く風を待つ。風に乗り、波に乗り、いのちは生き生きとどこぞに着地する。その確かさは彼らのノウハウであり、大自然のノウハウなのだ。秋の原野は葦の花でクライマックスを迎える。一面の葦の世界は秋を彩る白衣の天使なのかもしれない。一年の最後を飾る貫禄を見せてくれる。
 湿原に群生する葦。豊かさを象徴するかのような葦の原。その湿原は、米作りの母胎が映し出されている。アシが群生し、水が澄み渡り、多くの鳥たち虫たちのひびきわたるアシの原。人間は、この湿原に生きる道を見いだした。
 アシがよく育つ湿原…そこは人の食を育んでくれる稲作の最適地。
 アシの原野が豊かに栄えていることは、又、人間の食料の豊かさを象徴してくれているようだ。そこは稲作の適地として、人間を定住させてくれる素地となった。
 アシの原野が豊かなことは、われわれの食文化にその主流となる稲作を保証してくれるのだ。
 そこで、妻と二人で先人たちに習い湿原原野を拓くことになった。この豊葦原を切り開いたのは、平成十年八月二十五日。人生六十四才からの出発であった。
 自然水といわれ、村の人々の命を支えてくれた五所水という出水がある。五所水の流れをうけた湿地帯は五反歩(五〇アール=一五〇〇坪)ほどの広さだったが、そこは、一メートル先が見えなくなるほどの豊かなアシの群生地だった。
 その湿原を、先人たちの労苦をなぞるようにして一から開拓に入った。ところが、豊葦原という葦の豊かさとは裏腹にくる日もくる日もアシの根にはばまれて苦戦を強いられることになった。平にした鍬を打ち入れて根を掘り起こそうとしたらかえって白分が土に引き寄せられるばかり。アシの根は最悪の障害となるのだ。
 艱難辛苦どうやらアシの群生を切り開き、その根茎の量は小さなトラックなら数台にもなったであろう。
 先人たちは、何時頃からか、葦(アシ)のことを『ヨシ』(葦)と呼ぶようになった。『葦(アシ)は悪し』のひびき音に通じるほどに、葦原の湿原開拓は苦難に充ちたことを自分の体験で容易に想像できた。そこで考えたのは『アシ(悪し)をヨシ(善し)』と呼んだのであろう。
 そのヨシの根は二年間七台のコンポーストに熟成しておいたが、それを、今回堆肥として田圃に戻す作業をやった。ところがこのアシなるヨシの根は心躍らす立派な腐葉土に変身していて手のひらの中でポロポロと砕けてくれたのだ。凄い自給自足のありがたい肥料となっている。私は切れ端一本でももったいないと思いながら、田圃一面にまき終えた時、アシ(悪し)はヨシ(善し)となって立派な姿で里帰りしたのだと思った。
 この年、念願の原種の稲・亀の尾と女鶴を育てることができた。
 現代農業は、人力もほとんどが農機に委ねることになったが、先人たちの重労働は命を縮める苦労であったはずだ。
 国家を支え、人々の命を支える根本土台の農業、その『農の心』を抱いて生きる人心こそ人の道ではないだろうか。
平成十二年十月十二日 64

 

 

自己確立に向けて

 

俺はこれでいいのか
何を求めて生きるのか
まだはっきりとしないのだ
これが迷いだッ
すると頭をよぎる言葉
〝迷いあるうちはダメだッ〟
と、内なる魂が叫ぶのだ
この生身の中は魂の集団だ
この生身の中は
幽霊たちの競り合いだ
オレが出て行くぞッ…
いやッオレが出るんだッ…
イヤイヤッ
わたしの出番だよッ
バカったれ
オレの番だぞッ………
と、いつも競り合う内なる幽霊
この身は多層民家ならぬ
多層意識民家だ
とにかく賑やかで
混雑しているよ
これからだ
これからなんだ
私という
自己意識の確立に向けて
魂の交通整理をしなくちゃっ…
と、頭を抱え
迷い…心が散り……
そして又、自己検分をやる
これからは
こうした迷いの期間を
挽回しなくてはならないのだ
それには長生きすることだ
長寿健康若々しく
その中で
人として
人の道を、
中心軸からぶれずに
尊く自己確立をするのだ
そして
その日が必ず来るのだ……
と、心に聞かせて
今日の一日をしめくくる

平成十三年七月二十三日 67

 

 

天神様の平和

 

 三月八日、天は抜けるように晴れ渡っていた。陽が昇るにつれ暖かいぬくもりがぐんぐん伝わってくる。
 久々の天満宮参拝の二人が、門前町を足にまかせ五感にまかせて進む。
いい気分だなあー…
人の世はうれしいなあー
日々のことも、何もかも忘れていた二人がここにいる。
人間の特権のような幸せ…
自由で、平和で
さまざまなことに
喜びを感じて生きる幸せ…
天神さんの梅の花は、残るは遅咲きの梅となった。それでも庭の中は、国際色の観光客の渦の中、うっとうしい感じはなく爽やかだ。
ここには、
闘い争いはあるものか…
花とたわむれ…
緋鯉とたわむれ…
右を見て、左を見て
我を忘れて
つれづれに向く足まかせ…
天神さんありがとう
平和で和やかな人々
ありがとう
久々の天神参りであった。
 この帰りのこと、駅までタクシーに乗車した。話のきっかけは忘れたが、運転手の何気ない一言が脳裏に焼き付いた。
『アメリカが
五月頃には
イラクを
攻撃するかもしれない…』
というニュースが流れたというのだ。
 私は愕然とした。何かが琴線を打ち付けた感じであった。そして話は続いた。
『これも〝人減らし〟かもしれない』
と、いったのだ。一瞬私の体はざわめいた。
 あわや、似たような思いが私の心にも持ったことがあるではないかッ…。
…戦争は
人減らし……!
『創造と破壊……』
それは
宇宙調和力の根源性なのか…!
いのちの根源性なのか……!
絶対調和力の原理なのか…
人口が増え続ける現実…
そこにもたらされる
人間の葛藤・食糧難・病い・
内乱・闘争
増え続けて頂点に達するとき、そこには
〝一大生命力学が発生するのか…〟
〝数の絶対調整原理とでも
言えるのか…〟
それらは、人間がやらずとも、やがて自然の流れに乗ってやってくる爆発力なのか…?
おかしい…
人類はおかしい…
何かに押されるようにして、
戦争を起こす…
そして
大量殺戮……へと
行き着くとしたなら、それは
天の人減らしなのか……と考える。
 人類の闘争の歴史には、宇宙生命(いのち)の絶対調和力が具体化して、意志化して、そうさせているのか。
 いのち有る限り避け得ない根源力なのか…。
 アメリカがイラクを攻めようとしている話。そして、運転手のいう戦争は
『人減らしなのかもしれない』
と、いとも自然に話す言葉。
 これが現実の我が身ならどうなるものか…と思ってみる。そして、天地の不可思議に愕然としつつ、それも又、真実なのかもしれないと思った。
 話を先に戻して、ここ天神茶屋で野点のコーヒー茶をいただく。
 太陽は輝き、広場には大勢の幼稚園児が大道芸人を取り囲んで大歓声をあげていた。
 そこにはいのちの輝きと人間味あふれた香気が充ちていた。
 梅花の下でいのちいっぱいの子等が昼の弁当に花を咲かせていた。天神様と一緒に。
平成十四年三月十八日 68

 

 

オレは二倍生きて魂を輝かすのだ

 

 あふれる情報の中から深く心に刻まれる記事と出合うことが多い。
 それは、一意専心に生きる方々の人生である。その一途で一生懸命生き続けている人達を知るとやけに寂しさにひしがれることが多い自分に気づく。
 今朝もそうだ。コラム記事『あのときあのシーン』、二代目写真家・岩合光昭氏の記事を読んだときのことだ。凄く悲しい心、寂しい心が内燃した。厭世観さえ湧いてくる思いにもなった。同時に、立ち直す自己激励の思いも湧いてくる。
 どうしてみんなは勇敢で、優れていて光るのか、と自分を責めつつも、ああーそうか…やっぱりなぁー…と思い返す。
 強烈な遺伝子の開花なんだ。歴史を重ねた祖先からの魂の伝承なんだ。そして、なかば研ぎ澄まされた感性と勇気の魂が、この世で子孫によってより一層の磨きをかけられてその感性は限りなく上昇して神域へ近づくほどに開花結実するのだ、と考えてみる。きっと先天性の魂の開花結実なのだ。
 それじゃ…この俺は一体どうすりゃいいのさッ…と、いぶかりながらも今の俺は直ぐに心を入れ替えて立て直す事もできる。
 いい先天性、悪い先天性……どちらであろうとも俺は長生きすることだ。俺は人の倍も生き続けるぞッ…と、いたいけな心痛と共に発奮する。
 元気で、長命で、たゆまぬ人間性の確立と学習、そして、数々の貴重な体験をするのだ。それは、すばらしい先天性を伝承した以上の磨きとなって己れの人生へと大転換できるというものだ。何も、劣等感にメソメソするんじゃないのだ、と真剣に心を確かめている。受け方を変えれば、この世はみな先生なのだ、と。

平成十四年十二月三日 68

 

 

第一回目『バンジージャンプ三十四メートル』

 

 こんな気持ちが吹き出したのは何時頃だったのか、あれこれ三十年位前になるだろうか。テレビで見たスカイダイビングという大空を生身で飛ぶ光景が忘れられない。或いは、当時から自分との決別感が芽生えていたのかもしれない。それは又、自分の勇気づけの一つの手段として憧れたのかもしれない。
 ハングライダーにしても似たようなもので、兎に角、此の体ひとつで大空に任せてみたかった。今、七十歳台になっても不思議なことに決して薄れることがないのだ。
 月山ダムを少し下ったところに三十メートル以上の深さを誇る梵字川渓谷がある。ここに懸かるジャンプ台こそ私の大空への夢を充たしてくれる又とない場所なのである。
その深さ三十四メートル
瞬時にオール世界は……00000…
一度目を飛んだのは、平成十五年八月二十三日だった。六十九歳。

 

 

第二回目『天空に舞って魂を知る』

 

魂を識りたい…
より一層に知りたい…
はっきりと
天地のひびき…
いのちの意志を知りたい。
それは、思索・思考・模索・探索などではつかみきれない。生命直結によるしかない、そう思うとき私は飛翔してみたくなった。
大鳥になって
天空を飛んでみたくなった。
その飛んだ一瞬
天の意に通じるのかもしれない。
人生の運びが…
運命性…宿命性だけが運ぶ進路である自分としたならば如何ようともしがたいのだが…
そこで、はっきりとした一本の道明かりのパイプを感受できるなら…
エネルギー……力……ご意志…の存在をしかと受け止めできるなら…
一層深く…一層明快に…直感できるなら……と
天地の魂…人生行路を支えている魂を直感できるなら……と
それは天空に舞うしかないとそう思ったとき
バンジージャンプで飛ぶことに決めた。
水上三十四メートル上空から身ひとつで
大鳥の姿になって一気に舞う
そこは朝日が昇る朝日村の梵字川。
新たなる直感が育ちますように……
大いなる魂に近づきますように……
平成十七年五月七日・午後一時四十分頃・七十一歳
気温十四度・雨降り及び強風注意報の日。

 

 

夢と現実

 

 夢が現実味を帯びてみせてきた。去る二十三日の朝三時頃だったが、妻が妙に不思議な夢で目を覚ます。旧知の女性の腹がむくむくと急に膨らみはじめたからサァー大変だ。お産が始まったのだ。慌てた妻は両手のひらを出して赤ちゃんを受け取って、えんじ色(黒味の紅色)の大きな布に包んだ。その出産のときの一瞬のこと、誰が言ったのか〝五十五センチ〟という聖なる声がした。
 その知り合いの女性K子にその話をしてみた。なんと驚くなかれ、K子の話はこうだ。
 昨夜のこと、下腹が訳もなくむくむくと膨らんだという。凄く気になったが今朝はおさまっている、というのだ。五十五センチの話をすると、自分は「十月一日生まれで今五十五歳」だという。私たちの泊まった部屋は一〇一号室。また宿を出るとき玄関マットを目にした妻はびっくり感動。赤ちゃんを包んだえんじ色の布そっくりのマットだ。

平成十七年九月二十五日 71

 

 

因果の花

 

①私はだれかどこからきたか
親を選んでこの世にでたか
何をもとめてこの世にでたか
精子・卵子の受精の卵
魂開花のこの世の中で
何をなさんとこの世にでたか
恨んでならんぞ憎んでならぬ
苦労をなめて山より高く
罪はあれども海より深く
許してくれと心で詫びる
めぐる因果のやるせなさ
心残さずきっぱりと
晴れてゆこうぜ二人の旅路

②私はだれかどこからきたか
親を選べずこの世に出され
何かを背負ってこの世に出され
親の卵でこの世に出され
魂開花のこの世の中で
恨んでならんぞ憎んでならぬ
縁の出会いは天意の定め
苦労をなめて行く道一つ
魂不滅を証す道
許してくれと心で詫びる
めぐる因果のやるせなさ
心残さずきっぱりと
晴れてゆこうぜ二人の旅路

 

生と死と八分咲き

 

①死ぬのはいやだ死にたくないよ
無常の風が吹きすさぶ
あの人この人いつしか消えた
やがてくるくるおいらの番が
無情の雨は音もなく
死んで消えゆく定めとて
死んで消えゆく定めとて
病んで死ぬならなお辛い
辛いよ怖い未練が残る
どうか神様連れて行ってよ
死のない国へ
聞かれた神様二つ返事でつれ去った

②連れてこられた死のない国へ
ここは天国極楽浄土
病がないから医者いらず
百歳すぎて千歳すぎて
万歳すぎて溢れるいのち
魚は泳げず飛ぶ鳥飛べず
助けてください
死なせてください
どうか神様連れて行ってよ
死なせる国へ
聞かれた神様二つ返事でつれ去った

③死なせる国は七色八色
寿命の花が咲き乱れ
不足と思わず八分咲き
草木の花は八分が見ごろ
いのちの食は八分が薬
人の交わり八分が手頃
せめて寿命は八八米寿
お前もおれも無理せず八分
文明文化は急がず八分
二分はいのちの潤滑油
余裕で生きる八分咲き
この世は天国八分咲き
この世は天国八分咲き

 

命のめぐり

 

①春だ春だよときめく春だ
希望に燃えてかがやく瞳
いのちいっぱい花ひらく
いのちの花は食の花
わたしゃいのちの食の花
そうだそうだよ食の花

②秋だ秋だよときめく秋だ
期待の実り心が踊る
いのちいっぱい燃え上がる
燃えるいのちは食の精
わたしゃいのちの食の精
わたしゃいのちの食の精
そうだそうだよ食の精

③夏だ冬だよいのちの洗濯
心も体も天地にとかし
いのちいっぱい身をまかせ
食べて待つのは食の春
わたしゃ待ってた食の春
そうだそうだよ食の春

 

食の川

 

①わたしは川よ川はわたしよ
長い長いわたしの川
朝日にかがやく真っ赤な川
夕日にきらめく青い川
丸い地球を三回廻る
長い長いわたしの川
その川なあーに
食べ物運ぶわたしの川
食べて血となる食の川

②いのちは川よ川はいのちよ
長い長いいのちの川
心の臓から太鼓がひびく
ひびきに乗って全身廻る
丸い地球を三回廻る
長い長いいのちの川
その川なあーに
食べ物運ぶわたしの川
食べて血となる食の川

③食は旅をし旅は舟の旅
ご飯の舟で旅をする
野菜や魚をいっぱい乗せて
今日はいかがか元気かい
休まず届ける舟の旅
丸い地球を三回廻る
その川なぁーに
食べ物運ぶわたしの川
食べて血となる食の川

 

小さくなったわれらの地球

 

①東の国から大豆がくるよ
南の国からカボチャがくるよ
西の国からパプリカくるよ
北の国から紅鮭くるよ
あれこれ見れどジャパンはいずこ
陸・海・空は大繁盛
小さくなった小さくなった
われらの地球

②光通信ネットで包む
地球丸ごとネットで包む
人工衛星丸ごと地球
IT・AI丸ごと地球
人類代理の舵を取る
今じゃ陸上リニアが疾走
小さくなった小さくなった
われらの地球

③石炭・石油をワンサと掘って
鉱石・宝をワンサと掘って
地上はドンパチ戦争たえず
地球のいのちは傷だらけ
対価をとらず無償の愛ぞ
小さくなった小さくなった
われらの地球

④世界の国は数々あって
言葉と文化数々あって
垣根を越えて手を結び
傷つけ合わずに手を結び
人類万華の花咲かせ
地球と同じに丸くなれ
小さくなった小さくなった
われらの地球

 

それそれ 日本食

 

①はあー 元気一番 日本食
玄米食べて みそ汁飲んで
お茶に納豆 発酵野菜
具沢山の みそ汁は
小魚イリコで ワカメとカボチャ
ニンジン・玉ねぎ・椎茸入る
これでおいらは 勲章三つ
元気一番 日本食
それそれ 日本食

②はぁー 無病一番 日本食
二木謙三 お医者でござる
玄米菜食 無病の勧め
平櫛田中 彫刻名人
魚は小魚 パワーの泉
文化勲章 二人の偉人
玄米菜食 小魚食べて
天寿まっとう 日本食
それそれ 日本食

③はあー 若さ一番 日本食
わたしゃ毎朝 勲章三つ
食べていただく ありがたさ
玄米食べて 勲章一つ
小魚食べて 勲章一つ
納豆・納豆 黒大豆
大臣賞を いただいた
若さ一番 日本食
それそれ 日本食

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米(食物・自然界)の生命愛に身も心も重ねることで、波乱万丈な人生もどんなに苦しい思いも澄み切ったものへと昇華した著者夫妻。その二人が遭遇した共振共鳴共時の記録は、「こころとは」「いのちとは」という命題に対する答えの証しです。