生命現象の根源

体と心の相関性

⑴不調和性と葛藤

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(前略)ここではっきりしていることは、子孫の誰かが、この先祖ぐるみの悪習慣を断ち切らなくてはならない。命がけで、生命に恥じない人間性を取り戻さなくてはいけないのである。

 そのためにも、単に人間的自我というくらいでは到底太刀打ちができない。自然界の愛が窓口にならなくては、汚れ切って、軟弱化した人間の心を、浄めることはできないだろう。

 人間発生前の、生命の愛に戻って、我々を、「生かして、生かして、生かし続ける愛の力」を借りなければ、人間は改心できない。

(中略)

 妻がよく言う言葉に、

「人間以前の食物たちの生命(心)に戻らないと、人は成仏できない。人霊の活躍は、まだ自我がある。人間以前の生命の愛がないと成仏できない」

と、いうことがある。(p.110〜111)

  

 

以上の一節は、『酒乱 米の生命(いのち)が生きるまで』(菅原茂著、MBC21)という本からの抜粋です。かつて父子二代にわたり家族を巻き込んで酒乱を開花させてしまった男性が、苦悩の末ついには男女の愛を超越した妻の深い生命愛に守られながら、やがてじぶんのいのちに目覚め、夫婦で新たな生き方を再出発させるまでの道のりを1冊の本に記しています。

 

時として、じぶん自身の人生や人間関係に不調和をもたらすこともある心。概してとても根深く、それに打ち克ち、改心するのは容易なことではありません。それでも、望ましくないと感じることができるからこそ、葛藤したり苦悩したりするわけで、本人に自覚がなければ、相反する心のジレンマに苦しむことすらないのだろうとおもいます。

 

これは、性格がそうさせるのでしょうか。それとも道徳的な行動規準をもっているかどうかの問題でしょうか。いずれにしても、がんじがらめに自分の気持ちを縛ったり押し殺したりしたところで、根本的な解決にはなりません。かといって、欲望や感情をむき出しにした生き方にも問題があります。 

 

 

『酒乱 米の生命が生きるまで』
「酒乱の因縁と闘う自己解体」より
あらためて抜粋はここから「意識を改めるということは、容易のことではない。この体ひとつにも、何千年、何万年の歴史が刻み込まれているのだから、油断をしたら、なにが飛び出してくるかわからない。良いものばかりが、どんどん出てくれたら、そりゃ優等生になる。だが、私みたいに、具合の悪い、毒性ばかり出てくると、一生がメチャメチャの波乱となる。」抜粋はここまで

 

 

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体と心の相関性⑵
「心の受動性」

 

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酒乱
米の生命が生きるまで

菅原茂/MBC21/1993年

本の総合情報

 

「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。

 

 


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共時性とは何か

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時空や生死を超え、人種や生物種も超えて、いのちには境界がない証し

 

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「因果性」の実際は、それほど単純ではなく、もっと複雑。科学的な「法則」は、限定的な条件のもとでのみ有効だ。

 

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因果性がないというより、今の科学の尺度では説明できない、と言うべきではないのか。

 


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平成5年8月6日、広島平和公園で偶然発見された一羽の折鶴。共時性の真の価値は、生命現象そのものではなく、それが生命の真実を示していることだ。

 

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