生命現象の根源
普段、じぶんの心だと思っている「心」。じつは、じぶん自身の願望や意志および意思の方向性・質・波長と重なる霊的なエネルギーが、心の世界において、発信したり共鳴したり増幅したりしている、それが心の実相であることを、共時性現象は暗示しています。心は、その人の内的な性質に共鳴してあつまる霊的磁場であり、あらゆる生命の「思い」が混在する生死一体の世界である、ということです。その心的かつ物的な状況証拠が、共時性現象(=シンクロニシティ)だと言えます。
心には、みずから何かを認識しようとする能動的な性質だけではなく、心の発生次元のように制御できない受動的な性質があります。無意識的に思い浮かぶことがら(=心の発生)は、霊魂との縁とも関係があるようです。それゆえ、心を改めるというのは、心の世界における霊的な縁が変わらなくてはならないので、そう簡単にできることではありません。
とはいえ、自分の心の習性や癖と向きあい、そこから抜け出そうという意思と行動を持続し、新しい心の習慣を身につけることこそが、心を改めるうえで重要であることにかわりはありません。ただ、この文章の冒頭でも述べましたが、これは人間にとってほんとうに根が深い問題です。
もちろん、望ましくないことばかりではなく、先人の魂、亡きいのちが、道あかりを灯すように応援してくれていることを、共時性現象は気づかせてくれます。国籍や立場、血縁関係などを超える意識エネルギーは、まさしく愛情です。心にはそういう奥深く神秘的な一面があります。
(参考図書・資料)
心の世界には、時間、空間はなく、一面的、一本直通だから、一瞬にして現れる。
出典『酒乱‐米の生命が生きるまで』「生命の樹」 p.224
悪魔に乗っ取られた酒乱の私でも、ピッカピッカの生命が宿っている。この生命こそ、永遠不滅にして、宇宙創成の原点に結びついているものだ。見た目には、一人一人は別個の生命体である。だが、それは単に肉体だけのことで、みなさんも、私も、たとえ親子でなくても、生命に関しては、すべてつながっている。そして、それは人間ばかりでなく、天地万物の全生命は、相互に関連のある生命ではないか。
このことは、自分の存在を考えたなら、すぐに理解できることだろう。この自分は、どこから生まれてきたのか。もちろん、父母からに決まっている。では、その父母は……。そして、その上は……。そして、また、……。その上の父母へとつながって、ついに、人間以前の生命体へつながっていく。
そして、我々人類こそ、地球上で最も遅く誕生した生命体なのであると思う。宇宙と太陽、海の幸、大地の幸、万端が整った時、〝星の王子様〟として誕生した。その生命の糸は、人間が生まれ出る以前の、諸々の生命たちへとつながって、ついには、宇宙創成の原点の〝生命の親様〟へと結ばれていくことがわかる。
だから、自分という一個の生命体の中には、まぎれもなく、何億万年の生命の歴史が刻み込まれていることになる。それぞれの遺伝子の中は、生命博物館のようなものではないか、と思われる。私は、自分の意識改革を実行する中で、この生命の流れに、本当に感心した。全人類を一本の生命の樹と見て、そこに花を咲かせている梢の先々が、我々、現世の人間の姿と見たのである。
私が、狂った果実となったことは、心という生命の養分が、祖先のどこかで、誰かが狂わしてしまったのだと思う。だから、私の身体に黒い花を咲かせ、黒い果実を実らせた。この生命の、心という養分を変えない限り、いつまでも、どこまでも、子孫の花が狂うのである。どこかで、誰かが、心の養分を自然体に戻してやらなければ、子孫のみんなに、迷惑をかけることになる。
代々引き継がれた心の歴史(潜在層)は、次第に、ひとつの生命体として、独り歩きをし、それが、現在の自分を操作支配する力となる。そして、今の心の習慣が、積もり積もって、自分を、さらに、子孫を支配する心の生命に育つ。自分の過去の心、祖先累々の心が、ビックリ箱のように、現在の自分の前に躍り出てくるという仕掛けであると思う。
こう考えてくると、勝手気まま、好き放題に、不調和な心を発散し続けてはならない。日頃の心の習慣が、ルーズになってくると、自己管理が不可能となって、人霊世界の思うままにされてしまうのだ。
だから、酒を一杯飲むと、過去前世の悪心、亡者が小躍りしてやってくる。心の世界には、時間、空間はなく、一面的、一本直通だから、一瞬にして現われる。こうして、生命の樹を伝って、全方向から、飲み足りない亡者の援軍が集結することになる。もう、こうなったら、現世の自分は、ブレーキなしの車が、下り坂を走るようなものだ。
ある日、妻が、こんなことを言った。
「お父さんが、少し飲み出すと、この世で飲み足りなかった人たちが、いっぱい集まってきます。〝もっと飲め、もっと飲めッ〟と、集まってくる。だから、お父さんであって、お父さんでなくなるのです」
このことが、今になって、そうであるとはっきり実感できた。
その亡者に対抗するためにも、日頃の自己管理=意志力が、いかに重要であることか。日々の心の習慣が、いかに重要であることか、身に沁みてわかった。七羽のカラスから攻撃を受けながらも、身心をバラバラに分離、組立てることになった理由も、そこにあった。
私は、身心に荒っぽい修行の負担をかけ、また、実際に、多くの修行体験もしてきた。危険な試行錯誤を続けた人体実験は、生命に対する不調和な行為だったと思う。この自己改革の執念は、死にもの狂いだった。人の道をはずした者が、道をはずしたことに気づかされ、子孫には、この因縁を流してはならじと、その一念が、今は、人の道をはずすことなく、生命の光が輝くように祈る毎日となっている。
いのちは ピッカピッカ輝く毎日だ
今日も、明日の一日も
手つかずのいのちの日めくりだ
ピッカピッカ輝く
いのちの世界が待っている!!
「生命の樹」223〜225頁
◀︎◀︎◀︎上記の一部(計4頁)
この世の一人残らず
皆幽霊に着物を着せているようなもの
出典『神秘の大樹Ⅰ偶然が消える時』「数霊は霊魂のシグナル」 p.44
今、見舞ってきたばかりの、長期療養者の魂が、病院を抜け出して私たちの帰りの車に同乗してきたんです…と言ったら、誰でもぞくぞくと鳥肌が立つような話である。
一度は耳にしたことのあるこのような話は、幽霊や怪談話としてこの世にいくらでもありそうな話だが、これは本当の実体験の話である。
ここで話を一八〇度転換すると、この世の一人残らず皆幽霊に着物を着せているようなものであるから、表現方法が違うだけのことであって、自分も幽霊も同じことなのである。亡くなった魂を幽霊と言っているだけのことであって何ら変わりはないではないか。そこかしこで着物を着て行き交う人々の本体は霊体なのであって、また、別の言い方をしたなら、過去世の心(死霊)と、この世での心(生霊)の複合霊が自分なのであって、それは見ることはできない。鏡に映しても駄目なのであって心は決して見えないのである。よく耳にする一〇億分の一というナノ単位の世界なのだ。
だが、見えないはずの心が見えたら、それは幽霊というしかないであろう。ずばりいうなら、自分というこの生体こそその大半は過去世の心そのものであり、その中心を貫いている宇宙根源にさかのぼるいのちの光以外の何物でもないから、自分というのはこのいのちの光にまとわりついている霊意識にほかならない。生き続けてきたあらゆる情報を持つ複合霊体であるといっていい。
このいのちの中は、生き生きピカピカと輝き続ける立派な物申す霊体なのであり、死んでからも活躍できる唯一の仕事場こそこの自分なのである…、という言い方もできる。
霊魂なんてとんでもない、と否定したらどうなるか。中は空っぽでもぬけの殻になる。同時にそれは、この世の存在価値はゼロとなり、活躍どころか何もできやしない。何といってもこのいのちは、心の発祥地であり、複合霊体が現在を担当する自分とともに一生懸命働いている姿ではないか。心は生きている。魂は生きているのだ。
よく耳にする霊界というのはそういうものだと思うし、別の世界ではない。現・幽一体なのであり、怖いのは、自分をコントロールできないだけのことだ。
この地球上に最後の一人が存在する限り、人類という種の霊魂は、その一人に集約されると思うし、最後の一人が消えたとき、初めて人類の霊魂は消滅するであろうと思っている。
つまり、人類が発生した原初のルーツに霊魂の里帰りをすることであり、その先々は、生命発生のルーツにさかのぼって行くであろうし、人類の魂は、やがて生命元素(原子)の心性物質に同化されて、地球生命のいわば構成元素となるであろう。
死んでドロンと消えこそするが、最後の一人が消えるまで人類という霊界は生き残るであろう。霊魂は時空を超して、自在無碍の存在となり、最後の最後まで物申す霊魂であり続けるものと思っている。
一生命体としての自分を形作っている霊魂は、自在の世界だから、がっちりと管理統御していないことには、出たり入ったりが自由となる。自分の本体である霊魂の管理責任者こそ、今の「自分」なのである。
ところが、現代社会においては、医療能力を凌ぐ病気も多くなり、その中でも特に自分の心を管理できない人が少なくないのも事実であろう。その方たちは、たとえ意識が無い病の人でも、生きている限りその霊体は、ピカピカ光り、生き生きとしているものだ。
霊魂は、自分の全細胞に内在していて、意識不明というのは、物心両性である肉体の中のどこかにその表現機能の接続不良がある訳で、決して霊魂(心の総合体=過去世の心と現世の心)が空っぽになったのではない。
死は、生命の組成元素(原子)がバラバラに分離拡散して、生命体としての機能が消滅することと理解されるし、その逆が誕生である。それは、生命組成元素(原子)が結合して、その機能が作動することと思うし、逆に、本来の生命組成元素に戻ることを死の世界だと考えてみるとぞくぞくする思いだ。
実際のところ、魂不滅と考える者にとっては生と死をはっきり分けることなどできないと思っている。死んで肉体は消えてしまっても、霊魂は子孫・縁者に引き継がれておるもので、もっと拡大して極言するならば、人類万人に限らず、この世一切にアクセスできる光のネットワークをもつ魂の世界だといえる。死んで全てが終わりではないのだ。生命組成原子それ自体が生死同体であり、拡大膨張・縮小凝縮が自在の、意志性波動の持ち主と考えている。
生命組成元素(原子)が寄り集まって自分となり(生)、また、分離拡散して自分は消える(死)という生死の概念を変えてみることも新発見に結び付くものと思う。
いのちをつくり上げている生命組成元素(原子)は、言うまでもなく毎日の食と呼吸によって形成されていることは当然であり、食は、生命組成元素(原子)そのものであり、その元素の素性は物心両性という見方に立つ。食は物質(物性)であり、心(心性)でもあるという、物心両性の元素(原子)という見方に立つ。
食を摂ることは、物質を食べると同時に心をも食べていることになる。何につけ、生き続けるには食い続けることであり、食はいのち、いのちは食である。だから、食はいのちの中心、いのちが回転する命の中心軸といってよい。肉体をつくり、心を紡ぎ、そして、無限的心の貯蔵庫となる。それをさらに発展させていえば、もともと我々は、男女両性・雌雄両性で、物心両性のすこぶる合理的な生命元素の塊と考えてもおかしくはないだろう。両極を併合した総合エネルギーが真の生命力であると思っている。
だから、縮小凝縮して一生命体が誕生し、それが、拡大膨張して死となる。ここで、生命組成元素(原子)は、宇宙における不変の存在としてありつづけるわけで、死んでも生きていても、われわれは、心であり、同時に、肉体であり続けることになる。
死んでも、生きても、意識があっても無くても、無ければそれは生体の機能上にそのトラブルがあるわけで、意識不明でも、心(魂)は立派に存在し続けているといえる。そして、以心伝心で心はいつもその扉は開かれている。
意識が戻らぬまま、二七年間、七二歳のお方が、ご自分の魂を見舞った人の車に同乗して行くくらいはいともたやすいことであろう。
それは、平成元(一九八九)年一月九日のことであった。亡くなられる一カ月前のことであった。「二七年間」の闘病生活の間、夫を看病し続けてきた奥様は、もう限界だとその思いを口に出すほどの歳月であった。生命の尊さは身に迫るものの、いったい生きるとはどういうことなのかと、尽きぬ疑問も内在していたことであろう。
「意識無き二七年間」。奇しくも今年でよわい七二歳となった。「二七年と七二歳」、この数の霊から受け取れることは、表裏一体に秘められた本人からの意志性のひびき、すなわち〝魂は死なず〟といえるメッセージだろう。肉体根源からのご意志であるのかもしれない。病床の夫のいのちは、四五歳から二七年間、意識無き日々であっても心の扉は全開されている。つねに心の発信体制下にあって、チャンネルさえ合一するなら以心伝心となって具現することになる。この方を見舞うことになってから、何度か共振共鳴共時の現象を体験することになった。
最後となったこの日の見舞いから帰宅したのは夜の九時六分である。ところがこの方の誕生日が、大正五年(一九一六年)九月六日であったのだ。
それは、その方のいのちの登録ナンバーともいえる、固有波動をもつ数の霊魂であった。数字で示す魂の世界。紛れもない意志伝達の数のひびきで伝えてくる魂の世界。
この平成元年一月九日の日記を原稿にするため、ひらひらとめくり始めたのであるが、平成二〇年の今日、一月「二七日」であることに息を呑んだ。
どうもこの方には二七などの数霊が動いているようだ。二七年間の闘病生活、七二歳の寿命、そしてこの原稿を起こしたのが二〇年後のこの日、一月二七日、見舞いから帰宅したのが九時六分、この方の誕生日が九月六日である。
その心のひびきの表現は、文字や数や色などという表現媒体を通じて、われわれの目の前にその姿を見せてくれる。
それば、普段の生活の中で気づかないだけの話であって、少し関心を向ければ、この世は、魂の世界であることが理解できてくるであろう。そして、霊的波動に充ち充ちているこの世の縁エネルギー空間を感じるはずだ。縁は出会いとなり、出会いはあなたの運命を運ぶ。そして、この世に限りない前進のシグナルを送り続けていると信じている。
「数霊は霊魂のシグナル」四四〜五〇頁
何が早いといっても光ほど早いものはない。「思えばすぐ」である。
出典『神秘の大樹Ⅲ文字・数・色で証す新次元』「林の響きが魂を乗せて」 p.23
平成元年のこと、K牧場に立ち寄ったのは夏至も近づく五月下旬の穏やかな夕暮れ時であった。牧場は、まだだいぶ明るさが残り、そして羊の群れの柵の前には、一人の女性が立っていた。
広々とどこまでも続く緑の牧場の柵の中からは、こちらを見ているかわいい羊たちが群れをなしていた。ここは羊の放牧場。くねくねしながら一列になっての羊の機関車。父さん羊がめぇーへぇへぇと歩く後ろには、チョコチョコと赤ちゃん羊がメェメェメェと小股の早足で続いてくる。いくら見ていても飽きのこない情景だった。
ここは観光牧場であることを教えてくれたその女性は、E神を信仰されていて、いわく、E神はこの地上を、このようなのどかな楽園世界にする絶対神であるというのだ。
そうですか、と聞いているうちに次第に話は理論的になり、女性は知性的に組み立てた自然世界を語り始めた。こちらはあえてそれに言葉をはさまず聞き入っていた。純真性はいいことだが、何か観念論的で、この世界を語るには、何とも言えない現実に対する免疫性が薄いように感じた。一方の私は、あまりにも野人風であら削りの体験論的であると思えてきた。
女性は理知的に人格神の絶対論を向けてくる。こちらは体験的現実論で自然界の話をするし、そして独自の信仰心を披露する。このように羊たちを前にした二人の話には、薄いもやもやの壁がうごめいていた。それは理論と実践の壁のようなものであった。私は言い出す。
「この大自然のハートと一体になり、羊も、草木も皆平等の魂と思うようになりましたよ」と言うと女性は、そのことには同調的ではあったが、「E神の教えもそういうことです。E神は人格神ですが、この世をおつくりになったただ一人の神。神の目的が、この地上の楽園であるのです」と教典を読んでいる感じの調子で話してくれた。だがその、キリリとした知的で理性的で忠実な話ぶりには、こちらの野人にはどうも危なっかしい感じもあった。
「宗教はみな自然のように受け入れなくてはいけませんなあ」と私が言うと、女性は、
「神は一人の人格神にこの世の支配を託された」と言うから私はそれには同調できず、
「この自然界には支配はないですよ。大自然は無秩序の秩序であることを私は肌で感じて知りましたよ」
と言った。女性はそれには、教典にもそれに似たような教えがあるのですといって反論はしなかった。しかし、同調もしなかった。なんとなく女性の心理がタバコの煙の輪にも似て、音もなく、私の体を煙の中に入れようとしているのが痛いほど感じられた。それは紛れもなく女性の心の奥で渦巻く一種の葛藤ではないか。微妙に自己矛盾する煩悩心が動いていたのだと私は思った。
それは、私の自然流的思考に対する憧れと嫉妬性の思いの湧き上がりではなかったのか。話は続いたが、柵の中の羊たちも動きを止めて草むらに体を休めている。さも私達の話を聞いているかのように、ときおり視線をこちらに向けていた。夕暮れは一段と深まり、女性との会話は静かな大地にそのひびきをあずけ、別れ際に私から「菅原です」と言うと女性は、「中林です…ありがとうございました」とていねいに言ったが、そこには何かしらの重みのあることに私は気づいていた。
牧場を離れてしばし走った先の路上で私はその夜を過ごすのだが、外は激しい雨となった。晴れ上がっていた牧場とは別天地の夜となったが、一夜明けた五月二八日の朝は、これまた晴れわたる好天の日曜日となった。晴れわたり、また豪雨となりまた晴れる。天地自然の鼓動の息づかいさえ感ずる移ろいの中で、この日もまた幾重にも不思議で神秘的な体験を続けることとなった。
朝食抜きの遅い昼食で起こした、ドライブイン「はしば」での無礼な出来事(詳細省略)があってから、冷や汗をかきつつ走ること三〇分。今度は真昼の幻視が起きた。右手のトンネルからは、無音の特急電車が飛び出してすれ違った。それから二、三分過ぎて、今度は左手前方から先ほどと同色同形の特急電車が迫ってすれ違った。先ほどは無音のすれ違い。今度は轟音をたててのすれ違いなのだ。
ここは山手線じゃあるまいし、四~五分に一本、それも同一方向に走る電車なんて考えられないことだ。ましてやここは単線である。地図で見れば確かここらでは一カ所、国道をはさんで右手を電車が走る区間があることはある。ほんの四~五キロの区間である。
右手の山際を走る無音の特急電車…
二、三分過ぎて今度は左手を走る轟音の特急電車…
ここは単線であり走る方向は同一の上り電車…
それは真昼の三時ころの話…
と、これらのことを今思うとうなずける一面もある。
電車といえど、すべては物質元素(原子)の光の物体である。今は、デジタル全盛時代であればこそ、磁気・磁波・磁性体の受像転換ができ得ることを考えるならば、その実態を、先の先で予兆的に映像化できても不思議ではないであろう。思えばその時の私の脳髄は原始的機能に戻っていたのかもしれない。
この日は無礼な出来事を起こし、また、「真昼の幻視」と予期せぬことが続き、さらに三つ目の異変が夜に起きた。
長い車中泊の中で汚れもたまっているから、道すがら出会った滝温泉(秋田県大内村の一軒宿)で、九時頃であったが入浴させてもらった。浴場の鏡の前に腰を下ろして自分のコピーと対面した時、異常を感じてぎくりとした。あれ、何だ、ものすごく目が疲れてみえるぞ。目の縁が真っ黒でまるでパンダだ。と思うや、途端に全身の疲労感が急迫してきた。隠れていた重苦しい疲労感である。こんなことは旅慣れた自分にはなかったことであった。この時すぐにピンときた。これは仮の疲れだ! と思った。本物の疲れではないと感じた。おかしいぞと、その時である。あの女性だ! と心の中で叫び出した。
中林さんという女性の心の磁気テープだと思ったし、そのテープが残留していたのだと感じたのである。生き霊の憑依などと言ったら薄気味悪くなるだろうから別の言い方に変えれば、心の転移保留ということでもいい。とにかく心は原子の光で磁気を帯びていると思う者にとっては、心のコピー、また、心の転移現象はあり得て当然であろう。いやはや生命体は見事な磁気テープになっているのだ。
磁気になっている人体は、録音や録画もできるし、また、再生もできる。消すことだってできるが、その消す作業だけは、少々時間がかかり面倒な世界だ。心に記録されるときは、心のサイクルに共通性があるから容易に収録できるだろうが、その共通性があるからこそ、消滅させる段になると少々面倒となる。あくまでも自分の心の問題ではある。私には、中林さんという女性の心的サイクルに類似性があったためであろうと思っている。
浴場の鏡の前で、これは仮の疲れだとわかったが、それが、憎悪や怨念といった類いではないことだけははっきりと分かっていた。これはたんなる女性自身の割り切れない執着心がそうさせたものと思ったのであり、いわば陽性(善性)の心の転移といったところであり、悪性でないことはその感じでわかった。悪ではないと理解できたのである。
そこで私は鏡の前で、私なりの思いの生命十字を向けたのである。
「あなたの宗教に全ての正しさをつくりあげてはなりません。いのちの世界には支配はありません。片寄った心を正して心を安らげ、いのちの光に一体となって輝きを強めなくてはなりません。決して迷い執着のなきことを祈る」
これはおこがましくも他人に対して言う言葉でなく、自分の心に向けて送る波動である。
その後、間もなく不思議と全身爽快となり、その夜は、近くの山中深い高台の路上で車中泊となったのである。風もなく深い静まりの中、天空澄みわたり満天の星々は極楽の輝きを発し、得難い夜であった。
翌朝、むせ返るような深く甘い香気に包まれていることに気づき目を覚ました。いい香りだなあと、ドアを開いて外に出たら、目の前一面に咲き誇る桐の花に心が浮き立った。思わず胸いっぱいに吸い込んだ。この辺り一帯は植林の桐林になっていて、今が盛りと開花していた。旅の中でこれほど見事な桐林には出会えなかった。ここでふと浮き上がったのは、あの中林という女性とここの桐林の「林」のひびきである。このひびきは、昨夜思ったとおり、善性のひびきに違いない。
しばしこの場にひたってから私は下山を始めた。屈折する山道を二キロくらい下りかかった時、谷沢の向かい側の一軒の鉱泉宿が目に入った。朝の七時過ぎというのになぜか私はそこの湯に入りたくなった。旅の中で二日続けての入浴などありようのない話である。沢を渡ってみると、看板には若林の湯と書いてある。快く受け入れてくれた宿の女将さんに一五〇円を手渡して、思いもよらない入浴に大満足をして私は再び山里を下りていった。だが不思議であった。たった今、桐林の山から下りたというのに、今度は若林の湯とは! またもや「林」の連続ではないか。
K牧場の中林さん、満天の星で桐林、そして、朝の入浴が若林の湯である。これはきっと、女性の心の磁気テープが、それも善性の想念転換に変化したことを意味するのではなかろうかと私なりに思った。
私に心身疲労を起こさせはしたが、私なりの思いのテレパシーが彼女にも届いたであろうし、そして、明るい善性となって帰ったのであり、喜びの精神波動に転換されたものではないか。これは独善的かもしれないが、連続する「林」のひびきには、その可能性が秘められていると私は思っている。
心は生命原子(生命元素)で、原子は光以外の何物でもないであろう。何が早いといっても光ほど早いものはない。「思えばすぐ」である。
独善といえば独善かもしれないが、見えざる魂が生きていることを、ここ若林の湯を出て山里の村に下りてから知らされることになった。
集落まで下りたはいいが、道が分からないのだ。そこで、目にした一軒の自転車屋を尋ねた私は、聞かれもしないのにそこの主人に、今、若林の湯から下りて来たんですと言ったら、主人は目を丸くして、「えっ、今、若林の湯のおやじが帰ったばかりだよ。大の友達なんだよ」と言うではないか。これを他の誰かに聞いたとしたら、こういう具合には物事が運びはしないものだ。偶然というものは、はじめからこの世に無いのだと私は思った。そんなに何もかも調子よくパズル合わせができる訳はないのだと思った。
この自転車屋の主人は大喜さんという方であった。文字の通り喜びいっぱいの方であった。文字のいのちが響き会っているではないか。また、主人は酒が好きで旅が大好きだという。趣味もかなり私と近い。
どうも私の旅は魂が不滅ということ、生きて輝いているんだということの証人に見立てられている姿ではないか。
ここまでの話で考えさせられる事実として、林という文字のひびきを考えれば林の重なる連続がある。そこに、言うに言われぬいのちの意志性を感ずることができる。さらにそこには、数霊という数字のもつ魂のひびきに注目しなくてはならない。
文字の「林」は、数霊に転換すると「八八四=はやし」となる。中林という女性、桐林、若林の湯と動いて、その「林」の連続の中に、文字の「林」が言わんとする「意志の表象」を感じてならない。
さらに、無礼の出来事の舞台となったドライブインは、「はしば」という食堂で、この「はしば」は、数霊に転換すると「八四八=はしば」となって、林の八八四(=はやし)とは共振共鳴のひびきを共有するいのちの根源に根差すものだと考えられる。その時は、突拍子もない無礼だったが、魂の流れからは全て必要な意志のシナリオが秘められているものだと、私は今そのように考えている。
いのちから発するもの、魂から発する一連の意志には、その謎解きに不可欠となる文字・数・色の三大ひびきの要素があるという現実に、気づくこともなく暮らしているのが普通の姿であろう。
「林の響きが魂を乗せて」14〜24頁
心の光は意志を乗せ、魂を乗せ、物申す電磁波のひびき
出典『神秘の大樹Ⅲ文字・数・色で証す新次元』「ヨシ婆さんと心の光」 p.147
自分の考えていることが、他のいのちの中で生きることができるであろうか。
以心伝心とか、テレパシー(遠隔精神感応)とか、よく耳にする。また、クシャミをすると、「誰かが噂をしているんじゃないか」とからかわれることもある。
ところで、自分の考えていることが他人に筒抜けになったら生きてはいけない。世の中は騒然となってパニック状態に陥ることになり、うかうかと物事を考えることすらできなくなる。
では本当に、人の思いというものが、他人に伝わらないのだろうか。
このごろ私は、心は光だと考えるようになっている。光であれば電磁波となって、地の果てまでも飛んでいくだろう。心は光の波であり、心の波形が合う相手に出会えば、その波長が増幅して光を増すことになる。
その時相手には、「あれ」という感応の瞬間が出てくるのではないかと思うし、また、その予兆を感じるだけでなく、二、三日その人の中に居候することもありえる話だと私は確信している。
心が光だと思う訳には、「心の原料は原子である」ということが前提となっている。「原子が心の原料だなんて話は荒唐無稽も甚だしい」と叱責されるかもしれない。
原子は、原子核(陽子と中性子)と電子からなっていて、さらに奥の世界は、素粒子の世界だといわれている。
では、さらにその奥へ奥へと内なる宇宙に思いを進めるならば、一体どうなるのであろうか。何があるのか、誰が待っているのかと素人の空想を宇宙大に広げると、かぎりなくゼロの世界に到達するのではないのか、と思いは広がるばかりである。実はそのかぎりなくゼロの世界こそ、いのちの中心世界ではないのか、と現実味を帯びて迫ってくる。そこが、宇宙原初の時代情景なのではないかと、私はその幻想を描いているが、どうであろうか。
ある日突然、そのかぎりなくゼロの世界に二つの激しい渦巻きが発生して、互いに回転を始めたとする。それは、互いに反対方向に回転しながら左右二つの渦巻きとなって、8文字状を描き続けることになり、私はそれを生命8字還流と呼ぶようになった。
そして、悠久の歳月をかけ、陽子と中性子が組み合って核を成し、その周りを電子が軌道をつくっていのちの元となる原子ができたであろうことを思うとき、そのいのちの末裔である私たちは、宇宙始まって以来のいのちを繋ぐ、一三七億歳の天文長寿の、れっきとした地球人ということにならないだろうか。われわれには、天眼、天耳、天鼻などの神通力が備わっていて当然ではないか。
だが、世の中の平安調和を思ってか、宇宙の親様は、人の心に幕をはってくれたようである。混乱がないように、心の安全弁を与えてくれたと思えてならない。
何を考えようが、どんな心で生きようが、自己責任のもとで、寛大な自由を与えてくれたのではないであろうか。だが心の自由も、宇宙絶対調和力によって自動的に統御されているのも事実であると私は受け止めている。
大脳新皮質が発達した人類から、神通力は加速度的に退化していると思うが、他人の心も、自分の心も、互いに不特定多数の中で時空を越えて伝播されている現実の中、ときには、心の波(波形)が類似すると一瞬のひらめきにも似た心のひびきを受け取ることもあるものである。元々生物に備わっている古い脳(大脳辺縁系)にこそ、生命の根源を司る機能が組み込まれていると思われる。
心を電磁波の光として考えるとき、お互いの心の波形の山と山、谷と谷が合うようであれば心の光は強くなると思うし、それとは逆に、波形の山と谷、谷と山がぎこちなく重なるようなお互いの心のタイプであれば、波の干渉によってその心の光は弱くなると考えられるから、心は打ち消されて伝わらない。
心の波形といっても、ピンからキリまであることを思えば、千変万化の人心の中で、心の波は想像以上の階層となるから、以心伝心の声なき声の響きは、そう易々とは伝わりはしないであろうし、強いてその発生メカニズムを推量するならば、絶対的な心の静けさが伴ったとき、思念の精神感応が起こりやすいと、私は自分の体験をふまえて、そのように考えている。ここで、本題に入る前に一つの体験例を紹介する。
平成四年七月一四日からの、たま出版(株)主催のスピリチュアル・ツアーに参加した後日談であるが、帰宅した私は、自分の心に、得も知れぬ変化が起きていることに気がついた。朝、目を覚まして起き上がろうとしたその一瞬のこと、顔の中から白煙にも似た湯煙のような気が出たかと思うと、その白煙が女性の顔に変わり、またたく間に、雲が流れるようにして消えたのである。その顔は、ツアーで一緒だった女性、Y・Hさんであると確信できたから、そのことを本人に電話で伝えてみて驚いた。受話器の向こうで、「あら、やっぱりっ!」と言うではないか。その女性と別れるときにちょっとしたドラマがあったことで思いを強く発したのと、また、似たような心の波調の持ち主でもあったようである。この一例からも、心は電磁波の光であり、一種の電波ととらえてみることができよう。この場合は時間的に、二、三日の間、私の心の中に彼女の心が滞在していたことになる。
さてここから、本題の体験の話をすることにしよう。それは、妻の父方の伯母を見舞に出かけたときのことであった。いわば〝死の予告〟とも思われる、遠隔精神感応の体験である。二日続けた見舞の初日は、平成四年五月二二日金曜日であったが、その帰りの道中で、茨野新田という集落を通過していたときのこと、突然妻は、テレパシーを受けたのであった。
「お父さん、今、ヨシ婆さんの感じのする心が入ったけど何だろうか?」
それは、「ツーヤクダー」という、いのちからのひびきが、妻のいのちに同調していたらしい。すかさず妻が時刻を見ると、五時二二分になっていた。
「あら、今日は五月二二日だよ」
と、妻が不思議に感じて言う。
私は、ツーヤクダー…ツーヤクダー…という言葉の流れを二度、三度頭の中で繰り返していた。そのうちに、「通訳だ」という現実語となって浮き上がってきたのである。
ヨシ婆さんは、九六歳という立派な長寿を全うしている。何といってもこの世は有限世界であるから、九六歳は立派なものである。
だが、生死の臨界線にいるヨシ婆さんは、枕元で呼びかける妻の言葉にはほとんど反応をしなかった。しかし妻に対して、何かしらの神通力を感じていたらしいから、ヨシ婆さんの魂はきっと、「富美子(妻)は、私のいのちの通訳だ」と言ったのではないのか、と私はそのように理解した。
さらに、五月二二日と五時二二分は、ぴたりと一致する数霊でもあるから、この数字には深い意志性を感じられてならない。この数字の同調性をどのように受け止めればいいのか、単に、数字が合ったとか合わないという次元でないことは肌で感じられる。数字の持つ意志性には、何か根源的次元からの能動的なひびきが感じられるのである。ある特定の魂からの、言葉以前の強烈な意志の伝達があるのではないか。それこそ通訳はできないが、数字は宇宙語(私の造語)のような感じがするのである。いのちの中は、数の魂(ひびき)で一杯なのである。
そして、翌日、二度目の見舞を終えてからの帰路のこと、助手席の妻のいのちに再びテレパシーが入ってきた。
「フミコ ト アッテカラ スンデキタ」
「どういうことですか」と妻は自問した。
「コメノトギスルノヨウニスンデキタ
イグドゴワガラネガッタガ
コンドハッキリシテキタヨダ」
昨日は「ツーヤクダー」と言い、今日はこのようなひびきである。
ここで、はっきりとその内容が浮き上がってきたのである。
妻に対してヨシ婆さんが、「あなたは魂の受け答えができる通訳なんです」と言ったのが昨日のことで、今日は、
〝富美子(妻)と会ってから心が澄んできたぞ
それは米の研ぎ汁のように澄んできたよ
わたしの行く先(逝く先)わからなかったが今度はっきりしてきたよ〟
という内容であることがわかる。
ヨシ婆さんは、生死の臨界線上に来ていて、自分の還るところは極楽でも地獄でもない、澄み切ったいのちの原子世界、生命元素(食=原子=精神世界)の世界なのだということを、一心に伝えてくれたのではないのか…。
ヨシ婆さんは、妻に伝え終えてから四日後の平成四年五月二七日に、澄みわたる生命元素世界(光の世界)へと旅立っていった。享年九六歳の天命長寿であった。
心はいのちの本質、死ぬことのないいのちの宝。心の光は意志を乗せ、魂を乗せ、物申す電磁波のひびきであると思うのである。
「林の響きが魂を乗せて」一四〇〜一四七頁
内在する霊魂世界では、酒乱を引きずる心に共振共鳴する霊魂たちは、改心して新しく積み上げる心に対して波動が合わず、守りの魂から押し返されて次第に離れて行く
出典『神秘の大樹Ⅲ文字・数・色で証す新次元』「酒と米と魂の守り」 p.155
自分を変えようと思い立ってから、早や二六年が過ぎた。言葉の上や、化粧とか衣装で別人に変身するのは簡単な話だが、魂までとなればまったく次元の違う話となるから、不可能にも近い現実となる。
言葉を変えれば意識改革のことであり、その意識といえば万人みな違う人格であり、性格であり、いい換えれば遺伝子性の意識(心・魂)ということになる。これは大変なことである。中を開いて洗濯するわけにもいかず、本当に厄介千万なことだから、人は皆、ありのままで生きるのが一番いい。
この体はいわば魂の貯蔵庫みたいなもので、その蓄積された魂の量といえば宇宙大にもなるから、中の魂を変えるなどということはできない。唯一それを変えるとすれば、よくいわれる「心の入れ替え」、しかし正確にいえば、「心を入れる」のであって、入れ替えるのではない。
一度、生命コンピューター(記憶脳)にインプットされた心は、善くも悪くも、正直に自分の心の蔵に蓄積される。家族環境、社会環境、自然環境、生活の全般にわたっての生きることの環境が、自分をつくりつづけるツール(道具)なのであるから、それらのどれ一つとっても自分という者をつくり上げる要素になり、また要因ともなる。
だから、生まれ持ったありのままで生きるのが一番いいことなのだが、さて、それがために、人生を大きく狂わせることなどが現れてくると、それはまた、一大事であって、悪性に引き落とすようなことにでもなれば人生がメチャクチャになってしまうから、それはいけない。
ありのままの自分で生きられて、無難に人生をまっとうできるのであればそれにこしたことはない。
私のように、ありのままに生きたがために大きな落とし穴にはまった人間は、否応なく、心の修行が必要となる。それが為に、冒頭に書いた通り二六年目を迎えても、内面の葛藤はいささかなりとも残るものである。
今は、具合の悪い遺伝子に振り回される自分ではなくなったといい切れるところまで到達したと思っている。
私は酒で失敗を起こした。酒乱の自分との闘いはあまりにも熾烈であって、そのために、妻や家族を辛く不幸な環境に突き落とした。
人は、さまざまな悪弊に悩まされるであろうが、その救いとしての心のよりどころといえば、宗教などさまざまなルートがあり、その門戸を開いてくれている。しかし私は集団で精神修養することにかなりの抵抗があり、独善としての自己改革を選んできた。
心を変えることはできない。できるのは、新しい心を積み上げることだけだと思う。心に描いた文字は決して消すことはできないのである。
パソコンには、ゴミ箱という便利な箱があって不要な情報は捨てることができるが、遺伝子性の魂の世界ではそれはできない。ひたすら、悪性因子(人生のマイナス要因)の、心の文字を薄れさせるしかないのだ。善くない自分の心が活躍できないほどに、新しい心を積み上げる。そういう修行に徹するしか方法はない。
お陰で私は信仰心を持つことの大切さを知ることができた。酒の親である〝米のいのち〟に手を合わせる。すなわち、食のいのちであり、「生きる原点忘れまじ」であり、そのことから当然のように、心のふる里、いのちのふる里を、そして究極は「いのちとは何ぞや」と、一途に探求する人生街道となったのである。そこから得た心の世界を、新たな自分の心として蓄積することを心掛けている。
それがためにはまず、「断酒」という二文字を確固として守り通すことであった。そして、昭和六一年元旦が私の断酒記念日となった。
それからはや二六年目の歳月にさしかかったということになる。詳しいことは自分史『酒乱』に書いたが、それは、妻との二人三脚の日々であった。その中の一節を引用して話を進めたいと思う。
妻の口からよく出てきた言葉に次のような話がある。
「お父さんが舞ったのではありません。酒が舞ったのです。酒の親は米です。米は透明なご神酒となりますように、澄んだ心になるための道のりでした。お父さんは酒の親の、米の心に還るのです。酒乱はそのための道のりでした」
私は、米のいのちに還る修行者になったのである。
続けて「天馬の如し女神の妻」の一節を引用してみる。
一つの縁によって人の運命はその向きを変えてしまう。大きく小さく、善性に悪性にと、その方向は変わる。妻と私の生命は、厳しい縁を交えながら、今や遅しとばかりしっかと向きを変え、「あっちの水は辛いぞ、こっちの水は甘いぞ」と、子どもの頃のホタル狩りのように、いつも、その点滅する光明に向かって走りだす。
これまで二〇年ほどの歳月を私に、ひたすら従順に、そして、一途の願いをかけて見守ってきてくれた妻だった。だが、矢尽き刃折れて、このままでいけば、妻のほうが黄泉の国(生命世界)へ連れて行かれても何ら不思議ではなかった。しかし、従順な女は一転して強い天馬のごとき力量に溢れ、迫力ある女神へと変身する。
もうどうしても酒乱を許すことはできないと、手を変え品を変え積極化してくる。ときには「バシ!」と、鞭が音を立てて飛んできたこともある。今までの積もり積もったものが一気に突出してくるからその勢いは実に凄い。
悪鬼のような酒乱のやからも最後の砦を守ろうと、これまた必死の応戦だった。祖先累々の酒乱の亡者を呼び集め、かつまた、他界からも援軍を引き連れての熾烈な戦火の火ぶたは切って落とされた。
ここまでくると現実世界の領域を越して、霊界神界を交えての運命劇となった。そのころから私の母も妻の守護霊となり、援軍となって、妻は、この夫がわが子とばかり、腹を痛めたわが子なら、煮ても焼いても喰っても当然とばかり躍り出た。
継いでならぬぞ子々孫々
道をはずしたこの酒乱
きれいな生命をつなぐのが
これぞ人の子人の道
何んで退がらりょ酒乱の夫
許してくれよ今しばし
紅い涙もやるせない
呑んで食い入る一文字
キリッと結んだ口元に
キラッと光る神光を
淨めたまわんこの夫
妻は私を産んだ母親とも重なって動き出した。折りから雪は降りしきり、地上は見る見る白銀の光り輝く昼下がりのことだった。
神と魔の対決は時の休まることもなく、その後一〇年はあっという間の生命の運びとなってゆく。
夫は四六歳、妻も四六歳。後に妻は次のような声なき声の文字を残している。
雨だれの一粒にてもみたまは宿る
声となり言葉となりて世に残り
不思議な世界のつなぐ道となり
昭和五八年七月三日二時二六分
真実を見いだすこと
真実の道こそ他生の喜び重ねなり
正しく判断できる人こそ
限りなき幸せを生む
昭和五八年七月四日六時
われわれの目に見えぬ生命。その声なき声の沈黙の世界、その声を聞きいただき示す文字となって残されている。妻は、この文字のことをいつしか〝四十八字〟と呼んだ。
光り輝く一粒の雨だれその光の玉からは、烈しい生命の響きが伝わってくる。生きて何かを語ろうとする。その声なき声。そこには、奥深い生命の愛が響いているといえよう。(引用ここまで)
米の、いのちの光に近づけようとした妻の一心。
夫の汚れた心が、酒の親である〝米のいのち〟に純化できますように、また、人間の心の元となる、米たち一切の食物の生命世界に純化できますようにと、妻は一途に心をこめて夫の陰になり、日向になって守ってきた。
積み重ねてきた心の蔵(霊魂)を変えることは実に大変な仕事となるが、この心改めの大仕事も、すべて自分の力でやり遂げてきたと思いがちである。ところが、それは大きな誤りであることに気づくようになった。そこには多くの、共振共鳴する魂たちが集結するという、内的実在の世界があることに気づくのである。内なる魂たちの守りの世界があるという実在感である。
内在する霊魂世界では、酒乱を引きずる心に共振共鳴する霊魂たちは、改心して新しく積み上げる心に対して波動が合わず、守りの魂から押し返されて次第に離れて行くものである。
魂たちは、本人の心の向き(改心の方向性)がどちらに向いているかを灯台明かりとして、縁結びの舵取りをしてくれていることがわかるようになった。
亡き心ごころの働きを知る唯一のひびきは、現実に見る文字・数・色の波動媒体である。昨今、私は、数霊=数字によるメッセージ性こそ、亡き魂の表現媒体になっていることを実感できるようになった。
数霊は、数字によるメッセージ性といえるが、また、数字による意志エネルギーと考えてもいい。そのことはすなわち、数霊は霊魂の情報発信媒体であり、宇宙世界の共通語(造語)なのではないかとさえ思われてくる。
普段は気づきそうもない世界に、善性に引き上げてくれる霊魂と悪性に引き込む霊魂が、誰のいのちの中にも内在している事実に驚かされる。すべて縁結びの秘密は、自分自身のいのちの中にあった。善くも悪くも縁結びの神は、わが身の中から目を光らせているのである。
わがいのちは、天地に通じる送受信基地であり、今風にいえば、ライフ・インフォメーション(生命情報基地)といったところであろうか。
ここから、拙著の自分史『酒乱』を出版したときの、霊魂の動きを追ってみることにする。
断酒七年目に入った平成四年早々にかけて、自分史を残すことを思い立った私は、それまで文章や原稿書きには無縁であったにもかかわらず、書き始めると、八日間で粗稿を書き上げてしまった。
もちろんのこと、出版界とは無縁であるから、何をどうしたらよいかわからない。まずは出版情報を知りたくて図書館を訪ねてみた。
山と積まれている書籍の棚を夢中で探したが、出版の手立ては何一つつかめないまま立ち去ろうとして最後の棚に引かれるように目をやったとき、『百万人の出版術』という本に出会ったのである。私にとってはまさしく宝物となった。
こうして、MBC21という出版社を知ることになったのは、平成四年七月七日のことであった。それからというもの、毎日ノートから原稿用紙に清書することとなり、書き終わって、その会社を訪ねたのは七月二三日のことであった。
初対面の渡辺社長に図書館での出会いを伝えると、話は一気に煮詰まり、原稿を斜め読みの速読で概要を受けとめた社長から、「進めてもよい」という即断をいただくことになった。
帰りには、社長が執筆した小説『天皇の魚屋』をいただき、帰ってから読み込んでみると、それは史実に基づいた実話のようであった。
代々天皇の魚屋として、守り継いできた奥八郎兵衛の系譜が事細かに構成されている様子に読み入った。
ところが、天皇の魚屋は表向きであり、そもそもの系譜は忍者らしく、陰ながらに、天皇を守ることに身命を賭けている様子。その奥家、七代・八代・九代と、京の都から江戸までのことが書かれてあった。
史実に基づくこの小説から、奥家七代から九代までを系図に書きまとめてみると、ここではっきりと浮き出してきた、霊魂の叫びにも似た共振共鳴が発せられていることに気づくことになったのである。実に衝撃的な出会いであった。
出版社から契約のことを伝えられたので、急遽八月五日に上京し、実質上の出版手続きを開始した。その頃から急に何かが盛り上がるのを感じた私は、予定より三時間ほど早い電車で東京駅を出発した。帰宅したのは夕刻の五時頃であったが、すでに妻は夕飯を食べ終えるところであった。
食卓の上にあった容器の上には、食べ終えた大小二個の梅干しの種が置いてあった。それを見たとき私の目に映ったのは、「亀の姿」であった。そればかりか二個の種は、ほどよく「八の字」を描いていて、何かを言おうとしているようでもあった。
私は「亀の姿と八の字」を感じた一瞬から、内的に、それとなくうごめく何かに気づき始めていた。天皇の魚屋の八代目、奥八郎兵衛は、確か幼名が「亀次郎」であったのだ。
契約を終えて、予定を三時間も早く帰宅した私よりもひと足早く妻のところに飛んできていたのであろうか。妻のいのちの中で、何をどう伝えようとしたのか、「八代目の八郎兵衛が八の字となり、幼名・亀次郎の亀姿」となって、待って居てくれたのだと思った。
食はいのちである。食の次元は原子の次元、純真に澄み清められていて、魂が迷うことなく帰られる世界なのである。ピカピカ輝く食のいのちにこそ、魂の愛が息づくことができるのである。
生きる原点の食の次元で、梅干しの種に亀の姿を見せて、幼名「亀次郎」を示し、「八の字」姿に見せて、八代目の八郎兵衛をうったえるように待っていてくれた。さらにこの日、妻はもう一つの心結びの言葉(四八字)を発した。
「二一日でおさんあけだよ、しげる」(七時二一分)
と、いうのだ。妻は、「お父さんぐずぐずするなよ、お産明けだよ! お父さんの母だよ、母は二一日の命日なんだよ」というのだ。そして、その心結びの時刻が七時二一分なのであった。
断酒してから七年。新しい人生の扉は開かれて、まさしく〝お産明け〟となったのであり、二一分は、母の命日の二月二一日と共振共鳴していたのである。
出版社のMBC21と出会ってからは、いのちの中から何かを促されるように突き上げてくる動きが続いたのである。『天皇の魚屋』に登場する奥八郎兵衛の系図を作りすすめてみると、やけに二一の数霊が迫ってくる。次にそれらを列記してみることにする。
■佐藤夫妻が書いた「米の文字」が届けられた日が、昭和六一年一月二一日であった。
■妻の心結びの「二一日でお産明けだよ、しげる」は、七時二一分であった。
■天皇の魚屋の八代目・八郎兵衛が一〇月二一日亡(三四歳)。その妻・み乃は九月一二日(=二一)亡(三八歳)。
■九代目・延造の襲名披露が一〇月二一日。
■私の母は二月二一日亡。祖母二一日亡。伯母二一日亡。
■妻の祖母二一日亡。
などと、一気に開いた開花のようだ。そればかりか、すべてをまとめて代弁するごとくに、出版社がMBC21であり、出版発行日が平成五年二月二一日なのである。それはまた、母の本命日でもあるのだ。
ところが、それだけでこの話は終わらなかった。二一の数霊のあまりにも多いことで私は、その系図を作成して渡辺社長に速達便で送ったところ、不思議に思った社長は、電話をかけてきた。
「僕は二月二一日生まれなんですよ」
と社長は言う。私が、「私の母は二月二一日が命日です」と付け加えると、社長はびっくりして言葉を続けた。「いいことですか、わるいことですか」と、真剣に迫ってきたので、一切が善いことばかりですと、妻が言っておりましたよ、と伝えた。
共振共鳴現象はそればかりではなかった。社長は末子で父は漁師であるという。私の母は魚屋であり、私も末子だ。さらに、社長の執筆した『天皇の魚屋』が奇しくも魚屋の話であり、内なる霊魂の世界を押し開いてくれたようだ。
いのちの中では、魂が全方向性のひびき合いの中で、ピカピカ生き生きと働いている姿を、文字や数字を介して見せてくれている。
よく使われるアクセスという言葉があるが、内なる魂の世界でも、それと同じことがひっきりなしに起きている。出会いとか縁というものは、皆その霊魂のアクセスで成り立っている。生命世界の話であるから、草木や動物、その他あらゆる面で、いのちの光に乗った魂のアクセスが交信していることを私は信じている。
この世はいのちの聖火ランナーで、すべてがいのちの光で結ばれている。今の世は、IT社会であり、光ファイバー通信時代でもあるが、いのちの世界は、初めから森羅万象にわたり、いのちの光ファイバーで結ばれている。
だからこそ、波動が合えば共振共鳴し、感動の出会いや、思わぬ良縁を結ぶことが起こる。いのちと心を大切にするよう自分自身に言い聞かせて生きていきたいと思うのである。
「酒と米と魂の守り」一四八〜一六三頁
※1.引用(抜粋)部分を明瞭にするため、原文にはない空白行を入れた。
※2.それに続く文を改行し、文頭に一字下げを施した。
※3.話題の切り替わりの部分にも原文にない空白行を挿入した。
人類の魂(心性)の岩盤は一つ / いのちの霊脈を通って知らず知らずに流れていく
出典『神秘の大樹Ⅲ文字・数・色で証す新次元』「吉田茂の本と私」 p.203
ご縁は常に身近なところにやって来ている。待っているともいえよう。普段、そんなことにいちいち気を留める人はいないであろうし、大方は、ご縁の磁力を感ずることもなく通り過ぎていく。
生活するにはそれでいいのだが、共時性現象に関心を持つものとしては、誰も気づかないようなちょっとした触れ合いにも、「あれ」と息を呑んで心の目が開くのである。
何げなく心引かれるところには、実は何かがある。心を引っ張る一瞬には必ず何かがあるのである。
考え方を逆転させるなら、私たちの生体というのは、物性体(肉体)であると同時に、心性体(心)でもあるから、いわば、肉体一〇〇%であり、心一〇〇%という魔法まがいのようなもので、一生命体が二〇〇%で一体という魔訶不思議なことにもなるのである。
この二〇〇%のいのちは、さらに電気を帯び、磁気も帯びているから、プラスとマイナスの引き合いと押し合いが生じる。
常識で考えれば、物質一〇〇%のところには何一つ入らないのが当たり前なのだが、そうではないところがこの生命体の不思議。物質一〇〇%に、さらに心が一〇〇%、それも易々と同居しているのだから驚きである。自分というこの生命体は、心であると同時に肉体である訳である。
心ばかりの自分でもなければ、肉体ばかりの自分でもない。肉体であると同時に心でもあるという不離一体の姿こそ、自分の正体であると、私はいつもそう思っている。
いのちは両性
物性と心性
両極両性でいのち
いのちはバランス
両極両性でいのち
一元一体で二象体
不離一体・融合一体は
いのちの宿命
心だけのいのちはなし
肉体だけのいのちもなし
という具合に、生命体は、実に神秘に充ちた存在であるという思いが日を追うごとに強まっていく。
何も考えずに道を歩いていても、ふと心を引かれることや、嫌な思いを感じることも少なくない。それは、心にも肉体にも電磁波があるからだと私は考えている。
日頃から、心の積み重ねが、いのちの中にどんどん入っていく。その心の集合体が魂であると私は考えているから、どんな魂がどんな勢力圏を張り合っているのか、自分のいのちの世界に関心をもっている。
心が成長し、自分のいのちの中にそれぞれの色合いを持った心の集団をつくり上げてきた魂は、それをたぐっていけば、先祖がどうのこうのというよりも、人類全体を、さらにさかのぼれば、とてつもなく深く広い心性世界まで繋がっている。だから、人類は皆いのちの親子であるともいえる。極言するなら、人類の魂(心性)の岩盤は一つなのであり、一人ひとりの魂にもその岩盤が共存して共有している世界だと私は思っている。人類皆いのちの親子であり、心の親子であるともいえる。
そのことは取りも直さず、自分が暗い心やよくない心になればそれは自分だけの問題ではなくなり、他の人にもその暗い心や、よくない心が、いのちの霊脈を通って知らず知らずに流れていくということになる。一人でも多くの人たちが、明るく良い心で生きていられたらと思う。昨今の人類世界は現実に暗い面の映りが強く、戦々恐々としているのが辛く私に伝わってくる。
単独一体のいのちはなし
みんな繋がっているいのち
順々繋がっているいのち
世界はいのちで一体
魂はどこかに必ず繋がっている
共振共鳴で響き合う魂
霊脈を呼び起こせ!
良い霊脈を呼び起こせ!
(後略)
「吉田茂の本と私」二〇〇〜二〇四頁
◀︎◀︎◀︎上記の一部(計3頁)
心霊マグマの世界は
生死一体の魂のうごめく世界
出典『神秘の大樹Ⅳ田之助とミロクの亀』「後編—岐阜から帰還へ」 p.220
【一四一〜一四二頁】
(中略)
〝心あれば心通じ、心なければ心は通ぜず〟
この世もあの世も同じことであって、心あれば互いに心が通じ合います。また、心の波調波形が類似するなら互いに通じ合います。この世とあの世とが一つ異なることがあるとすれば、この世では、お世辞やおべんちゃらのように実際の心が無くてもあるように偽装することがよくあるようです。
ところが、この世の現実と魂(あの世=過去心)の交流にはそれがききません。あちら側からは決してお世辞で接近することは無いといえます。お世辞では心の共振共鳴は起きないのです。すべてあからさまなのです。魂になった心はそのまま現われてきます。が、今の心で急変偽装されない保証はどこにもありません。信ずる限界がここに出てくることになります。
ここで、心というものにちょっと触れてみましょう。心というのは、物質現象の磁気・磁波・磁性体であると考えられます。心は磁石のようなものですから、一過性の触れ合いで生じた心でも、自分の中に残留していて、それなりに働く原因となります。
(後略)
【一七五〜一七六頁】
(中略)
他人同士でも、心の中は
広い宇宙と同じなんだよ
仕切りがない
他人同士の肉体は個別に離れていても
いのちの中の
魂の次元では、
いわゆる心の世界は
実に単純にして
波動サイクルや
心の波形の類似性で
同調したり
反発したり、
繰り返しているんだよ
(後略)
【二一四頁】
(中略)
心には、新しい心(今世の心)、古い心-昔の心-大昔の心が、新旧混交して渦巻いているのです。そこを心霊マグマの世界(総合心霊=総合無意識)と呼んでいます。その心霊マグマ世界は、生死一体の世界です。わかりやすく言えば、亡くなった魂はすべてが心霊マグマの中で、生きているということなのです。
ところが、心霊マグマは、強大なエネルギー波動を持ってはいますが、泣いても笑っても、すべていのちに包まれ、いのちに統括されている心にすぎません。
(後略)
【二二〇頁】
(中略)
心霊マグマの世界は
生死一体の魂の
うごめく世界なのです
太古から
今日までの人間の心が
新旧混交して
渦巻いている
強大な心(魂・心霊)の
エネルギー波動世界なのです
(後略)
【二二五〜二二六頁】
(中略)
内は外なり
外は内なり
内がなければ外はなし
裏がなければ表なし
いのちの中を
学べ学べ大いに学べ
心はこの世の土台だぞ
いのちの中は大宇宙
いのちの外も大宇宙
(後略)
「中編—鹿児島から三重へ」
「後編—岐阜から帰還へ」
「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。
いまを生きている自分(あなた)自身の存在こそ、肉体をまとい、服を身につけている霊魂そのものだという。 霊魂というと、わが身の外に存在し、わが身の外で起きる「現象」と考えがちだが、そもそもそれは、私たちのからだやこころに内在し、わが身の中で起きていることがらなのである。
文字・数・色は人間の意思だけではなく、生死の境やほかの生物などと境なく、いわゆる「霊」や「魂」の意志性を代弁している。 共時性現象(=偶然の一致)は、それを認識させてくれると同時に、一人ひとりに対するあたたかい道案内の現象だと伝えている。
酒乱から脱却し、自分のいのちに目覚めて間もない著者が、心おもむくままに訪れた旅先で次々と出会う「亀」。体験の記録を、第2巻と共通するシナリオ形式のコミカルな物語として展開し、縁は単なる偶然ではなく、宇宙根源に根ざす生命の本質(真性魂)による道案内だと伝えている。