「生命」の真実
共時性は人間の根幹、生命の本質が関わることがらです。私にとって共時性とは、自分のいのちと向き合うたいせつな指標や指針のひとつ。それ以上でもそれ以下でもありません。また、自分以外のだれかに思想や信条などを強要することは、厳に慎まねばとおもいます。
しかしながら、人の「こころ」や「いのち」という、つかみどころのないものが、今も昔も、そして今後も、重要な命題であることにきっと変わりはありません。ここでは、平和の問題と共時性現象をとおして見える普遍的なことがらのみ、理論的考察ではなく、じぶんの生活経験にもとづいて述べたいとおもいます。
青く澄んだ
いのちの星
われらの “地球”
地球初の洗礼
原爆の傷跡まだ癒えず
人類初の洗礼 “広島”
原爆の傷跡まだ癒えず
そして “長崎”
地球も広島も長崎も
魂の傷跡いまだ癒えず
広島の
元安川の
元安橋に降り立った
“一羽の折鶴”
平和のシンボル “折鶴”
万霊が集いに集う元安橋
元・安らぎの川原に集う万霊万魂
万霊集う平和の集い
元・安らぎの元安橋に
一羽の折鶴が降りた
平和の折鶴が降りた
『神秘の大樹 Ⅱ ヒロシマとつる姫』(p.25~26)
ある山形の夫婦は、友人から見せられた新聞記事の切り抜きで、日月神示、岡本天明、広島絵画展の存在を知りました。いくつかの偶然が重なり、一気に広島への旅程が具体化したことで関心は増します。当時すでに亡くなっていた岡本氏の故郷「倉敷市玉島」への墓参を兼ねた旅となります。そして絵画展開催の8月6日。広島の「もとやすばし」の上で小さな一羽の折鶴を発見します。昼食のために入った食堂で、何をおもったか、折鶴をひらいてみた瞬間のことでした。「あっ……と息を呑み、ざわめく昼の店内は、しばし、時が止まった」(書籍『死んでも生きている いのちのあかし』たま出版)と、そのときの衝撃を表現しています。共時性現象の要点は、次のとおり。
広島・岡本天明絵画展の会場を後にした山形の夫妻により、橋の路面から拾い上げられた小さな折鶴。衝撃を受け、もういちど会場へと戻った二人は岡本夫人に起きたことを伝え、折鶴はその手に渡った。折鶴は、16年間、ずっと岡本夫人とともにあり、夫人が亡くなる半年前に上の夫婦の元に送り届けられている。※各々の説明参照
共時性現象の体験記録をもとに、生命の本質は不滅だと伝えている。 酒乱人生から夫婦二人三脚で新たな人生を再出発させた著者。自らの足元を照らすかのような共時性現象の記録を随想としてまとめている。また、本の表紙を飾る稲穂はこの著書の本質を象徴している。
いまを生きている自分(あなた)自身の存在こそ、肉体をまとい、服を身につけている霊魂そのものだという。 霊魂というと、わが身の外に存在し、わが身の外で起きる「現象」と考えがちだが、そもそもそれは、私たちのからだやこころに内在し、わが身の中で起きていることがらなのである。
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平成5年8月6日の広島平和公園で出合った一羽の折鶴は、「倉敷市玉島」と印刷された広告で折られていた。その地名は「日月神示」で知られる岡本天明氏の出生地。縁結びのしくみを、「心のつる草」など比喩を用いた物語を織り交ぜて表現している。