共時性と因果性
「われわれが五感を通じて知る世界は、いろいろな事物に分割され、部分化されているが、それらのものは暗在系[※]に対する、明在系であり、明在系においては、外的に個別化され無関係に存在しているような事物は、実は暗在系においては、全き存在として、全一的に、しかも動きをもって存在している。」(p.58)
[※]理論物理学者のデイヴィッド・ボーム氏が、人間の知覚世界を説明する際に使用した言葉「暗在系」(implicate order)。「物質も意識も暗在系を共有している」と述べた。
このように、心理学者・心理療法家である河合隼雄氏は、著書『宗教と科学の接点』のなかで理論物理学者のデイヴィット・ボーム氏(米国)のことばを引用し、人間の知覚世界を説明しています。それを視覚的なイメージとしてきわめて単純に表現すると、下の図のようになると考えられます。
ことばの上では、対立的もしくは並列的な印象のある因果性(ある原因がそれに対する結果としてあらわれるような性質)と共時性ですが、じつはそういう関係ではないようにおもいます。科学が一般的に「因果性がある」と認めているものごとの性質は、「氷山の一角」のようなものであり、私たちが認識していないところに、あらゆる現象の背景があるのではないでしょうか。
「旧知の方が訪ねてきた。祖母の代から使役してきた黒牛の話に一段と熱が入った。身代の基礎を作り上げたこの家の黒牛は、正しく家宝として親子代々にわたり飼い続けたという。ことのほか、この黒牛には思い出が深いという。胸を詰まらせて語ってくれたその方に、私は茶菓子を出し、お茶碗を手渡したその一瞬、数滴がこぼれた。なんとそこにありありと浮き出たのは…(後略)」(出典:写真・文ともに『いのちの顔』より)
以下の3つは河合隼雄氏の同著書から抜粋したものであり、同じくD.ボーム氏の見解を引用しています。
「輝く茜雲に後ろ髪をひかれる思いで振り向いたとき、目の前に刻々と姿を変える雲を見た。他の雲よりひときわ動きのはやい龍の体のような姿にハッと心を奪われたご仁は、素早くカメラに収めたが…(中略)その雲の姿は、あまりにもリアルで、そして、亡くなった桃太郎の姿にそっくりであったのだ。雲となった犬の目は、生き生きとご仁を見据え、さらに口元では、何事かを語りかけている姿に見受けられたという。」(『神秘の大樹 第3巻 文字・数・色で証す新次元』より)
自然現象は、その背景において、共時性の発生に関与する霊的(心の発生源的)な領域[※](ボーム氏の言葉を借りると「暗在系」)を共有していると考えられます。そして、とくに科学的な論理・法則によって割り切れる物理的な領域が因果性であり、科学的な論理・法則だけでは全貌をつかみきれない領域が共時性ではないかと考えます。[※「体と心の相関性」に記述]
上の図2は、両者の関係をあらわした図1 “氷山の一角” を、いわば “上空から見て” 象徴化した図です。中心部分である科学的な因果性は、自然現象の性質のなかでは、条件を絞りこんだときに当てはまる比較的限定されたものではないでしょうか。自然現象全体からすると、いまの科学が解明できていることがらはごくわずかだといいます。全体的・大局的に自然現象をとらえたとき、それほど乱暴な考えではないとおもいます。
文字・数・色は人間の意思だけではなく、生死の境やほかの生物などと境なく、いわゆる「霊」や「魂」の意志性を代弁している。 共時性現象(=偶然の一致)は、それを認識させてくれると同時に、一人ひとりに対するあたたかい道案内の現象だと伝えている。
この “いのちの顔” は、主に、雲を筆頭にしたものが多くなっている。客観する皆さんには、必ずしも ”顔” や ”ある形” に似ていると思うかどうか、(中略)。俗に、偶然の出来事として、面白おかしく取り沙汰されていることでも、私にしたらとんでもない関心の高い領域であるから、子細なことでも記録に残してきた。この体験記録を改めて観ていると、そこには示唆や啓発に富んだ情報の多いことに気づかされる。(まえがきより抜粋・随想写真集)