書籍『富士山と雲と神様』/このページでは、この本について詳しく紹介します。下の目次のうち「スライダで閲覧」という項目はスクリーンリーダーに対応していないため「本文からの抜粋」のご利用を。

本の概要

この世のすべてが心性エネルギーに満ちているという生命観=宇宙観からうまれた物語。ヒトは万物霊長の存在と言われるが、著者は万物霊の視点で生命世界を観ている。ともすれば私たち人類はあらゆる生物の頂点に立つ最も優れた存在であると勘違いしがちではないだろうか。本作は子どもから大人まで読んで理解できる内容になっている点で、ほかの著作とはひと味ちがう作品。ごく短いものも含め全20話に分かれている。

 

 

印刷版:全143ページ
おりづる書房、2016年

 

本文からの抜粋

目次

 

第六話までページ画像で閲覧可)

はじめに
第一話  ニワトリセン太の独り言
第二話  富士キツネと雲タヌキ
第三話  赤富士は下戸富士
第四話  鳥居は天の文字
第五話  富士太郎の旅姿
第六話  富士に咲いた髪長姫
第七話  SL富士号 宇宙探訪
第八話  真昼の夢 雲のエビフライ
第九話  タコとサケの珍道中
第十話  富士山と火の鳥
第十一話 四つの玉雲と富士山
第十二話 細胞からの三つの願い
第十三話 富士シアター・星々招待
第十四話 フジ子姉さんと峠の孟宗爺さん
第十五話 富士神様の愛用帽子
第十六話 富士ヘリの夢
第十七話 カマキリライダー富士をゆく
第十八話 火の神と水の神の郷愁—— 宇宙は二層の卵
第十九話 フジ子姉さんと雲右ェ門
第二十話 富士は神
おわりに

 

 

第十三話
富士シアター・星々招待

 

 昔むかし、その昔、人々は天に感謝し、大地に感謝しながら、稲作に精を出しておりました。
 ここは豊葦原の瑞穂の国です。米作りには恵まれているといわれています。山並みはどこまでも深く、冬になればその山にたくさんの雪が積もり、春ともなれば、里の田圃に豊かな水を届けてくれます。
 かつては、農家の人々が働く田圃のまわりの小川には、鶴などの鳥が当たり前に、ドジョウや小魚をついばんでいたのです。米を作る彼らとともに、安心して生きてきた姿があったのです。
 この豊葦原の瑞穂の国、すなわち日本は豊かな水と、多くの生き物たちに恵まれております。その水源を守る深い山々が連なる島の中ほどには、日本一高く、美しい富士山がそびえております。
 富士の神様は、女神のサクヤ姫であります。いのちの水を守りつづけてくれております。
 今は、昔とはちがって、田圃に鶴などの姿は見られませんが、農人の体の中には、鮮明な記憶となって残っております。山があって、川があって、そこに田圃がある、そのことは農人ならずも、万人のいのちに刻まれている、いのちのふる里なのであります。しかも、米は、いのちの主食です。
 いのちのふる里である日本の中央には、富士山がそびえております。世界の宝と認められたことで、富士の神様であるサクヤ姫は、ハタと考えたのでございます。世界遺産となったこの喜びをひとつの節目として、地球はもとより、宇宙の星々のみなさんと、その喜びを分かち合いたいものだと思われたのでございます。
 ちょうどそんな頃のことでした。富士の神様が、宇宙の星を見渡していた時、例によってカメラマンの田之助が、何やらパチリ、パチリと写していたのです。
 富士の神様は「それはきっと〝私と雲〟を撮っているのでしょう」と思ったのでございます。
 さっそく田之助にテレパシーで訪ねると、すぐに反応がありました。
「サクヤ姫様、よくぞお気付きになられました。たいそう気になる一枚が撮れまして……。サクヤ姫様にぜひともお伝えしたいと思っていたところでこざいます」
 富士の神様にしてみれば、世界の宝に登録されたこの喜びを、宇宙の星々の皆さんと共に分かち合いたいと思っていた矢先のことでしたから、田之助の写真の話は、どうにも気になるものでした。
「その気になる一枚とは、どんな写真なのか知らせて下さいな」
 そういうサクヤ姫様の言葉に、田之助は、胸がわくわくしてきました。その時、田之助の頭に、新しい考えが浮かんできたのです。
「サクヤ姫様。喜びを分かち合うというのなら、宇宙の星々の皆さんをこちらに招待して、私の撮影した一枚の写真で、バラエティショウを催されてはいかがでしょうか」
 田之助からこれを聞いたサクヤ姫様は大変驚きました。同時に、またとないチャンスとも思ったのでございます。
「田之助さん、これはうれしい話です。私も大賛成です」
 サクヤ姫様は少女のように喜んでくださったのです。田之助は責任の重さを感じはじめていました。
宇宙には何千億と星のいのちがあります。それらの星々の皆さんを招待し、しかも一枚の写真で喜びを完結させようと考えたのですから地に足がつかない状態であります。
 そこで田之助は考えました。そうだ、宇宙の各星座の座長を招待するのがよかろう、そう思ったのであります。
「サクヤ姫様。宇宙の皆さんはむずかしくても、星座の座長さんをご招待するなら、話は早いと思いますが…」
そう田之助が伝えると、サクヤ姫様は、それが一番だと思われました。
「それが一番でしょうね。でも宇宙には、どれほどの星座があるのでしょう」
とたずねられました。
 そこで田之助は、宇宙のネットワークにアクセスして調べた結果……「驚いた‼︎」、田之助の全身に電撃が走るほどの感動を受けたのです。星座の数は、〝八十八〟であったのです。八十八という数字のあらわす意味は、田之助にとって〝米〟以外の何物でもありません。米の数霊かずだまは八十八です。人類のいのちを守る主食は〝米〟であります。
〝稲穂の実りは億万年 人類栄えの糧となる 米が光れば皆光る〟
 八十八星座はいのちの、米の光が全宇宙に輝いていることを明らかに示しています。宇宙の四方八方は、米の文字で彩られ、照らされているのであります。
 そして豊葦原の瑞穂(稲穂)の国の中心に立つ富士の神様であるサクヤ姫は、稲作の守り神でもあります。稲作を守る〝火と水の神様〟サクヤ姫も、八十八星座ときいて、全宇宙に遍満する米(八十八)の光に圧倒されておられました。
「私は胸がつまる思いです。宇宙が米の光で満ち満ちているとは。富士の神として生まれた私は、幸せの極みです」
 サクヤ姫は、涙をにじませて、こうおっしゃいました。
 宇宙が米の光で充ちあふれていることを知り、田之助は、お役目ですと心を引き締め、神様の助手をつとめてバラエティショウの準備を進めていきました。まず、〝富士シアター〟を開設して、初代の館長にサクヤ姫についていただきました。
 そしてショウのテーマを「いのちの饗宴・雲のバラエティショウ」と決めました。ショウに出演するのは、富士山の麓にある雲スクールの生徒たちであります。校長の雲右ェ門は喜んで引き受けてくれました。
 いよいよバラエティショウ当日。平成二十六年(二〇一四年)十一月十八日の夕刻でありました。ショウに招待された星座の座長八十八名は、快く参加を決めてくれました。上映に先立って、サクヤ姫からのあいさつがあり、次に各星座の座長たちの紹介が始まりました。そして「しし座」の番にきた時のことであります。
 天地が一瞬にして無音となり、天からエコーが鳴りひびき、淡い鈴の音と共に、天の声がひびきわたったのでございます。
「富士のサクヤ姫よ、おめでとう。美貌に安住せず、いのちの大調和を心して守れよ。わしも祝福いたすぞ」
 そして天から一斉に金粉、銀粉がキラキラ輝きながら降り注がれたのであります。それは宇宙創造の〝いのちの親さま〟からの、慈愛の光でありました。
 ちょうどこの日は、しし座流星群が出現する日でもあります。全宇宙には、いのちの光が通い合っております。絶え間なく、共振、共鳴のいのちの光で結ばれているのでございます。
 紹介をつづけるサクヤ姫は、涙を浮かべて声をつまらせながら、深々と頭を下げて感謝の意をあらわしました。その後、八十八名の座長たちの紹介を、すべて終えることができました。
 華やぎの中でいのちの饗宴〝雲のバラエティショウ〟も大団円をむかえ、ここで田之助の提案により、八十八名の座長たちと一緒に「米さん音頭」を合唱してお開きとすることになりました。

一、オーイ
米はいのちだ
いのちの米だ
一年一度の
米作り
ソレホントに
ホントに
米作り

二、オーイ
米はいのちだ
いのちの米だ
米の恩恵
富士の山
ソレホントに
ホントに
富士の山

三、オーイ
米はいのちだ
いのちの米だ
生かす力の
愛ばかり
ソレホントに
ホントに
愛ばかり

四、オーイ
米はいのちだ
いのちの米だ
ご飯みそ汁
日本食
ソレホントに
ホントに
日本食

五、オーイ
米はいのちだ
いのちの米だ
米を守るは
人の知恵
ソレホントに
ホントに
ひとの知恵

六、オーイ
米はいのちだ
いのちの米だ
米を作るは
山川田んぼ
ソレホントに
ホントに
山川田んぼ

七、オーイ
米はいのちだ
いのちの米だ
末代までの
宝です
ソレホントに
ホントに
宝です

 米さん音頭は、宇宙いっぱいに響きわたりました。これでバラエティショウも無事終了することができて、気分も新たに座長八十八名は宇宙に輝く〝米の光〟を心に刻んでお帰りになられたのでございます。
 それから数日後のことでした。八十八名の座長を代表して、しし座の座長から感謝の思いも厚く、八十八星座の紹介文が届けられたのでした。
その夜、サクヤ姫様から預った八十八星座の紹介文を胸に抱き、満天に輝く星空の中、田之助は〝食なくて何の己がこの世かな……〟と繰り返しながら、生きる原点に心を合わせて、家路につきました。

*一九三〇年、国際天文連合は、全天に〝八八星座〟を設定した。
出典=藤井旭著「全天星座百科」河出書房新社

 

 

第十四話
フジ子姉さんと峠の孟宗爺もうそうじいさん

 

 その日は、空気がひんやりと澄み渡り、気持ちのよい昼下りでありました。
 駿河のフジ子姉さんは少々退屈気味で、里の方をぐるりと見渡していると、峠の孟宗爺さんが何か言いたげな素振りで、こちらに視線を向けてきました。
 フジ子姉さんが声を出しかけたその時、一瞬早く、孟宗爺さんがあいさつをしてきたのであります。
「今日は天にチリ一つなく気分上々でフジ子姉さんにごあいさつできるのが、うれしく思います。ご機嫌いかがでございますか」
 峠の孟宗爺さんは、日に日に老いも深まる中で、いつになく若々しくあいさつをしてくれました。
 フジ子姉さんにとっては、なんとなく気になる、孟宗爺さんであります。
「孟宗爺さん、お元気そうで何よりです。今日はなぜか私も、特別に燃え上る気分なの。どうしてかしら……?」
 普段は長話をすることなどありませんが、今日は少し退屈気味ということもあって、フジ子姉さんはやけに話しこみたい気持ちが湧いてくるのでした。
 でもこれはどうして、どうしてなのだろうと、フジ子姉さんは自問自答をつづけておりました。
 孟宗爺さんは勘のいい人ですから、フジ子姉さんの胸の内を先刻から察知していたようです。
「フジ子姉さん、わしはなあ、年をとると視力が衰えると思っていたんだが、どうもその逆もあるようで。この頃、視力が冴えているんだ。
 今日のフジ子姉さんは、際立って美しく見えている。お世辞なんかじゃない、本当に見直しました。フジ子姉さんは永遠の美人です」
 孟宗爺さんは本気でそう思ったことを、そのまま伝えたのであります。すると
「孟宗爺さん本当かしら。そうだとしたら、孟宗爺さんが若返ったのではないかしら。幸せなことでございます」
と、フジ子姉さんにすかさず切り返されたのであります。
 孟宗爺さんは返す言葉が直ぐに見当らず、話題を世間話に変えました。
「フジ子姉さん、四月から五月にかけて大変忙しかったのではないですか。里では、祭りの行事で連日の大賑わいの様子。その間、富士の神様は、里の社にお出かけなされたのではないかと」
 たしかにフジ子姉さんは、祭りの数日間は普段着から神の衣に着替えをされて、里に降りておられました。
「そうです。孟宗爺さんは、祭りに来られたのかしら」
ときかれた孟宗爺さんは、ハタと言葉に窮したのであります。
「今年は……行きませんでした。子供や孫たちにせがまれたのですが、なぜかその気になれなかったのです」
そんな話を聞いたフジ子姉さんは、不審に思いました。
「あれ、いつもの孟宗爺さんらしくもない。いつもなら好奇心いっぱいで出かけるものを。どこか具合でも悪かったの?」
孟宗爺さんは自分でもその気持ちがなぜだったのかすっきりせず、心にメリハリをなくしていたのです。
「いや、足がしぼんでしまって……」
 そう言うと、孟宗爺さんは口ごもりました。たしかに、忙しさも重なってはいたのですが、強いて言えば、あのニワトリの一件が、足を向けにくくなった原因でもありました。
 そのことをフジ子姉さんに話しかけようとしたその時、一瞬早くフジ子姉さんが話し出したのであります。
「孟宗爺さん、私は何かうすうす感じていたのよ。今年の正月すぎに、里の社にニワトリがいたことは、孟宗爺さんも知っているでしょ。あのニワトリ……」
 ここで急に孟宗爺さんが、話をさえぎりました。
「ニワトリが居なくなったのさ。あのニワトリのセン太が。風のうわさでは排除されたのだとか。わしが大いに気に入っていたニワトリのセン太が……すごく残念で心苦しいのさ」
 そのことを聞いたフジ子姉さんは、話し始めました。
「孟宗爺さんセン太のことは私も知っています。ある日、小さなヒナ鳥が里の社に捨てられて、そこで自立して逞しく育ってゆくのをわたしは、よく見ていました。野犬や野良猫に襲われたりして、命がけで生きていたのです。
 そのことを知った私は、ニワトリのセン太にこう言いました。
『これからは、社の姫が里親になるから、安心しなさい。苦しく、寂しい時は、私を呼んでね』と。こうして私は、セン太の里親になったのです」
 孟宗爺さんはこの話を聞いて、胸が熱くなりました。
 今、社には、セン太はおりません。でもここで二人の話題が重なったことで気分をよくした孟宗爺さんは、フジ子姉さんのプライバシーに口を出してしまったのであります。
「フジ子姉さんが里親になったこと、セン太の奴は本当にうれしかったでしょうな。セン太は今、神さまのふところに抱かれているのです。わしからも、お礼を申し上げます。ありがとうございます」
 ここでよせばいいのに孟宗爺さんは、ぶしつけな質問をぶつけてきたのであります。
「ところでフジ子姉さんには、お子さんは何人おられるのでしょうか」
 たずねられたフジ子姉さんは、急に体温が上がったようです。
「どうしたのよ、孟宗爺さん。わたしが独身であることは百も承知でしょう。そんなことは聞くものではありません、私は永遠の淑女なのよ。孟宗爺さんがそれこそ〝妄想爺さん〟になっていますよ」
 少しあせった孟宗爺さんは、話の軌道修正をしようと、自分のことを切り出しました。
「すまんすまん、フジ子姉さんを怒らしては大変なことになります。いのちがたぎる火の情熱の持ち主ですから……。わしは子だくさんなことで知られているように、子や孫たちのことを平気で話すクセがありましてな。孟宗竹のようなもので、春ともなれば雨後の筍のようにたくさんの子供たちが生まれてくるものですから。ついつい、子供のことをききたくなって、失礼しました。お許し下さい。それにしても、フジ子姉さんにはれします。端正で、毅然としていて、永遠の美の淑女です。この世の主役です。わしらは脇役となって、主役のフジ子姉さんを一層引き立てようと心がけていきます。年老いた孟宗爺ですが、精進の心構えは胆に銘じております。主役と脇役は、いのちのコンビだと思っておりますから、これからもよろしくお願いいたします」
 改まった孟宗爺さんの言葉を聞いたフジ子姉さんは、これほどまでに、孟宗爺さんが日頃から自分を守ってくれていることに、気づいたのであります。
「孟宗爺さんありがとう。今日は久しぶりにお会いして、話がいろいろに飛びましたが、私は孟宗爺さんが思っているような美人ではありませんの。何しろ冬ともなれば、雪の厚化粧で整えていますが、春ともなれば……ほら、この通り色黒で、流れた小皺こじわが線を引いているのだから。ほんとうは春になるのがこわいの」
 そう聞いた孟宗爺さんは、この話をどうやって収めたらよいものかと心がぐらぐらと揺れたのであります。
「フジ子姉さん、わしは決しておべっかを言っているわけではありません。心底、尊敬しております。フジ子姉さんは、化粧したお顔と素顔のお顔、どちらの美しさも一体となったお方なのでございます。わしは、大好きです。孟宗爺は〝妄想〟で言っているのではありません。主役のフジ子姉さんは、敬愛の的でございます」
 孟宗爺さんは真剣に答えました。その時。天地にとどろくエコーが鳴りひびいたのであります。天が二つに割れたかと思った時、それはぴたりと止み、天の声が降りてきました。
「フジ子よ、主役、脇役はこの世の仮の姿。共に光の玉を持っているのだから、互いにいとおしく思えよ」
 そういうと、天の声はぴたりと止みました。天地一切いのちの親さまのお声であります。
 ここでフジ子姉さんは改めて神の姿に戻り、孟宗爺さんは孟宗竹の姿に戻り、いのちの絶対調和を知り、どちらにも偏ることなく、調和無偏むへんを心に刻んだのであります。

 
 

第十八話
火の神と水の神の郷愁 —— 宇宙は二層の卵

 

 天青く静かに澄みわたったある日のこと、火の神様である富士山に、雲に乗った水の神様が訪ねてこられました。火の神と水の神は、元神様の双子のお子でございます。火の神様、水の神様という二大生命エネルギーは、いのちのルーツの原点でありますから、太古の宇宙時代が懐かしく湧き上ってきたということでございます。火の神様、水の神様は話に花を咲かせ、懐かしい原始の宇宙時代を語り始めておりました。
 火の神様、水の神様の知っている、宇宙の原始の姿は、外宇宙と内宇宙からできている二層の卵であります。それは精神宇宙と物質宇宙の二層であり、煉りに煉られて時空を超えて、いのちの末裔である人類に至るまで、一三七億年というはるかなる道程みちのりのドラマであります。〝燃えて燃えて火の神燃えて 鎮めて鎮めて水の神 二大生命煉りに煉る〟。大調和のいのちでございます。
 富士山で出会った火の神様と水の神様は、いのちのふる里が懐かしく、原始のいのちが懐かしく、太古の宇宙への追憶に思いをはせるのでありました。火の神様、水の神様の語りを以下にまとめます。

太古の宇宙からの神の誕生

 太古の宇宙。それは時空を超えた世界、生命の洪水であった。
 暗黒の渦は沈黙の轟音の中で煉りつづけられている。
 何かを創成しようとする恐ろしいほどのエネルギーが、次第に無気味さを加えながらあやしく輝くさまは、神の誕生そのものだ。神は悶え喘ぎ、苦しみながらも生命を形づくろうとする。
 だがその精進や努力は、地獄の中に吸いこまれ、打ち消されていった。
 神は、生命を生み出す重圧にあらがうすべもなく、ただ日は打ち過ぎてゆく。
 神にまさる力とはいったい何なのか。それは、魔の霊力である。太古の宇宙でみられるのは、暗黒の中で繰り広げられる、二大生命エネルギーの巨大な渦潮だけであった。そこには始まりも終わりもなく、時を超え空間を超えて、ただ巨大な生命の渦だけが激しさを増してゆく。そしてその両極にあるエネルギーが、何かを目指していく。二大生命エネルギーとは、具現化のための「生成エネルギー」であり、それを破壊しようとする「消滅エネルギー」であった。この二大生命エネルギーの進化と退化のドラマが、太古の宇宙の生命世界であった。
 生成と消滅のドラマが一〇〇億年単位のもとでくりかえされることが、宇宙の新陳代謝である。この巨大宇宙では、はっきりとした「意志の存在」を否定することはできない。その意志とは? それは新しきものを造り出そうとする創造の意志である。それはまた宇宙生命ご自身の一大進化の幕開けでもあった。

二大生命エネルギーの拮抗

 この二大生命エネルギーの潮流の拮抗は、絶えることなく続いていた。だがその進化の中で、両極のエネルギーには次第に勢力の転換がみられるようになった。その頃、巨大原始宇宙は無数の胎児を宿していた。
 原始宇宙時代の二大生命エネルギーの勢力は、消滅エネルギーが「六」で生成エネルギーが「四」の対比であった。ところが宇宙生命の進化が進むにつれて、その勢力比が五対五に変り、消滅エネルギーは次第にかげりをみせ始めていった。
 さらに進化の歩みは止まることなく、ついにその勢力は逆転することになった。生成エネルギーが「六」で消滅エネルギーが「四」となったのである。と同時に、この暗黒宇宙には、多くの光明が輝き始めた。生成エネルギーが消滅エネルギーを凌ぐ勢力となり、無数の星々が創造したからであった。それは、物質宇宙(内宇宙)の夜明けであったのだ。

いのちの両輪を思う

 光り耀かがやく現宇宙は、生命進化の絶頂のようにもみえる。だが、陰の存在となった消滅エネルギーは、決して油断ならぬものだ。なぜか? それは絶対調和安定エネルギー(外宇宙の根本エネルギー)の統御下で、すべての潮流は動いているからなのだ。
 地球は青く澄みわたり、太陽は黄金に輝きみち、神の饗宴に湧く我らの宇宙。それは物を育み、愛の加護を告げてくれる生命の生成力である。だが、その育ての愛がこの世にすべてとなることは決してあり得ない。
 常に生成と消滅という両極の中で、消滅エネルギーの存在はなくてはならない牽制カである。だが、消滅エネルギーがむやみに増大すれば、暗黒の道へと転換することになる。
 生成エネルギーを進化の道とする時、それは〝神(光明)〟であり消滅エネルギーを退化の道とする時、それは〝魔(暗黒)〟と呼ぶことができるであろう。
 神と魔は、生命の表裏一体の存在であり、決して切り離すことはできないものだ。不離一体、融合一体で、相互に関係しあった〝いのちの両輪〟なのである。神の勢力が優勢であるのは、光明宇宙の原理であり、消滅エネルギーが増大すればこの原理は崩れ、この世から星星が消えてゆくという太古の暗黒時代に還る流れとなる。だが、それは宇宙再生の暗黒のドラマなのだ。生あるものは必ず消える明暗のドラマなのである。早かれ遅かれその中には、この世の一切が入っているのである。

 物質宇宙(内宇宙)にも寿命があり、人間の寿命と変わりはない。たかだか一〇〇歳ほどの人間の寿命サイクルとは違ったとしても、物質宇宙(内宇宙)でさえ、二〇〇億年ほどの単位で生成・消滅をくりかえすのであろう。
 暗黒から光明へ、光明から暗黒へ……、生まれて死んで、死んで生まれてを繰り返す。死は消滅であり、生命体から元素へ、元素はまた生命体へと生成(再成)するのである。
 死(消滅)は厳粛にして尊く、生命存続のバックボーンなのだ。
 ここで一息ついて、一篇の詩を挿入します。

「生と死と八分咲」
死ぬのはいやだ
死にたくないよ
無情の風が吹きすさぶ
あの人この人いつしか消えた
やがてくるくるおいらの番が
無情の雨は音もなく
死んで消えゆく定めとて
辛いよ怖い未練が残る
病んで死ぬならなお辛い
連れて行ってよ
死のない国へ
どうか神様たのみます
聞かれた神様
二つ返事でつれ去った
連れてこられた死のない国へ
ここは天国極楽浄土
病がないから医者いらず
百歳すぎて千歳すぎて
万歳すぎて溢れるいのち
魚は泳げず飛ぶ鳥飛べず
草木はギシギシ人は動けず
助けてください
死なせてください
連れて行ってよ
死なせる国へ
どうか神様たのみます
聞かれた神様
二つ返事でつれ去った
死なせる国は
七色八色
寿命の花が咲き乱れ
不足と思わず八分咲き
草木の花は八分が見ごろ
いのちの食は八分が薬
人の交わり八分が手頃
せめて寿命は八八米寿
お前もおれも無理せず八分
文明文化は急がず八分
二分はいのちの潤滑油
余裕で生きる八分咲
この世は天国八分咲
   * * *
 物質宇宙(内宇宙)の生成・消滅の二大生命エネルギーが調和安定するには、それを統御する根本エネルギーの存在が必要である。それが「外宇宙」である。
 だからこそ宇宙は、〝外宇宙と内宇宙の二層の卵〟である必要があるのだ。外宇宙は「精神宇宙」であり、〝絶対調和意志エネルギー〟が、その根本エネルギーである。それは絶対静の、絶対無(ゼロ)の慣性場である。
 外宇宙は精神宇宙であり、調和意志エネルギーなのだ。ゼロという安定に還るための代謝エネルギーなのである。
〝生成は火の力で消滅は水の力〟と表現することもできる。〝火と水〟は、まさしくいのちのふる里なのである。

 
 

第十九話
フジ子姉さんと雲右ェ門

 

 カラスの小太郎が、一通の手紙をくわえて富士山麓の雲スクールに向って飛んできました。カメラマンの田之助から頼まれて、雲右ェ門校長に届けに行ったのです。
 ようやく校門前に着くと、折よく外出先から戻られた雲右ェ門校長とばったり出会いました。お互いに昔からの顔馴染みですから、直ぐに雲右ェ門校長が声をかけてくれました。
「小太郎君どうした?手紙を持ってきたのかね」
そう聞かれたカラスの小太郎は、
「はい、田之助からの手紙です。雲右ェ門校長先生からの返事をいただいてくるようにと、言われたんです」
と、手紙を手渡したカラスの小太郞は伝えました。受け取った雲右ェ門校長は、カラスの小太郎を校長室に待たせておいて、手紙の内容を読み始めました。


雲右ェ門校長殿
 ご機嫌いかがですか。長らくご無沙汰いたしました。暑さも盛りとなり、毎日がご多忙のことと存じ上げます。
 ところで、夏場になると心配なのが、フジ子姉さんのことでございます。
 雲右ェ門校長とは、従姉同士にあたるフジ子姉さんは、地球誕生以来の同志として、ご活躍されておられます。ご両人は、火の神様、水の神様の末裔として、元神さまからは、地球の特命大使を任命されておられます。
 そのことを知っている僕は、この頃めっきりフジ子姉さんのうつむき加減の寂しそうなお姿を見るにつけ、心が痛みます。毎年のことですが、今年は特に暑さが厳しいこともあって、とりわけ痛々しいのです。夏場の二ヶ月間は、あまりにも長く感じられてなりません。そこで思いついたのは雲右ェ門校長にお願いをしてフジ子姉さんを元気づけるために、一肌脱いでいただくことてす。以下にそのご提案申し上げる次第です。
 雲スクールの生徒たらによる〝アシカ・ショウ〟を催してはいかがでしょう。
 フジ子姉さんは火の神のご出身です。火の神を鎮めるには、水の神のご出身である雲スクールの皆さんが最適でございます。
 雲右ェ門校長がご存知の通り、フジ子姉さんの夏場の悩みの最たることは、〝肌荒れ〟なのでございます。フジ子姉さんにとって、肌荒れこそ心痛の極みでございます。
 この用件は、急を要することなので文章にして、カラスの小太郎に届けてもらいます。何卒よろしくお願い申し上げます。
        田之助拝


 田之助の手紙を読み終えた雲右ェ門校長はフジ子姉さんの悩みが身に沁みてきます。
 ここで、雲スクールの校長として、これまでにもフジ子姉さんには出来うる限りのことをしてきたつもりでしたが、昨今のフジ子姉さんが、田之助が言うような姿になっていることまでは、気がついていなかったのです。
 今回の田之助の提案はあまりにも奇抜で、思いもつかぬことでした。天空に海を演出して〝アシカ・ショウ〟を催すのは、もちろん雲スクールとしては初めての試みとなります。
 フジ子姉さんも、アシカ・ショウを目の前にしたら、何もかも忘れて、きっと喜んでくれるにちがいない。そう思うと、雲右ェ門校長は、ここで一肌も二肌も脱いで、フジ子姉さんを慰めたいと決心しました。そこで雲右ェ門校長は、田之助に返事を書く前に、フジ子姉さんに一言、田之助の思いを伝えておきたいと思ったのです。詳しいことは省略して、

・田之助が、心配していること。
・フジ子姉さんに元気を出してほしいこと。
・フジ子姉さんの喜びそうなことを考えていること。

 以上の三点にしぼって手紙を書いて、カラスの小太郎に届けてもらうことにしました。田之助には、フジ子姉さんの返事を待ってから書くことにしたのです。カラスの小太郎は、お安いご用とばかりに手紙をくわえて、フジ子姉さんのもとへと飛びたちました。
 手紙を受けとったフジ子姉さんは、その手紙が雲右ェ門校長からと知って、胸をわくわくさせて読み、驚かれました。田之助が、夏場の自分の姿をこれほどまで気遣ってくれていることを知り、目頭が熱くなりました。田之助の心配は、的中していたようです。
 田之助の考えていることを知り、フジ子姉さんはようよう、田之助からのプレゼントが気になり始めておりました。そこでさっそくフジ子姉さんは、雲右ェ門校長に返信を書いたのであります。


 雲右ェ門校長さん、今回はお手紙ありがとう。今年は特に夏場の暑さが厳しいようです。特に世界の宝となったことも重なり、何故かしら肌荒れが一段ときびしゅうございます。カメラマンの田之助さんに、よく気づいてくれました。火の神の子ですから、暑さはよしとしても肌荒れが一番の悩みです。とはいっても夏場二ヶ月の辛抱ですから、今少しの我慢と思っていたところなのです。
 ところで今回のお便りでは、喜びのプレゼントをいただけるとのこと、楽しみにしてお待ちいたします。
 それからね、最後に雲右ェ門校長さんに私の駄作をのせておきました。
〝近くでみられりゃ 恥かしい わたしゃアバタで 恥かしい(笑)


 フジ子姉さんは、カラスの小太郎に手紙を渡すと
「小太郎さん、たのむわよ。校長さんに届ける時には、田之助さんにもよろしくと、伝えてくださいね」
 このフジ子姉さんからの返事をきいて、いよいよ雲右ェ門校長は、田之助の提案に一肌も二肌も脱ぐことにしたのであります。
 田之助からの提案一切を承諾したことを手紙に書き、届けてもらうことにしました。こうして、カラスの小太郎は、田之助に手紙を届けて無事大役をはたし終えたのであります。
 そして雲スクールでは連日連夜、雲右ェ門校長による猛特訓が始まっていました。催し物のメインは、アシカの曲芸であります。それは、雲の玉を幾重にも口先でとらえては飛ばし、飛ばしてはとらえ、また飛ばすものでした。アシカにとっては、動きのある動作はたいそうむずかしいもの。何度も挑戦をつづけるメタボ姿の生徒たち、一心に汗を流しながら、いよいよ本番の日を迎えることになりました。

 平成二十七年(二〇一五年)七月十五日、深く澄んだ青空は、海の中そっくりです。この記録は、カメラマンの田之助が担当しました。
 天空いっぱいに、雅楽の曲がひびきわたり、同時に三発の号砲が大地を震わせて打ち上げられました。
ドーン ドーン ドーン
 耳元の騒ぎに驚いたのは、富士山の最も高いところでうたたねをしていたフジ子姉さんであります
「こや なにごとぞ」
と、観音開きの窓を開いてみると、直ぐ目の前で、雲のアシカ君たちが曲芸を始めております。曲芸に見とれていたフジ子姉さんは、ふと思い出しました。先日の雲右ェ門校長からの手紙にあった催し物が始まったのだとわかった時、フジ子姉さんは窓から身を乗り出し、うっとりと溜息をつきながら見とれておりました。曲芸のクライマックスは、富士山ほどもある大きな雲の玉を、アシカ君たちがいとも軽々とひょいと飛ばしては受けて……、という動作を何度も繰り返し、七、八個もの雲の玉を次々と回しながら、雅楽の曲に合せて操る芸当でした。
 フジ子姉さんがわれを忘れて見とれているその時でした。アシカ・ショウの音楽が変わったのであります。雅楽から管弦楽による曲になったかと思うと、今度はその調べに乗ってフジ子姉さんの目前に現われたのは、渦巻雲に乗った雲右ェ門校長でありました。
 これにはびっくり仰天したフジ子姉さん。思わず頓狂とんきょうな声を出しました。
「クモエモンマッテマシター‼︎
 ところが予期せぬ掛け声に驚いたのは、渦巻雲に乗っていた、当の雲右ェ門校長です。雲からころげ落ちそうになるほど驚きつつも、渦巻雲に乗った雲右ェ門校長は一言あいさつをされました。
 校長自らが企画した、アシカ・ショウへの飛び入りだったのです。
「フジ子姉さん唄いますぞ台風の歌を唄いますぞ」
と言い終えると、管弦楽の演奏に合わせてなまり声で唄い始めました。

「僕は台風」
一、僕は南の海育ち
大きくなれと渦を巻く
熱風逆巻き天高く
左へ左へ渦を巻く
僕はぐんぐん舞い上がり
立派な台風晴れ姿
いのちの親さま喜んで
でっかい目玉をプレゼント

二、いよいよ僕は独り立ち
短いいのちの独り立ち
いよいよ僕は旅に出る
短いいのちの旅に出る
日本の国が大好きで
寄り道あれど真直ぐら
いつか来た道なつかしい
北の海へと続く道

三、僕に悪意はないんだよ
天を浄めて地を浄め
草木を浄めて元気だせ
唱えつづけて通る道
僕はいのちの調和力
僕に悪意はないんだよ
短い短いいのちです
北へ北への旅の道

四、短いいのちは北海の
いのちの海へ帰ります
生れて消えてまた生れ
夏と秋には旅に出る
海の水をば雲に乗せ
いのちの水を運びます
僕は台風さようなら
また逢う日までさようなら

 雲右ェ門校長は途中で汗をふきふき、それでも無事唄いあげました。想定外の雲右ェ門校長の飛び入りで、明るい別世界に変わった富士山一帯は、天も静まり、地も静まり、草木も生き生きと生気を取り戻しました。雲右ェ門校長という水の神様がやってきたことで、すがすがしい雰囲気に包まれたのでございます。
 こうして、フジ子姉さんが、夏場の二か月間に打ち沈んだ肌荒れの憂鬱は嘘のように消え去ったのでございます。
 フジ子姉さんの肌荒れに悩む姿を見るに見かねて、アシカ・ショウを提案したカメラマンの田之助は、安堵の胸をなでおろしました。そして雲右ェ門校長からの渾身の唄もきき、フジ子姉さんには、これ以上の慰めはない時間となりました。
 そもそも、フジ子姉さんの悩みは、夏場の二か月間だけ。九月上旬ともなれば、富士山はシーズンオフとなり、その後は肌荒れの心配が消える時期に入ります。
 富士山の登山を経験している田之助は、フジ子姉さんの肌荒れの辛さと、その原因に思いをはせつつ、シーズンオフがもうすぐやってくることを待ちながら、フジ子姉さんの心情を鑑みたのであります。
〝遠くでみられりゃ 富士は神 みればみるほど 富士は神〟

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米(食物・自然界)の生命愛に身も心も重ねることで、波乱万丈な人生もどんなに苦しい思いも澄み切ったものへと昇華した著者夫妻。その二人が遭遇した共振共鳴共時の記録は、「こころとは」「いのちとは」という命題に対する答えの証しです。