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酒乱
米の生命いのちが生きるまで

 

 

目次

 

 序 心の目覚め

 ■地獄期■

酒乱の断末魔

自然界が諭す〝生命の声〟

母の生い立ちと因果の流れ

酒精に呑まれた父

墓の塔婆木に化けた魚代金

天に詫びる母

不思議な因縁の組み合わせ

頭上を飛ぶ御鉢

酒乱因子の吹きだまり

慈愛一路で生きた母の最期

母の心残り

目覚めなき、父の最期

酒飲みの血統に向けた神の矢

酒害因子の開花

酒乱人生の開幕

母子心中を超越した〝妻の一念〟

天の啓示に生きる妻

妻子を残して土方三昧

真っ赤に走る一台のトラック

お上り乞食の一夜の浅草

難行苦行の人あれど

久しく燃える酒乱の炎

守護の窓口となった妻と自然律(悪は、この世の仮りの姿)

息詰まる死の恐怖

泊められない宿

酒乱と嫉妬の協奏曲

神の絵図面を歩く夫

噴火口に真っ逆さまの霊夢

神のお膳立て、四十五歳計画

天馬のごとし女神の妻

神と魔の対決

澄みわたる妻と錯乱の夫

妻の〝心釈き〟(Tさんと日光のサル軍団)

酒乱の先祖おろし

一心同体、生命の運命

千日悲願(米の生命が生きるまで)

神技一瞬、〝刃に変わる水杓〟

神が手向けた女の魔神

 ■黎明期■

地獄に降ろされた御神火

酒乱童子の成仏

心霊への誘い(死後に残る津波の恐怖)

人間改造への突入

七羽のカラスに襲われたガタガタの体

酒乱の因縁と闘う自己解体

妻との葛藤

浄土へ向けての過渡期

酒乱成仏、息子に残してなるものか

米は、いのちの光

生命の樹

輝け、人生の扉開き

 むすび

 

 

 

酒精に呑まれた父

 

 父の酒乱は近郷近在には有名であり、私が農協職員として働き出したある日のこと、一人の理事から酒席で言われた言葉が、今さらながら思い出されてくる。

「あの……おやじの子かッ。掃溜はきだめに鶴だなッー。アッハッハー……」

と、親父をけなした。よくも酒席の中で罵倒ばとうしおったなッーと、むかつく胸の中、ハッ…と抑えたのである。当時は、まだ自制心のほうが優位であった。糞ーッ……と思うものの、新入職員の身分で、かたや、相手は古参の理事様である、当時、農協というところは、とても保守色が強烈だった。文句のひとつも言おうものならば、すぐに左遷ということになった。だから、その侮辱ぶじょくにも耐えなければならなかった。

 農協職員といえば、地方にあって、終身安泰な職場でもあった。一心にやれば、それだけの昇進昇給もあるというものの、各人の家庭環境が、その個人評価の大事な要点でもあった。酒乱で名高い父のことが、やれ、いざとなると、マイナスの要素となるのは当然だった。

 私が小学校に入ったのは、第二次世界大戦が勃発ぼっぱつした昭和十六年のことだが、戦時の非常時下においては、清酒などというものは自由に手に入るはずがなかった。統制・配給下の中で、母はせっせとドブロク造りをしなくてはならなかった。当時は、税務署の強権発動も時々あって、ドブロクの密造には、ことのほか、目を光らせていたし、そして、農家の人々は、互いに摘発情報を伝え合いながら、あの手この手で、役人の目をかいくぐっていた。母は、天井や縁の下や土の中にと隠しながら、酒造りに余念がなかった。

 父は、酔うことができれば酒の種類はなんでもよいようだったが、それでも、鼻と舌先は、敏感であった。っぱいッ……とか、なんとかブツブツ言うものの、それも初めだけのことで、後はグイグイと、なんでもござれッ……と、くる。

 味は二の次、三の次で、酔うことがすべてを忘れさす天国ということで、父の天国は、母の地獄になるのだから恐ろしい。二杯三杯なら、軽く茶碗酒であり、そろそろ始まるなッーと思う頃、母の手は、酒隠しにすばやく動いていった。危険信号を一目でわかる機敏な仕種しぐさの中で生きている。

「おーいッ、ガガァー(妻)もうー一ペいェよごせッ(もう一杯持ってこい)」

と始まる。もうエンジンが始動開始。そして、声のボリュームが高くなってくる。

「おーいッ、早ぐ、よごせッ」

後は、一升でも二升でも、気のすむまで飲まなくてはならない。

 私が物心ついてくる頃になると、迫真の酒乱行が目にとまり、恐怖と自負心(幼心にも、父を制止できるという思い)のような心理が、入りまじる時期になった。

 この村は、五〇軒くらいの小さな村落である。こうした一単位の部落は、いわば、運命共同体といった人間関係が渦巻いていたものである。だから、部落総出という作業の時も結構あったし、作業がピークの時には、子供たちも、みんな労役に駆り出されることも多かった。

 そこには、一糸乱れぬ心の通った共存共栄の気持があったことは、現代の人には想像し難い事実でもある。

 そのため、部落では寄り合いという会合が、とても多く、今日も何々の集まり、そして、明日もまた、と、各人は重箱に思い思いのご馳走を詰め込んで、公会場(公民館)に足を運んだ。我が家では、当然ながら父が出席する。こうした寄り合いには、必ず酒宴が欠かせないものなのである。

 なんの娯楽とてない素朴な農村において、二人寄れば酒飲みが始まる。酒の酔いこそ、この世の極楽世界であった。

 ほどよく飲めば、百薬の長となる酒ではあるが、そんな行儀のよい心掛けの人たちはあまり見当たらず、だから、農村には、酒豪が多い。酒で我れを忘れ、生き様の本性をさらけ出し、無礼講となり、霊妙なる酒は、時により人の心と化学反応を起こして、毒薬ともなってくる。

 酒によって人のさがが変化することは、誰しも同じことながら、時間の経つほどに、人間の尊厳も消え失せていく。そして、トラになり、カメになり、泣き出し、眠り、怒り、罵り合い、色気違いなどに変貌していくことは、今も昔も変わりがない。むしろ、現代こそ、心の領域では、もっと悪化の一途を辿っているように思われてならない。

 父は、寄り合いの帰りには、最も遅いグループに入っているのが常だった。飲んだら止まらないし、顔が土をなめるくらいまで頑張る。

「オーッ、オーッ、オーッ」

と、遠くから唸りくる声を耳にして、母は父の声であることを間違えることがあろうはずはない。

「あッ……来たッ、来たッ。さあーさあー……」

と、独り言のように口走って、笑顔の中にも、受入れ態勢の身構えをする気迫が感じられた。それは、猛獣使いのような心境ではなかったかと思う。いよいよ近くなった。そして、門口を曲がると、一段と声量を張り上げている。

「おうーいッ、ガガァーッ(妻)」

と言いながら、いかにも天下様のお帰り、というようにして、威勢を張り上げる。

 ふだんは、無口で、黙々と、職人風に働いている父である。そして、話下手だから、なにかと短気を起こして物理的な肉体表現でくることが多い。

〝パシーン〟と、音を立てて、不意打ちにされることにはなれていた。

 八人兄弟の中の末子である私は、父母のことについては、最も情報量が少ないから、父の若い頃の消息を知るべくもない。だから、ここでは父五十歳くらい以降の姿を描くことになるのだが、それまでの父の生き様といえば、生活苦のドン底の中で、母は八人の子を育てながら、さらに、父についての負担が、五人前分も余計なものとなっていたのであろう。

 

 

 

 

墓の塔婆木とうばぎに化けた魚代金

 

 母は私が物心ついた頃、魚行商で頑張っていた。それ以前は、屑物商売やコバツケを売って、生計の足しにしていた。

 父は本家に若勢わかせ(若者の下働き)として働いており、手先がとても器用であった。土方をしていた時は、棒頭(組頭)として働いていたというし、私が生まれた頃は、もっぱら、農作業が仕事だった。

 母が魚行商をやったのは、二十代の後半からのことであり、その頃は、父もいっしょに、リヤカーや自転車、あるいは、背負ってというやりかたであった。

 ある日のこと、魚売りの金が酒に化けてしまっての帰り道、墓場の前を通りかかったのが夜の十時過ぎ。父は若い娘さんに声をかけられた。

「どうか、この鮭を一本買ってください……」

と、父は、

「おうー、おうー、買うー買うー」

と、気っのよさを見せ、上機嫌だが、一体、いくらだったのか、どう代金を払ったのか、わけがわからなくなって帰ってきた。酔っぱらいは、ご存知のように、サーカスも顔負けの曲芸師のようなところがある。

 ヨロヨロ、ヨロヨロ

と、右へ左へと道路狭しとくねり歩く。我が家を忘れずによくぞ辿りつくものだ。

 一本の鮭を肩にかけて、天下取り気分で母の前に立った。目玉はトロリとわったままで、足は、右足左足と交互に前後させて、腰を〝く〟の字にかがめ、揺れる体のバランスの良さ、飛び出す言葉はトロメクばかり、

「おうーいッ……文句あっがッ、重いのに……これーいッ……でっけいェ鮭を買ってきたんだぞーッ、文句あっがッー」という。反発などもう一切する気もない母は、一心に機嫌をとって受け入れてくれている。

「あらーッ」

と、母はびっくり仰天して驚いた。開いた口がふさがらないうちに、その口元は、でっかい笑い声にと変わっていく。

「アッハッハッー、なんだーッ、ダダまだッ(父さんよ)。こりゃッ、塔婆木とうばぎでねーがッ、イオではねいーよッ(鮭ではない)。墓の中のイハイだでばやーッ(位牌いはいだよ)」と、大笑いだ。

「うるせいーッ、この、糞ババー。馬鹿すんなッ。うるせいーッ、タクランケッ(馬鹿野郎)」

と、父の口から出てくるのは、ありったけの悪態だった。それこそ、くそ真面目に、墓の塔婆木とうばぎをどう幻覚したものか、鮭と思い、そして、娘とは何者なのか、酒も極度に深まると、全身麻酔となって、幽幻の世界にいざなうことになる。

 母の働いた金は全部酒代にかえられ、夜遅くまで疲労困憊こんぱいの体を休めることなく、父より一足早く家に帰ってきている。口を開けて待っている子供たちに、夕飯の支度をする。風呂を沸かし、料理を作り、台所を片して、寝床をみてあげ、その日の商売の台帳をつけていく。

 その頃は、コックリ、コックリと、筆を右手に、大福帳を左に持ちながら、決して落とすこともなく、顔が畳にすりつくほど、曲がって揺れ出す。コックリ、コックリと。

 こうして、睡魔に波打たれながらも、胸中では、父の帰りを待っていたようだった。そして、ハッと、我れに返り、「あららーッ」と、心を締めて、今度は仏前に座って、法華経を唱え、一日の感謝を捧げる毎日であった。

 そして、夜の十一時を過ぎた頃、父は一刀ひとたち浴びて、もがくかのようにヨロヨロして家に辿りついてくる。その姿は、先ほどの、墓の塔婆木を担いでの帰りという状態なのであった。

 母は、父の酒乱に対しては、翌日も決してとがめたりはしなかった。そのことによって母自身が傷つくことを、避けたのではなかったかと思う。

 

 

 

 

天に詫びる母

 

 父の酒の上のトラブルと、はた迷惑のことは、数え切れないくらいあった。

 この片田舎での、唯一の楽しみといえば、浪曲を聞くこととか、旅芸人一座を観に行くとか、民謡を聞き、踊りを観に行くくらいのものだ。それも、そうざらにあるわけではない。年に二度、三度くらいのことだった。

 小学校に入る前のことだが、公会場の作業場で、演芸会が開かれた。ふだんは、ここは稲の収穫を一手に収納する場所なのであるが、その時期にはやや早い、夏の夜のことであった。わらむしろを敷いてのお楽しみだ。母に連れられて、前から、二、三列目の舞台中央近くで、首を上に向けて見ることになった。

 その時は、村の青年団が主催で、若い者たちの隠し芸もあったし、民話や踊りもあった。村人たちの半数以上が集まって、満員の盛況だった。今、開幕か、と思われた時のこと、幕の蔭でなにやら賑やかな人々の話し声がした。

「おうーいッ、おうーいッ、ちょっと、待てーッ」

という声が聞こえてきた。

 幕引の人は、開くこともできず、もじもじしている。なにやらあったようだ。が、どうやら開くことになった。

 さあー、これよりお楽しみの始まり、始まりー……と。

 その時、一人の男が、ヨロヨロ、ヨロヨロと中腰で、舞台に上がってきた。

「演芸の役者かッ……、いや、違うッ……」

「ウーッ、ウーッ」

と、言葉にならない酔っぱらいのうめき声だ。そして、ドジョウすくいではないが、安来やすぎぶしスタイルに似た、モンペ姿のおっさんがヨロヨロしながら、こっちを見た。その一瞬、

「あーッ、ダダだァ(父だ)。ガガや(母や)、ダダだァ」

と、私は叫んでいた。母もすぐ気づいていたが、泡を食うことなく、間をとっていた様子だった。

 その一瞬、目に止まったものは、ブラリと顔を出した男のシンボル!!。昔の越中褌えっちゅうふんどし(猿股)は、出やすくなってはいるものの、こともあろうに、舞台の中央だ。父にとっては、そんなことは無礼講であった。

「ウーッ、ウーッ」

どこで飲んできたものか、泥酔状態で、前後不覚の霊界ロボットになってしまっていた。私は、子供ながらに、恥ずかしさと、一種の可笑おかしさが複雑に絡み合って、

「ありゃーッ、ありゃーッ」

と、手をこまねいているうち、団員のかたたちが父を奥に連れていってくれた。このことはそれだけのことでおさまったものの、この行為に、村人たちはドーッと笑い出す。

 

目玉はうつろに 天井向いて
どこのタヌキに いい寄られ
夜空の星で 気も晴れて
何とこの世は 幸せか
妻子家族も 何のその
酒の天国 ここにあり
酒の極楽 ここにあり
望んでここに 来たでなし
ドジョウすくいの 芸一つ
見せてやろうか この姿
なってくれたら 天下一
爆笑一幕 村人よ
笑ってはじまる 演芸会
まかりまちがい シンボルが
ちらり顔出す 父を見る
母の心は いかほどに
母の心は いかほどか

 

 酒の行為が深くなると、自意識を越えた次元で動き出すから厄介である。その主導権を握る意識は、潜在された、まだ解放されていない自意識であったり、過去世的霊界心とでもいえる、心の吹き溜まりが動き出すのであろう。

 それは、潜在的意識のなすがままの、理性欠乏症とでも言える。精神的病気となる。

 その時、私は母の顔を見てはいなかった。会場は、照明装置とてない、殺風景な作業場を仕切ったようなところである。場内は、やっと人の顔を識別できるくらいの明るさだった。母は、泣くことも怒ることも、もうすでに、私を生む以前に卒業していたのである。

 ただひたすら、介抱役に徹し、酒をやめさすという思いは、かけらもなかったようだった。我が子の狼藉ろうぜきを、天に詫びるがごとくに、好きな酒を与え続けてきたのである。

 

 

 

 

不思議な因縁の組み合わせ

 

 母は、「こんな苦労するのも、親の因縁であろうか……」と、後年、妻に漏らしたことがあるという。

 因縁深き身の上だから、死よりも辛かった苦しみでさえも、優しく見守らなければならぬ身の運命さだめか……。そして、先祖のごう・因縁を、一身に背負って、夫に尽し、他人に尽して生きる運命なのか。この不幸性は、因果のめぐりであろうかと、ひたすら、我が身に潜む、暗い因縁を思いながら、自分に、言い聞かせていたようだった。

 酒乱の夫に、愛情一念で尽すことも、罪障消滅の生命いのちのめぐりと、自覚していたといえよう。

 生後二カ月で生命いのちの乳をむしり取られた母。母に何のつみとががあったろうか。しかし、人間の心のありように、神は決して目をつむるわけにはいかないだろう。

 因果のめぐりは、永遠の生命の中で、不滅の力となって流れてゆく。生命には、元に戻す絶対の安定エネルギーが働いているのではないか。大調和力が働き続けていると思う。母は、償いの矢表に立たされたといえよう。子孫の幸せのために、である。

 運命というものは、独り自分の領域だけではなく、永遠の生命の流れの中で、繰りひろげられる、威厳に満ちた、前世ぐるみのドラマではないのか。

 この生命の中は、過去前世の一切を知り尽している、全人智の〝博物館〟とまでも言いうるものではないのか。

 父は、酒乱があるからだけではなく、生きることに、とても不器用な男であったと思う。嘘で目の前のことを丸めるという、不正直なことができないし、理屈で、突き返すこともできない。外面的にも、とてもおとなしい人になっており、自己表現のからきし苦手な男であったように思う。

 ただ、淡々と、酒を唯一の相棒として、そして、母を子守役にして、金銭だけは、農収を把握して、几帳面きちょうめんに納税、その他をとり仕切っていたようだ。

 黙々と働いている姿からは、まさかと思えるほどの酒による変身だった。

 父の両親あたりに、酒害因子があったのか、父から始まったのかは知る由もない。同じ酒を飲んでも、決して乱れることのない人を考えれば、酒と自己とのかかわりの中で、いかに、意志の働きが大切かを知ることができよう。

 おのれに湧き起こる欲望の一切を、どう処理したかが問題ではなかろうか。所詮、心の問題こそ、あらゆる人生パターンの中で、最重要な課題ではないかと思う。

 父は、また、持って生まれた酒好きと、その酒に振り回される自分というものを、なんの疑いもなく、見過ごしていた。深い潜在心の支配下にあった父は、反省も、自戒も、その機を逸してきた。いわば、業の吹き上げに翻弄ほんろうされながら、母の寛容さに一切委せ、甘え、依存してきた。

 だから、他人には形式的な協調が多かったのではないのか。苦手な自己表現は、日常会話にもその影響が尾を引き、命令的、一方通行的意思表現に終始し、生涯変わることがなかったのではないか。酒勢に乗った心の奥は、いつもビックリ箱のようであって、酔うことで表に飛び出してくるのだった。

 

 

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