試作ページ
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神秘の大樹シリーズ第一巻では、偶然の一致といわれている現象を実体験に基づき、二五の話を取り上げて、エッセー風に考察を試みてきました。
心の世界は、とてつもなく広く深い、糠に釘のたとえどおり、手ごたえのない厳しい世界であります。その厳しく難しい世界に学究者でもない者が挑戦している訳ですが、一つ確かなことは、記述のすべてにわたって、実際に体験を通しての実例から浮き出す真実を体感できるのが唯一の強みであるということです。
心の世界の九九・九九パーセントが過去の心であり、また、歴史上の心でもあります。換言するならば、死の世界の現実は生きているということです。心の九九・九九パーセントの死の世界は生きているということなのです。〇・〇一パーセントという刹那の、今の心こそ自分の思いであり、死の世界の代弁者でもあるわけです。
極言するならば、自分のいのちの中は生きている死の世界であって、魂は決して死ぬことのない輝く世界だといえるでしょう。肉体の死は生きている心の世界なのです。
そんなバカな、と思うかもしれませんが、実際に肉体を消した人々の心は魂となって、この身の中で生き生きと輝き続けています。この身から魂を抜いたら、もぬけの殻になります。だからこそ、偶然の一致といわれる偶然の出会いや、出来事が、人々の暮らしの中で起きている訳です。魂は、今の心を道明かりとして、縁結びの使者になって活躍している訳です。
偶然はいのちの監視下で、魂と魂の結び合いの流れの一片がひょっこり地上に顔を出したというだけのことであり、また、それは延々と続く縁結びのドラマの流れの一片の息遣いということができましょう。
魂の息遣いとは、いのちの中から発してくる魂のメッセージなのです。
我々の心の奥底は、今の心の方向性に合わせて、すなわち、今の心を道明かりの灯台としています。そして魂は縁結びの使者となって活躍しているわけです。魂は原子の光に乗って飛び回っているのです。
思いは生きものだ
目的に向かって飛んでゆく
縁エネルギーになって飛んでゆく
思いが生きものなれば
花を求めて飛んでゆく
実を結ぶために飛んでゆく
思い強ければ強いほど
持続すればするほど
縁の花を咲かせて実を結ぶ
この世の空間は心の海だ
錯綜混交の海だ
見えたら一歩も歩けない
心に合った縁が待っている
心は縁結びの使者となって
人生喜怒哀楽の実を結ぶ
縁の使者となった魂たちは、原子の光に乗り、文字・数・色、その他、この世の媒体を介して訴え続けています。現れ方としては、偶然の一致であったり、夢であったり、時にはヴィジョンであり、閃きであり、霊言となって発現することだってあるのです。数ある魂の媒体表現の中で、「文字・数・色」の媒体を介し、魂は、肉体は消えても心は生きているのだ、ということを証し続けているのです。
神秘の大樹シリーズ第二巻の本書では、おそらく人々には見過ごされるであろう、それも、原爆ドーム前の、橋の上に落ちていた一羽の小さな折鶴が、天の扉を開く声なき声の現実の姿であったのです。肉体を消した魂の切実なるメッセージでありました。
現実の世にあって、これ程の非現実の現実が万光の光を輝かせていたとは、神のみぞ知ることであったか。これまでに、これ程の偶然の一致があったでしょうか。否、共時性現象があったでしょうか。
死んで、ただ煙になって消えるのではありません。心は厳然として活躍しているという現実を誰が否定できましょうか。「偶然」の二文字の便法は一羽の折鶴によって、人の世から消えたのであります。
本書は、第一章心のつる草、第二章魂を乗せた一羽の折鶴となっており、一章は、いのちと心についての随想を用いて本題の二章へと導入しております。
二章は、小さな折鶴を通して「縁結びのメカニズム」を創作シナリオ形式にして説話風に進めてまいりました。現実を生きる自分が、実は億万年から連なる亡き心たちの複合霊体(魂)であること、そして、死んで消えたのではなく、心は実に生き生きと輝いて、自分を自分たらしめている原動力であるということ、そして、死んでも生きている心の世界を、一羽の小さな折鶴が明白に証してくれました。
その証しは、「文字・数・色」という媒体に乗って、原爆ドーム前の、元安橋の上で待っていたのです。
まえがき
第一章 心のつる草
第二章 魂を乗せた一羽の折鶴
第三章 おわりに
あとがき
(中略)
いろは姫は一介の主婦ですが、現実生活の中で、数字と文字の世界にアクセスしています。難しい学問世界はわかりませんが、ただ一つ、鉄の一心を持っています。数字と文字を心いただくことのある暮らしの中で、一切不動の鉄の一心を心がけています。そして、共時性現象を〝食心の目は共時の目〟という、次元ばなれした言葉で表しています。食こそいのちの根源であり、一旦口から入った食べ物は、人間の自我が立ち入ることのできないいのちの世界。それこそ、ご意志の世界、それをいろは姫は「五一四」の世界と書き換えています。「ご意志」と書けば、人間の自我が入る世界ですから、それを数字の「五一四」と表現することは、宇宙に通じる意志といえましょうか。
〝食なくてなんのおのれがこの世かな〟
生き物は食べなくては生きていられません。あまりにも当然すぎる当然のことです。しかし、そこにこそタネ証しの謎があることに人はなかなか気づきません。知性で栄えて知性で滅びては、人間の特性は宝の持ち腐れになります。生きることの次元にこそ、共時性現象(通称=偶然の一致)の謎解きがあったのです。
いのちは原子です。原子は食です。食に発する原子です。生きることの原子が、全身の中で舞っているから今日も生きていけます。あまりにも当たり前のため、低次元として無視されているわけですが、そこにこそ共時性の目が光っていたわけです。
つる姫は、ユングと天明を前にして、天の川のことを話し出しました。
つる姫「ユングさんと天明さんは
立場は違っていても
ともにいのちのルーツを求め、心のふる里を求めてきました
天の川には『天意の法則』がいくつもありまして
その中に
〝一呼一吸天の気
一食一排地の気
天地の気はいのちの食
食はいのちの呼吸なり〟
というものがあります
また、〝食心の目は共時の目〟というものもあります
どちらも、食はいのち、いのちは食ということになりますが
そこにこそ、宇宙調和のエネルギーの謎があるのです
そして、縁結びの中心エネルギーとなる
「共振共鳴共時の目」があったのです
「目」とは、そのものの中心と考えたらよいでしょう
ここで再び〝いのちの舞い〟を出しましょう
やまず
やすまず
とどまらず
とんでははねて
はねてはとんで
あっちへこっちへ
ランダムに
信号ないけど
赤・青・黄色
安心安全
原子の舞いは
いのちの喜び
大調和
いのちの原子
大調和
食からいただいた原子の世界は
私たちのいのちの中で
いつも引き寄せたり引き離したりして
枠を超えたら引き戻すゼロの力が働いたりして生きているわけです
共時性現象の本質はつまり
食心の目は共時の目
いのちと食は同義と解する
いろは姫の鉄の一心は
天の川の天意の法則にも当てはまっているのです」
と、ここまで話すとつる姫は
つる姫「ユングさんと天明さんに
面白い映像をお見せしましょう
これは、田之助といろは姫の話です
二人は天の川から舟に帆を立てて下ってきました
天の川から心の国へ流れている支流は数多くありますが
二人が乗った舟は
東北の山形県に流れている支流を下ってきたのです
天の川の分岐点には立て札が立っていて
「サイジョウノカワ」(最上の川)とあります
ところが、ちょうど山形県内に入ったところから急に川の呼び名が「モガミガワ」(最上川)となっているのです
二人は、どんどん下ってきて河口の酒田港に到着するのですが
その舟を見ますとまるで宝船のようです
舟一杯に稲穂が積まれていて帆には大きな文字で
「食心の目は共時の目」と書かれてあって
下段一面には聞き慣れない祝詞が書いてあります
変われども、時代変われど、いのちの光
米は変わらぬ永遠の糧
鶴千年亀万年、稲穂の実りは億万年
人類栄えの糧となる、米が光れば皆光る
おかげで今日も生かされる
ありがとう」
つる姫の話はここで止まりました。宝船にはその祝詞文字が金文字で浮き立っていて、そればかりか、帆柱のてっぺんには長方形の旗が風にひらひら波打っています。その旗は、金色に彩られた〝米〟の写真でした。それを見た誰かが声を出しました。「あれはユングだ!」
びっくりしてそれを見たユングが、
ユング「おお
よく似ているなあ」
と反応すると、こんどは天明が、
天明「本当にユングとそっくりだ
さらに神示のイチリンの仕組みのにも似ている!」
ユングと天明は一段と共振共鳴していたのです。
そこに、三心クルーのもじたまの皇子が話に入ってきて、
もじたまの皇子「さっき
声を出したのは私でした
宝船の旗は誰が見てもユングさんに似ているし
にも似ているし神示の中心様みたいで
田之助はこの写真のことを
一粒観音様といって大事にしているようです」
と言い、宝船の旗について盛り上がりました。
酒田港の埠頭は大勢の見物客で大変なにぎわいです。黄金の光を放つ珍しい舟。それは稲穂の光でした。
米は人間の主食です。生きるためのいのちの機関車です。田之助は酒好きが高じて乱れとなり、いろは姫との葛藤が長い間続きましたが、ようやく生きることの原点に気づくことができて、いのちの真実を求めることになったのです。
片やいろは姫は、田之助を鉄の一心で守り続ける中で、いのちの真実に気づきました。
口から入った食物たちは、いのちの光に身を任せ、やがて原子の光に立ち返って、新たないのちの光へと生き変わります。そして、働き終えた食物たちは、外界へと帰っていきます。その一人ひとりのいのちの中で命が新たないのちを育て上げるまでの運びには、いかなる人知も、いかなる自我も立ち入ることができません。立入厳禁の〝聖域〟なのです。
この聖域の旗印が、帆に書かれている
〝食心の目は共時の目〟という世界なのです。
ユングと天明には、新たな驚きとひらめきが交差していました。そして口を開いたのはユングです。
ユング「つる姫様、
ありがとう
単純明快にいのちの中心には食がありました
毎日の食べ物が、いのちとなる次元こそ共時性発生の次元でした
ここにこそ心と物質が融合一体となり生命発生の謎がありました
食って生きる、こんな単純なところに
山ほどの理論を積み上げたことから解放されたような気分です
ありがとう」
と、ユングの目は輝いています。そこに天明も続いて、
天明「つる姫様、
ありがとう
神示の一点が解けてまいりました
食が新たないのちとなる次元いのちの中心・ゼロ一点の次元が
イチリンの仕組みの「」でありました
ここにこそ鉄の一心・食心の世界・共時の世界を見ることができました
扉開きはゼロの目、食の目、共時の目を開くことでした
いのちの真実に目覚めることこそ岩戸開き、そして心の扉開きでありました
ありがとう」
と、二人は、つる姫にその思いを伝えたのでした。
ユングにも、天明にも、地上社会でのプライドはすべて消えてなくなっていました。
何もかもが単純明快であり、時間も空間もありません。さらに、すべてが一面一体で新旧もありません。現実には立体に見える物質世界ですが、それを成す精神構造は、極めてシンプルな一面一体の世界と考えられます。岩盤のような魂も、バラバラに分解されて、やがては「真性魂」の意志基盤に合流します。真性魂とは、宇宙絶対調和エネルギーを、意志性に変換して考え出した表現です。
〝何事も想いが先のこの世かな〟
地上社会で積み上げた心は次々と魂の集団となり、これが、真性魂に似て非なる「擬似魂」なのですが、その一人ひとりの擬似魂が、その人の心の遺伝子となり、やがて心の国に入ると、いのちの意志エネルギーに同化されるようになっていきます。生命エネルギーの魂の玉は、丸く削られ、透明な玉となっていくのです。
つる姫からピックアップされた田之助といろは姫も、宝船に食心の旗を揚げて、魂の玉磨きが続いていきます。
ユング「つる姫様
宝船のご夫妻にじかに話をしたいのですがどうしたらよいでしょうか」
つる姫「ナビ大王、
ユングさんを東北の酒田まで案内してくれませんか」
ナビ大王は大喜びで、モニター・システムも使わずに、いのち舟を宝船の港へと直行させました。
ユングが田之助たちと何を話したいのか。つる姫はじめナビ大王はもちろんのこと、三心クルー一同、そして天明も、どきどきしながらの行程となりました。
(後略)
◀︎◀︎◀︎上記の核心と思われる部分(計4頁)
創作シナリオを織り交ぜ生命の根元領域を語る『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』から