神秘の大樹だいじゅ
 文字・数・色で証す新次元 



要点・概要

文字・数・色は魂の宿り木…
出会いの縁と文字・数・色に秘められた
声なき声の真実性

本書「帯」記載の文言より

 

文字・数・色は人間の意思だけではなく、生死の境やほかの生物などとの境なく、いわゆる「霊」や「魂」の意志性を代弁しています。共時性現象(シンクロニシティー=偶然の一致)は、それを認識させてくれると同時に、一人ひとりに対する道案内の現象です。

 

人間は、精神世界と物質世界の双方を生きています。両者が融合一体の世界を生きているがゆえに「内は外なり、外は内なり」と言うことができ、縁には嘘がないと言えるのです。共時性現象は、エネルギーの増幅作用であって、善くも、悪くも働く現象。不安エネルギー(人間の不安意識)や望ましくない心が、共振共鳴して、莫大な共時エネルギーに拡大することこそ、災いのもととなるのではないか、と語っています。

 

「平成」元号の由来になった「内平らかに外成る」(史記)と「地平らかに天なる」(書経)をご存知かと思います。作中において、このことに触れてはいませんが、相通じるものを感じます。

 

随想(印刷版:全231ページ)
著者略歴:閲覧コンテンツ内

 

 

本文からの抜粋

出会いの縁には、秘められている魂の流れが

本書「永代供養と幸福の木」の一節

 

  

まえがき

 人間が他の動物たちと同じ次元の、原始の時代を抜け出して、今日みる教育分野をはじめとして、あらゆる産業を興し、高度の文化を築き上げた根源には、三愛の神器とも言える「文字・数・色」に対する発現があったからだと、私は考えております。

 文字・数・色を駆使する以前の、原始時代の人間同士のコミュニケーションは、ごく限られた言語表現の中で生きている、いわゆる、ゴリラやチンパンジーたちの次元であったはずです。

 それがいつしか二足歩行に移行した頃から、両手を活用することが出来てまいります。そのことによって、これまでの言語表現は多彩なものに変わってまいります。そこで、文学的表現を発現し、また、数量や数字を発現させて、より一層心の交流を行い、更に多くの色彩感覚を発現させる事で、人間同士のコミュニケーションは爆発的に発展することになった、と考えてみたとき、それまでに、限られていた情報交換も多種多様化して、コミュニケーションは高度に発展することになり、現代の文明文化が開かれて来たものと、私なりに考えております。

 仮に今から、文字・数・色を一切使用できないとなれば、私たちは一気に原始の時代にタイムスリップすることになります。私たちはこの時点で、限られた言語表現で生きねばなりません。

 文字・数・色は私たちの魂そのものの姿だと言っても過言ではありません。現代では何をするにしても、文字や、数や、色に、心を投影させて、その意志を伝える意志伝達の媒体として、フルに活用しています。

 人類は、文字・数・色の発現発展によって、現代人類となりました。

 文字・数・色は私たちの魂そのものであり、「魂の宿り木」と言ってもよいでしょう。

 文字・数・色が魂の宿り木ということで、偶然の一致といわれている共時性現象には、頻繁にその姿を現しております。亡き方々の魂も、今の私たちの心の姿も、文字・数・色に投影させて、共時性現象にその姿となって魂のメッセージを発しておられます。

 文字が開いて、数が開いて、色が開いて、声なき声の光を発しておるのです。

 たかが偶然の一致じゃないか、と言われもするでしょうが、そこには尊い声なき声が秘められていることに人々は気づきにくいものです。

 文字・数・色は魂の代弁者なのです。ひとりひとりの運勢運命の道明かりとなりますから、偶然の一致はただの一過性の意志エネルギーではありません。連続性のいのちの光に溶けて伝えようとする尊い魂の扉開きなのであります。

 文字に生きて、数に生きて、色に生きて、声なき声の光となって、人々の心に響かせる意志エネルギーなのであります。偶然の一致といわれる共時性現象には、貴重なメッセージが秘められております。

(後略)

 

平成24年 初春

著者 菅原 茂

  

 

神秘の大樹Ⅲ  目次

 

 

まえがき

船井幸雄と遠藤誠と私と妻とを結んだ魂とは

林の響きが魂を乗せて

雲になった桃太郎

鮭が犬に変わる時(こころ姫とものの王子)

カササギといのちの会話

四・九(欲)問答

宇宙船〝アポロ一三号と一三〟のジンクス

心はきらめく生きもの

家紋で示す魂の実在

〝三〟で開いた天童の姫

酒と菊の花

飛鳥せきの魂が証した文字的現実

鯉が天から降りてきた

車のナンバーも命の意志

稲霊の喜びが開花した〝いのちの証し〟

普賢岳に抱かれたご夫妻

夢と現実と鳥海山噴火

永代供養と幸福の木

生命8字は心の宝

お茶が牛になるとき

ヨシ婆さんと心の光

酒と米と魂の守り

出会いは時空を越えて…

この世は卵が先か?

思えば寄せ来る文字と数

カラスとクルミと納豆

吉田茂の本と私

漂流三七日間を守った海亀

戦争を終わらせた八一五字

あとがき

著者略歴

 

 


 

永代供養と幸福の木

 小学生の頃から不得手な学科といえば一番に数学があった。あの算式が無機的で味気なく思えてなじめなかった。音楽も音痴であったし、譜面のオタマジャクシがなぜか数学に似ているように思え、なかなか覚えることができなかった。

 まあ、並にはついていったが、これぞと得意なもののない中で、気が乗るといえば、野原や川原、小川などを相手に駆け回ることであった。魚捕りなどは大好きだったし、そこらにある草木などから遊び道具をつくる創作的なものには、気を乗り出して時の経つのも忘れるほどであった。黙々と心向くまま誰の制約もない独りの世界にいるときが一番うれしく、これが性格に合っていたようだ。その一端として今の写真世界、今も続く六〇年余りのカメラの趣味世界となっている。

 苦手だった数学の世界、数字の世界なのに、七〇歳を過ぎた今、日課となっているのが、偶然の一致という、神秘世界を考えるうえでどうしても避けて通れない「数字」が、心一杯に広がっているのだから、皮肉といえば皮肉なものである。ただ、数字といっても、算式を解くという学問上の世界ではないから、私にも受け入れられるということになろう。

 偶然の一致という現象を、偶然ではないのだといえるには、それなりの証明を出さなくてはならない。

 ところが、科学には馴染まないこの神秘世界は、反復実験可能の世界ではないから、偶然ではないのだという証しは、体験記録によって、その中枢に近づかなくてはならない。

 それが、「いのち(生命)とは何ぞや?」という大命題にぶち当たっての模索となるから、数字が苦手だの、何が苦手だのとはいえないのである。

 この世の一切がいのちそのものであるから自分をとりまくすべてが「いのち」で充満しているのであるし、そのいのちのひびきはすべてが、意志性の心性の響きであるし、その心ごころのシンボル表現こそが、数字(数霊)であり、文字(文字霊)であり、色(色霊)であり、と考えられるのである。

 人間が築き上げた科学技術の世界では、その基礎学問こそが数学だといえるほど、物理系の基礎は数学世界といえよう。

 山形新聞のコラム欄「気炎」から引用してみると、(前文省略)今年を「世界天文年」とする。「哲学(世界の基本原理)は、われわれの目の前に常に開かれている。この巨大な書物(宇宙)は数学という言語と三角形や円、その他の幾何学的図形という文字で書かれている」と宣言した、ガリレオの実践による現象の究明こそが近代科学の先駆けとなった云々(平成二一年一月三〇目付け山形新聞)とある。

 宇宙という巨大な書物は、数学という言語と幾何学的図形という文字で書かれている、というのだ。

 これを読んだとき、私の内奥からひょっこり覗くようにきらめく思いが湧いてきたのである。「数的世界は、万物万霊の共通語的意志伝達のひびきをもっている」と、確信めいた思いになったのである。

 追い求めている偶然の一致というのは、単に偶然ではないのだ。心は生きているのだ。出会いの縁には、秘められている一つの流れがあるのだ。そう思ったのである。この世は、意志的エネルギーの流れで満ち溢れているのだと考えて、何ら不思議ではないのである。 私たちは、目に見えない心霊世界を、目に見える文字・数・色を共振共鳴の媒体エネルギーとして、この世の魂の意志エネルギーを、この目で見ているのだと、考えるようになったのである。

 私の考える「いのち」とは、代謝エネルギーを中心とした躍動エネルギーと安定エネルギーの一大循環、すなわち、宇宙絶対調和力に括られている世界であるから、いのちの中枢を成すものは、数的(量的)に象徴される代謝エネルギーというほかはない。数的(量的)バランスこそ、いのちの中心力と思うし、数霊(数字に宿る意志性)は生死を越えて、心のひびきを発している。

 この世は、生死共存の世界といえるし、この自分も、生死共存の魂の一生命体であるから、一人ひとりに現れる縁に秘められている数霊はもとより、文字霊・色霊をどのように受け止められるか、または無視するかであって、その数霊の意志性を受け取ったとき、偶然という知見はおのずと消え失せることになろう。「たまたま」ではなくなるのである。心の博物館ともいえるこの自分のいのちでは、心に古いも新しいもなく生きているし、そして、出会いの縁には、秘められている魂の流れがあって、その現れとしての数霊であり、文字性の響きであるといえる。

 今をせわしく生きている普段の生活の中では気づかないだけであって、いのちの中では別世界のように、心(霊魂)の共振共鳴が休みなく働き続けている。

 ここで、数字が示すメッセージ性として、数字には魂が生きているということ、その意志性を暗示する共時性現象を紹介してみようと思う。

 昭和五七年一一月一二日、二人の叔母姉妹の間で、姉を義母としての養子縁組が結ばれた。ところが、それより一年後の昭和五九年一月四日四時五二分、養母の叔母が亡くなり、寺も墓もないから、生家の墓に納骨することになった。

 養女の叔母はこれからのことを思い、永代供養の法要を行うことにして、生家を訪ねたのは、義母が亡くなってから八年目の平成三年一〇月一二日のことであった。

 生家の村には、叔母の同級生が四名いて、当日は永代供養を済ませてから、その同級会にも出席する予定になっていた。

 私たち三人で出かけた菩提寺での永代供養を終えてから、同級生の一人、志田宅に立ち寄ることにして、叔母とはそこで別れることにした。

 志田宅は、生家の三軒隣であって、古くからの付き合いであり、遠慮のない間柄である。叔母を置いてから帰りぎわのこと、縁側にある沢山の鉢植えに目が留まった。特に、肉厚の観葉植物が根分けされている鉢に心を引かれたのである。聞くと、この植物は挿し木で簡単に根が付くといい、名前は「幸福の木」というから縁起物であり、心を込めて大事に育てているということであった。

 その鉢を一心に見入っている妻の姿を見ていたこの家の主人が、「一鉢あげるから持って行きなさい」と言ってくれたので、妻は大喜びである。「この鉢がよかろう」と選んでくれた鉢を抱いて帰宅し、玄関の下駄箱の上で向きを見ながら鉢を回転していると、その鉢には数字が書かれてあった。

〝六三、四、一二〟という数字なのだがどうもそれが月日ではないかと思い、電話で聞いてみると、植え込みをした年月日であることが分かった。

 その日の話はこれだけのことであり、特にどうこうならないのが普通の生き方だろうとは思うが、共振共鳴の共時性現象を探索する者にしてみれば、その数字一つ目にするだけで、心躍り上がることにもなるのだ。四月一二日は、私たちの結婚記念日である。そしてこの日は、一〇月一二日。

 「四月一二日と一〇月一二日」。それのみか、永代供養のご本尊である叔母姉妹が養子縁組をした日が昭和五七年一一月一二日である。当日の一〇月一二日は、ちょうど一月早い〝縁日〟の一二日であったのだ。

 一二日に養子の縁を結び、一二日に養母の永代供養の法要、四月一二日に植えられた幸福の木をいただくという流れ…。四月一二日が、私たちの結婚記念日ということは、どのように理解したらよいものか。そこに、必死に呼びかけている意志のひびきを感じてならない。無理に個人的に注釈をつけることは、むしろ真意を曲げるおそれを招くことにもなりかねないから、その意志のひびきを受け止める情感が大切と思うのである。…

(中略)

 …養母の叔母は、縁者のいのちの中で、生者の世界を見ている。人々の行動の原動力となって、また、言葉の発信体となって、その証しを数霊に示しつづけて、いのちの中で生き続けているのである。

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米(食物・自然界)の生命愛に身も心も重ねることで、波乱万丈な人生もどんなに苦しい思いも澄み切ったものへと昇華した著者夫妻。その二人が遭遇した共振共鳴共時の記録は、「こころとは」「いのちとは」という命題に対する答えの証しです。