神秘の大樹だいじゅ
 田之助たのすけとミロクの亀 



要点・概要

旅の先々で続く「意図的な」亀との出会い…
魂は出会いの縁を結び
出会いの縁は運勢運命を運ぶ

本書「帯」記載の文言より

 

酒乱を乗り越え、自分のいのちに目覚めて間もない著者が、心おもむくままに訪れた旅先で次々と出会う「亀」。体験の記録を、第2巻と共通するシナリオ形式のコミカルな物語として展開し、縁は単なる偶然ではなく、宇宙根源に根ざす生命の本質(真性魂)による道案内だと伝えています。

 

「人生にむだな体験はひとつもない」とよく言います。つきつめると、それはどういう意味でしょうか。あとでふり返ると、あらゆる経験は一本の線でつながる「点」だったということがよくありますが、それはなぜなのでしょうか。

 

物語(印刷版:全324ページ)
著者略歴:閲覧コンテンツ内

 

本文からの抜粋

心は宝 いのちの宝

本書まえがきの一節

 

まえがき

 

(1)そうよ そうよ

   田之助くんは

   助けた亀に

   つれられて

   心の旅に出てみれば

   世にも不思議な

   ことばかり

 

(2)文字や 数や

   色で逢う

   出会いを求めて

   どこまでも

   野越え山越え

   海越えて

   大亀 小亀と

   出会う旅

 

(3)引いて 引いて

   手を引いて

   肉体ないけど

   心で引いて

   いのちの船は

   出会い船

   万霊万魂

   守り旅

 


 その時、私は56歳になっていた。亀の姿に身を変えた魂の誘いであったのか、やりきれない衝動にせきたてられて、目的のない放浪の旅に出たのは、断酒5年目の、平成2年6月のことであった。

 旅に出た当日には、手招き姿の海亀と出会い、その翌々日には、国道を横切ろうとしていた小さな亀と出会い、農薬を心配した私は、近くのお寺の池に放したのである。

 それからというものは、旅の先々で、いかにも意図的に亀との出会いが続くようになった。

 まるで、現代版の浦島太郎の世界に入っていたのかもしれない。

 そこには、計り知れない異次元世界が広がっており、それが私の心の世界と共振共鳴しながら、出会いの縁を重ねる旅となった。

 そうした数々の出会いに秘められた縁結びのメカニズムを、いのちの中で、今、私たちの心と亡き方々の魂は、どのように働きかけ合っているのかを私なりに浮き出してみたのである。

 本文全てにわたり、シナリオ文体で表現させていただいた。

 登場スタッフは、天の声・ナビ大王・かずたま姫・もじたまの皇子・いろたま姫・夢オヤジ・ミロクの亀・田之助(私)の8名である。

 ここで旅の流れにおいて忘れてはならないことを書き添えねばならない。出会いの縁には、必ずといってよいほど文字の響きがあり、数の響きがあり、色の響きがあるという事実。また、文字・数・色を意志伝達の媒体として介在させて、声なき声を発している事実。その声なき声の発生源こそ妻の精神世界と共振共鳴するいのちの世界だといえる。

 妻は、30年前から、いのちからの響きを文字に書いてきた。その文字のことを妻は「いただきもの」と呼んで来た。また、その頃から、偶然の一致といわれている「共時性現象」がしきりに発生するようにもなった。その内容は「文字・数・色」に響かせて、声なき声のいのちの響きとなっていた。

 これまでに、その文章は、数万点に及んだが、今はそのほとんどが消滅している。その中で、私が追い求めてきた「いのちとは何ぞや」という命題に、一大ヒントを与えてくれた文章があるので、本書の「あとがき」で紹介させてもらった。

 妻は30年前のある日を境にして、頭の中が空白感でいっぱいとなり、現実世界観からは大きく隔たり、無私の世界となり、「生死の境」もなくなり、死んでも生きている心の世界が展開されてきた。そのような流れの中で、私の放浪の旅が始まったのであり、それはまた、妻の世界を学ぶ体験学習の旅でもあった。

 数千例の共時性現象体験を通して、出会いの縁と、その発生メカニズムを、「人は死すとも、心は生きている」という確かな証しを、得ることができたのである。

 本書は、その証しの一端である。

 

心は成長する

心が成長して魂となる

魂は出会いの縁を結ぶ

出会いの縁は運勢運命を運ぶ

心は宝 いのちの宝

 

平成24年新緑 富士宮市猫沢にて 著者 菅原 茂

 

 

 

神秘の大樹Ⅳ 目次

 

まえがき

前編―旅立ちから屋久島へ

中編―鹿児島から三重へ

後編―岐阜から帰還へ

あとがき

巻末付記

 


 

中編―鹿児島から三重へ

(中略)

 いかに些細な出会いにおいても、そこに秘められているいのちの響き合いには思えば思うほど無視できない天の意、地の意が織り込まれています。田之助は、それが「いのちの絵図面」であることを感じていたのです。

 その天地の意は、即ち、宇宙生命から発せられている総合的な絶対調和力であり、それを言い換えれば、一大調和意志であると田之助は思うようになっていたのです。その意志性の示すものは、そこにかかわる一人一人の、そして田之助自身の「心が軸」となって回転していることも解ってきたのです。

 心の共振共鳴現象が縁へのいざないであり、道明かりであると思うようになっていたのです。

 バス停留所の時刻表を見た田之助は、琵琶湖山中で出会ったミロクの亀と同行してきて日も浅い今日までにも、劇的な亀との出会いや数字の心や文字の心が媒介する出会いがあったことを思い出しました。

 

(中略)

 

縁は異なもの味なもの…

袖触れ合うも他生の縁…

と、古来から言われてきたのですが、そこは、深い奥の世界、魂の積み上げの中から生きようとする、いわば魂が活火山噴火のような世界です。それが現実世界の田之助の心に合流して、出会いの道明かりとなって噴き上がってくるのです。その魂のマグマだまりの動きをつぶさに見届けながら、ナビ大王は田之助の今の心と合わせてさまざまの姿で縁を結んでくれるのです。 ナビ大王は、いのち舟の一人一人の縁結びをする船長なのです。

 もじたまの皇子や、かずたま姫、いろたま姫たちは、深い魂のマグマだまり世界と、今の心の世界に関する世界との情報をナビ大王に一部始終報告して、いのち舟の働きを補佐しています。そして、あらゆる出会いの縁から「何を学ぶか」は、いのち舟の客人である田之助次第で、田之助がどう受け止めて人生にどう生かしてゆくかが運勢運命のカギとなります。

 いのち舟の運航は、内界であり、いのちの本体の世界です。出会いという一つ一つの結果は外界(現実)に姿となって現れてきます。田之助は、その出会いという縁結びの世界のメカニズムともいえる実態を知る体験学習の最中といえます。

 出会いというものには、一つ一つの共振共鳴するその理由が秘められています。その共振共鳴する理由は田之助本人の今の心であり、文字的な心であり、数的な心であったり、色彩的な心であったり、また、複合的に発生してくることもあり、実に多種多彩な世界なのです。

 

(中略)

 

 ここを出発したいのち舟は関門海峡を上空から渡ることにしました。国道三号から本州の国道二号に入るのですが、大王のナビの画像には種田山頭火と防府天満宮が写しだされていました。

 田之助の心を知った大王は、瀬戸内海上空を東方に進めて行きました。山口県防府上空にさしかかったとき大王は

ナビ大王「田之助くん、私の前に山頭火が現れましてね

自分の著書をよく読んでくれていた田之助くんに

是非合わせてくれというのです

深い心の世界からのコンタク卜は

私に話してくれればいのち舟の客人には

スムーズにつなぎをつけることができるのですよ

山頭火の魂はそのことを心得ていたから引き受けたのです

生家と菩提寺を訪ねてみることにしましたよ」

 ナビ大王はいのち舟で、山頭火の生家経由で墓前参拝することにしたのでした。

 種田山頭火は本名を「正一」といい、明治一五年・防府市八王子二丁目一三で大地主の長男として出生しました。早稲田大学中退後父と酒造業を営むものの稼業に失敗して、大正一四年・四四歳のとき出家しました。自由律を詠む漂泊の俳人として全国行脚を成し遂げています。晩年松山市に一草庵を結び、昭和一五年一〇月死亡。享年五九歳。このような略歴を持つ山頭火は極めて特異な句を詠んでいます。

☆ 雨ふるふるさとははだしであるく

☆ うどん供えて母よわたくしもいただきまする

☆ 分け入っても分け入っても青い山

 これらはどれも田之助の心に、沁みるものでありました。

 田之助が墓前を後にした時、吸い込まれるような強烈な眠気に包まれました。それを知ったナビ大王は、田之助を心ゆくまで寝かせることにしました。田之助は一時一六分から四時二一分まで三時間〇五分も熟睡したのでした。目覚めた田之助にナビ大王は静かに語りかけました。

ナビ大王「田之助くん、驚くほど寝込みましたね

なぜこれほど急に眠りたかったか

その理由がはっきりしているのですよ

熟睡の間山頭火(正一)さんとあなたは

話に花を咲かせていたこと知らないでしょう…

過ぎ去った心のマグマと話すには

覚醒のままでは現実世界にアクセスすることは難しいのです

とにかく正確には伝わらないのでね

そこで私が中継ぎして魂交流するには

無意識世界の熟睡が一番いいのです

田之助くんがどんな心でいるかを知り

更に相手の魂の波動同調性をみて判断するのです

田之助担当のこの私は

常にあなたの心をみているということを

忘れないで下さいよ」

と、ナビ大王は嬉しそうにして、田之助に魂とのアクセスの話をしてくれたのです。

 田之助は、彼(山頭火)と何を語り合ったかは全く記憶に残っていませんが、それでいいと思いました。いのちの世界はそれで整合性を保っているというなら、それでいいのだと田之助は思っていました。

 魂のマグマだまりから、安全弁無しで噴出したら狂気千万となります。ナビ大王こそ田之助のアクセスにおける安全弁であることを学ぶことができたのです。  

 

(中略)

 

〝心あれば心通じ、心なければ心は通ぜず〟

 この世もあの世も同じことであって、心あれば互いに心が通じ合います。また、心の波調波形が類似するなら互いに通じ合います。この世とあの世とが一つ異なることがあるとすれば、この世では、お世辞やおべんちゃらのように実際の心が無くてもあるように偽装することがよくあるようです。

 ところが、この世の現実と魂(あの世=過去心)の交流にはそれがききません。あちら側からは決してお世辞で接近することは無いといえます。お世辞では心の共振共鳴は起きないのです。すべてあからさまなのです。魂になった心はそのまま現われてきます。

 

(後略)

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米(食物・自然界)の生命愛に身も心も重ねることで、波乱万丈な人生もどんなに苦しい思いも澄み切ったものへと昇華した著者夫妻。その二人が遭遇した共振共鳴共時の記録は、「こころとは」「いのちとは」という命題に対する答えの証しです。