図・写真を除く文章のみの掲載。
世に言う「たまたま」という言葉、「偶然」という言葉、また、「偶然の一致」という現象は、はたして本当に単なる偶然なのでしょうか。
思い起こせば、あれは昭和六一年(一九八六年)当初のことでした。自分の意識改革に踏み切った私は、妻と一緒に日々苦行の連続でした。あれからすでに二五年の月日が過ぎようとしていますが、当初の二、三年ころから気づき始めていた、俗にいう、偶然の一致といわれる現象がしきりに身のまわりに発現し始めたのです。そして、記録し続けた体験記録は、今はゆうに三〇〇〇例にも達しています。
今回その中から選んだ例を二五話にまとめ、神秘の大樹シリーズ第一巻として、発行することになりました。以後、このシリーズを続けてまいります。
妻と二人三脚で波瀾万丈な世界を体験してきた私が得た結論は、この世には、「たまたま」とも「偶然」ともいう現象は、単に言葉上の話の便法として交わされる風通しの良い言葉の世界であって、少なくとも私達にとっては、「偶然」の二文字はない、というものでした。
偶然の二文字が消えたその跡に何が残ったかといえば、それは、「共振・共鳴・共時の世界」でありました。共に触れ合い、共にひびき合い、共に時を同じくする、という共時性現象(シンクロニシティー)こそが、俗に言う偶然の一致の姿であったのです。
この世を端的に表現するならば、それは〝因果の世界〟といえましょう。原因に添ったそれ相応の結果というものが、現代科学の基礎になっていると思うのです。しかし、それだけでは、共振・共鳴・共時の世界を説明することはできません。原因と結果を結ぶ因果の世界には必ずや、その中をとりもつ「縁結びの世界」が存在するからです。それは〝縁エネルギー〟の存在です。〝縁エネルギー〟とは〝科学では証明しがたい、物申す魂の世界〟なのです。
今で言う情報化社会の中心ともいえるプロバイダーの持つ接続の働きとよく似た〝縁結びの主役〟を担っているのが、肉体は死んでも魂は生きているというような〝魂の世界〟といえましょう。
原因が結果となるには必ず「縁結び」というプロバイダーが存在するはずです。縁の活躍があればこそ、原因―縁結び―結果を呼ぶことになり、因・縁・果というすっきりとしたいのちの流れとなります。肉体が死んでも生き活きと活躍する魂こそ縁結びの神といえましょう。
魂の世界は「霊界」、「無意識世界」「潜在意識」「深層意識」などなど表現はさまざまですが、私は一言で魂と呼んでいます。魂の世界は、人類発生から今日まで「今の心」をベースにして延々と形成されてきました。肉体を消した死の世界は、生きていた当時の心が積み重なって出来たものであればこそ「今の心」の尊いことが分かってきます。心は縁の力を持っていて、運命を支配する力をも持っています。心は常にいのちの絶対調和力の統制下にあって統御されている立場にあります。だから、縁はいのちの調和として存在し、人は、縁によって様々な人生劇場を繰り広げることになります。
神秘の大樹シリーズから、心と縁が運命転換の鍵を握っているということを少しでもご理解いただけるなら幸いです。
平成二三年 一月
著者 菅原 茂
©︎おりづる書房