生命現象の根源

体と心の相関性

体の自律性への依存

 

概要

 

私たちは、基本的な生命活動をすべて、体の精緻な働きに依存しています。体内の微視的領域はだれも立ち入ることができない、いわば「聖域」。たとえば「食は大事だ」という思想は一見単純ですが、自分の意思で選んで口にした食物は、いったん飲みこむと、あとは体にゆだねるしかありません。これが真実です。

 

食物のおかげであることは言うまでもありませんが、その消化吸収から排泄までのすべてを、まるで「自動的」であるかのように処理しているのは体です。体内は遺伝子に組み込まれた規則性に従って動き続けているようにもおもえます。そのいっぽうで、体内でおきている化学反応や物理現象の実際は、諸条件に沿って機械的に起きているというよりは、「自律的」におこなわれているようにも見え、とても神秘的です。

 

ところで、人間はなぜ食物を食べるのでしょうか。おそらく答えは空腹や食欲を満たすため。では、なぜ食べなければ生きられないように、いのちはできているのでしょう。まるで、何を食べるかという選択の自由を与えられ、意思を試されているかのようです。というのも、基本的に、体質は先天性のものですが、その現れとしての健康状態は決して固定的ではなく流動的で、実際に日々の食生活が健康状態を左右します。ゆっくりと年月をかけて、しかし、まちがいなく変化します。しかも、私たちの体は常に変化し続けているため、特に病んではいなくても、その改善や向上にこれでよいという終わりもありません。

 

体は、まず前提として食物の力を借りるしかありませんし、それが最も自然な姿です。にもかかわらず、私たちは体内における食物の行方が見えないため、食に対して適当になりがちです。じぶんの生命全体に関わる問題として深く考えず、自律的ないのちの営みに任せっぱなし。体のなかでどのようなことがおきているかを意識することは、ほとんどありません。じぶんの体の見えざる真実へのまなざしと気づきは、心身を調和・統合できるかどうかと密接に関わるとても重要な課題だと感じます。

 

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もっとくわしく

 

参考図書からの抜粋
目次

  1. 『神秘の大樹Ⅰ偶然が消える時』
  2. 『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』
  3. 『至恩通信』
  4. ほかの視点
  5. 引用・参考図書
  6. 関連する主題

 

 

天地普遍の縁エネルギー

『神秘の大樹Ⅰ偶然が消える時』
「天地普遍の縁エネルギー」より

ここから書籍『神秘の大樹 第一巻 偶然が消える時』の抜粋。「まず、生きる原点を覗いたとすれば「食と呼吸」に行き着く。食が生命に転換する次元、口から入った食物が胃で燃やされて、小腸で吸収され血となり肉となる生命転換次元に、縁エネルギーの結びの神がおられるようだと考えてみた。そこは思えば思うほど、自分ではどうにもこうにも手のかけようもない不可侵の聖域なのだ。そこを生命のゼロ磁場の世界と私は考えた。いのちの単位には、一体の生命体にしても、それを構成する細胞一つにしても、原子(元素)一つにしても、必ずやゼロの磁場があると思っている。この命のゼロ磁場こそ万物普遍の情報をキャッチできる次元で、人知ではコントロールできない次元ではないのか。」抜粋はここまで

 

出典『神秘の大樹Ⅰ偶然が消える時』p.41〜43

(中略)

非現実が現実となり
不可視が可視となり
現実の裏で働く真実

 

 いのちほど神秘な世界はない。見える現実の奥できらめく縁のエネルギー。満光満華の光で交差している真実世界。出会いの秘密はどうもここにあるようだ。現実世界を紡ぎ出す裏方さんのその縁の発生源は、生命の本質、いのちの本体にその秘密が内在されているようだ。まず、生きる原点を覗いたとすれば「食と呼吸」に行き着く。

 

食が生命に転換する次元
口から入った食物が胃で燃やされて
小腸で吸収され血となり肉となる生命転換次元

 

に、縁エネルギーの結びの神がおられるようだと考えてみた。そこは思えば思うほど、自分ではどうにもこうにも手のかけようもない不可侵の聖域なのだ。そこを生命のゼロ磁場の世界と私は考えた。

 いのちの単位には、一体の生命体にしても、それを構成する細胞一つにしても、原子(元素)一つにしても、必ずやゼロの磁場があると思っている。この命のゼロ磁場こそ万物普遍の情報をキャッチできる次元で、人知ではコントロールできない次元ではないのか。

 この世の億万兆の情報をキャッチできる次元のその接点を結んだ時、「あっ、この方と会いたいっ!」と、全身に閃きを発生させ.意識へと昇華されるのかもしれない。
 共振共鳴共時の現象は、おおむね「文字・数・色」に分類されて、相互にその接点を結び合う吸引・反発の霊魂の働きと考えてもみた。その発生場がいのちの中心軸=ゼロ磁場ではないのだろうか。

 こうして私たちの、共振・共鳴・共時の旅は果てしなく続いている。『神秘の大樹Ⅰ偶然が消える時』について↓)

 

 

〝いのちの誕生〟

(章が節や項で区切られていないため、サイト編集者による任意の〝見出し〟)

出典『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』p.10〜20

 (中略)

「日々の心」 四八二

 
母はわが子を宿した / そして / その子に母は宿る / 母はわが子を生んだ / そして / その子の中に / 自分をも産み落とした / そして/ その子の中で生き / 母と父 / その子の外にいる元の / 母と父 / そして / その子の中にも / 生きている母と父 / どちらも〝本物〟だ / そして / 元の母と父は死んだ / そして / その子の中で育つ / 母と父 / 永遠に繰り返される
母と子 / 子は母となり / 子を宿し母となり / 子の中に生きる / 死に変わり生き変わりて / 続く魂 / 自分の中は魂の博物館

 

 「日々の心」四八三

 
母の子宮の中では / いのちがいのちを / いのちたらしめるための / 十月十日とつきとおか / 新しいいのちの再生世界 / そこは母の〝呼吸と食〟以外は / 立入禁止の聖域 / また、いのちの道は一本道 / 口から入った食が / いのちを / いのちたらしめるための一本道 / 食はいのちで / 食以外は立入禁止 / 一呼一吸天の気 / 一食一排地の気 / 天地の気はいのちの食 / 食はいのちの呼吸なり

 

 万物の霊長といわれる人間ですが、次元を生きる原点に引き戻して考えるとき、果たしてどうでしょうか。もしもこの大自然界に放り出されたときのことを想像するだけで、何もかもギブ・アップすることばかりです。

 人間が優れているのは〝知性〟という特性があればこそです。そして、優れているのは、単に人間社会でのことにすぎないのだと気づきます。

 単身で空を飛ぶことはできないし、オリンピックのどんな競技の一流選手でも、猿やチーターや象やライオンやイルカたちに太刀打ちできないのは先刻承知のことです。裸一貫では成すすべもありません。優劣ではなく、その種が持つ〝特性〟という、いのちの平等に立たなくては比較などできようがありません。優劣は人間社会でのことであり、他の生き物が人間より、すべてにおいて劣るという見方は、白紙に戻さなくてはなりません。

 人間は、いろいろとものを考え、何かをつくり上げるという創造力にかけてはものすごい能力を発揮しますが、これを、万物の霊長というより、人間に与えられた一大特性と考えてみたいものです。

 特性である〝知性〟の活躍で、人間はとてつもなく広大な文化圏をつくり出しましたが、その、量的資産と同様に〝心の資産〟をも積み上げてきました。この心の資産を「魂」と呼んでみたとき、人間の魂は、私なりに考えれば、人間の遺伝子(DNA)とイコールに近いのではないかと思うのです。

 人類の心と行動のすべてが、一つ一つの細胞に組み込まれている遺伝子そのものの、大部分を形成しているのではないでしょうか。これについてはもちろん、人類という種に到達するまでの、果てしない生物の精神体である「心性」のルーツに遡らなければなりませんが、人類になってからに絞って考えてみるならば、人間が人間であるための、心と体の生きざまの記憶量が「遺伝子化」したのではないかと考えてしまうのです。

 ナンセンスも甚だしいとそしりを免れないでしょうが、今は、ヒトゲノムが解明されている時代です。遺伝子の数は約2万といわれ、その中で、確かに意味が解明されている遺伝子は全体の2%以下に過ぎず、大部分は何のためにあるのかさえわからないというではないですか。もしかするとそれこそ〝魂のDNA〟なのではないか、これは、ずぶの素人だからおそれもなく考えつくことかもしれません。

 いずれにしても、人の心の記憶蓄積量は、他の生物たちと比べたら、とんでもなく膨大な量になると思うのです。

 一人ひとりのいのちの中は、魂の巨大なダムになっています。その魂が、いのちの光の柱に絡み付くようにして生き続けています。

 いのちの道は一本道です。大調和の光を放つ一本道です。そのいのちの一本道の光の中で、人間の魂は正しい調和安定の波動に見据えられ、かつ、監視・コントロールされているのです。

 「日々の心 四八三」で記したように、母の子宮の中は、母の「呼吸と食」以外は絶対立入禁止の聖域なのです。いのち自身がいのちを育てている聖域なのです。その十月十日とつきとおかといわれる平均期間内で、人が人として再生します。このとき、圧縮し、凝縮された魂も同時に再生の道に入ります。

 その間、母が摂取する「呼吸と食」以外は立入禁止の、いのちの聖域である「子宮」の中で、引き継がれてきた魂のすべても、この世の夜明けを待って、新生児として誕生します。肉体の誕生は魂の誕生でもあります。

 子宮の中では、母がいただく大気の呼吸と食物の摂取によって、


いのちによる

いのちたらしめる

いのちのために

宇宙根源からの

生命エネルギーで

ごくごく自然に

肉体と精神の

一元一体の

いのちの姿になるために

その流れを続けます

 

 ひたすら母親は、呼吸の気を送り、生命元素の〝食〟を送り続けての生命奉仕です。十月十日とつきとおかは、立入厳禁聖域となる子宮の小宇宙世界であり、宇宙意志のカプセルでもあるのです。

 そして、機が満ちてこの世に出生した新生児は、やがて、一体のいのちとして、その骨格が完了するのは、男性でだいたい一八歳、女性で一五歳少々に達してのこと。骨の数は、新生児で約三〇〇本、最終的には全部で〝二〇六本〟になるといわれています。
 一生命体が完成するまでの原形は、十月十日とつきとおかの、子宮という小宇宙世界で、その基盤ができあがるわけです。母親の口から入った〝食〟が胃に入って、十二指腸に入り、小腸に入り、分子・原子次元まで分解された物が吸収細胞によって取り込まれ、全身に届けられます。そこでいのちの新陳代謝が起こり、生き生きと輝く命となります。そして、子宮の胎児が育ちます。

 胎児が出生するまでの、この完璧ないのちの組み立ての仕組みは、〝天のご意志〟というほかありません。

 こうして積み上げられてきた人間の魂は、成長とともに、この世のあらゆる心身環境を取り入れながら、扉を一つ、また一つと開いていくこととなるでしょう。

 いのちの監視の中にある魂は、億万年の心の集団です。魂に新旧はないと私は思っています。昔も今もありません。百年前も、万年前の魂も、すべて〝今〟に生き生きと輝くのです。多次元立体ではなく、一次元の、一面一体で同時再生の世界です。

 浮き上がる心の条件さえ整えば、昔も今も越えた次元の〝今〟に生きてくる世界なのです。魂は活火山と同じです。条件を待って噴き上がります。その条件は、今の心でお膳立てをしています。

 「今の思い」という心も亡き魂の心も、すべて、このいのちの中に在ります。いのちの〝原子〟となって生きているのです。

 大地を見てみれば、種を蒔いてもいないのに、いつの間にか思い思いに芽を吹き出した草木がずんずんと丈を伸ばして花を咲かせ、実をつけ、種を育てます。太陽や水などの自然の発芽環境条件を待ちつづけて、いのちに最もよい自然条件の下で顔を出してきているのです。生命波動の共振共鳴の現象です。

 たとえ、何もない荒れ地でも芽を出し始める草木たちの、そのいのちを、自分の中の魂にも重ね合わせてみることができるというものです。自分のいのちを、〝心の大地〟に見立てたとき、その心の大地から多くの魂の芽が、生きる条件を待ちながら、顔を出そうとしています。

 それを〝心のつる草〟にたとえるなら、各人の心の大地から育ち始めている心のつる草は、その人の「縁結びの使者」となって、人生に大きな力となって働き続けることになりましょう。

 この世界の人間のいるところ、どこにでも、心のつる草が縁結びの一大センサーとなって交錯している事実は、目には見えない光の世界です。

 心のつる草は光です。なぜ光なのかといえば、心は、生命組成である原子の反応から発する電磁波と考えるからです。

 心は、いのちという光の下でしか生きられない宿命を背負っています。それゆえにいのちは、一元一体二象体という現れ方をします。いのちは、元は一体のエネルギー体であって、その中では、物質体と精神体という二大特性を持つエネルギーが融合一体となって、動となり静となり、火となり水となり、中心には絶対静のゼロ磁場があると思うのです。その一体の中に二象体のエネルギーを容しているのが、私の考えるいのちの実体像なのです。その〝二象体〟は、物質体(物性=肉体)と、精神体(心性=心)という現れ方であり、その〝精神体〟の部分から発する二次的生命に当たるのが心であると考えています。いのちのエネルギーは、そのような実体像を持つ、宇宙絶対調和力(一大調和ご意志)であると思えば、心というのは常に、生命エネルギーの調和安定に引き戻される宿命の下でしか存在できないということになります。

(後略) 

『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』について↓)

 

 

〝いのちの裏時計〟

(章が節や項で区切られていないため、サイト編集者による任意の〝見出し〟)

出典『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』p.118〜120

  目には見えない時計の内面が時計の命であり、メカニズムであり、無数の担当部品たちの正確無比無休の働きがあればこそ、表の大針小針で現実を表示します。人体もまた同じことです。体内を構成する億万兆の細胞たち、二〇六本の骨、血管、神経、体液、脳、心臓、肺、食道、胃、十二指腸、小腸、大腸、肛門、膵臓、肝臓、牌臓、卵巣、子宮、睾丸、大脳、小脳、間脳、脳髄、延髄、視床下部、脳下垂体、目、口、鼻、耳、舌、歯、喉仏に気管支、手足の指は二十本、頭の毛数十万本、陰毛、腋毛に胸毛…書きはじめたら何日かかるかわかりません。生命体の見えない体内では、すべてが相互信頼で、すべてが連携プレーです。それも正確無比無休で一切が自動です。内面のエネルギーは唯一点に結ばれています。そしてこの内面が〝心の国〟なのです。時計の針が動くのと一緒で、人々の現実生活が流れている根幹が心の国にありました。心の国の喜びが、自分の喜びの表情となるのです。

 このように、心の国ではそれに気づいても気づかなくても、動きが止まることはありません。止まれば暗黒世界。動きあればこその現実があります。

 〝いのちの裏時計〟に気づきはじめたとき、心の扉が開かれてきます。そのとき、万光の輝きとなり、平安の輝きとなり、無益な闘争の火が消える日がやって来ます。必ずやって来ます。

 心の原点、生きる原点を開くことが、天明が取り次いだ日月神示第一六巻でいう、

 〝いわとびらきなりなるぞ、

  まこといわとはとわぞ〟

これこそが、日月神示の真骨頂でしょう。

 岡本天明が取り次いだ一六年間の神示は主に数字と記号でした。ご縁というものはすばらしいもので、この神示を解読する作業に強力な助っ人が加わったのです。
 昭和三四(一九五九)年七月七日、小田野おだの女史との出会いです。画家、数学者、哲学者といういかめしい肩書を持った偉人でした。

 小田野女史は、日月神示の核心を貫く一本の光は「ことば」(光透波)であると直言しました。「ことば」は神示でいう丸の中に点が入っている記号であり神であるわけです。また、数字のことば「九十八ことば」に展開されます。さらに、九十八の和数は「九」であるとして、九こそ天の意、すなわち、宇宙意志であり、いのちの本質であることを示されました。

 このことを田之助の妻、いろは姫は、「九」を「食」だというのです。九=クをクウにひびきを重ねて「食う」へと展開するわけですが、それほどの違和感はありません。田之助が、タマヒロ社長と会話の後で急に唱えだした〝わたしは原子〟に戻ってみれば、ここでの「九と食う」という展開は自然の流れでありましょう。食といのちの循環リズムの中にこそいのちの本質を探る道筋があるといえるし、食といのちは同義と考えてもおかしくはないのです。

 
一呼一吸天の気
一食一排地の気
天地の気はいのちの食
食はいのちの呼吸なり

 

 食はいのちの呼吸ですから同義同体なのです。

 その「食って生きる」原点にこそ共振共鳴共時性の原理の世界が見えてくるといえます。いのちを神と呼ぶなら、食もまた神ということになりましょう。

『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』について↓)

 

 

〝五体こそカミの器〟(仮称)

出典『至恩通信』平成19年5月23日(旧4/7号)(258号)

(中略)

人のいのちの成り立ちは

母胎に宿った 十月十日 八八 八四 で運ぶ 食のみによって 育成生 致します。誰も 手をかけることの出来ないウソのない母体の中 光 恵 恩 実 証す。

いのちの元点を 心に抱いて 一生あらねばならぬ 悟りとなりました。

食なくして 五体は この世に存在出来ません。

この五体は ひかりでございます。と、さとった今、身体をなでながら、ふでに「自分拝まねば どうにもならんことになるぞ」と、示されているのは、このことでございました。

今迄 遠く 天空の彼方に 神を拝してまいりました。

自らの五体こそ、食に生かされている カミ の器でございました。

 (後略)

 

引用・参考図書

▼閲覧と図書館検索

書籍『神秘の大樹 第一巻 偶然が消える時』の詳細・閲覧ページにリンクしています

神秘の大樹 Ⅰ
偶然が消える時

菅原茂/おりづる書房/2011年

本の総合情報

 

いまを生きている自分(あなた)自身の存在こそ、肉体をまとい、服を身につけている霊魂そのものだという。 霊魂というと、わが身の外に存在し、わが身の外で起きる「現象」と考えがちだが、そもそもそれは、私たちのからだやこころに内在し、わが身の中で起きていることがらなのである。

 

▼閲覧と図書館検索

書籍『神秘の大樹 第二巻 ヒロシマとつる姫』の詳細・閲覧ページにリンクしています

神秘の大樹 Ⅱ
ヒロシマとつる姫

菅原茂/おりづる書房/2011年

本の総合情報

 

縁結びの背景としての心の世界を描くシリーズ第二巻。創作シナリオを織り交ぜた明るい内容の比較的短い物語が主体だが、おそらく全四巻の中で、生命の最も本質的な核心を表現している。自分の心身と深く向き合えるようになるほど、本の内容もよりいっそう理解できる本と言ってさしつかえないだろう。

 

 


▼図書館検索

書籍『ひふみ神示』を図書館検索サイト「カーリル」で検索します

ひふみ神示(上巻)

岡本天明著/コスモ・テン・パブリケーション/1994年

岡本天明氏の「自動書記」による著書。心の目を開いて自己調和に努めるよう人類に警鐘を鳴らし気づきを促す書として知られている。文中には、この神示そのものについて、人としての「道」を示したものであり、特定の宗教として広めてはならないという主旨のことが書いてある。長編であり、難解な箇所もある。諸説あるが、「アレの巻」の冒頭に書かれたごく短い二文(下記)が最も重要な部分だとも言われている。

 

 

共時性とは何か

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時空や生死を超え、人種や生物種も超えて、いのちには境界がない証し

 

因果性とは何か

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「因果性」の実際は、それほど単純ではなく、もっと複雑。科学的な「法則」は、限定的な条件のもとでのみ有効だ。

 

偶然にひそむ因果

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因果性がないというより、今の科学の尺度では説明できない、と言うべきではないのか。

 


共時性の真価

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平成5年8月6日、広島平和公園で偶然発見された一羽の折鶴。共時性の真の価値は、生命現象そのものではなく、それが生命の真実を示していることだ。

 

サイトの概要

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