生命現象の根源
体質が変われば、それにともなって自然に心の質が一変するかといえば、そういう機械的な関係ではありません。そもそも体質は気質と同じく先天的特徴だとすると、それが変わること(変質や転換)がありうるのかという疑問は若干あります。たとえば、食生活を一変させた結果、体質転換を想像させる体の大きな変化を経験する場合です。それは、体質の現れである健康状態の改善であり、体質転換ではないという見方もできるのではないかと、みずからの経験を振り返って感じています。
では、食習慣を変えることで起きる健康状態の向上や改善は、心に影響すると言えるでしょうか。これに対しては、体質改善が心に変化をもたらすというより、意識の改善なくして体質の改善はないと感じます。何をどう食べるかは、食物と体とに対する認識の仕方や態度の問題と切り離せないので、それに応じて、健康状態の向上や、体質転換の可能性が開けるという見方が適当ではないかとおもいます。
心のもち方ひとつで体の反応は変わるというのも、経験的に多くの人が実感していることです。これは、いま述べた点と共通していますが、それを理由に、食は大した問題ではないと考えるのは問題があります。人間が心と体とを与えられている意味を考えると、適切な食物を選んで食べてさえいれば心も健全になる、という考え方が偏見であるように、心のありようさえ注意すれば体の健康も保てる、という思想は偏った精神論です。
体も心も「いのち」という本質の投影だとすれば、その全体性とのかかわりにおいて、心の深層への流れ(霊的な縁=心の発生)には変化が起こりうると考えます。つまり、体との関連なしに心の根元的変化はなく、心との関連なくして体の根元的変化はないということです。心は体のなかにある、または、基本的に心は体とともに在るわけですから、生命の深層において両者に相関性がないという見方には、無理があるとおもいます。ただし、人間の「いのち」は食なしには成立しないので、人間が単に「もの」ではないように、食物も「いのち」であって「もの」ではないという視点が欠けると、心と体と食、おたがいが機械的な相関関係にしか見えなくなる点には注意が必要だとおもいます。
平成5年8月6日の広島平和公園で出合った一羽の折鶴は、「倉敷市玉島」と印刷された広告で折られていた。その地名は「日月神示」で知られる岡本天明氏の出生地。縁結びのしくみを、「心のつる草」など比喩を用いた物語を織り交ぜて表現している。
共時性現象の体験記録をもとに、生命の本質は不滅だと伝えている。 酒乱人生から夫婦二人三脚で新たな人生を再出発させた著者。自らの足元を照らすかのような共時性現象の記録を随想としてまとめている。また、本の表紙を飾る稲穂はこの著書の本質を象徴している。