生命現象の根源

体と心の相関性

天地自然の調和性と人間

 

概要

 

人間は、さまざまな感情や欲望によって、心の調和が乱れたり、不安定になったりすることが多いものです。この心の性質は、人類の知性が発達しているからこその宿命と言えるかもしれません。では、ほかの生きものはどういう「いのち」なのでしょうか。

 

『いのちの証し』の表紙画像以下に挙げるいくつかの文は、すべて『死んでも生きているいのちの証し』(菅原茂著、たま出版)からの抜粋です。

 

動物は大地から分離して生きているから植物のような訳には到らず、ましてや、知性の高い人間は、生命情報感ではキリ(低)に属することになる。おのずから五感で感ずる外的心の情報にたよりがちとなり、(後略)(p.254)

 

生命界の情報量において、動物界は、植物には到底及ぶものではないと思うし、ましてや知性を最大の武器とする人間は、自然界の生命エネルギー情報キャッチにおいて極めて退化傾向にあるのではないか。そのことは、自然力、自然智という感覚から次第に遠のくことを意味する。(p.47) 

 

いっぽう植物は、

 

大地に根を下し、地球生命の体温の中で親の心(地球の心性波動)をしっかり受け取り、自然のリズムにそって共に生きる。(p.254)

 

また、地上では、枝や葉や幹によって宇宙生命の情報を微細にわたってキャッチしている唯一の生物であろう。(中略)いのちの最前線といえばこの植物達である…(後略)(p.47)

 

発芽して幼い早苗へと成長し始めている米の種籾。写真の出典は書籍『酒乱こめのいのちが生きるまで』

根をだし茎葉をのばす米

 

知性の発達とともに「自然智」から遠ざかる傾向が強い人類は、自然界の食物を食べることで、いのちを調和の方向へと絶えず修正する必要があるのです。食の目的として、「満足感や満腹感を得ること」「栄養の補給」「体内浄化」など、ひとそれぞれに挙げられるとおもいますが、毎日食べ物を摂取する重要な意義は、いのちの自己調和にあると言ってさしつかえありません。

 

では、その「天地自然の普遍力」を何から得るかが問題になるわけですが、「“食性”によって生命情報は、ピンからキリまであり、例えば、菜食系の人、穀菜食系の人、肉食系の人では、その普遍力に満ちた生命情報に大きな差が生ずる」(p.254)と同著書において著者は述べています。 

  

食物の中でその生命情報力の高いものとしてはやはり五穀であろう。その中心をなす“米”が人間食の究極となろう。稲は、水性植物といえるほど水を好み、根も深く、半年間もじっくりと天地の生命力を吸収し、蓄えを実らせてくれる。 (中略)一粒の米には、天地自然の普遍力が宿っている。(『死んでも生きているいのちの証し』p.254〜255)

 

 玄米一粒。写真の出典は書籍『神秘の大樹 第二巻 ヒロシマとつる姫』

ひとつぶの米

 

もちろん、望ましい食生活をしていれば、万事安心というわけではありません。前に述べたように、いのちは物質的であると同時に霊的なものでもあるからです。じぶんの心の習性や癖を直視し、それを正す自覚、強い意志をもたないかぎり、いつまでたっても心の中で、相反するエネルギーや波長のギャップに葛藤し続けなければならないと言っていいとおもいます。

 

それならば、結局食物の力ではなく、強い意志の力がすべてではないかと思うかもしれませんが、どうもそうではないようなのです。わたし自身ずっと実感したいとおもい続けてきたことなのですが、こめ中心の「穀菜食」にしたからといって、それだけで心が穏やかに安定するわけではありません。意志の強さはとてつもなく重要です。しかし、毎日の食がじぶんのいのち全体の方向性や質と無関係ではないことも、疑う余地がない事実です。

 

食物の調和エネルギーとは、意識下にある、いわば表層の心を、部分的・表面的に調和・安定させる力ではなく、無意識次元からいのち全体を、自然界と同じ調和性へと導く根源的な力です。このため、本質的・根本的な調和へと向かう過程で、体も心も「一種の“苦”」をともないます。

 

いのちの調和作用”によって起る現象を、“調和現象”と考えている。調和現象の特徴は、その、いのちの中心に引き戻される時発生する一種の“苦”がある。それは、ゼロ志向のため起るものと考えている。これに対し、共振共鳴の共時現象は、相似融合作用であるから、それは、エネルギーの増幅志向にあるため、一種の“快”を発生させることになる。(p.225)

 

休耕田だろうか。湿った稲の切り株とすぐそばの水たまり。落ちた籾から自然に発芽した早苗。それをじっと観ているようにも見えるアマガエルがいる。写真の出典は書籍『いのちのふる里』

 

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詳細

 

参考図書からの抜粋

第十二話 細胞からの三つの願い

私は細胞 微生物
一〇〇兆個の 微生物
私の願いは 三つある
きれいな水と 簡素な食事
そして一つは 調和の心
三つの願いを 聞いてくれ
私は細胞 微生物
一〇〇兆個の 微生物
どうかよろしく 願います

 

 私は私であって私ではない。そんな思いにさせたのは、二枚の写真からであります。富士山と神田川、そして富士山と芝川の写真です。それは単に山と川なのではなく、自然の循環を思い、それに自分のいのちの循環を重ね合わせることができるからです。

 重ね合わせができた時、すべては何の違和感もなく一体になります。何一つかけ離れたものはありません。すべてが、巡りの中で結び合っております。

 それらは自分の外の世界の話ですが、ひるがえって自分の中の世界を顧みてみれば、人体の一つひとつ、その完成度には神意を感ぜずにはいられません。生命の最小単位といわれる細胞は、あらゆる生命機能を備えていて、人体は一〇〇兆個ほどの細胞で構成されているといわれています。その細胞もまた、三〇〇種類近くにも分かれており、人体の各部位・器官を構成しています。細胞一つひとつに聞いてみれば、どこまでが自分であってどこまでが自分ではないのか、さっぱりわからないという感覚なのかもしれません。細胞をさらに細かく、分子→原子→素粒子へと掘り下げてゆくと、その行き着く所は、神であり、神のご意志の次元に入るのではないでしょうか。

 それはさておき。私は私であって私ではない、と感じている私は、一〇〇兆個の細胞の塊であります。

 その細胞たちから私は、「三つの願い」を託されました。それはきれいな水と、簡素な食事そして調和の心の三つであります。

 細胞からのこの三つの願いは、一〇〇兆個の細胞が元気で生き活き活躍できるための必死の願いです。生命の最小単位である細胞は、元気で生きてゆくために私(本人)に向けてこれらの願いが叶うよう、いつも一心にアピールしているのであります。

 

一、「きれいな水」

ここは富士山 富士宮
汚れを知らぬ 神田川
源流いずくと たずぬれば
浅間大社の 庭に湧く
湧玉池が ここにあり

 

 富士宮は清流に恵まれており、神田川、芝川、稲子川、潤井川、そして日本三大急流の一つ富士川が清流を供給しつづけております。「細胞の願い」の〝きれいな水〟に充分応えております。

 

二、「簡素な食事」

一呼一吸 天の気
一食一排 地の気
天地の気は いのちの食
食はいのちの呼吸なり

 

 生きてゆくための必須条件は、食事であります。毎日欠かすことのできない生命を維持する行為であります。入口(食べる口)は一つ、出口(尿と便の出口)が二つの一本道の中で、一〇〇兆個の細胞は、毎日運ばれてくる食物を待っております。

 食はいのちの呼吸であり、生死に直結する行為であります。

 三つの願いの一つ目、〝きれいな水〟は、血流を順調に運び、体のすみずみまで食事を届けてくれる流れでございます。その流れを汚さないためにも、簡素でバランスの良い食事を細胞のいのちたちは望んでいます。

 そのための食事の基本モデルとは、「一日二食」「玄米・みそ汁・納豆・お茶を摂ること」であります(以下の四点は、あくまでも筆者の基本モデルです。体調、嗜好などの個人差は多様でありますから、参考例となれば幸いです)。

■玄米

 二人の一食分として、うるち米一合に水三合を加え、柔かめに炊き上げます。

■味噌汁

 だしと具だくさんの味噌汁です。だしは食べるイリコなど、具は根菜、葉菜、海草など。

■納豆

 黒大豆納豆が好ましい。プラスαでキムチなどの発酵食を混ぜてもよいでしょう。

■お茶

 ほうじ茶、煎茶、抹茶、玄神(ブラックジンガー)など。細胞一つ一つは、最小単位の生命体です。直接本人のいのちを守る最前線で働いています。細胞が活き活きとして新陳代謝が活発であることはすなわち、本人も活き活きしていることと同義なのです。

 

三、「調和の心」

私は細胞 微生物
一〇〇兆個の 微生物
私の願いを 聞いてくれ
どうかよろしく 願います

 

 調和の心とは、何にも片寄らない心です。何かに夢中になることは時によいことでしょう。ですが、それが自らの全てとなり執着となって、排他的になることには、一線を超える危うさがあります。

 寛容度の高い、ひろい心は、細胞に過度の負担をかけません。調和不偏は、いのちに適った心といえましょう。こうした片寄らない心には、共にユーモアの心、遊びの心を忘れぬことも大切です。

 車のハンドルには一八度の遊びがあるといわれます。それは〝間をとる生き方〟にも通じます。偏りのない心で、ユーモアや遊びの感覚を持つことは、細胞に大変有益に働くことでありましょう。

 以上が、細胞からの三つの願いであります。

 

 

食い改めて百歲長寿

 稲作の歴史はわかっているだけでも、今から七千年以上も前に遡るという。七千年前には稲作文化が花開いていた、という中国〝河姆渡遺跡〟博物館長の話もある。

〝人間と米は一心同体の命の花
米は人なり…人は米なり…〟

と、少し気張った感じがあるけど、御飯党員(?)の私は朝昼晚〝玄米党員〟でもある。

 五榖の中心である米は、人類救済の救世主だ。救世主、即ち〝メシア〟とはご飯こそ、〝メシア〟(飯やぁ)である。

 悔い改めるとは〝食い改めよ〟の米のことをまず生きる原点から考え直したい。

 いのちには自然治癒力という中心作用があって、常に安定を保つような生理調節機能が働いている。それが順調に働くために、また、生命機能を妨害しないためにも、自分自身の、心と体の浄化に気を配っている。

 いのちは、天の気(呼吸)と、地の気(食)の反復継続によって保存される。地の気は即ち米たち五穀や野菜等の生命エネルギーを吸収して五体生命を保ち、今日のいのちを生かされる。当たり前のことだが、普段は心がとどかない。

 この地球上には何千万種の生物が存在するといわれるが、その生命維持エネルギー源としての食物摂取には、見えざる厳然とした掟のようなものがあるといっていい。いわゆる食物連鎖と呼ばれているものであり、手当たり次第殺し合って、何でも食べるということは出来ないであろう。全ての生物が平等に存在するためには、その「種」に与えられた天与の食物が定められていて当然だ。食い物の争いは命懸けで、食糧問題は戦争にまで発展するではないか。医学者であり、文化勲章受章者でもある〝二木謙三〟先生は、次のように述べられている。

「今日の医学は、完全正食を無視した医学である。完全正食とは、蚕に桑の葉、鶴にドジョウ、鷹に雀、猫に鼠、虎に兎、日本人には玄米菜食で、それでこそ天地は生成化育で、人は自然順応で、天地に矛盾なく、人生に病無く、人は無病、無苦、無痛、安楽な死をとげることができるのである」と。

 先生は、著書『健康への道』のプロローグに記している。昭和一七年に書かれた本であるが、「日本人には玄米菜食を」ということに、今こそじっくり耳を傾け、真剣に取り上げたい時代ではないのか。

 国家医療費が三〇兆円(平成一〇年度)ともいわれ、内、一〇兆円位が老人医療費に呑み込まれているという実情は、それだけ、老人の生きざまの悪化を示しているようでならない。

 これからは、食生活を「食い改めて」、健康な心と体で人生を過ごしたいものだ。そのことは、取りも直さず

いのちのふる里に振り返り
生きる原点に振り返り
都市的、商工業的
情報的偏重から振り返り
いのちのふる里〝農業〟を
見つめ直す思いやりが
大切なことだ

農の心は天地の心
天地の心は人の道
だと、しみじみ思うのである。

出典・参考図書

▼閲覧と図書館検索

書籍『死んでも生きているいのちのあかし』の詳細・閲覧ページにリンクしています

死んでも生きている
いのちの証し

菅原茂/たま出版/1997年

本の総合情報

 

共時性現象の体験記録をもとに、生命の本質は不滅だと伝えている。 酒乱人生から夫婦二人三脚で新たな人生を再出発させた著者。自らの足元を照らすかのような共時性現象の記録を随想としてまとめている。また、本の表紙を飾る稲穂はこの著書の本質を象徴している。

 

 

▼閲覧と図書館検索

書籍『酒乱こめのいのちが生きるまで』の詳細・閲覧ページにリンクしています

酒乱
米の生命が生きるまで

菅原茂/MBC21/1993年

本の総合情報

 

「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。

 

 


ほかの主題

共時性とは何か

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時空や生死を超え、人種や生物種も超えて、いのちには境界がない証し

 

因果性とは何か

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「因果性」の実際は、それほど単純ではなく、もっと複雑。科学的な「法則」は、限定的な条件のもとでのみ有効だ。

 

偶然にひそむ因果

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因果性がないというより、今の科学の尺度では説明できない、と言うべきではないのか。

 


共時性の真価

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平成5年8月6日、広島平和公園で偶然発見された一羽の折鶴。共時性の真の価値は、生命現象そのものではなく、それが生命の真実を示していることだ。

 

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