生命現象の根源

体と心の相関性

いのちのひびきあい

 

概要

 

人のいのちは物質体であると同時に意識体でもあります。この本質的性格は、生き物としての種類や姿かたちはちがっても、「食物」として口にしている「いのち」もまた、物質一辺倒の存在ではないことを示唆しているとおもいます。また、魂という意味での「心」は、肉体的な生死を超越していることを、共時性現象が暗示しています。体は、心が作用するとはいえ、それを超える意思のような自律性をもっています。

 

食も心も体も、人がつくる「もの」ではなく、根本的には天地自然がつくる「いのち」の現れです。出現する根源の世界は同一、全一であると想像できます。以上のような理由から、心と体の関係や、人と食物の関係は、機械的または因果的な作用や反応とはまったくちがう、いのちの響きあいだと考えています。

 

私たちは、人間中心の目線で、食物を見てしまいがちです。仮に、健康的な食物をじぶんの意思で選択する食生活をしていたとしても、健康を手に入れるための「もの」でしかないとか、欲求充足のためにむさぼるような食べ方をしているとか、そういう心根では自己調和できるはずがないことを、実感として気づかされています。じぶんの体と食物への敬意・慎みよりもたいせつなものはないにちがいありません。 

 

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詳細

 

参考図書からの抜粋

創作シナリオを織り交ぜ、生命の根元領域を語る『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』より

ここから書籍『神秘の大樹第二巻ヒロシマとつる姫』の抜粋。「米は人間の主食です。生きるためのいのちの機関車です。田之助は酒好きが高じて乱れとなり、いろは姫との葛藤が長い間続きましたが、ようやく生きることの原点に気づくことができて、いのちの真実を求めることになったのです。片やいろは姫は、田之助を鉄の一心で守り続ける中で、いのちの真実に気づきました。口から入った食物たちは、いのちの光に身を任せ、やがて原子の光に立ち返って、新たないのちの光へと生き変わります。そして、働き終えた食物たちは、外界へと帰っていきます。その一人ひとりのいのちの中で命が新たないのちを育て上げるまでの運びには、いかなる人知も、いかなる自我も立ち入ることができません。立入厳禁の〝聖域〟なのです。この聖域の旗印が、帆に書かれている〝食心の目は共時の目〟という世界なのです。ユングと天明には、新たな驚きとひらめきが交差していました。そして口を開いたのはユングです。ユング「つる姫様ありがとう。単純明快にいのちの中心には食がありました。毎日の食べ物がいのちとなる次元こそ共時性発生の次元でした。ここにこそ心と物質が融合一体となり、生命発生の謎がありました。食って生きる、こんな単純なところに、山ほどの理論を積み上げたことから解放されたような気分です。ありがとう」と、ユングの目は輝いています。そこに天明も続いて、天明「つる姫様ありがとう。神示の一点が解けてまいりました。食が新たないのちとなる次元、いのちの中心、ゼロ一点の次元がイチリンの仕組みでありました。ここにこそ鉄の一心、食心の世界、共時の世界を見ることができました。扉開きはゼロの目、食の目、共時の目を開くことでした。いのちの真実に目覚めることこそ岩戸開き、そして心の扉開きでありました。」抜粋はここまで

 

 

第二章
魂を乗せた一羽の折鶴
(食といのちに関する記述)

(中略)

 いろは姫は一介の主婦ですが、現実生活の中で、数字と文字の世界にアクセスしています。難しい学問世界はわかりませんが、ただ一つ、鉄の一心を持っています。数字と文字を心いただくことのある暮らしの中で、一切不動の鉄の一心を心がけています。そして、共時性現象を〝食心の目は共時の目〟という、次元ばなれした言葉で表しています。食こそいのちの根源であり、一旦口から入った食べ物は、人間の自我が立ち入ることのできないいのちの世界。それこそ、ご意志の世界、それをいろは姫は「五一四ごいし」の世界と書き換えています。「ご意志」と書けば、人間の自我が入る世界ですから、それを数字の「五一四」と表現することは、宇宙に通じる意志といえましょうか。

 〝食なくてなんのおのれがこの世かな〟

 いのちは原子です。原子は食です。食に発する原子です。生きることの原子が、全身の中で舞っているから今日も生きていけます。あまりにも当たり前のため、低次元として無視されているわけですが、そこにこそ共時性の目が光っていたわけです。

 つる姫は、ユングと天明を前にして、天の川のことを話し出しました。

つる姫「ユングさんと天明さんは

立場は違っていても
ともにいのちのルーツを求め
心のふる里を
求めてきました
天の川には『天意の法則』が
いくつもありまして
その中に
〝一呼一吸天の気
一食一排地の気
天地の気はいのちの食
食はいのちの呼吸なり〟
というものがあります
また
〝食心の目は共時の目〟
というものもあります
どちらも
食はいのち
いのちは食
ということになりますが
そこにこそ
宇宙調和のエネルギーの
謎があるのです
そして
縁結びの中心エネルギーとなる
「共振共鳴共時の目」が
あったのです
「目」とは
そのものの中心
と考えたらよいでしょう
ここで再び
〝いのちの舞い〟を
出しましょう

やまず
やすまず
とどまらす
とんでははねて
はねてはとんで
あっちへこっちへ
ランダムに
信号ないけど
赤・青・黄色
安心安全
原子の舞いは
いのちの喜び
大調和
いのちの原子
大調和

食からいただいた原子の世界は
私たちのいのちの中で
いつも引き寄せたり
引き離したりして
枠を超えたら引き戻す
ゼロの力が働いたりして
生きているわけです
共時性現象の本質は
つまり食心の目は共時の目
いのちと食は同義と解する
いろは姫の鉄の一心は
天の川の天意の法則にも
当てはまっているのです」

と、ここまで話すとつる姫は

つる姫「ユングさんと天明さんに

面白い映像をお見せしましょう
これは
田之助といろは姫の話です
二人は天の川から
舟に帆を立てて
下ってきました
天の川から心の国へ流れている
支流は数多くありますが
二人が乗った舟は
東北の山形県に流れている
支流を下ってきたのです
天の川の分岐点には
立て札が立っていて
「サイジョウノカワ」
(最上の川)とあります
ところが
ちょうど
山形県内に入ったところから
急に川の呼び名が
「モガミガワ」
(最上川)となっているのです
二人は
どんどん下ってきて
河口の酒田港に
到着するのですが
その舟を見ますと
まるで宝船のようです
舟一杯に稲穂が積まれていて
帆には大きな文字で
「食心の目は共時の目」
と書かれてあって
下段一面には
聞き慣れない祝詞のりと
書いてあります
変われども
時代変われど
いのちの光
米は変わらぬ永遠とわかて
鶴千年亀万年
稲穂の実りは億万年
人類栄えの糧となる
米が光れば皆光る
おかげで今日も生かされる
ありがとう」

 つる姫の話はここで止まりました。宝船にはその祝詞文字が金文字で浮き立っていて、そればかりか、帆柱のてっぺんには長方形の旗が風にひらひら波打っています。その旗は、金色に彩られた〝米〟の写真でした。それを見た誰かが声を出しました。「あれはユングだ!」

 びっくりしてそれを見たユングが、

ユング「おお

よく似ているなあ」

と反応すると、こんどは天明が、

天明「本当にユングとそっくりだ

さらに
神示のイチリンの仕組みの
丸の中に点が入った記号にも似ている!」

ユングと天明は一段と共振共鳴していたのです。

 そこに、三心クルーのもじたまの皇子が話に入ってきて、

もじたまの皇子「さっき

声を出したのは
私でした
宝船の旗は
誰が見ても
ユングさんに似ているし
丸の中に点が入った記号にも似ているし
神示の中心様みたいで
田之助はこの写真のことを
一粒観音様といって
大事にしているようです」

と言い、宝船の旗について盛り上がりました。

 酒田港の埠頭は大勢の見物客で大変なにぎわいです。黄金の光を放つ珍しい舟。それは稲穂の光でした。

 米は人間の主食です。生きるためのいのちの機関車です。田之助は酒好きが高じて乱れとなり、いろは姫との葛藤が長い間続きましたが、ようやく生きることの原点に気づくことができて、いのちの真実を求めることになったのです。

 片やいろは姫は、田之助を鉄の一心で守り続ける中で、いのちの真実に気づきました。

 口から入った食物たちは、いのちの光に身を任せ、やがて原子の光に立ち返って、新たないのちの光へと生き変わります。そして、働き終えた食物たちは、外界へと帰っていきます。その一人ひとりのいのちの中で命が新たないのちを育て上げるまでの運びには、いかなる人知も、いかなる自我も立ち入ることができません。立入厳禁の〝聖域〟なのです。

 この聖域の旗印が、帆に書かれている

〝食心の目は共時の目〟という世界なのです。

 ユングと天明には、新たな驚きとひらめきが交差していました。そして口を開いたのはユングです。

ユング「つる姫様

ありがとう
単純明快にいのちの中心には
食がありました
毎日の食べ物が
いのちとなる次元こそ
共時性発生の次元でした
ここにこそ
心と物質が融合一体となり
生命発生の謎がありました
食って生きる
こんな単純なところに
山ほどの理論を
積み上げたことから
解放されたような気分です
ありがとう」

と、ユングの目は輝いています。そこに天明も続いて、

天明「つる姫様

ありがとう
神示の一点が
解けてまいりました
食が新たないのちとなる次元
いのちの中心
ゼロ一点の次元が
イチリンの仕組みの
丸の中に点が入った記号」でありました
ここにこそ
鉄の一心
食心の世界
共時の世界を
見ることができました
扉開きはゼロの目
食の目
共時の目を開くことでした
いのちの真実に
目覚めることこそ
岩戸開き
そして
心の扉開きでありました
ありがとう」

と、二人は、つる姫にその思いを伝えたのでした。

 ユングにも、天明にも、地上社会でのプライドはすべて消えてなくなっていました。

 何もかもが単純明快であり、時間も空間もありません。さらに、すべてが一面一体で新旧もありません。現実には立体に見える物質世界ですが、それを成す精神構造は、極めてシンプルな一面一体の世界と考えられます。岩盤のような魂も、バラバラに分解されて、やがては「真性魂」しんせいたましい」の意志基盤に合流します。真性魂とは、宇宙絶対調和エネルギーを、意志性に変換して考え出した表現です。

〝何事も想いが先のこの世かな〟

 地上社会で積み上げた心は次々と魂の集団となり、これが、真性魂に似て非なる「擬似魂」なのですが、その一人ひとりの擬似魂ぎじたましいが、その人の心の遺伝子となり、やがて心の国に入ると、いのちの意志エネルギーに同化されるようになっていきます。生命エネルギーの魂の玉は、丸く削られ、透明な玉となっていくのです。

 つる姫からピックアップされた田之助といろは姫も、宝船に食心の旗を揚げて、魂の玉磨きが続いていきます。

ユング「つる姫様

宝船のご夫妻に
じかに話をしたいのですが
どうしたらよいでしょうか」

つる姫「ナビ大王

ユングさんを東北の酒田まで
案内してくれませんか」

 ナビ大王は大喜びで、モニター・システムも使わずに、いのち舟を宝船の港へと直行させました。

 ユングが田之助たちと何を話したいのか。つる姫はじめナビ大王はもちろんのこと、三心クルー一同、そして天明も、どきどきしながらの行程となりました。

(後略)

出典・参考図書

▼閲覧と図書館検索

書籍『神秘の大樹 第二巻 ヒロシマとつる姫』の詳細・閲覧ページにリンクしています

神秘の大樹 Ⅱ
ヒロシマとつる姫

菅原茂/おりづる書房/2011年

本の総合情報

 

平成5年8月6日の広島平和公園で出合った一羽の折鶴は、「倉敷市玉島」と印刷された広告で折られていた。その地名は「日月神示」で知られる岡本天明氏の出生地。縁結びのしくみを、「心のつる草」など比喩を用いた物語を織り交ぜて表現している。

 

 

▼図書館検索

書籍『全体性と内蔵秩序』を図書館検索サイト「カーリル」で検索します

全体性と内蔵秩序

デヴィッド・ボーム著、
井上忠・伊藤笏康・佐野正博訳/青土社/1986年

『WHOLENESS AND THE IMPLICATE ORDER』(1980年) の邦訳版。科学は物質を微細に分け入り、その「構成」粒子を発見してきた。一般に私たちは、それが物を形作っている最小単位だろうという見方をしがちだが、分析して見える粒子は、ある文脈によって「全体」から顕現した一時的な抽象物であって、そもそも宇宙は分割できない一つの「流動的な全体」だという。専門の物理学(量子力学)をもとに論じるこの世界像は、あらゆる物事を部分化・断片化する見方に慣れてしまった私たちに、重要な示唆を与えている。 

 

 


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書籍『死んでも生きているいのちのあかし』の詳細・閲覧ページにリンクしています

死んでも生きている
いのちの証し

菅原茂/たま出版/1997年

本の総合情報

 

共時性現象の体験記録をもとに、生命の本質は不滅だと伝えている。 酒乱人生から夫婦二人三脚で新たな人生を再出発させた著者。自らの足元を照らすかのような共時性現象の記録を随想としてまとめている。また、本の表紙を飾る稲穂はこの著書の本質を象徴している。

 

 

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書籍『酒乱こめのいのちが生きるまで』の詳細・閲覧ページにリンクしています

酒乱
米の生命が生きるまで

菅原茂/MBC21/1993年

本の総合情報

 

「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。

 

 


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書籍『神秘の大樹 第一巻 偶然が消える時』の詳細・閲覧ページにリンクしています

神秘の大樹 Ⅰ
偶然が消える時

菅原茂/おりづる書房/2011年

本の総合情報

 

いまを生きている自分(あなた)自身の存在こそ、肉体をまとい、服を身につけている霊魂そのものだという。 霊魂というと、わが身の外に存在し、わが身の外で起きる「現象」と考えがちだが、そもそもそれは、私たちのからだやこころに内在し、わが身の中で起きていることがらなのである。

 

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フォトエッセイ『いのちのふる里』の詳細・閲覧ページにリンクしています

いのちのふる里

菅原茂/おりづる書房/2008年

本の総合情報

 

便利な生活を享受するために、工業を中心にしてひた走ってきた日本社会。そのいっぽうで、むかしもいまも、ずっと変わらずいのちの原点でありつづける食のふる里。個人の生き方として、また社会の健全な姿としてのバランスを、どうやって回復したらよいのか。食と農と生命に実感がもてぬ現代の私達。時代や社会を経ても生きる原点は変わらないはず。私達の体と心は原点に帰れるのか。

 

 


ほかの主題

共時性とは何か

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時空や生死を超え、人種や生物種も超えて、いのちには境界がない証し

 

因果性とは何か

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「因果性」の実際は、それほど単純ではなく、もっと複雑。科学的な「法則」は、限定的な条件のもとでのみ有効だ。

 

偶然にひそむ因果

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因果性がないというより、今の科学の尺度では説明できない、と言うべきではないのか。

 


共時性の真価

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平成5年8月6日、広島平和公園で偶然発見された一羽の折鶴。共時性の真の価値は、生命現象そのものではなく、それが生命の真実を示していることだ。

 

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