共時性の定義
次の二つは、理論物理学者のデイヴィッド・ボーム氏の見解(『量子力学と意識の役割』)です。
[※1] 要素や因子
[※2] 「か」は「が」の誤りか。
[※3]理論物理学者のデイヴィッド・ボーム氏が、人間の知覚世界を説明する際に使用した言葉 implicate order(「暗在系」)。対義的な語は「明在系」。「物質も意識も暗在系を共有している」と述べた。
外的事象よりも前の心的要因(原因体)がかたちになって現れ、事後の心はさらに後に起きるかもしれない現象の「原因体」(=「全ファクターの集合体」)に加わる、ということではないかとおもいます。このような概念を「因果」という言葉を用いて易しく表現しているのが、以下の文です。
結果はまた新たな原因体となり、縁を結んでまた新たな結果を生む。そのリズムは代々消えることはない。因‐縁‐果=因‐縁‐果=因‐縁‐果=因……(後略)。(『神秘の大樹Ⅳ田之助とミロクの亀』菅原茂、おりづる書房p.161)
小さい偶然は日常のいたるところに発見できますが、そもそも、目のつけどころによっては、それに気づいていない場合が大半だとおもいます。また、偶然のできごとに出合ったとき、ことがらの意味と一致する心に気づかなければ、当事者にとって、その時点では、たしかに「偶然の一致」(=共時性現象)ではなく、偶然のできごとにすぎません。一見、それらは異なるものにもおもえますが、本来はすべて共時性現象(偶然の一致)だと考えられます。無意識的・本質的な思いが現実になったと仮定すると、当事者(本人)がそれに気づくかどうかに関わらず、心の内の現象と、外的・物的事象が象徴する意味は、おたがい潜在的に一致していると考えられます。
酒乱から脱却し、自分のいのちに目覚めて間もない著者が、心おもむくままに訪れた旅先で次々と出会う「亀」。体験の記録を、第2巻と共通するシナリオ形式のコミカルな物語として展開し、縁は単なる偶然ではなく、宇宙根源に根ざす生命の本質(真性魂)による道案内だと伝えている。
「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。