「生命」の真実
岡本天明氏(天明は雅号、本名・信之)は、昭和19年、47歳から自動書記現象がはじまり、のちに周囲のひとびとが作った宗教法人の会長にかつぎ出されました。岡本氏は昭和38年に亡くなり、妻・岡本三典氏が継承しましたが、「一羽の折鶴」の真意と普遍性を理解した山形の夫婦の働きかけによって、岡本夫人は、平成19年にこの宗教法人を解散しています。夫人は、法人の会長を継承したまちがいを、あらためて認識したのだそうです。
宗教的な集団は、霊・魂という人間の本質がおのずとかかわるので、たとえ小規模でも、団体や組織化には、問題があるとおもいます。ひとたび「じぶんたちは特別」という集団心理が生じると、不調和の原因になりかねません。
いわゆる霊感の強い人がいるのもたしかな事実のようで、なかでも「特別な人」にしか感じられない霊感による示唆を中心にして、人があつまる傾向はむかしもいまも変わらないようです。注意する必要があるのは信仰心です。信じる心は、ときどき、じぶんや他人に対して強迫的でもあります。ですから、信じられるかどうかを自他にせまる信仰心が社会全体を平和的に変える力は、もち得ないとおもいます。
天明絵画展会場を出た山形の夫妻は、原爆の子の像から最も近い元安橋上で一羽の折鶴を見つけ、拾い上げる。昼食時、不意にそれを開くと、現れたのは天明氏の出生地「倉敷市玉島」の文字だった。時刻12時13分。太陽暦と太陰暦(日と月)を象徴する12と13。しかも 8月6日。衝撃は尋常ではなかったろう。天明氏の体を借りた自動書記による「日月」神示は、人間に自己調和を促すもの。同日、平和公園は早朝から鎮魂と平和への祈りに包まれている。※各々の説明参照
先ほどの山形の夫婦[昭和9年 (1934) 生まれ]は、苦渋の半生を、まこと一筋で、のり越えてきた御二人です。「食物のいのちは、人間のように傷つけあうようなことは絶対にありません。」(書籍『酒乱 米の生命が生きるまで』)夫人は、いつしか食物のいのちこそ、にごりなき澄んだいのちだと気づいたといいます。
折鶴を発見してから 19 年後、ひらいた広告紙の断片に、同夫妻がはじめて定規を当ててみたところ、「7.4」センチ四方だとわかりました。岡本天明氏の命日「4月7日」に、数がぴったり重なることも、単なる偶然の一致ではないとおもいます。この折鶴は、発見後すぐに岡本三典夫人に届けられ、その後 16 年間、いつも岡本夫人の傍らにあったそうですが、夫人が亡くなる半年前に、上記山形の夫妻のもとへ送り届けられました。
『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』(8頁)
代替資料(スクリーンリーダー用)
共時性現象の体験記録をもとに、生命の本質は不滅だと伝えている。 酒乱人生から夫婦二人三脚で新たな人生を再出発させた著者。自らの足元を照らすかのような共時性現象の記録を随想としてまとめている。また、本の表紙を飾る稲穂はこの著書の本質を象徴している。
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平成5年8月6日の広島平和公園で出合った一羽の折鶴は、「倉敷市玉島」と印刷された広告で折られていた。その地名は「日月神示」で知られる岡本天明氏の出生地。縁結びのしくみを、「心のつる草」など比喩を用いた物語を織り交ぜて表現している。
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「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。