「生命」の真実
岡本天明氏(天明は雅号、本名・信之)は、昭和19年、47歳から自動書記現象がはじまり、のちに周囲のひとびとが作った宗教法人の会長にかつぎ出されました。 岡本氏は昭和38年に亡くなり、妻・岡本三典氏が継承しましたが、「一羽の折鶴」の真意と普遍性を理解した山形の夫婦の働きかけによって、岡本夫人は、平成19年にこの宗教法人を解散しています。 夫人は、法人の会長を継承したまちがいを、あらためて認識されたそうです。
※1・2. 至恩通信平成19年5月23日号 (258号) に基づく。※3. 上記山形の夫人から伺った。
宗教的な集団は、霊・魂という人間の本質がおのずとかかわるので、たとえ小規模でも、団体や組織化には、問題があるとおもいます。ひとたび「じぶんたちは特別」という集団心理が生じると、不調和の原因になりかねません。
いわゆる霊感の強い人がいるのもたしかな事実のようで、なかでも「特別な人」にしか感じられない霊感による示唆を中心にして、人があつまる傾向はむかしもいまも変わらないようです。注意する必要があるのは信仰心です。信じる心は、ときどき、じぶんや他人に対して強迫的でもあります。ですから、信じられるかどうかを自他にせまる信仰心が社会全体を平和的に変える力は、もち得ないとおもいます。
先ほどの山形の夫婦[昭和9年(1934年)生まれ]は、苦渋の半生を、まこと一筋で、のり越えてきた御二人です。「食物たちの生命は、それぞれ違う者たち同士ですが、人間のように争うことはいたしません。」(書籍『酒乱‐米の生命が生きるまで』p.97)夫人は、いつしか食物のいのちこそ、にごりなき澄んだいのちだと気づいたといいます。
折鶴を発見してから19年後、ひらいた広告紙の断片に、同夫妻がはじめて定規を当ててみたところ、「7.4」センチ四方だとわかりました。岡本天明氏の命日「4月7日」に、数がぴったり重なることも、単なる偶然の一致ではないとおもいます。心の目を開き自己調和に努めるよう促す書『日月神示』を担った岡本天明氏。折鶴をとおしていのちの真実と平和への祈りを訴え、責任をまっとうしようとしているとしてもふしぎではありません。この折鶴は、発見後すぐに岡本三典夫人に届けられ、その後16年間、いつも岡本夫人の傍らにあったそうですが、夫人が亡くなる半年前に、上記山形の夫妻のもとへ、手紙とともに送り届けられました。
※4・5 は下の脚注に掲載
出典『酒乱‐米の生命が生きるまで』「天の啓示に生きる妻」 p.81
断酒数年前のこと、妻は、ある声なき声を聞くことがあったという。
酒乱の断末魔が、響きをあげて近づく頃のこと。酒乱のやり口には身ぶるいするほどの恐怖を感じながらも、その中にあって、夫の狼藉 にもいつしか感謝の気持を持てるようになっていた。
「お父さんのお蔭で、沈黙世界から、その心をいただけるようになりました。お父さん、本当にありがとうございます。」
と、どれほどに恐ろしい難儀だったことか。言うが早いか、顔をしばたたせながら、泣き出してしまっていた。
ある日のこと、刃物を振り上げている夫のため、家へ入ることもできず、たった一人の妹に助けを求めて駆け出して行ったが、巻き添えが恐ろしくて、家に寄せて休めさせてくれなかったようだ。あまりの酒乱の恐ろしさのため、そこの小屋にさえも、休ませてもらえなかった妻の憐れさ。
寒気が身をつんざく酷寒の夜。天を仰いで、無心の生命 の中から、
「どんな苦しい思いも、どんな辛い思いも、感謝にかえたまえ」
と、心の奥深く刻んだ妻への伝言。
それを区切りに、妻は一心に、夫のいかなる乱行にも、ただ一念に頭を下げ、どんな苦しい思いも、どんな辛い思いも、すべて感謝に変えていくことに徹した日々を過ごすようになった。
この感謝に徹する日々こそ、神に生命を捧げ尽し切って得た、心開きの難行苦行であった。
ついに、妻の生命には、自然界の生命の愛が全開することになる。
ある日のこと、妻はこんなことを話すのであった。
「お父さんが悪いのではありません。米の生命がわかるまでの教えなのです。すべての食べ物、人参一本、大根一本、魚、なんでも、みな尊い人間を生かし続ける生命の元です。
人間以前のこの生命たちの、尊く、汚れない食物たちから、生命の声が聞こえます。食物たちの生命は、それぞれ違う者たち同士ですが、人間のように争うことはいたしません。
口から入った、いろいろな食物の生命は、一糸乱れず、人の生命 を守り続けます。
そうして、一本道の人の体を通り、ふたたび、自然界へと戻っていく生命たち。
その代表である米の生命は、酒となり、神々にも捧げられます。透明で、汚れない姿となって神に供えられるのです。
その、米の生命を見て、悟って、お父さんの心も、米のように、汚れない心となるまでのお役目でした。
私は、このことを教えていただき、お父さんに、本当に感謝しなければいけないのです。ありがとうございました。」
私は、この奇想天外な話に面喰らうばかりで、感謝しないといけないのは、こっちのほうなのに、尋常ならざる超越世界を垣間見た思いだった。
息詰まるような酒乱の歳月の中で、妻のその辛い苦しい地獄から救う神の業 であったと考えている。どんな過酷な試練をも、感謝、喜びに変えて生きていく、恐るべき神の智恵が授かったとしか言いようがない。
米の生命がわかるまで、そして、その米の生命が生きるまでの酒乱劇。これは、永々百年に及ぶ、母と妻の二代にわたる女神のような守りであった。
「天の啓示に生きる妻」80〜82頁
※4_2
(同著)「難行苦行の人あれど」 p.97
一方、妻のほうでは、二日目にして、雪の中から発見されたトラックのこと、使い込んだ金のことで、詰責を受けていた。当の夫は、行方不明で、雲を摑むような有り様だから、ただただ恐縮と不安の中で過ごしていた。会社側は、前代未聞の事件で、金を返済しなければ警察に届ける、と、きっぱり言い渡してきた。妻は、「それだけは勘弁してください」と、なけなしの遣り繰りをして、弁償することを約束して、どうやら、そのことだけは内々にしてもらったようだ。
妻は、夫は必ず帰ってくると信じながらも、当座の返済には頭を痛め、洋裁で得た銭を遣り繰りしながら、返済をしていた。夫の消息不明の中で、またまた息詰まる日々を生きなければならないとは、なんと厳しい因縁なのか……。
今、こうして、魂の入れ替えに生命をかけながらも、書き綴っていても、心苦しい筆運びである。
母が、父にかけた慈愛一路を継いで、妻は、母子心中の迷いを脱して、夫を立ち直らすことの一念を決意したという。そして、いかなる条件の中でも、明るく展開する真心の道を貫き通したのだった。
話は、もっと後のことだが、妻は沈黙世界から響いてくる、生命の波動を文字に綴って久しい。彼女の〝いただいた心〟を、名刺に刷って、縁ある人々に渡していた。今それを、私の『酒乱人生・浅草以降』を書く前に紹介しておきたい。
難行・苦行 人あれど
我が心開きも 難行苦行
人の心を 借りて出る
人の心の 打ち勝つ泉(文字よ)
守りの世界の 尊き言葉に 頭さがる(亡き心のつなぐ文字となる)
粗末な人生 送るなと―
神の心は 伝えたき(夫へ)
険しき日々 過ぎし時
涙で見守り 強くして
幸せ道へと 進む姿なり
誰一人として理解できなかった妻の世界を、力強く支え、守ってくれたのは、自然界の生命波動であった。
「声となり、言葉となって生き通う、生命の愛」
人間的自我の一切ない、浄め上げられた自然界。
「そこには、万物を、生かして、生かして、生かし続ける愛しかない」
この生命世界には、人間界のような、他を殺し、争い、奪い、傷つけ合う心はない。特に、米をはじめとして、食物一切は一時も休みなく、人間を生かし続けてくれる生命たちである。これは、どんな知性をもってきても不滅の真理である。
妻は、この食物(人類以前の生命たち)の心に通じたのが、最初の光明だった。どんな辛い、苦しい思いも、感謝、喜びに重ねて、生きねばならぬ日々の中、恐ろしい地獄酒の夫にも、神の光の輝く日がやってきた。
「酒を憎んではなりませんよッ。酒は、浄め上げられて、神に捧げるお神酒となり、また、酒は米の生命でもある。汚れが一点もない米の精と酒の精。このような酒を飲んだ夫の心には、必ず、その愛が生きる日が、やってくる。その日は、必ずやってくる」
と、生命の奥深い世界から諭されたのだった。
「ハッ……」と思った妻は、その諭しが真実であることを、断酒当日にまざまざと見せつけられた。
夫の生命に、米の生命が生きたその日のことである。
前後不覚の状態で自家用車を乗りまわす泥酔運転となった。ところが、路上に停車していた乗用車に引き寄せられるごとく激突したのであった。その自動車のナンバーは、〝888〟であった。
妻は、その夜のことを次のように説明した。
「米の生命(心=ひびき)と、私の愛が生きたのです。お父さんを正常な人間に引き戻すため、必死に守ったのです。
米の生命はこの世の数字に生きて示しているのです。米は〝八十八(88)〟と、数の生命になります。そして私は、八日生まれの〝8〟の数です。
米の愛(調和力)と、私の一心の守りが生きたのです。本当に〝888〟という車は神様です。
数字は、単に数と思ってはなりません。沈黙世界の心が、この世の数字のいのち(ひびき)に生きて、活躍していることを知らねばなりません」
こう言って涙ぐむのであった。
米の生命、そして酒の生命は、調和のひびきで諭しつづけてきた。そして、妻の一念の守りと諭しは、〝888〟という数の魂となって現実化したのであった。それは米の〝生命が生きた〟のであり、妻の守り一念の心が生きたのである。
沈黙世界と融合一体となった妻には、人智では計りしれない、神秘現象が、日常よく起こった。現実世界の〝文字、数、色〟といったことに、見えない、黙した生命が融合して、永遠の生命の流れを証してくれる、この現象は、学問的には〝共時性現象〟と呼ばれているようなのである。
自然界のいろいろな心(宇宙心霊)、そして、亡き人霊からも、妻を通して、生きて〝師〟となる喜びが伝えられてくる。
私が、酒乱から救われたのも、妻を通して〝心の光〟に、米の生命が生きたからであったと思う。
こうして、沈黙世界の心ごころが、妻の、生命の光と融合するまでの苦労と、亡き人たちの〝心ごころ〟が、妻の、心の光に通い、結ばれるまでの険しかった道程と、さらに、この声なき声の心ごころ(生命の響き)が、妻の命を通して、この世の、文字に生き、数に生き、色に生きる、までの歳月こそ、生死を超越した、難行苦行の心開きであった。
(植物の心―意識反応―の存在は、三上晃著『植物は語る』、その他によって、科学的にも証明されている)
「生命の守り」
声なき声の いのちの叫び
亡き人々の 声と声
食べるいのちの 声と声
花一輪の 声と声
自然を流るる 全いのち
みんな師となる 守り声
人の心の 正しきを
いのちの尊さ 学びあれ
人のいのちの 米たちも
みんな師となる 守り声
人の心の 正さむに
いのちの愛を 学びあれ
磨きぬかれた 酒いのち
みんな師となる 守り声
人の心よ 浄めあれ
いのちの喜び 学びあれ
今日を生かさむ 食物に
耳をかたむけ 今一度
正しく生きれや 人ごころ
いのちの愛に 目覚めあれ
愛一念に 目覚めあれ
人を育てる 米一同
知って生きるは 人の道
知って学ぶは 人の道
いのちの原点 ここにあり
「難行苦行の人あれど」九五〜一〇一頁
別著『死んでも生きている‐いのちの証し』(たま出版, p.258) にもよく似た文がある。「霊界は、憎んだり、傷つけたり、争いが絶えないけど、稲霊の世界から文字、数、色にひびかせる沈黙の世界は、傷つけ合うことはありません」
(中略)
続けて「天馬の如し女神の妻」の一節を引用してみる。
一つの縁によって人の運命はその向きを変えてしまう。大きく小さく、善性に悪性にと、その方向は変わる。妻と私の生命は、厳しい縁を交えながら、今や遅しとばかりしっかと向きを変え、「あっちの水は辛いぞ、こっちの水は甘いぞ」と、子どもの頃のホタル狩りのように、いつも、その点滅する光明に向かって走りだす。
これまで二〇年ほどの歳月を私に、ひたすら従順に、そして、一途の願いをかけて見守ってきてくれた妻だった。だが、矢尽き刃折れて、このままでいけば、妻のほうが黄泉の国(生命世界)へ連れて行かれても何ら不思議ではなかった。しかし、従順な女は一転して強い天馬のごとき力量に溢れ、迫力ある女神へと変身する。
もうどうしても酒乱を許すことはできないと、手を変え品を変え積極化してくる。ときには「バシ!」と、鞭が音を立てて飛んできたこともある。今までの積もり積もったものが一気に突出してくるからその勢いは実に凄い。
悪鬼のような酒乱のやからも最後の砦を守ろうと、これまた必死の応戦だった。祖先累々の酒乱の亡者を呼び集め、かつまた、他界からも援軍を引き連れての熾烈な戦火の火ぶたは切って落とされた。
ここまでくると現実世界の領域を越して、霊界神界を交えての運命劇となった。そのころから私の母も妻の守護霊となり、援軍となって、妻は、この夫がわが子とばかり、腹を痛めたわが子なら、煮ても焼いても喰っても当然とばかり躍り出た。
継いでならぬぞ子々孫々
道をはずしたこの酒乱
きれいな生命をつなぐのが
これぞ人の子人の道
何んで退がらりょ酒乱の夫
許してくれよ今しばし
紅い涙もやるせない
呑んで食い入る一文字
キリッと結んだ口元に
キラッと光る神光を
淨めたまわんこの夫
妻は私を産んだ母親とも重なって動き出した。折りから雪は降りしきり、地上は見る見る白銀の光り輝く昼下がりのことだった。
神と魔の対決は時の休まることもなく、その後一〇年はあっという間の生命の運びとなってゆく。
夫は四六歳、妻も四六歳。後に妻は次のような声なき声の文字を残している。
雨だれの一粒にてもみたまは宿る
声となり言葉となりて世に残り
不思議な世界のつなぐ道となり
昭和五八年七月三日二時二六分
真実を見いだすこと
真実の道こそ他生の喜び重ねなり
正しく判断できる人こそ
限りなき幸せを生む
昭和五八年七月四日六時
われわれの目に見えぬ生命。その声なき声の沈黙の世界、その声を聞きいただき示す文字となって残されている。妻は、この文字のことをいつしか〝四十八字〟と呼んだ。
光り輝く一粒の雨だれその光の玉からは、烈しい生命の響きが伝わってくる。生きて何かを語ろうとする。その声なき声。そこには、奥深い生命の愛が響いているといえよう。(引用ここまで)
米の、いのちの光に近づけようとした妻の一心。夫の汚れた心が、酒の親である〝米のいのち〟に純化できますように、また、人間の心の元となる、米たち一切の食物の生命世界に純化できますようにと、妻は一途に心をこめて夫の陰になり、日向になって守ってきた。
(後略)
「酒と米と魂の守り」一五一〜一五五頁
※⒈
『酒乱‐米の生命が生きるまで』「地獄期」に収録されている項の見出し。
※⒉
文中の傍点はサイト編者による装飾。
※⒊
引用(抜粋)おわりの箇所で改行、空白行を挿入。続く一文を次段落の頭に組み入れた。
▼本の中身を見る
平成5年8月6日の広島平和公園で出合った一羽の折鶴は、「倉敷市玉島」と印刷された広告で折られていた。その地名は「日月神示」で知られる岡本天明氏の出生地。縁結びのしくみを、「心のつる草」など比喩を用いた物語を織り交ぜて表現している。
共時性現象の体験記録をもとに、生命の本質は不滅だと伝えている。 酒乱人生から夫婦二人三脚で新たな人生を再出発させた著者。自らの足元を照らすかのような共時性現象の記録を随想としてまとめている。また、本の表紙を飾る稲穂はこの著書の本質を象徴している。
▼本の中身を見る
「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。
▼本の中身を見る
菅原茂/おりづる書房/2012年
文字・数・色は人間の意思だけではなく、生死の境やほかの生物などと境なく、いわゆる「霊」や「魂」の意志性を代弁している。 共時性現象(=偶然の一致)は、それを認識させてくれると同時に、一人ひとりに対するあたたかい道案内の現象だと伝えている。