「生命」の真実
広島に投下された原子爆弾が炸裂したのは、昭和20年8月6日の午前8時15分。その後8月15日に終戦を迎えた。「米内光政は8月15日の終戦を機に、残務整理の余暇を縫って、「終戦の詔書」を筆で書き写している。(中略)戦争を終結するために筆をとられた昭和天皇の文章(詔書)が、“8月15日に符合する815字”になっている(後略)」闘争や不調和の心とは対極の「萬性の為に太平を開かん」という思いが存在するのは心強い。日々どんな心で生きるか、私たちも問われている。(出典:『神秘の大樹Ⅲ文字・数・色で証す新次元』)
共時性現象のことをふまえて、平和の問題に話を向けたいとおもいます。広島市では、被爆された方々の高齢化にともない、被爆体験の継承が重要課題になっています。いま体感している日常の時は、止まることなく移りかわっていきますから、放っておくとほんとうに風化してしまう恐れがあるようにもおもえる切実な問題です。
ただ、過去の経験や記憶としてではなく、将来、私たちも、とつぜん体を失う、一生の傷を負う、そういう可能性はあるわけです。あるいは、もし、あの時代そこにいたら、被爆したのはじぶんだったかもしれないのです。その場合の衝撃やとまどい、痛みや苦しみ、悲しみや無念さを、いまのじぶんのこととして想像すると、体がいかにたいせつな存在かを感じます。体がしてくれている高度な働きも、いまの状態があたりまえではないと気づかされます。
そのうえで、歴史上おびただしい数の人たちに起きた事実へと、あらためて目を向けると、広島と長崎で原爆が生んだ人々の凄惨な様子は、写真や絵画だけでも衝撃的ですが、被爆された方の心の内を想うと、ほんとうにいたたまれません。この文章の冒頭に紹介した詩のように、地球上の傷が癒えていないというのは、比喩ではなく本当のことではないかとおもいます。
しかし、もしかしたら、戦争で苦しんだ国内外すべての人の気もちとしては、被爆体験は、戦争体験のひとつとして、それだけが特別ではないのかもしれません。また、原爆以外で傷つき、死んでいったいのちが、むかしもいまも世界中にたくさんいます。さらに、当時の国内における立場の区別を超えて、日本の立場は、戦争の被害者であると同時に、加害者でもあります。そして、戦争体験がない日本人の多くは、最大の関心事が「平和」以外のことがらに向いていることが想像されます。つまり、日本をふくめた世界の現状は、いろんな立場、思惑、ひとつではない価値の基準などが複雑にからみあっているのです。
ですから、なぜ、人間は争い傷つけあうことをやめられないのか、という人間が共通してもっている心の根を掘り起こしてみることも重要だとおもうのです。8月だけの祈りになってしまってはいけないとおもいます。戦争にかぎらず、たとえば、ぎくしゃくした近隣諸国との関係や、さまざまな社会問題、人と人との衝突など、どれも人の心が関与している以上、根は同じではないでしょうか。人間の心の内は、じぶんが置かれた状況によって、いつでも発火しうる「自己正当化」という不調和の火種がくすぶりつづけている気がします。
『酒乱 米の生命が生きるまで』「生命の樹」
共時性現象の体験記録をもとに、生命の本質は不滅だと伝えている。 酒乱人生から夫婦二人三脚で新たな人生を再出発させた著者。自らの足元を照らすかのような共時性現象の記録を随想としてまとめている。また、本の表紙を飾る稲穂はこの著書の本質を象徴している。
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「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。
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平成5年8月6日の広島平和公園で出合った一羽の折鶴は、「倉敷市玉島」と印刷された広告で折られていた。その地名は「日月神示」で知られる岡本天明氏の出生地。縁結びのしくみを、「心のつる草」など比喩を用いた物語を織り交ぜて表現している。
文字・数・色は人間の意思だけではなく、生死の境やほかの生物などと境なく、いわゆる「霊」や「魂」の意志性を代弁している。 共時性現象(=偶然の一致)は、それを認識させてくれると同時に、一人ひとりに対するあたたかい道案内の現象だと伝えている。