いのちの真実

共時性の真価

⑷戦争の記憶不調和の火種

 

共時性現象のことをふまえて、平和の問題に話を向けたいとおもいます。広島市では、被爆された方々の高齢化にともない、被爆体験の継承が重要課題になっています。いま体感している日常の時は、止まることなく移りかわっていきますから、放っておくとほんとうに風化してしまう恐れがあるようにもおもえる切実な問題です。

 

ただ、過去の経験や記憶としてではなく、将来、私たちも、とつぜん体を失う、一生の傷を負う、その可能性はあります。その場合の衝撃やとまどい、痛みや苦しみ、悲しみや無念さを、いまのじぶんのこととして想像すると、体がいかにたいせつな存在かを感じます。体がしてくれている高度な働きも、いまの状態があたりまえではないと気づかされます。

 

そのうえで、歴史上おびただしい数の人たちに起きた事実へと、あらためて目を向けると、広島と長崎で原爆が生んだ人々の凄惨な様子は、写真や絵画だけでも衝撃的ですが、被爆された方の心の内を想うと、ほんとうにいたたまれません。この文章の冒頭に紹介した詩のように、地球上の傷が癒えていないというのは、比喩ではなく本当のことではないかとおもいます。

 

しかし、もしかしたら、戦争で苦しんだ国内外すべての人の気もちとしては、被爆体験は、戦争体験のひとつとして、それだけが特別ではないのかもしれません。じっさい原爆以外で傷つき、死んでいったいのちが、むかしもいまも世界中にたくさんいます。さらに、当時の国内における立場の区別を超えて、日本の立場は、戦争の被害者であると同時に、加害者でもあります。そして、戦争体験がない日本人の多くは、最大の関心事が「平和」以外のことがらに向いていることが想像できます。つまり、日本をふくめた世界の現状は、いろんな立場、思惑、ひとつではない価値の基準などが複雑にからみあっているのです。

 

ですから、なぜ、人間は争い傷つけあうことをやめられないのか、という人間が共通してもっている心の根を掘りおこしてみることが重要だとおもうのです。8月だけの祈りになってはいないでしょうか。戦争・被爆体験の風化と継承の危機は、よく言われるように当事者意識の欠如や想像力の不足以外の何物でもありません。その本質はいのちに対する鈍感さです。じぶん以外のいのちの※①痛みがわかる心」の希薄さ、究極的にはじぶんの体への感謝の希薄さにあるとおもいます。

 

そのいっぽうで、直接の被害者・体験者に依存する私たちの心も象徴しています。しかし、そもそも、問題の核心はほんとうに「記憶」や「知識」でしょうか。これは「心とは」「いのちとは」という問いに対する答えの不確かさゆえの課題かもしれませんが、いつまでもそのままにしていい問題でもありません。むしろ、この点を理解することが重要ではないかと感じます。

 

戦争にかぎらず、ぎくしゃくした近隣諸国との関係や、国内外のさまざまな社会問題、身近な人と人との衝突など、どれも人の心が関与している以上、根は同じです。そして厄介なことに人間の心の内は、じぶんが置かれた状況によっては自己を正当化し他者を否定するという、いつでも発火しかねない不調和の火種がくすぶりつづけているのが現実です。

 

 

※①

「平和の原点は人の痛みがわかる心をもつこと」長崎で被爆された方の言葉(p.379)『ナガサキ‐核戦争後の人生』▼

 

 

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共時性の真価⑸
「時空を超えた精神世界のつながり」

 

【参照】

よない みつまさ(米内光政)による詔書の写真。昭和20年8月15日の終戦を機に、海軍省廃止の12月1日までの残務整理の余暇を縫って、終戦の詔書815字をていねいな筆使いで写したとされる。出典は『神秘の大樹、第三巻、文字・数・色であかす新次元』

広島に投下された原子爆弾が炸裂したのは、昭和20年8月6日の午前8時15分。その後8月15日に終戦を迎えた。「米内光政は8月15日の終戦を機に、残務整理の余暇を縫って、「終戦の詔書」を筆で書き写している。(中略)戦争を終結するために筆をとられた昭和天皇の文章(詔書)が、〝8月15日に符合する815字〟になっている(後略)」闘争や不調和の心とは対極の「萬性の為に太平を開かん」という思いが存在するのは心強い。日々どんな心で生きるか、私たちも問われている。(写真・抜粋文『神秘の大樹Ⅲ文字・数・色で証す新次元』)

 

広島市の原爆ドーム。そばでドーム全体を見上げるように撮影された写真。付近から。右上から太陽の光が当たって建物凹部に凸部の影が落ちているとともに、虹が写っている。(このサイト編集者撮影)

 

いのちの尊厳

 『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』「あとがき」掲載の「岡本夫人の書簡」より

 

 

◀︎◀︎◀︎画像8枚

  • 書籍『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』からの抜粋。この画像資料は合計8枚。本文はここから。折鶴は破れる寸前になり、夫人が亡くなられる半年前に私の妻宛に送り届けられて来ました。そして、亡くなられる一二日前には、一通の書簡が届けられたのです。ここで、その手記の一部を紙上を借りてご紹介させていただき、あとがきに代えることにします。 ■『岡本夫人の書簡』(絶筆の抜粋) ……前略……一九九三年、平成五年八月六日、広島におきまして、天明画展を開かせていただいたとき、小さな折鶴をいただいたからでございます。
  • それは、この世始まって以来、最初で最後のただ一度の出会いでございました。この時、大宇宙と、地球上の折鶴のいのちはこの世始まって以来初めて、深い愛のひかりで結ばれたのでございます。 空前絶後の、言葉に尽くせぬ、深く熱い想いでございました。大きなよろこびでございました。 日月神示に寄りますと、この出会いは、この世の最初からの経綸(四九三)であると明記されているのでございます。
  • はるかに長い気の遠くなる様な、億万年の想いの込められていた日でございました。人間の心を越えた広大無辺の宇宙の、切実な愛を深く感じるのでございます。平成五年八月六日、この日、この時が大切だったのです。一枚の広告の紙は、人間に生死のないことを現しております。 天明は、肉体浄化して、はじめて自分の五体は食によって生かされていたと知りました。神示を書き、絵をかいたのも、自分だと思っていたが、食によって、書かせていただいていたのだと。
  • 天明が郷里の文字に生き、とかされていたことは、いのちの永遠を悟らせてくれました。表は色の花模様で、裏を返しますと、倉敷市玉島と、天明生誕地が印刷されておりました。 「あ、これは天明さん生きている」と、直ぐ届けていただくことが、出来たのでございます。一体、何処の、何方が折られたものでありましょう? 一六年前に、こんな不思議なことが、起こったのでございました。折鶴を開きますと、米の字が現れます。米の字は、この世でただ一つの、中心のある最も大切な大切な字なのでございます。
  • 中心のあるこの字は、宇宙そのものを現していると申せます。折り目はひかりであり、四方八方へと無限に広がって行く線ですから、……中略……折鶴は、我が国古神道の奥義でございます。折り紙といえば、すぐ折鶴とおもうほど世界の人々に愛されております。人々に幸せをもたらすものとして、広島の平和公園には、世界の人々から、供えられているのでございます。平和公園からは、少し離れた、元安橋の上で拾われました。……中略……広島は、人類が初めて原爆を落とされた地です。
  • 今も、苦しまれている人々があり、まだ自分のいのちがどうなったか、よく分からない霊が、充ちていると思われます。 平成五年八月六日、折鶴と日月神示の出会いの日は参りました。もしお会いしていなかったら、日月神示の難解な数の羅列の一六巻、アレの〇木(アレノマキ)を、誰が読むことが出来るでしょう。誰にも読めなかったものが、読めたのは折鶴でした。この日を一番待っておられたのは、日月神示でございます。宇宙そのものも世の元にご自分で仕組まれその時の来たことを、一番よろこばれたに違いありません。
  • ……中略……平成五年八月六日、人間にいのちの尊厳に気づけよと、共時が起こったのでございます。日月神示の中に、何度も出て来ます。世の元の一厘の経輪(仕組み=四九三)と申しますのは、折鶴が世にお出ましになることでございました。折鶴は、食芯の芯の芯でいらっしゃいます。無のいのちでいらっしゃいます。……中略……
  • 折鶴は、新聞の折り込み広告で折られておりました。確かに、この度のことは、全く新しい出来事です。私は、毎日、驚きを深めております。日本は神国です。正に二十一世紀の神話でございます。 平成二十一年六月十日 岡本 三典  書簡は長文でした。書簡を記されてから一二日後の、六月二二日から二三日にかけての未明、岡本夫人は、享年九二歳の天寿を全うされたのです。 平成二三年七月吉日著者  菅原 茂」以上、抜粋はここまで。

出典『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』▼

引用・参考図書

 

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書籍『ナガサキ』を図書館情報サイト「カーリル」で検索します

ナガサキ‐核戦争後の人生

スーザン・サザード/宇治川康江訳/みすず書房/2019年

 

長崎で原爆被害に遭った人々の半生を描く、米国で出版されたノンフィクション小説『NAGASAKI:Life After Nuclear War』の日本語訳版。原爆被害者の痛ましい経験を米国人の多くが知らない現実と背景に踏み込む姿勢、被害当事者の体験を忠実に描いたであろう内容に驚嘆させられる。

 

 

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書籍『神秘の大樹 第二巻 ヒロシマとつる姫』の詳細・閲覧ページにリンクしています

神秘の大樹 Ⅱ
ヒロシマとつる姫

菅原茂/おりづる書房/2011年

 

平成5年8月6日の広島平和公園で出合った一羽の折鶴は、「倉敷市玉島」と印刷された広告で折られていた。その地名は「日月神示」で知られる岡本天明氏の出生地。縁結びのしくみを、「心のつる草」など比喩を用いた物語を織り交ぜて表現している。

 

 


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書籍『酒乱こめのいのちが生きるまで』の詳細・閲覧ページにリンクしています

酒乱
米の生命が生きるまで

菅原茂/MBC21/1993年

 

「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。

 

 

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書籍『神秘の大樹 第三巻 文字・数・色であかす新次元』の詳細・閲覧ページにリンクしています

神秘の大樹 Ⅲ
文字・数・色で証す新次元

菅原茂/おりづる書房/2012年

 

文字・数・色は人間の意思だけではなく、生死の境やほかの生物などと境なく、いわゆる「霊」や「魂」の意志性を代弁している。 共時性現象(=偶然の一致)は、それを認識させてくれると同時に、一人ひとりに対するあたたかい道案内の現象だと伝えている。

 

 


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時空や生死を超え、人種や生物種も超えて、いのちには境界がない証し

 

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