いのちの真実
はじめにふれた「一羽の折鶴」が示唆している本質とその背景をまとめておわります。
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画像の各説明参照/1945年 (昭和20年) 8月、原爆が広島市と長崎市に投下された。6日8時15分。9日11時2分。そして原爆の悲劇から48年後となる1993年 (平成5年) 8月6日12時13分、故・岡本天明氏のいのちを直感する共時性現象が起きた。
折鶴は祈りの象徴として広く認識されており、鎮魂の祈りや願いは、その多くが生きているいのちから亡くなったいのちに向けられます。いっぽう、8月6日に広島で発見された一羽の折鶴は、亡くなったいのちから生きているいのちに向けられる平和への祈りや願いが存在することをしめしていました。生者も死者も、意志をもついのちであり、よくもわるくも、私たちはその応援をつねに(日常的に)うけているということです。
これだけでは、ほんとうなのか判断できない、または、納得できないのは当然です。しかし、まずは、知ってもらうことが必要だとおもっています。いのちへのまこと、 その意志をそだてることがどれほどたいせつか、それを欠くことがいかに重大な問題か、身をもって痛烈に感じているからです。
この共時性現象との遭遇は、1993年(平成5年)の夏。当事者のひとりである男性は、これより前の同年2月、自分史『酒乱‐米の生命が生きるまで』を出版しています。酒乱因子を「開花」させてしまった男性ですが、ある一件をきっかけに自己調和の意識が目ざめ、やがて自身のいのちへの誠実な思いを深めていきました。夫人の言動もひじょうに印象的です。「どんな苦しい思いも、どんな辛い思いも、感謝にかえたまえ」という自然界の声なき声を感じて誓った自己調和の意志、「いのち」への深い洞察と厳粛な生命愛。
いのちの調和へ向けた夫婦の生きざまは、『米の生命が生きるまで』という本の副題にも表れているように、苦悩しながらも自然界の秩序(自然律=いのち)にかなう生き方へと自己を調和していく姿と言えます。とりわけ夫人のように、米のいのち・食のいのちと同化したさまを「まこと」というのだろうとおもいます。
時代の大きな転換期にあってもなお、または、だからこそいっそう私たちは近視眼的思考の傾向が強くなるようです。しかし、永い目で見れば、生涯をつうじて自己調和をつみかさね「まこと」を体現する価値や社会的意義は計り知れません。「一羽の折鶴」の現象はその一端をまちがいなく示唆しています。
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「48年後」の「48」(=資料ページ)
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じぶん自身や、ほかのいのちに対する、ウソ偽りのない心、言葉、行動。(下記参照)
どんな苦しい思いも、どんな辛い思いも、感謝にかえたまえ
『酒乱‐米の生命が生きるまで』「天の啓示に生きる妻」▼
断酒数年前のこと、妻は、ある声なき声を聞くことがあったという。
酒乱の断末魔が、響きをあげて近づく頃のこと。酒乱のやり口には身ぶるいするほどの恐怖を感じながらも、その中にあって、夫の狼藉 にもいつしか感謝の気持を持てるようになっていた。
「お父さんのお蔭で、沈黙世界から、その心をいただけるようになりました。お父さん、本当にありがとうございます。」
と、どれほどに恐ろしい難儀だったことか。言うが早いか、顔をしばたたせながら、泣き出してしまっていた。
ある日のこと、刃物を振り上げている夫のため、家へ入ることもできず、たった一人の妹に助けを求めて駆け出して行ったが、巻き添えが恐ろしくて、家に寄せて休めさせてくれなかったようだ。あまりの酒乱の恐ろしさのため、そこの小屋にさえも、休ませてもらえなかった妻の憐れさ。
寒気が身をつんざく酷寒の夜。天を仰いで、無心の生命の中から、
「どんな苦しい思いも、どんな辛い思いも、感謝にかえたまえ」
と、心の奥深く刻んだ妻への伝言。
それを区切りに、妻は一心に、夫のいかなる乱行にも、ただ一念に頭を下げ、どんな苦しい思いも、どんな辛い思いも、すべて感謝に変えていくことに徹した日々を過ごすようになった。
この感謝に徹する日々こそ、神に生命を捧げ尽し切って得た、心開き の難行苦行であった。
ついに、妻の生命には、自然界の生命の愛が全開することになる。
ある日のこと、妻はこんなことを話すのであった。
「お父さんが悪いのではありません。米の生命がわかるまでの教えなのです。すべての食べ物、人参一本、大根一本、魚、なんでも、みな尊い人間を生かし続ける生命の元です。
人間以前のこの生命たちの、尊く、汚れない食物たちから、生命の声が聞こえます。食物たちの生命は、それぞれ違う者たち同士ですが、人間のように争うことはいたしません。
口から入った、いろいろな食物の生命は、一糸乱れず、人の生命 を守り続けます。
そうして、一本道の人の体を通り、ふたたび、自然界へと戻っていく生命たち。
その代表である米の生命は、酒となり、神々にも捧げられます。透明で、汚れない姿となって神に供えられるのです。
その、米の生命を見て、悟って、お父さんの心も、米のように、汚れない心となるまでのお役目でした。
私は、このことを教えていただき、お父さんに、本当に感謝しなければいけないのです。ありがとうございました。」
私は、この奇想天外な話に面喰らうばかりで、感謝しないといけないのは、こっちのほうなのに、尋常ならざる超越世界を垣間見た思いだった。
息詰まるような酒乱の歳月の中で、妻のその辛い苦しい地獄から救う神の業 であったと考えている。どんな過酷な試練をも、感謝、喜びに変えて生きていく、恐るべき神の智恵が授かったとしか言いようがない。
米の生命がわかるまで、そして、その米の生命が生きるまでの酒乱劇。これは、永々百年に及ぶ、母と妻の二代にわたる女神のような守りであった。
「天の啓示に生きる妻」八〇〜八二頁
人間的、都合的、犠牲的な愛ではない。また、男女の愛、親子の愛とも違う。
『酒乱‐米の生命が生きるまで』「守護の窓口となった妻と自然律(悪は、この世の仮りの姿)」▼
あの火事の発見が、もう少し遅かったなら、大惨事になったと思うと、なぜか、私の今日ある、ゴールの灯明が輝いていたのかもしれない。勝手な想像をと思うだろうが、そこに、見えざるなにかが動いていたようにも思える。
その橋を渡り終えるとその橋が落ち、その次の橋を渡り終えると、また、その橋が落ちていく。この時、もし大惨事になっていたなら、執行猶予が、声を立てて躍りあがって喜んだことだろう。波乱の止め金だったが、そこを、どんな神様が守ってくれたのか、どんな仏様が守ってくれたのか、その護りの窓口が、〝妻の真心の一念〟だったように思える。
その頃、妻には、親戚たちが詰め寄ってきていた。残された家族を見るに忍びなく、「離婚しなさいッ」と詰め寄られていたが、妻は、一念、夫を立て直すとの決意は固く、「夫婦の縁を粗末にするなッ」と、決して動かなかった。
この心の奥には、どれほどの悔しさと、憎しみと、愛が、グチャグチャ揉み合い、砕け合っていたことだろうか。妻の口から、そうしたグチめいた言葉を聞いたことはなかったが……。それをよいことにしてか、心に入れてか、入れずにか、私は、泥棒にも三分の理ありとばかり、「ああでもない、こうでもない」と言い返していた。正邪善悪が麻痺する酒乱、薬物中毒患者は少々の不祥事について、本人には責任感が全くなくなっている。意識がぼけて、心神耗弱状態なのだから、やむをえないことだ。自意識がはっきりしていて、自分がなにをやっているのか、いいのか、悪いのか、思慮分別がわかるようならば、馬鹿な真似はできない。すべて、意識の埒外の出来事として、罪悪感が湧いてこないのが、厄介なアルコール性痴呆症なのである。せめても、せめても、取りつく島がないのだから、始末におえない。
平常心で、酒と付き合える人たちには、はるかな、くだらない人たちと思えるだろう。だが、人間の進化の中で、今日までの遠い道程で、生活の友として、飲み続いている愛しき酒を、祖先の誰かが、道を少しずつはずしてきたことは、明白な事実だろう。
こうした生命が、子々孫々へと伝わる中で、きちんと飲める人と、乱れてしまう人とに分かれてしまった。そうして、時代を経て、〝悪い酒〟のほうの人が、遺伝子性の申し送りとなって、肉体的、精神的に、酒乱の素養が成長することになったようだ。
そのため、心の習慣と肉体の習慣を、日々、粗末にできない理由が、生命の裂けるほど、わかってくる。そして子孫のどこかで、必ず目覚めなくてなんとするか!!
この永々と続いた悪習慣は、自分の過去だけのものなのか、あるいは、両親の代からのものなのか、さらに、それよりも、もっともっと先の時代にまで遡るのかは、人それぞれに異なっている。
ただ、ここではっきりしていることは、子孫の誰かが、この先祖ぐるみの悪習慣を断ち切らなくてはならない。命がけで、生命に恥じない人間性を取り戻さなくてはいけないのである。
そのためにも、単に人間的自我というくらいでは到底太刀打ちができない。自然界の愛が窓口にならなくては、汚れ切って、軟弱化した人間の心を、浄めることはできないだろう。
人間発生前の、生命の愛に戻って、我々を、
「生かして、生かして、生かし続ける愛の力」
を借りなければ、人間は改心できない。
すべての宗教を超えて、生命の愛に目覚めなくては、心の汚れは浄められない。私に潜んだ、酒乱で汚れ切った心は、妻の真心の一念で、生命の愛に目覚めさせてくれたのだった。米と酒の生命が、妻の生命の光を通して、私の心の中で生き返ったのである。
このことは、とても理解に苦しむこと、あるいは、低俗なことだと言われるかもしれない。だが、今、本当に、自分が迷っている時、そこから目覚めるためには、高尚な精神論や、宗教論で救われるだろうか。
少なくとも、酒乱の人生から自分を目覚めさせてくれたものは、ただの主婦である妻の守りのお蔭だった。一念の真心(愛)は、人間的自我(煩悩的自我)を超えた愛の心となり、私の汚れた心を浄めてくれた。
この妻の愛は、あまりに当たり前過ぎて、かえって説明に苦しむところだが、それは、人間的、都合的、犠牲的な愛ではない。また、男女の愛、親子の愛とも違う。それでは、どういう愛なのか。一口で言うなら、生かし続ける沈黙の愛だと、言える。また、宇宙心霊(生命界の心)が、妻の生命にがっちりと生きたのだと思われる。
妻が、よく言う言葉に、
「人間以前の食物たちの生命(心)に戻らないと、人は成仏できない。人霊の活躍は、まだ自我がある。人間以前の生命の愛がないと成仏できない」
と、いうことがある。
このことを知るためには、まず、毎日の食事に心を向けるがよい。食べることによって、生きることができるのは、当たり前のことだ。
もの言わぬ米を食べ、そして、野菜、魚、その他一切の食物を食べて、こうして、自分の心が生まれ、声が生まれ、言葉が生まれ、走り回り、今日を生きる人間。この、生かす力(愛)しかない食物たちと、融合一体となって、その尊い声なき心を受けることができる。酒乱の夫と過ごす尊い人生、三十三年の中で、人間を諭し続ける生命界の心と、通じ、結ばれ、生きた。そこには、いかなる理論の余地もない。
そこにあるものは、丸裸の透き通った光だけの生命しかない。そして、黙する生命の光の受け皿となった妻。しいて言うなら、沈黙の心々の世界から見たなら、灯台の光のような妻を見ているようなものであった。
だから、米の生命は、妻の生命の光を見て、心を寄せる。酒の生命も寄ってくる。酒の心は、妻を通して叫ぶ。
「喜び、安らぎで飲むんだよッ。浄まりの生命だよッ。神に捧げる生命だよッ。汚すのは、人の心だぞッ」
また、米の心は言うだろう。
「米寿の祝いとなる生命だよッ。八十八(88)の数にも、生きられる生命だよッ。磨き抜いて、御神酒にもなる生命だよッ。生命を汚してはならないよッ……」
と、人の体の中から叫んでいるだろうし、米、酒、食物一切、また、自然界の心々、そして、人霊の心々たちも、人の世のために、代弁してくれる妻の生命に寄ってくる。声となって、文字に生きて、数に生きて、色に生きて、寄ってくる。そして、見えざる生命の世界の心々を、人々に伝えていただく喜びが、こちらにも感じられる。
天地の生命の愛で生かされる人間界は、必ず、一人一人の生命の中から、目覚めさせられるであろう。そして、妻の守りは、沈黙世界の、見えざる、生かし続ける愛、その愛そのものの守り姿であった。
だから、米の生命も、酒の生命も、私の生命の中で、力強く生きた。
まず、心の突破口は、食物たちや、自然界の生かし続ける生命の愛を、自分の心で、ガッチリと感じられるようになれば、不調和な人生から、目覚めることが早まると思う。概念としての知識だけでは、むしろ、混乱が生ずるから注意しなければならない。
こういう、生命の原点に、真心から感謝できる心(愛)が目覚めたなら、自らを救うことが必ずできる。
不調和な心(悪性)は、目覚めなき迷いの心だから、悪はこの世の仮りの姿だと言える。
(後略)
「守護の窓口となった妻と自然律 (悪は、この世の仮りの姿)」109〜113頁
岩戸開きなりなるぞまこといわとは永遠ぞ
『ひふみ神示』「アレの巻」冒頭の一文▼
文字・数の符号や背景を総合すると、〝一羽の折鶴〟との偶然のめぐり合わせは、夫婦の意志と故・岡本天明氏の魂との共振共鳴。極言するなら夫婦の「まこと」と、日月神示が示す「まこと」との、時空を超えた響き合いがこの件の本質とも言える。ひとびとの「まこと」の累積こそ「ウソ偽りない」平和の礎。それでこそ個の生命も社会も開くということ。
諸説あろうが、『ひふみ神示(日月神示)』の中で、「アレの巻」冒頭の二文「いわとびらきなりなるぞ まこといわとはとわぞ」が、最も重要とされる。
ふでに「自分拝まねばどうにもならんことになるぞ」と、示されているのは、このこと / 自らの五体こそ、食に生かされているカミの器
『至恩通信』平成19年5月23日(旧4/7)号(258号)▼
人のいのちの成り立ちは
母胎に宿った 十月十日 母 箸 で運ぶ 食のみによって 育成生 致します。誰も 手をかけることの出来ないウソのない母体の中 光 恵 恩 実 証す。
いのちの元点を 心に抱いて 一生あらねばならぬ 悟りとなりました。
食なくして 五体は この世に存在出来ません。
この五体は ひかりでございます。と、さとった今、身体をなでながら、ふでに「自分拝まねば どうにもならんことになるぞ」と、示されているのは、このことでございました。
今迄 遠く 天空の彼方に 神を拝してまいりました。
自らの五体こそ、食に生かされている カミ の器でございました。
折鶴によりまして、難解を究めた十六巻を 分からせて頂くことが出来ました。
一八十一キ七七三
〇九十一八十八十八三
言答開き成り成るぞ
誠言答は永遠ぞ
イワトビラキナリナルゾ
マコトイワトハトハゾ
人間本来 永遠のいのちである。と、分からせて頂きました。
日月神示の 極意となっております。
折鶴の芯 光 言 食芯のめざめこそ 世界を一つに結ぶ 自然の理でございます。
神理を分からせて頂きました今、初心にかえり 宗教法人を 解散することに致しました。
(後略)
出典『至恩通信』平成19年5月23日(旧4/7)号(258号)
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菅原茂/おりづる書房/2011年
平成5年8月6日の広島平和公園で出合った一羽の折鶴は、「倉敷市玉島」と印刷された広告で折られていた。その地名は「日月神示」で知られる岡本天明氏の出生地。縁結びのしくみを、「心のつる草」など比喩を用いた物語を織り交ぜて表現している。
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菅原茂/MBC21/1993年
「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。
岡本三典/至恩郷/2007年
B4版の二つ折りの会報。本号は全3ページ。『日月神示』および『ひふみ神示』に頻繁に出てくる、円に点を入れた記号「」を間に挟み、『至恩通信』という題名で印刷されている。掲載した資料は、「宗教法人解散のお報せ」という見出しの文章終盤に記述されている部分。『日月神示』の発祥、法人発足や『至恩通信』発行の経緯、平成5年8月6日(1993年)広島における〝折鶴〟との出会いにまつわる話、上記抜粋文、御礼のあいさつと法人解散の祭典日時などが記されている。