客観と主観

想像と直感、辞書では

『広辞苑 第四版』[岩波書店、1997年(平成9年)]には、以下のような説明があります。

 

  • 「想像」→ ①実際に経験していないことを、こうではないかとおしはかること。②実際の知覚に与えられていない物事の心像(イメージ)を心に浮かべること。 
  • 「空想」→ 現実にはあり得るはずのないことをいろいろと思いめぐらすこと。【心理学】想像の一種で、観念または心像としてあらわれる精神活動またはその所産をいう。願望充足の機能を持つことがある。
  • 「直感」→ 説明や証明を経ないで、物事の真相をただちに感じ知ること。
  • 「直観」→ 一般に、判断・推理などの思惟作用の結果ではなく、精神が対象を直接に知的に把握する作用。直感ではなく直知であり、プラトンによるディアレクティケー[※ギリシャ語の「対話」]を介してのイデア直観、フッサールの現象学的還元による本質直観など。 

[※]『知識創造の方法論』野中郁次郎著、2003年、東洋経済新聞社

 

人間の意識世界において、「想像」と「直観」や「直感」との間に、明確な線があるわけではないとはいえ、意味の上で、かなりの開きがあることがわかります。

本質を感じ取る「直感」

共時性の記録を通して生命を考察する『神秘の大樹』(全4巻)という本があるのですが、随想(1巻と3巻)には、現象の本質を察知する際の表現として「直感」という言葉が多用されています。ほかの共通点を挙げると、「想像」という言葉は「想像をはるかに超えて」という慣用的な使い方がほとんどであること、「第六感」「霊感」は一度も使われていないことです。

 

「心の波長を限りなく微細に絞り込んで、集中力を高めようとする。その集中度の個人差がある中で、各人が、それらの思いを寄せたところの、心の磁場において、はっと何かを知覚する瞬間がある。それはあの、魚を釣り上げる一瞬にも似て、心が何かと見事に同調する体験は得難いものである。」(『神秘の大樹』第3巻「生命8字は心の宝」p.123より)

 

「直観」や「直感」は、無意識的(潜在意識の)領域からの瞬間的なひらめきという印象があります。「はっと何かを知覚する」ように、それは、発見にも似たひらめきや気づきのようなものだと理解しています。

 

ユング氏は、人間の無意識の奥底にある人類共通の素地とされる「集合的無意識」のことを「人類の歴史が眠る宝庫」と表現したといいますが、上の例を見る限り、霊的な存在が関与する共時性の認識は、無意識的な意味合いをもつ「直感」が重要な働きをしていることを示しているとおもいます。また、誰でも働く力なのかどうか判らない「霊感」「第六感」という言葉が用いられていない点は、誰でも体験する現象であることを表しています。

客観と主観の区別

河合隼雄氏は、心理療法家としての臨床経験をもとにして、次のように述べています。また、理論物理学者のニールス・ボーア氏も、似たようなことを指摘しています。

 

  • 人間の心を「客観的対象」と見なそうとしても、観察者自身も「心」をもっているので、そのようなことが成立しないのである。(『宗教と科学の接点』p.192)
  • 私たちの心の働きを記述するためには,私たちは,一方では,客観的に与えられた内容が,それを観測している主観に対置されて置かれることを必要とするが,他方では,このような言い回しからすでに明らかなように,後者の主観もまた私たちの心的内容に属するのであるから,主観と客観のあいだの厳格な区別を維持することはできないのである.(『因果性と相補性』p.70)

 

これは、客観性をテーマにするとき、必ず突き当たる問題かもしれません。仮にここで、一般的に使われるときの客観的知識は人と共有できる理論、主観的知識はそれ以外の個人的・感覚的なものだと、意味を限定するなら、両者を区別する必要があるのではないかと考えます。ただ、上の引用文と同様に、たいへん重要だとおもっている見方が以下の文です。

 

  • 思考の世界では主観と客観に分離出来るが、いのちの世界から見るならば、主観も客観もなく世界は一つ」(『いのちのふる里』菅原茂著)

 

上の著者が述べていますが、私たちの「からだ」のルーツをたどると、親から無数の先祖へとさかのぼることになり、究極的には地球、宇宙へと広がっていきます。また、生物となった時点から常に広い意味での食が密接に関わっています。

 

「こころ」のルーツは、目に見えない分、判然としないのはたしかですが、「からだ」の場合と共通性があると考えるのが自然ではないでしょうか。こうして生命の成り立ちを考慮すると、主客の区別という見方が本質的に成立するのか、素朴な疑問も生じます。

 

 「思考の世界では主観と客観に分離出来るが、いのちの世界から見るならば、主観も客観もなく世界は一つだ。外の世界と自分は完全に分離していると考えがちだが、いのちの世界から見た時そうではなくなる。内なるスクリーンには常に外の世界が映し出されているのが真実だ。“内は外なり、外は内なり 主観は客観、客観は主観なり”ということになる。」(『いのちのふる里』菅原茂 p.19より抜粋)

 

客観や主観という概念は、観察される側と観察する側との区別や、物と意識との区別、という具合に定義できるといいます。ただ、観察される側が物ではなく自分の心であるとき混乱が生じます。「人間の心を「客観的対象」と見なそうとしても、観察者自身も「心」をもっているので、」という河合隼雄氏の言葉は、おそらくそういうことです。

 

その上で、一般的に、私たちが「客観的」「主観的」というときには、前者を科学的思考(普遍的認識)、後者を非科学的思考(個人的認識)という感じの意味合いで用いていると推測します。私たちは、日々経験することがらに対して、基本的に自分の体、心、頭を頼りに認識・評価しています。ただ、その評価は、誤認や思い込み、偏見と、常に紙一重です。自分の(主観的)認識に誤りはないか、論理的(客観的)思考をくぐらせて検討し、再評価することもたしかに必要な視点です。

 

しかし、そもそも認識、想像、客観、いずれも意識という主観の働きですから、主観と客観との区別には、常に矛盾が付いて回ると考えられます。

 

 

 共時性現象は、魂という意味での「心」が、肉体的な生死を超越していることを暗示しています。であれば、客観と主観、客観的・主観的という概念は、心の霊的性質を踏まえた上で、欲求、意志、感情、想像、思考、記憶、直感などの定義をあらためて考察すべき課題であるはずです。

 いっぽう、これまで掲載してきた文章では、「論理的思考や科学的知識(断片)」か、「個人的信条や宗教的知識(固定観念)」か、そのいずれかに偏りがちな現代人の思考傾向を批判的に考察するにとどまり、心とはどういう世界かをより一層理解するための総合的考察という点で不十分でした。ただ、現状では力不足のため改訂をあきらめ、掲載内容の一部(=上の文章)を残し、ほとんどを削除しました。客観と主観について直接触れてはいませんが、心の性質について整理した「体と心の相関性」をご参照ください。

 

 

出典・参考図書

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書籍『神秘の大樹 第三巻 文字・かず・色であかす新次元』の詳細・閲覧ページにリンクしています

神秘の大樹 Ⅲ
文字・数・色で証す新次元

菅原茂/おりづる書房/2012年

本の総合情報

 

文字・数・色は人間の意思だけではなく、生死の境やほかの生物などと境なく、いわゆる「霊」や「魂」の意志性を代弁している。 共時性現象(=偶然の一致)は、それを認識させてくれると同時に、一人ひとりに対するあたたかい道案内の現象だと伝えている。

 

 

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フォトエッセイ『いのちのふる里』の詳細・閲覧ページにリンクしています

いのちのふる里

菅原茂/おりづる書房/2008年

本の総合情報

 

便利な生活を享受するために、工業を中心にしてひた走ってきた日本社会。そのいっぽうで、むかしもいまも、ずっと変わらずいのちの原点でありつづける食のふる里。個人の生き方として、また社会の健全な姿としてのバランスを、どうやって回復したらよいのか。食と農と生命に実感がもてぬ現代の私達。時代や社会を経ても生きる原点は変わらないはず。私達の体と心は原点に帰れるのか。

 

 


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書籍『宗教と科学の接点』を図書館情報サイト「カーリル」で検索します

 

宗教と科学の接点

河合隼雄/岩波書店/1986年

ここでいう宗教とは、特定の教義をもつ各宗教のことではなく、心や魂を担当してきた分野という広い意味をさしている。これまで単純に対立的にとらえられてきた物と心の問題をだれもが真剣に考えることは、21世紀の人類を考える上できわめて重要だとしている。

 

 

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書籍『因果性と相補性』を図書館情報サイト「カーリル」で検索します

ニールス・ボーア論文集1
因果性と相補性

ニールス・ボーア/山本義隆編訳/
岩波文庫/1999(平成11)年

原子構造の解明、原子核理論の構築など、量子力学を開拓した理論物理学者のニールス・ボーア氏による論文集の邦訳。

 

 


共時性とは何か

cloud like the dog

時空や生死を超え、人種や生物種も超えて、いのちには境界がない証し

 

因果性とは何か

広義の因果性(想像図)

「因果性」の実際は、それほど単純ではなく、もっと複雑。科学的な「法則」は、限定的な条件のもとでのみ有効だ。

 

偶然にひそむ因果

cloud like the dog

因果性がないというより、今の科学の尺度では説明できない、と言うべきではないのか。

 


共時性の真価

一羽の折鶴

平成5年8月6日、広島平和公園で偶然発見された一羽の折鶴。共時性現象の真の価値は、生命現象そのものではなく、それが生命の真実を示していることだ。

 

体と心の相関性

在来原種の亀ノ尾と女鶴

私たち現代人が見失っている食の本質。生命と生命現象の根源は食にある。自分のいのち食のいのちに対する考え方が問われている。

 

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