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神秘の大樹だいじゅシリーズ第三巻
神秘の大樹
 文字・数・色で証す新次元

 

 

神秘の大樹Ⅲ  目次

 

まえがき

船井幸雄と遠藤誠と私と妻とを結んだ魂とは

林の響きが魂を乗せて

雲になった桃太郎

鮭が犬に変わる時(こころ姫とものの王子)

カササギといのちの会話

四・九(欲)問答

宇宙船〝アポロ一三号と一三〟のジンクス

心はきらめく生きもの

家紋で示す魂の実在

〝三〟で開いた天童の姫

酒と菊の花

飛鳥せきの魂が証した文字的現実

鯉が天から降りてきた

車のナンバーも命の意志

稲霊の喜びが開花した〝いのちの証し〟

普賢岳に抱かれたご夫妻

夢と現実と鳥海山噴火

永代供養と幸福の木

生命8字は心の宝

お茶が牛になるとき

ヨシ婆さんと心の光

酒と米と魂の守り

出会いは時空を越えて…

この世は卵が先か?

思えば寄せ来る文字と数

カラスとクルミと納豆

吉田茂の本と私

漂流三七日間を守った海亀

戦争を終わらせた八一五字

あとがき

著者略歴

 

 

 

 

まえがき

 

 人間が他の動物たちと同じ次元の、原始の時代を抜け出して、今日みる教育分野をはじめとして、あらゆる産業を興し、高度の文化を築き上げた根源には、三愛の神器とも言える「文字・数・色」に対する発現があったからだと、私は考えております。

 文字・数・色を駆使する以前の、原始時代の人間同士のコミュニケーションは、ごく限られた言語表現の中で生きている、いわゆる、ゴリラやチンパンジーたちの次元であったはずです。

 それがいつしか二足歩行に移行した頃から、両手を活用することが出来てまいります。そのことによって、これまでの言語表現は多彩なものに変わってまいります。そこで、文学的表現を発現し、また、数量や数字を発現させて、より一層心の交流を行い、更に多くの色彩感覚を発現させる事で、人間同士のコミュニケーションは爆発的に発展することになった、と考えてみたとき、それまでに、限られていた情報交換も多種多様化して、コミュニケーションは高度に発展することになり、現代の文明文化が開かれて来たものと、私なりに考えております。

 仮に今から、文字・数・色を一切使用できないとなれば、私たちは一気に原始の時代にタイムスリップすることになります。私たちはこの時点で、限られた言語表現で生きねばなりません。

 文字・数・色は私たちの魂そのものの姿だと言っても過言ではありません。現代では何をするにしても、文字や、数や、色に、心を投影させて、その意志を伝える意志伝達の媒体として、フルに活用しています。

 人類は、文字・数・色の発現発展によって、現代人類となりました。

 文字・数・色は私たちの魂そのものであり、「魂の宿り木」と言ってもよいでしょう。

 文字・数・色が魂の宿り木ということで、偶然の一致といわれている共時性現象には、頻繁にその姿を現しております。亡き方々の魂も、今の私たちの心の姿も、文字・数・色に投影させて、共時性現象にその姿となって魂のメッセージを発しておられます。

 文字が開いて、数が開いて、色が開いて、声なき声の光を発しておるのです。

 たかが偶然の一致じゃないか、と言われもするでしょうが、そこには尊い声なき声が秘められていることに人々は気づきにくいものです。

 文字・数・色は魂の代弁者なのです。ひとりひとりの運勢運命の道明かりとなりますから、偶然の一致はただの一過性の意志エネルギーではありません。連続性のいのちの光に溶けて伝えようとする尊い魂の扉開きなのであります。

 文字に生きて、数に生きて、色に生きて、声なき声の光となって、人々の心に響かせる意志エネルギーなのであります。偶然の一致といわれる共時性現象には、貴重なメッセージが秘められております。

 神秘の大樹シリーズも今回で第3巻を発刊することが出来ました。体験事例を資料にして、私たちの出合いの縁と、文字・数・色に秘められた声なき声の真実性を感じていただければ幸いでございます。

 

平成二四年 初春

著者 菅原 茂

 

 

 

カササギといのちの会話

 

 北の国に酒田という港町がありました。そこには、日本海を一望できる小高い丘があって、そして、日枝ひえの森が茂っておりました。

 ある日のこと、日枝の森に、これまで見たこともない遠い国からきたカササギという鳥が家をつくり息子と娘の子宝に恵まれました。

 カササギという鳥は、カラスくらいの大きさですが、ピカピカ光る黒色と柔らかい感じの白色のきりっとしてとても品格のある鳥です。

 子どもたちは日増しに成長して、いよいよ巣立ちの日を迎えることになり、息子のカササギは、目をかがやかせて体一杯で呼吸をしたかと思うと颯爽と力強く飛び立っていきました。

 息子のカササギは、南の国の山九山さんきゅうさんという山の鶴見の森へと飛び立っていったのです。

 後に続いて、娘のカササギもやさしく風を切って少しはなれた川向かいの高見の森へと飛び立っていきました。

 鶴見の森に移った息子のカササギは、ある日のこと、山の主さまから呼び出しを受けました。息子は、そこで一大決心を迫られました。山の主さまからは、今度隣国の魂の森(ソウルの森)に行くようにと言われたのです。これからは、広い世界を自分の目で見て学ぶことが大切である、大いに魂を磨いて来るがよかろう、と言い渡されました。

 少し迷いもありましたが、息子のカササギは、主さまに、その決心のついたことを伝えました。また、そのことをいち早く日枝の森の母さんにも伝えました。

 いよいよ、隣国の魂の森(ソウルの森)に出発する前日のこと、息子のカササギから、明日の夜に飛び立つという携帯メールが届けられました。それを受けて母さんたちも鶴見の森に飛び立つ準備で忙しくなりました。

 母さんはどうしたことか落ち着きがありません。あちらこちらと捜し物をしていたのです。やっとのことで紫色の長靴を取り出してきて、これを履いていくというのです。驚いたカササギの父さんは、

「何もいらないじゃないか、普段着のままでいいよ」

と言うのですが、母さんが言うには、

「父さん、実は息子からテレパシーが入ったんです。あの子は何も言わないけど、母さんの喜びそうな紫色のジャンパーを着て出迎えようと考えていたようなのです。私もあの子をきっと喜ばせたいから紫色の長靴を探して居たのよ」

と言うのです。その話を聞いた父さんは、ただニヤニヤするばかりでした。

 その夜無事に鶴見の森に到着してみると、息子のジャンパーと母さんの長靴は、紫色でぴったりと一致してキラキラかがやき合っていました。カササギの母と息子はお互いに言葉には出しませんでしたが、ジャンパーと長靴の紫色のことは、以心伝心で正確に伝わっていたのでした。

 感激の出会いとなった見送りも無事終えて、母さんたちは日枝の森に帰ってみると今度は、娘のカササギから携帯メールが届いていました。「明日の朝お母さんに会いにいきます」と言うのでした。

 娘のカササギはその夜、少し化粧を直して、母さんに会うため美しい黒い髪を太く結わえて、三色のバンドで締めていくことにしたのでした。赤・青・黄色の三色のヘアーバンドを枕元において休みました。

 するとその夜、日枝の森の母さんには、強い胸騒ぎのテレパシーが入ってきました。赤・青・黄色の三色が、心の中で光り輝いていたのです。母さんは、娘にはきっと嬉しいことがあったに違いないと思い、それじゃ娘をあっと驚かせてみようと思い立ち、赤・青・黄色の三本線の入ったズボンをはいて待つことにしたのでした。

 翌朝、それとも知らずにやってきた娘のカサザギは、母さんのズボンを見るなり目玉を大きく開いて飛び上がって喜びました。赤・青・黄色のヘアーバンドとズボンの三色の線がぴったり合うことになり、どうしてこうなるの? と、母娘は心の通い合いに驚き、うれし涙がこぼれそうになりました。その喜びは、日枝の森にもいっぱいひろがっていました。

 やがて日枝の森にも冬がやってきました。寒い吹雪の日々がつづくようになります。

 カササギの父さん母さんは、息子と娘の巣立ちも終えて、生まれ育った九州の佐賀の森へと飛び立っていきました。

 

 

 以上の話は実話をモデルにしたものである。息子役の男性は、隣国のソウル市に一四年の駐在を終えて帰国した。娘役の女性は酒田市内のT子の話である。さらに、カササギの飛来は、平成二〇年六月一二日午後一〇時半頃、日枝神社境内で実際にあったものである。

 人の思いは深い意識の次元でひびきあっている。共振・共鳴・共時性現象は、現実生活意識の中ではなかなか気づきにくくなっているが、縁結びとなる出会いには、注意深くしていると、文字的・数的・色彩的ひびきの実態がわかってくる。

 心に描くこと、それも強く思うこと、一瞬でも思い描くことなど、これらの思いの形は異なっていても、この思いの波動はどこへ行くのであろうか? 地上はもちろんのこと、宇宙の果てまでも発信されているのではないだろうか。それがどこまで届くのかどうかということはわからないが…

 しかし、心が一瞬の光であればこそ大変な遠くまでも届くのは確かなはずである。人の心は、放送局のように同一同波のサイクルを出し続けることば不可能だ。そんな器用なことは不可能である。電磁電波のサイクルは、微妙なチャンネル操作でも、ちょっとのずれこみだけで電波が入り乱れて雑音としか聞こえなくなる。ましてや、人の心のサイクルを同一不動に持続するなんてことはできない。

 思い続けること、それを持続し続けることを果たそうとしても、ちょっとした心の動きでサイクルはすぐ狂ってしまう。人の心は、断続断片的で、心のサイクルの振幅がバラバラであるから、どのように相手にその思いを届けようとしても、対面しての会話の話ではないから、思いは空中分解して消滅する。だから心の波動は、さしずめ煙のように空中分解して相手に通じないことになる。

 ところが、万に一つその想いが通じるとしたら、それはあり得ないことでもない。人と人が互いに、心のサイクルが同一振幅内にある場合には、時としてそういう奇跡的なことが起こり得る。俗に言われるテレパシーなどはそうした例に入るかと思う。

 私たちが日常見聞きしているテレビ・ラジオなどの電信電波は、文字的になり象形的になり、数字になり色彩になり、音声となって目の前に届けられる。

 発信された電信電波は、それぞれの周波数で正確にシフト(転換)されて映像化される。それらを飛躍させて人間同志に応用できるかといえばもちろん無理であろう。なぜかといえば、人工機器のように同一条件下の継続維持が不可能なのが、人の心だからだ。だからといって、人の心には意思伝達が不可能かといえばやはり例外はあるものである。

 心という電磁電波(霊波)は、この世に大海の洪水となって乱れ飛んでいるのだが、ただそれが目にみえないだけの話である。

 人心から発せられる心の放送局は、地球に六〇億人の人がいれば、六〇億カ所林立していることになり、この波動が、もしもこの目に見えて、耳に聞こえることにでもなれば、この世は一歩も歩くことなどできなくなる。心の波に呑まれて溺れてしまうであろう。

 そうした混乱がなくて生きていられるのは、やはり、いのちの守りというほかはない。

 例えば、心の波を三大区分して、文字的表現の心、数的表現の心、色彩的表現の心としたとき、この世の空間はそれらの波動で超濃霧警報状態となるが、微妙な心のチャンネルの違いが救いとなっているのである。

 こうして、人の心の波動が全空間に実在する訳であるが、目に見えず、耳に聞こえず、五感には触れることはない。人の心にかぎらず、人工の電磁電波、生物たちの心の波動、地球や宇宙生命の波動、その他あらゆる生体波動に侵害されることもなく、こうして我々が生存できるのはやはり、いのちの守りというほかはない。

 だが、この我々の五感に感じられない波動でも、いのちの深いところでは、この世のありとあらゆる磁気磁波磁性に感応していると私は思っている。知らぬは表面意識にある我々であり、人間は知性オンリーとなり、深い意識はいよいよ遠くなるのだといえよう。しかしこれもまた、人間の心のパニックにならないための、いのちの守りというほかはない。

 やはり、いのちの世界には無駄はなかったのである。無駄と思えることでも有益であったり、有益と思えることでも実は無駄のようであったり、プラスがマイナスに、マイナスがプラスにと、いのちの絶対調和力は自在千万で、そして、絶妙にこのいのちを守りつづけておられる。

 

 

 

 

お茶が牛になるとき

 

 いのちには顔がある、と思うようになってから、その思いと体験記録が積み重なり、ついには「いのちの顔」というフォトエッセーを出版するまでに発展した。

 いのちの顔といっても何のことかさっぱりぴんとこないかもしれない。生物に顔があるのは当たり前のことだが、そういう見かけとはちょっと違う話で、心の顔とでもいえばいいのか、生き物たちの顔とは無縁の場面に現れ出る顔なのである。

 それは、いのちの底から浮き出した顔であり、誰の目にも映る顔ではない。

 主に雲や食物、樹木、山、水、雪、氷、岩石、写真、布地、その他、そのときそのときの状況に応じて、万物にわたるのであるが、その顔の要因は随所に秘められているようで、とにかく、その一瞬の出会いのときに背中を押されるようにして写真に残してきた。

 私には、顔だとはっきり分かるのだが、人にその写真を見せると何のことかさっぱり分からないようである。「これこのようですよ」と説明するとようやく分かってもらえるが、疑いの心が先に立つようだ。しかしそれは無理もないことである。目に見える顔以外に顔があるなど考えられないであろう。私には六感をつき動かしてそれとなく示唆し、案内するいのちのナビゲーターがおられるのだろうか。

 この世に顔のない生物なんていないと思う。地球上には、二〇〇万種にも及ぶ生物が存在するといわれているが、とりわけ、顔があるかないかということになれば、植物を除いて、顔のないのっペらな生き物はいやしない。

 身近な庭先をちょっと覗くだけでも、蟻やトンボ、蜂や蝶々、カマキリにカエルや蝉、蚊、蝿、それから名前も知らない虫たち、雀、カラス、空にはトビが舞う。ときには、鴬やモズ、シジュウカラも見かける。四つ足でいえば、野良猫が縄張りにして庭のあちこちに臭いづけをしているし、犬も来るし、タヌキの親子が徘徊するし、思い起こすだけでも大変な数になる。皆それぞれ固有の顔を持っているから見分けがつくというもので、顔がなかったらお手上げとなる。こんな当たり前のことに、今さらながら、改めて不思議でならない。

 顔とは何であろうか? はたと考えてしまうのは私なりにそれなりの理由があるからなのである。目に映る生き物以外の顔を見てしまうので、「あれ」と心引かれて見れば、肝を冷やすことも少なくない。

 目で見えるだけではなく、写真にも映る顔であるから、ただごとではない。そうして、ありようもないはずの顔が出現することが現実体験として続いてきた。まあ、漫画やイラスト等であれば、顔を表現するのに、丸に点を三つ入れるだけでそれが顔だとわかる。とにかく生物は、たとえ微生物であっても、顔のないものはいやしない。

 顔には、その生物のいのちそのものが集約していることに気づく。その生物が生きるための全身機能を集約している頭脳の、内面の出先としての表面機能が、顔の働きに当たる。

 顔がないことは、首から上の頭脳がないことになる。生物としては成りたたない。

 目や鼻や口や耳などはいのちの象徴である。だから、「顔」を用いて、日常の話の中にいろいろと出てくるではないか。

■あの人は「顔役」だ…顔が何かの役を持っているようだ。

■皆さん、「顔が揃った」ようですから…手足が揃ったでは様にならない。宴会などでよくある場面である。

■「顔をきかす」…何の薬なのか何に効くのかおかしな言葉である。

■「顔を立てる」とか「立てない」とか…顔は初めから立っているし、口が上になってはいない。

■「顔を売る」…顔を売ってしまったら首なし人間になって一巻の終わりである。

■「顔に泥を塗ったな」と叱られる…建物の壁じゃあるまいし、顔が泥で見えなくなるから怒るのか?

■「顔が広い」とか「狭い」とか…顔が広くても知れたものである。せいぜい団扇うちわくらいがいいところである。

■ちゃんと「顔に書いてある」…顔を黒板と間違えているような話である。

等々、こうして顔を何らかの比喩にたくさん利用していることからして、まさしく顔は心のシンボルだし、いのちのシンボルということになろう。顔は、個体の自己表現の絶対的なものといえよう。顔一つで心の内を伝えることができる。顔はまさしく心の象徴であり、いのちのシンボルでもある訳である。

 これらの顔は、普段目にする生物界の顔となるが、私がいいたいのは、そういう既製の顔ではない。いわば臨機応変の魂の伝達手段としての「霊顔」といったらいいかと思うのである。

 その顔は、神秘的世界であり、メッセージ性の高い魂の再現といえると思うのである。

 目には見えない魂の物質化現象の顔ということ。声も言葉もないけれど、いのちの原子次元からの働きによって、沈黙の声を伝えようとしているいのちの顔。

 霊言を伝えようとする、霊魂の存在を証す、魂不滅の「霊顔」ということができる。メッセージ性の高い万物普遍の次元からの「顔」ともいえる精神体の姿ではないかと私は思うのである。いわば「物言う原子」とでもいえる心の世界が物質化すると考えられるから、生物が持って生まれた固有の顔ではないのである。人々の心と連動して、ある原子次元を誘導して、一瞬ともいえる即席の魂世界の創作活動とも言えそうである。強大な意志表現は、信じがたい顔(霊顔)を見せてくれるから、畏敬の感動を呼び起こす。

 いのちの次元では、魂は不滅である。生物無生物にかかわらず、この世の全存在はいのちのひびきをそれぞれ持っていて、すなわち、心的固有波動ともいえる原子次元に連動しての意志伝達が開花して、顔の姿をもってアピールしているとしか私には考えられない。

 それでは、心の物質化現象の一例を紹介してみよう。

 フォトエッセー『いのちの顔』の一節で、私たちの生まれ故郷の旧友が久々に尋ねてきたときのことを引用することにする。

 

「お茶が牛となった」

  インドでは、宗教的庇護のもと、街のいたるところでノッシ、ノッシと闊歩する牛。牛は仏様の使いなのか、神様の使い手なのか、牛は死んでからもその魂はこの世に物質化現象を起こすのか。また、人の思いが真に物質化現象を引き起こさせるものなのか。あまりのリアリティーに息をのむ。

 平成三年一一月九日、旧友が久しぶりに訪ねてきた。祖母の代から使役してきた黒牛の話に一段と熱が入った。

 身代の基礎をつくりあげたこの家の黒牛は、家宝として、親子代々にわたり飼い続けられたという。ことのほか、この黒牛には思い出が深いという。

 胸を詰まらせて語ってくれたその方に、私は茶菓子を出し、お茶碗を手渡したその一瞬、数滴がこぼれ落ちた。なんとそこに、ありありと浮き出たのは〝黒牛〟の顔! 物質化現象は紛れもない真実だ。魂不滅の謎に光明あれ。

 以上のような話だが、皆さんは信じられますか? 水には表面張力があるから、テーブルなどにこぼれると滲まないかぎり盛り上がる。テーブルは塗装されているから余計こぼれたままの形となる。

 カメラを持ち出して写すのだが、ストロボをたくと盛り上がっている水滴には陰影ができて、黒牛の姿を際立たせることにもなる。もう一度やってみたけど決して「牛」にはならなかった。神意が働いたとしか考えられない。角が二本、目玉二つで白目と黒目、耳も向かって左はこちらにアンテナを向けている。右の耳は横の方に向けている。口は牛独特の広がりと大きさをもっている。撮影してからしばらくすると、やがて形を崩して平面調になった。

 この原稿を書き始めたのは、平成二一年二月二五日である。念のために、この日は丑(牛)の日であった。また、台所では妻が、今日は菅原道真公の本命日だといって、一心に供え物の料理をつくっていたのである。道真公はご存じの通り、牛とは深い繋がりをもっていた。

 思いは形をつくり、思いは魂を呼ぶ。心がいのちの宝なのである。

 

 

 

 

酒と米と魂の守り

 

 自分を変えようと思い立ってから、早や二六年が過ぎた。言葉の上や、化粧とか衣装で別人に変身するのは簡単な話だが、魂までとなればまったく次元の違う話となるから、不可能にも近い現実となる。

 言葉を変えれば意識改革のことであり、その意識といえば万人みな違う人格であり、性格であり、いい換えれば遺伝子性の意識(心・魂)ということになる。これは大変なことである。中を開いて洗濯するわけにもいかず、本当に厄介千万なことだから、人は皆、ありのままで生きるのが一番いい。

 この体はいわば魂の貯蔵庫みたいなもので、その蓄積された魂の量といえば宇宙大にもなるから、中の魂を変えるなどということはできない。唯一それを変えるとすれば、よくいわれる「心の入れ替え」、しかし正確にいえば、「心を入れる」のであって、入れ替えるのではない。

 一度、生命コンピューター(記憶脳)にインプットされた心は、善くも悪くも、正直に自分の心の蔵に蓄積される。家族環境、社会環境、自然環境、生活の全般にわたっての生きることの環境が、自分をつくりつづけるツール(道具)なのであるから、それらのどれ一つとっても自分という者をつくり上げる要素になり、また要因ともなる。

 だから、生まれ持ったありのままで生きるのが一番いいことなのだが、さて、それがために、人生を大きく狂わせることなどが現れてくると、それはまた、一大事であって、悪性に引き落とすようなことにでもなれば人生がメチャクチャになってしまうから、それはいけない。

 ありのままの自分で生きられて、無難に人生をまっとうできるのであればそれにこしたことはない。

 私のように、ありのままに生きたがために大きな落とし穴にはまった人間は、否応なく、心の修行が必要となる。それが為に、冒頭に書いた通り二六年目を迎えても、内面の葛藤はいささかなりとも残るものである。

 今は、具合の悪い遺伝子に振り回される自分ではなくなったといい切れるところまで到達したと思っている。

 私は酒で失敗を起こした。酒乱の自分との闘いはあまりにも熾烈であって、そのために、妻や家族を辛く不幸な環境に突き落とした。

 人は、さまざまな悪弊に悩まされるであろうが、その救いとしての心のよりどころといえば、宗教などさまざまなルートがあり、その門戸を開いてくれている。しかし私は集団で精神修養することにかなりの抵抗があり、独善としての自己改革を選んできた。

 心を変えることはできない。できるのは、新しい心を積み上げることだけだと思う。心に描いた文字は決して消すことはできないのである。

 パソコンには、ゴミ箱という便利な箱があって不要な情報は捨てることができるが、遺伝子性の魂の世界ではそれはできない。ひたすら、悪性因子(人生のマイナス要因)の、心の文字を薄れさせるしかないのだ。善くない自分の心が活躍できないほどに、新しい心を積み上げる。そういう修行に徹するしか方法はない。

 お陰で私は信仰心を持つことの大切さを知ることができた。酒の親である〝米のいのち〟に手を合わせる。すなわち、食のいのちであり、「生きる原点忘れまじ」であり、そのことから当然のように、心のふる里、いのちのふる里を、そして究極は「いのちとは何ぞや」と、一途に探求する人生街道となったのである。そこから得た心の世界を、新たな自分の心として蓄積することを心掛けている。

 それがためにはまず、「断酒」という二文字を確固として守り通すことであった。そして、昭和六一年元旦が私の断酒記念日となった。

 それからはや二六年目の歳月にさしかかったということになる。詳しいことは自分史『酒乱』に書いたが、それは、妻との二人三脚の日々であった。その中の一節を引用して話を進めたいと思う。

 妻の口からよく出てきた言葉に次のような話がある。

「お父さんが舞ったのではありません。酒が舞ったのです。酒の親は米です。米は透明なご神酒となりますように、澄んだ心になるための道のりでした。お父さんは酒の親の、米の心に還るのです。酒乱はそのための道のりでした」

 私は、米のいのちに還る修行者になったのである。

 続けて「天馬の如し女神の妻」の一節を引用してみる。

 一つの縁によって人の運命はその向きを変えてしまう。大きく小さく、善性に悪性にと、その方向は変わる。妻と私の生命は、厳しい縁を交えながら、今や遅しとばかりしっかと向きを変え、「あっちの水は辛いぞ、こっちの水は甘いぞ」と、子どもの頃のホタル狩りのように、いつも、その点滅する光明に向かって走りだす。

 これまで二〇年ほどの歳月を私に、ひたすら従順に、そして、一途の願いをかけて見守ってきてくれた妻だった。だが、矢尽き刃折れて、このままでいけば、妻のほうが黄泉の国(生命世界)へ連れて行かれても何ら不思議ではなかった。しかし、従順な女は一転して強い天馬のごとき力量に溢れ、迫力ある女神へと変身する。

 もうどうしても酒乱を許すことはできないと、手を変え品を変え積極化してくる。ときには「バシ!」と、鞭が音を立てて飛んできたこともある。今までの積もり積もったものが一気に突出してくるからその勢いは実に凄い。

 悪鬼のような酒乱のやからも最後の砦を守ろうと、これまた必死の応戦だった。祖先累々の酒乱の亡者を呼び集め、かつまた、他界からも援軍を引き連れての熾烈な戦火の火ぶたは切って落とされた。

 ここまでくると現実世界の領域を越して、霊界神界を交えての運命劇となった。そのころから私の母も妻の守護霊となり、援軍となって、妻は、この夫がわが子とばかり、腹を痛めたわが子なら、煮ても焼いても喰っても当然とばかり躍り出た。

 

継いでならぬぞ子々孫々
道をはずしたこの酒乱
きれいな生命いのちをつなぐのが
これぞ人の子人の道
何んで退がらりょ酒乱の夫
許してくれよ今しばし

 

あかい涙もやるせない
呑んで食い入る一文字
キリッと結んだ口元に
キラッと光る神光を
きよめたまわんこの夫

 

 妻は私を産んだ母親とも重なって動き出した。折りから雪は降りしきり、地上は見る見る白銀の光り輝く昼下がりのことだった。

 神と魔の対決は時の休まることもなく、その後一〇年はあっという間の生命の運びとなってゆく。

 夫は四六歳、妻も四六歳。後に妻は次のような声なき声の文字を残している。

 

雨だれの一粒にてもみたまは宿る
声となり言葉となりて世に残り
不思議な世界のつなぐ道となり

昭和五八年七月三日二時二六分

 

真実を見いだすこと
真実の道こそ他生の喜び重ねなり
正しく判断できる人こそ
限りなき幸せを生む

昭和五八年七月四日六時

 

 われわれの目に見えぬ生命。その声なき声の沈黙の世界、その声を聞きいただき示す文字となって残されている。妻は、この文字のことをいつしか〝四十八字〟と呼んだ。

 光り輝く一粒の雨だれその光の玉からは、烈しい生命の響きが伝わってくる。生きて何かを語ろうとする。その声なき声。そこには、奥深い生命の愛が響いているといえよう。米の、いのちの光に近づけようとした妻の一心。

 夫の汚れた心が、酒の親である〝米のいのち〟に純化できますように、また、人間の心の元となる、米たち一切の食物の生命世界に純化できますようにと、妻は一途に心をこめて夫の陰になり、日向になって守ってきた。

 積み重ねてきた心の蔵(霊魂)を変えることは実に大変な仕事となるが、この心改めの大仕事も、すべて自分の力でやり遂げてきたと思いがちである。ところが、それは大きな誤りであることに気づくようになった。そこには多くの、共振共鳴する魂たちが集結するという、内的実在の世界があることに気づくのである。内なる魂たちの守りの世界があるという実在感である。

 内在する霊魂世界では、酒乱を引きずる心に共振共鳴する霊魂たちは、改心して新しく積み上げる心に対して波動が合わず、守りの魂から押し返されて次第に離れて行くものである。

 魂たちは、本人の心の向き(改心の方向性)がどちらに向いているかを灯台明かりとして、縁結びの舵取りをしてくれていることがわかるようになった。

 亡き心ごころの働きを知る唯一のひびきは、現実に見る文字・数・色の波動媒体である。昨今、私は、数霊=数字によるメッセージ性こそ、亡き魂の表現媒体になっていることを実感できるようになった。

 数霊は、数字によるメッセージ性といえるが、また、数字による意志エネルギーと考えてもいい。そのことはすなわち、数霊は霊魂の情報発信媒体であり、宇宙世界の共通語(造語)なのではないかとさえ思われてくる。

 普段は気づきそうもない世界に、善性に引き上げてくれる霊魂と悪性に引き込む霊魂が、誰のいのちの中にも内在している事実に驚かされる。すべて縁結びの秘密は、自分自身のいのちの中にあった。善くも悪くも縁結びの神は、わが身の中から目を光らせているのである。

 わがいのちは、天地に通じる送受信基地であり、今風にいえば、ライフ・インフォメーション(生命情報基地)といったところであろうか。

 ここから、拙著の自分史『酒乱』を出版したときの、霊魂の動きを追ってみることにする。

 断酒七年目に入った平成四年早々にかけて、自分史を残すことを思い立った私は、それまで文章や原稿書きには無縁であったにもかかわらず、書き始めると、八日間で粗稿を書き上げてしまった。

 もちろんのこと、出版界とは無縁であるから、何をどうしたらよいかわからない。まずは出版情報を知りたくて図書館を訪ねてみた。

 山と積まれている書籍の棚を夢中で探したが、出版の手立ては何一つつかめないまま立ち去ろうとして最後の棚に引かれるように目をやったとき、『百万人の出版術』という本に出会ったのである。私にとってはまさしく宝物となった。

 こうして、MBC21という出版社を知ることになったのは、平成四年七月七日のことであった。それからというもの、毎日ノートから原稿用紙に清書することとなり、書き終わって、その会社を訪ねたのは七月二三日のことであった。

 初対面の渡辺社長に図書館での出会いを伝えると、話は一気に煮詰まり、原稿を斜め読みの速読で概要を受けとめた社長から、「進めてもよい」という即断をいただくことになった。

 帰りには、社長が執筆した小説『天皇の魚屋』をいただき、帰ってから読み込んでみると、それは史実に基づいた実話のようであった。

 代々天皇の魚屋として、守り継いできた奥八郎兵衛の系譜が事細かに構成されている様子に読み入った。

 ところが、天皇の魚屋は表向きであり、そもそもの系譜は忍者らしく、陰ながらに、天皇を守ることに身命を賭けている様子。その奥家、七代・八代・九代と、京の都から江戸までのことが書かれてあった。

 史実に基づくこの小説から、奥家七代から九代までを系図に書きまとめてみると、ここではっきりと浮き出してきた、霊魂の叫びにも似た共振共鳴が発せられていることに気づくことになったのである。実に衝撃的な出会いであった。

 出版社から契約のことを伝えられたので、急遽八月五日に上京し、実質上の出版手続きを開始した。その頃から急に何かが盛り上がるのを感じた私は、予定より三時間ほど早い電車で東京駅を出発した。帰宅したのは夕刻の五時頃であったが、すでに妻は夕飯を食べ終えるところであった。

 食卓の上にあった容器の上には、食べ終えた大小二個の梅干しの種が置いてあった。それを見たとき私の目に映ったのは、「亀の姿」であった。そればかりか二個の種は、ほどよく「八の字」を描いていて、何かを言おうとしているようでもあった。

 私は「亀の姿と八の字」を感じた一瞬から、内的に、それとなくうごめく何かに気づき始めていた。天皇の魚屋の八代目、奥八郎兵衛は、確か幼名が「亀次郎」であったのだ。

 写真:梅干しのタネが二つ、頭を突き合わせるような向き・八の字型に並んでいる。そのうちの一つは、まるで亀が甲羅から頭を出しているかのような姿をしている。梅のミのヘタの部分であろうか、いや、種子からヘタが出ているなどということがありうるのか。そうでなければ、発芽しているタネだろうか。キャプションは「亀姿と八の字になった梅干しのタネ」契約を終えて、予定を三時間も早く帰宅した私よりもひと足早く妻のところに飛んできていたのであろうか。妻のいのちの中で、何をどう伝えようとしたのか、「八代目の八郎兵衛が八の字となり、幼名・亀次郎の亀姿」となって、待って居てくれたのだと思った。

 食はいのちである。食の次元は原子の次元、純真に澄み清められていて、魂が迷うことなく帰られる世界なのである。ピカピカ輝く食のいのちにこそ、魂の愛が息づくことができるのである。

 生きる原点の食の次元で、梅干しの種に亀の姿を見せて、幼名「亀次郎」を示し、「八の字」姿に見せて、八代目の八郎兵衛をうったえるように待っていてくれた。さらにこの日、妻はもう一つの心結びの言葉(四八字)を発した。

 「二一日でおさんあけだよ、しげる」(七時二一分)

と、いうのだ。妻は、「お父さんぐずぐずするなよ、お産明けだよ! お父さんの母だよ、母は二一日の命日なんだよ」というのだ。そして、その心結びの時刻が七時二一分なのであった。

 断酒してから七年。新しい人生の扉は開かれて、まさしく〝お産明け〟となったのであり、二一分は、母の命日の二月二一日と共振共鳴していたのである。

 出版社のMBC21と出会ってからは、いのちの中から何かを促されるように突き上げてくる動きが続いたのである。『天皇の魚屋』に登場する奥八郎兵衛の系図を作りすすめてみると、やけに二一の数霊が迫ってくる。次にそれらを列記してみることにする。

■佐藤夫妻が書いた「米の文字」が届けられた日が、昭和六一年一月二一日であった。

■妻の心結びの「二一日でお産明けだよ、しげる」は、七時二一分であった。

■天皇の魚屋の八代目・八郎兵衛が一〇月二一日亡(三四歳)。その妻・み乃は九月一二日(=二一)亡(三八歳)。

■九代目・延造の襲名披露が一〇月二一日。

■私の母は二月二一日亡。祖母二一日亡。伯母二一日亡。

■妻の祖母二一日亡。

写真:この本の著者・菅原茂氏の第一作『酒乱・こめのいのちが生きるまで』の装丁を開いたもの。左半分の表紙の中央には両手の拳を振り上げ両足を開き暴れているようなシルエットの人、そこから出る赤・黄・紫の波打つ放射状の太い線。上には非常に大きく筆文字でタイトルの「酒乱」と書いてある。いっぽう右半分は裏表紙。白地に小さな写真と横にその説明文が配されている。写真は、木の年輪のような木目地に筆でひと文字「コメ」とだけ丁寧に書かれている。キャプションは「佐藤夫妻が二人で書いた「米」の文字」 などと、一気に開いた開花のようだ。そればかりか、すべてをまとめて代弁するごとくに、出版社がMBC21であり、出版発行日が平成五年二月二一日なのである。それはまた、母の本命日でもあるのだ。

 ところが、それだけでこの話は終わらなかった。二一の数霊のあまりにも多いことで私は、その系図を作成して渡辺社長に速達便で送ったところ、不思議に思った社長は、電話をかけてきた。

 「僕は二月二一日生まれなんですよ」

と社長は言う。私が、「私の母は二月二一日が命日です」と付け加えると、社長はびっくりして言葉を続けた。「いいことですか、わるいことですか」と、真剣に迫ってきたので、一切が善いことばかりですと、妻が言っておりましたよ、と伝えた。

 共振共鳴現象はそればかりではなかった。社長は末子で父は漁師であるという。私の母は魚屋であり、私も末子だ。さらに、社長の執筆した『天皇の魚屋』が奇しくも魚屋の話であり、内なる霊魂の世界を押し開いてくれたようだ。

 いのちの中では、魂が全方向性のひびき合いの中で、ピカピカ生き生きと働いている姿を、文字や数字を介して見せてくれている。

 よく使われるアクセスという言葉があるが、内なる魂の世界でも、それと同じことがひっきりなしに起きている。出会いとか縁というものは、皆その霊魂のアクセスで成り立っている。生命世界の話であるから、草木や動物、その他あらゆる面で、いのちの光に乗った魂のアクセスが交信していることを私は信じている。

 この世はいのちの聖火ランナーで、すべてがいのちの光で結ばれている。今の世は、IT社会であり、光ファイバー通信時代でもあるが、いのちの世界は、初めから森羅万象にわたり、いのちの光ファイバーで結ばれている。

 だからこそ、波動が合えば共振共鳴し、感動の出会いや、思わぬ良縁を結ぶことが起こる。いのちと心を大切にするよう自分自身に言い聞かせて生きていきたいと思うのである。

 

 

 

 

永代供養と幸福の木

 

 小学生の頃から不得手な学科といえば一番に数学があった。あの算式が無機的で味気なく思えてなじめなかった。音楽も音痴であったし、譜面のオタマジャクシがなぜか数学に似ているように思え、なかなか覚えることができなかった。

 まあ、並にはついていったが、これぞと得意なもののない中で、気が乗るといえば、野原や川原、小川などを相手に駆け回ることであった。魚捕りなどは大好きだったし、そこらにある草木などから遊び道具をつくる創作的なものには、気を乗り出して時の経つのも忘れるほどであった。黙々と心向くまま誰の制約もない独りの世界にいるときが一番うれしく、これが性格に合っていたようだ。その一端として今の写真世界、今も続く六〇年余りのカメラの趣味世界となっている。

 苦手だった数学の世界、数字の世界なのに、七〇歳を過ぎた今、日課となっているのが、偶然の一致という、神秘世界を考えるうえでどうしても避けて通れない「数字」が、心一杯に広がっているのだから、皮肉といえば皮肉なものである。ただ、数字といっても、算式を解くという学問上の世界ではないから、私にも受け入れられるということになろう。

 偶然の一致という現象を、偶然ではないのだといえるには、それなりの証明を出さなくてはならない。

 ところが、科学には馴染まないこの神秘世界は、反復実験可能の世界ではないから、偶然ではないのだという証しは、体験記録によって、その中枢に近づかなくてはならない。

 それが、「いのち(生命)とは何ぞや?」という大命題にぶち当たっての模索となるから、数字が苦手だの、何が苦手だのとはいえないのである。

 この世の一切がいのちそのものであるから自分をとりまくすべてが「いのち」で充満しているのであるし、そのいのちのひびきはすべてが、意志性の心性の響きであるし、その心ごころのシンボル表現こそが、数字(数霊)であり、文字(文字霊)であり、色(色霊)であり、と考えられるのである。

 人間が築き上げた科学技術の世界では、その基礎学問こそが数学だといえるほど、物理系の基礎は数学世界といえよう。

 山形新聞のコラム欄「気炎」から引用してみると、(前文省略)今年を「世界天文年」とする。「哲学(世界の基本原理)は、われわれの目の前に常に開かれている。この巨大な書物(宇宙)は数学という言語と三角形や円、その他の幾何学的図形という文字で書かれている」と宣言した、ガリレオの実践による現象の究明こそが近代科学の先駆けとなった云々(平成二一年一月三〇目付け山形新聞)とある。

 宇宙という巨大な書物は、数学という言語と幾何学的図形という文字で書かれている、というのだ。

 これを読んだとき、私の内奥からひょっこり覗くようにきらめく思いが湧いてきたのである。「数的世界は、万物万霊の共通語的意志伝達のひびきをもっている」と、確信めいた思いになったのである。

 追い求めている偶然の一致というのは、単に偶然ではないのだ。心は生きているのだ。出会いの縁には、秘められている一つの流れがあるのだ。そう思ったのである。この世は、意志的エネルギーの流れで満ち溢れているのだと考えて、何ら不思議ではないのである。 私たちは、目に見えない心霊世界を、目に見える文字・数・色を共振共鳴の媒体エネルギーとして、この世の魂の意志エネルギーを、この目で見ているのだと、考えるようになったのである。

 私の考える「いのち」とは、代謝エネルギーを中心とした躍動エネルギーと安定エネルギーの一大循環、すなわち、宇宙絶対調和力に括られている世界であるから、いのちの中枢を成すものは、数的(量的)に象徴される代謝エネルギーというほかはない。数的(量的)バランスこそ、いのちの中心力と思うし、数霊(数字に宿る意志性)は生死を越えて、心のひびきを発している。

 この世は、生死共存の世界といえるし、この自分も、生死共存の魂の一生命体であるから、一人ひとりに現れる縁に秘められている数霊はもとより、文字霊・色霊をどのように受け止められるか、または無視するかであって、その数霊の意志性を受け取ったとき、偶然という知見はおのずと消え失せることになろう。「たまたま」ではなくなるのである。心の博物館ともいえるこの自分のいのちでは、心に古いも新しいもなく生きているし、そして、出会いの縁には、秘められている魂の流れがあって、その現れとしての数霊であり、文字性の響きであるといえる。

 今をせわしく生きている普段の生活の中では気づかないだけであって、いのちの中では別世界のように、心(霊魂)の共振共鳴が休みなく働き続けている。

 ここで、数字が示すメッセージ性として、数字には魂が生きているということ、その意志性を暗示する共時性現象を紹介してみようと思う。

 

 

 昭和五七年一一月一二日、二人の叔母姉妹の間で、姉を養母としての養子縁組が結ばれた。ところが、それより一年後の昭和五九年一月四日四時五二分、養母の叔母が亡くなり、寺も墓もないから、生家の墓に納骨することになった。

 養女の叔母はこれからのことを思い、永代供養の法要を行うことにして、生家を訪ねたのは、養母が亡くなってから八年目の平成三年一〇月一二日のことであった。

 生家の村には、叔母の同級生が四名いて、当日は永代供養を済ませてから、その同級会にも出席する予定になっていた。

 私たち三人で出かけた菩提寺での永代供養を終えてから、同級生の一人、志田宅に立ち寄ることにして、叔母とはそこで別れることにした。

 志田宅は、生家の三軒隣であって、古くからの付き合いであり、遠慮のない間柄である。叔母を置いてから帰りぎわのこと、縁側にある沢山の鉢植えに目が留まった。特に、肉厚の観葉植物が根分けされている鉢に心を引かれたのである。聞くと、この植物は挿し木で簡単に根が付くといい、名前は「幸福の木」というから縁起物であり、心を込めて大事に育てているということであった。

 その鉢を一心に見入っている妻の姿を見ていたこの家の主人が、「一鉢あげるから持って行きなさい」と言ってくれたので、妻は大喜びである。「この鉢がよかろう」と選んでくれた鉢を抱いて帰宅し、玄関の下駄箱の上で向きを見ながら鉢を回転していると、その鉢には数字が書かれてあった。もらい受けた植木鉢の写真。黒いマジックで書かれたものだろうか、「63.4.12」という数字が鉢に書いてある。

〝六三、四、一二〟という数字なのだがどうもそれが月日ではないかと思い、電話で聞いてみると、植え込みをした年月日であることが分かった。

 その日の話はこれだけのことであり、特にどうこうならないのが普通の生き方だろうとは思うが、共振共鳴の共時性現象を探索する者にしてみれば、その数字一つ目にするだけで、心躍り上がることにもなるのだ。四月一二日は、私たちの結婚記念日である。そしてこの日は、一〇月一二日。

 「四月一二日と一〇月一二日」。それのみか、永代供養のご本尊である叔母姉妹が養子縁組をした日が昭和五七年一一月一二日である。当日の一〇月一二日は、ちょうど一月早い〝縁日〟の一二日であったのだ。

 一二日に養子の縁を結び、一二日に養母の永代供養の法要、四月一二日に植えられた幸福の木をいただくという流れ…。四月一二日が、私たちの結婚記念日ということは、どのように理解したらよいものか。そこに、必死に呼びかけている意志のひびきを感じてならない。無理に個人的に注釈をつけることは、むしろ真意を曲げるおそれを招くことにもなりかねないから、その意志のひびきを受け止める情感が大切と思うのである。…

 この日一日の一連の行動が、この世の現実としては、永代供養であり、それも、同級会と併せての叔母の来訪であり、幸福の木を授けてくれた志田家の奥様が、叔母の同級生であるということである。これにて一日の行動は終了だが、これはあくまでも、時計でいえば今何時何分という針を見ていることと同じ現実にすぎない。

 ところが、正確にその時計の針を動かすには、目に見えない時計の中にこそ、その中枢本体がある。肝心要の針を動かすこと、それも正確無比に動かし続けてくれる本体が、目には見えない中に組み込まれているのである。

 魂に生死の境はなく、心は生き続け、生死は不離一体で魂は不滅、心に新旧はなくピカピカ輝き生き続ける。

 積み重ねられてきた心の集積、心身一体のこの自分、死んでも生きている心(魂)の本体こそ、縁ある魂と共振共鳴して、縁ある魂がこの身に生きて、数霊を介して、文字霊を介して、色霊を介しての、今日なる現実を動かしているのである。

 現実を動かすいのちの本体は〝心〟、霊魂なのである。この日の現実を動かす原動力となっているいのちの本体、それは精神体であり、心性であり、心であり、魂といえるものであり、表現の文言の違いはあっても、すべて同義であると私は理解をしている。

 養母の叔母は、縁者のいのちの中で、生者の世界を見ている。人々の行動の原動力となって、また、言葉の発信体となって、その証しを数霊に示しつづけて、いのちの中で生き続けているのである。

 

 

 

 

戦争を終わらせた八一五字

 

 日本が超大国の米国を相手に太平洋戦争へ突入したのは、昭和一六年(一九四一年)一二月八日のことであった。

 当時、国民学校に入ったばかりの私たちは、戦争という実態をまったく知らないから、国を守る兵隊さんの出征していく姿がとても格好よく目に映ったものだった。学校の講堂に全員集合させられて出征兵の壮行会を見るたびに憧れた。壇上で兵士になる若者が、「それでは皆さん元気で行ってまいります」と、満面紅潮させてあいさつをする姿はとても眩しく輝いて見えた。

 そうした壮行会も回を重ねていく中、晒しの白布で包まれた骨箱を前にして合同慰霊の場も増えてきた。小学生の私たちは、国を守った名誉の戦死者として、深く頭を下げることしかできなかったのである。

 体育館には、実弾をこめれば実戦できる銃が数多く立て掛けられていたし、確か三八式歩兵銃という鉄砲のように記憶しているのだが、引き金を引く前に弾をこめる操作が一つの訓練でもあったようだ。弾を装填する操作が楽しくてカチャカチャ触って、一種の遊び道具くらいの感覚でいじくり回していたのだが、それが人を殺傷する凶器などというイメージはまるでなかった。現代なら、銃刀法違反の罪人となる。

 時代の教育とは恐ろしいもので、教育次第で、人の脳は随分と片寄った道具になるものである。マインド・コントロールは一種の麻薬である。国を挙げての殺し合いをやる戦争のために、その正義性だけを叩きこまれる。脳の働きは両刃の剣となり、毒にもなり薬にもなり、叩きこまれた脳が、その量の多少や期間の長短にもよるが、新しい脳に清められるには大変な努力と時間が必要となるのである。

 戦争当時の教育現場では、それこそ戦士を鼓舞するような、死は名誉の戦死といって何ら疑問も起きない一種の聖戦気分をあおり立てるような空気の中で、国のため、天皇のためといわれた時代であった。子どもの心が、戦争の正義性に塗り替えられていた時代でもあった。

 誰もがそれなりのエゴを持っているものであり、その自己主張や利己心ともいわれるその中心軸で働くのが人の欲望である。

 欲望もまた両刃の剣のようなもので、良くも働き、悪くも働くといったもので、その片寄りによっていろいろの問題を生むことになる。何事も進歩発展の原動力は欲の心あればこそであって、欲の心は決して悪者ではない。欲を何に向けるかそのコントロールが肝心であり、無益なエゴとエゴのぶつかりあいの弊害は、お互いに傷つけあい、果ては国益と国益を剥き出しにして収拾困難を呼び起こし、そして、紛争が起こることもありえるであろう。

 争いは欲心のマイナス部分で起こることだが、そうした欲心も、自分で即座にコントロールできれば立派なもの、自己調和心こそ人の道の基本ではないかと私は考えるようになった。

 第二次世界大戦までエスカレートした日本と米国。どちらにとっても正義と正義の旗を掲げた戦いであった。その戦争も昭和二〇年(一九四五年)に入り、日本の敗戦は避けられない現実となった。連合国側から、対日戦争の終結を意図した「ポツダム宣言」が発表されたのは昭和二〇年七月二六日のことであった。広辞苑でポツダム宣言の頁を開いてみると、次のように説明されている。

 

「ポツダム宣言」

 一九四五(昭和二〇)年七月二六日、ポツダムにおいて、アメリカ合衆国、中華民国、イギリス(後にソ連が参加)が日本に対して発した共同宣言。

 戦争終結、日本の降伏条件と戦後の対日処理方針とを定めたもので、軍国主義指導勢力の除去、戦争犯罪人の厳罰、連合国による占領、日本領土の局限、日本の徹底的民主化などを規定。

 日本ははじめこれを無視したが原子爆弾の投下、ソ連の参戦により同年八月一四日受諾し、太平洋戦争が終結。

 

 昭和二〇年当時、情報の少ない田舎にいた私たちにも、日本の劣勢が手に取るように感じられた。

 学校からの下校途中、爆音と共に急に姿を現した一機の戦闘機(確かグラマン戦闘機)が西の方から超低空でグングン大きくなり、翼を左右に揺らしながら迫ってくる。それが何であるか直感し、流れの早い農業用水路に飛び込んだこともあった。

 酒田市の機関区で機銃掃射された話も聞いた。雷鳴のような真昼の轟音も下校途中で聞いている。仙台沖からの艦砲射撃だと聞いた。米兵やロシア兵が上陸して、女は連れ去られ、男は金抜き(去勢)されるというデマが飛び交った。また、竹槍もつくった。地方の田舎でさえもこんな状況で、戦況は否応なくわかるものなのである。

 その頃、村にもそろそろ真空管ラジオが普及していたから、昭和二〇年八月一五日の敗戦を告げる、天皇陛下の玉音放送を聞くことができた。

 日本国は、七月二六日に、連合国側からポツダム宣言を突き付けられたが、戦争の指導部はそれを無視した。もし受諾していたなら、広島と長崎の原爆投下は避けられたに違いない。戦争の暴走は最悪に至らないと停止できないようである。

 そうした局限にあった政府・軍部の中でも、戦争終結に向けて、ポツダム宣言を受諾すべしという提言もあったが、その意見は反映されなかったといわれている。

 平成六年四月二三日、盛岡市の先人記念館に立ち寄った私たちは、戦争終結に向けて一心に働いた方がこの地におられたことを知った。

 当記念館の案内図録から転載して紹介したいと思う。写真:開いた状態の巻物が壁に展示されている写真。その下にいち文が添えられている。米内光政うつし「詔書」・昭和20年8月15日の終戦を機に、海軍省廃止の12月1日までの残務整理の余暇を縫って、終戦の詔書815字をていねいな筆使いで写した。キャプションは「先人記念館の目録より転載「815字の終戦詔書」」

 

良識の提督〝米内よない光政みつまさ

 海軍大臣・内閣総理大臣在職中の米内は、拡大する一方であった日中戦争に対しては不拡大の方針を提唱し、また日独伊三国同盟締結には英米との関係悪化を懸念し一貫して反対し続けた。…中略…一九四四(昭和一九)年七月に懇請されて海軍大臣として現役に復帰した彼は、当時の情勢から敗戦必至と判断し天皇の意志の下でポツダム宣言を受諾することを鈴木貫太郎首相に進言した。

 「為萬世開太平」(萬世ノ為二太平ヲ開カム)-能筆で知られる米内はこの書を晩年多く書き残している。昭和天皇の終戦詔勅を象徴するこの書には平和への願いが込められており、米内の当時の心境を今に伝えている。(以上)

 

 記念館には、米内光政が筆写した終戦の詔書が展示されている。米内光政は八月一五日の終戦を機に、残務整理の余暇を縫って「終戦の詔書」(ポツダム宣言を受諾したときの詔書)を筆で書き写している。その展示説明を見ると、

 〝終戦の詔書八一五字〟

とあり、文字の数まで紹介していたことに私は強く心を引かれた。戦争を終結するために筆をとられた昭和天皇の文章(詔書)が、

〝八月一五日に符合する八一五字〟

になっていることから、尋常ならぬ神性意志が伝わってきたのである。

 連合国側が日本に無条件降伏を迫ったポツダム宣言は昭和二〇年七月二六日。それを無視した日本は、人類史上初の原子爆弾の洗礼を受けることになる。

八月六日午前八時一五分、広島に投下。
八月九日長崎に投下。
八月一四日ポツダム宣言受諾(終戦詔書八一五字)。
八月一五日終戦の玉音放送。

 以上から、数霊に秘められている意志的暗示性が次のように感じられる。

①八月六日の八-六の和数一四。一四は一四日のポツダム宣言受諾を暗示。

②八時一五分原爆投下。八一五は終戦日の八月一五日を暗示。

③六日広島、九日長崎に投下。六‐九は調和のシンボルと受け取れる。円の中の6‐9の姿を見れば勾玉にも似てぴったり収まる。広島と長崎は人類最初で最後の恒久平和の大調和を暗示。図:いわゆる太極図と言われるマーク。白黒二色の勾玉のような形(ここでいうアラビア数字の6と9)が一体となり、一つの円形を成している。キャプションは「6・9は絶対調和のシンボル」

④終戦の詔書に秘めた〝八一五字〟は、終戦日、八月一五日とし、「万世の為に太平を開く」という昭和天皇のご意志の象徴のあらわれではないのか。

 数字を単なる数としてとらえるなら、無機的で計算の道具以上にはならないが、それでは数字の存在自体が無意味になってしまう。

 数字にははっきりと霊魂(意志)が宿っている。心が宿っている。思いが宿っているのである。数霊は生きて物言う魂の代理人なのである。だから、共振共鳴共時性現象(通称=偶然の一致)は、数字による霊魂の媒介表現が圧倒的に多くなり、物言う姿となって目の前にあらわれる。

 米内光政が筆写した終戦の詔書に添えられていた説明文の〝八一五字〟という表示も、心を向ける者との出会いを待っていたのではなかったのか。

 昭和天皇の御霊と米内光政の御霊が、「萬世の為に太平を開かん」との思いを強くして数霊に魂不滅の光を発していた。

 八一五字の魂の光、それは人の世に開く太平の光を開かんとする八一五字であると思うのである。

 八と一と五の和数は一四となる。それは、意志(一四)の光であろう。