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図・写真を除く文章のみの掲載。

神秘の大樹だいじゅシリーズ第三巻
神秘の大樹
 文字・数・色で証す新次元

 

 

 

お茶が牛になるとき

 

 いのちには顔がある、と思うようになってから、その思いと体験記録が積み重なり、ついには「いのちの顔」というフォトエッセーを出版するまでに発展した。

 いのちの顔といっても何のことかさっぱりぴんとこないかもしれない。生物に顔があるのは当たり前のことだが、そういう見かけとはちょっと違う話で、心の顔とでもいえばいいのか、生き物たちの顔とは無縁の場面に現れ出る顔なのである。

 それは、いのちの底から浮き出した顔であり、誰の目にも映る顔ではない。

 主に雲や食物、樹木、山、水、雪、氷、岩石、写真、布地、その他、そのときそのときの状況に応じて、万物にわたるのであるが、その顔の要因は随所に秘められているようで、とにかく、その一瞬の出会いのときに背中を押されるようにして写真に残してきた。

 私には、顔だとはっきり分かるのだが、人にその写真を見せると何のことかさっぱり分からないようである。「これこのようですよ」と説明するとようやく分かってもらえるが、疑いの心が先に立つようだ。しかしそれは無理もないことである。目に見える顔以外に顔があるなど考えられないであろう。私には六感をつき動かしてそれとなく示唆し、案内するいのちのナビゲーターがおられるのだろうか。

 この世に顔のない生物なんていないと思う。地球上には、二〇〇万種にも及ぶ生物が存在するといわれているが、とりわけ、顔があるかないかということになれば、植物を除いて、顔のないのっペらな生き物はいやしない。

 身近な庭先をちょっと覗くだけでも、蟻やトンボ、蜂や蝶々、カマキリにカエルや蝉、蚊、蝿、それから名前も知らない虫たち、雀、カラス、空にはトビが舞う。ときには、鴬やモズ、シジュウカラも見かける。四つ足でいえば、野良猫が縄張りにして庭のあちこちに臭いづけをしているし、犬も来るし、タヌキの親子が徘徊するし、思い起こすだけでも大変な数になる。皆それぞれ固有の顔を持っているから見分けがつくというもので、顔がなかったらお手上げとなる。こんな当たり前のことに、今さらながら、改めて不思議でならない。

 顔とは何であろうか? はたと考えてしまうのは私なりにそれなりの理由があるからなのである。目に映る生き物以外の顔を見てしまうので、「あれ」と心引かれて見れば、肝を冷やすことも少なくない。

 目で見えるだけではなく、写真にも映る顔であるから、ただごとではない。そうして、ありようもないはずの顔が出現することが現実体験として続いてきた。まあ、漫画やイラスト等であれば、顔を表現するのに、丸に点を三つ入れるだけでそれが顔だとわかる。とにかく生物は、たとえ微生物であっても、顔のないものはいやしない。

 顔には、その生物のいのちそのものが集約していることに気づく。その生物が生きるための全身機能を集約している頭脳の、内面の出先としての表面機能が、顔の働きに当たる。

 顔がないことは、首から上の頭脳がないことになる。生物としては成りたたない。

 目や鼻や口や耳などはいのちの象徴である。だから、「顔」を用いて、日常の話の中にいろいろと出てくるではないか。

■あの人は「顔役」だ…顔が何かの役を持っているようだ。

■皆さん、「顔が揃った」ようですから…手足が揃ったでは様にならない。宴会などでよくある場面である。

■「顔をきかす」…何の薬なのか何に効くのかおかしな言葉である。

■「顔を立てる」とか「立てない」とか…顔は初めから立っているし、口が上になってはいない。

■「顔を売る」…顔を売ってしまったら首なし人間になって一巻の終わりである。

■「顔に泥を塗ったな」と叱られる…建物の壁じゃあるまいし、顔が泥で見えなくなるから怒るのか?

■「顔が広い」とか「狭い」とか…顔が広くても知れたものである。せいぜい団扇うちわくらいがいいところである。

■ちゃんと「顔に書いてある」…顔を黒板と間違えているような話である。

等々、こうして顔を何らかの比喩にたくさん利用していることからして、まさしく顔は心のシンボルだし、いのちのシンボルということになろう。顔は、個体の自己表現の絶対的なものといえよう。顔一つで心の内を伝えることができる。顔はまさしく心の象徴であり、いのちのシンボルでもある訳である。

 これらの顔は、普段目にする生物界の顔となるが、私がいいたいのは、そういう既製の顔ではない。いわば臨機応変の魂の伝達手段としての「霊顔」といったらいいかと思うのである。

 その顔は、神秘的世界であり、メッセージ性の高い魂の再現といえると思うのである。

 目には見えない魂の物質化現象の顔ということ。声も言葉もないけれど、いのちの原子次元からの働きによって、沈黙の声を伝えようとしているいのちの顔。

 霊言を伝えようとする、霊魂の存在を証す、魂不滅の「霊顔」ということができる。メッセージ性の高い万物普遍の次元からの「顔」ともいえる精神体の姿ではないかと私は思うのである。いわば「物言う原子」とでもいえる心の世界が物質化すると考えられるから、生物が持って生まれた固有の顔ではないのである。人々の心と連動して、ある原子次元を誘導して、一瞬ともいえる即席の魂世界の創作活動とも言えそうである。強大な意志表現は、信じがたい顔(霊顔)を見せてくれるから、畏敬の感動を呼び起こす。

 いのちの次元では、魂は不滅である。生物無生物にかかわらず、この世の全存在はいのちのひびきをそれぞれ持っていて、すなわち、心的固有波動ともいえる原子次元に連動しての意志伝達が開花して、顔の姿をもってアピールしているとしか私には考えられない。

 それでは、心の物質化現象の一例を紹介してみよう。

 フォトエッセー『いのちの顔』の一節で、私たちの生まれ故郷の旧友が久々に尋ねてきたときのことを引用することにする。

 

「お茶が牛となった」

  インドでは、宗教的庇護のもと、街のいたるところでノッシ、ノッシと闊歩する牛。牛は仏様の使いなのか、神様の使い手なのか、牛は死んでからもその魂はこの世に物質化現象を起こすのか。また、人の思いが真に物質化現象を引き起こさせるものなのか。あまりのリアリティーに息をのむ。

 平成三年一一月九日、旧友が久しぶりに訪ねてきた。祖母の代から使役してきた黒牛の話に一段と熱が入った。

 身代の基礎をつくりあげたこの家の黒牛は、家宝として、親子代々にわたり飼い続けられたという。ことのほか、この黒牛には思い出が深いという。

 胸を詰まらせて語ってくれたその方に、私は茶菓子を出し、お茶碗を手渡したその一瞬、数滴がこぼれ落ちた。なんとそこに、ありありと浮き出たのは〝黒牛〟の顔! 物質化現象は紛れもない真実だ。魂不滅の謎に光明あれ。

 以上のような話だが、皆さんは信じられますか? 水には表面張力があるから、テーブルなどにこぼれると滲まないかぎり盛り上がる。テーブルは塗装されているから余計こぼれたままの形となる。

 カメラを持ち出して写すのだが、ストロボをたくと盛り上がっている水滴には陰影ができて、黒牛の姿を際立たせることにもなる。もう一度やってみたけど決して「牛」にはならなかった。神意が働いたとしか考えられない。角が二本、目玉二つで白目と黒目、耳も向かって左はこちらにアンテナを向けている。右の耳は横の方に向けている。口は牛独特の広がりと大きさをもっている。撮影してからしばらくすると、やがて形を崩して平面調になった。

 この原稿を書き始めたのは、平成二一年二月二五日である。念のために、この日は丑(牛)の日であった。また、台所では妻が、今日は菅原道真公の本命日だといって、一心に供え物の料理をつくっていたのである。道真公はご存じの通り、牛とは深い繋がりをもっていた。

 思いは形をつくり、思いは魂を呼ぶ。心がいのちの宝なのである。

 

 

 

 

 

 

ヨシ婆さんと心の光

 

 自分の考えていることが、他のいのちの中で生きることができるであろうか。

 以心伝心とか、テレパシー(遠隔精神感応)とか、よく耳にする。また、クシャミをすると、「誰かが噂をしているんじゃないか」とからかわれることもある。

 ところで、自分の考えていることが他人に筒抜けになったら生きてはいけない。世の中は騒然となってパニック状態に陥ることになり、うかうかと物事を考えることすらできなくなる。

 では本当に、人の思いというものが、他人に伝わらないのだろうか。

 このごろ私は、心は光だと考えるようになっている。光であれば電磁波となって、地の果てまでも飛んでいくだろう。心は光の波であり、心の波形が合う相手に出会えば、その波長が増幅して光を増すことになる。

 その時相手には、「あれ」という感応の瞬間が出てくるのではないかと思うし、また、その予兆を感じるだけでなく、二、三日その人の中に居候することもありえる話だと私は確信している。

 心が光だと思う訳には、「心の原料は原子である」ということが前提となっている。「原子が心の原料だなんて話は荒唐無稽も甚だしい」と叱責されるかもしれない。

 原子は、原子核(陽子と中性子)と電子からなっていて、さらに奥の世界は、素粒子の世界だといわれている。

 では、さらにその奥へ奥へと内なる宇宙に思いを進めるならば、一体どうなるのであろうか。何があるのか、誰が待っているのかと素人の空想を宇宙大に広げると、かぎりなくゼロの世界に到達するのではないのか、と思いは広がるばかりである。実はそのかぎりなくゼロの世界こそ、いのちの中心世界ではないのか、と現実味を帯びて迫ってくる。そこが、宇宙原初の時代情景なのではないかと、私はその幻想を描いているが、どうであろうか。

 ある日突然、そのかぎりなくゼロの世界に二つの激しい渦巻きが発生して、互いに回転を始めたとする。それは、互いに反対方向に回転しながら左右二つの渦巻きとなって、8文字状を描き続けることになり、私はそれを生命8字還流と呼ぶようになった。

 そして、悠久の歳月をかけ、陽子と中性子が組み合って核を成し、その周りを電子が軌道をつくっていのちの元となる原子ができたであろうことを思うとき、そのいのちの末裔である私たちは、宇宙始まって以来のいのちを繋ぐ、一三七億歳の天文長寿の、れっきとした地球人ということにならないだろうか。われわれには、天眼、天耳、天鼻などの神通力が備わっていて当然ではないか。

 だが、世の中の平安調和を思ってか、宇宙の親様は、人の心に幕をはってくれたようである。混乱がないように、心の安全弁を与えてくれたと思えてならない。

 何を考えようが、どんな心で生きようが、自己責任のもとで、寛大な自由を与えてくれたのではないであろうか。だが心の自由も、宇宙絶対調和力によって自動的に統御されているのも事実であると私は受け止めている。

 大脳新皮質が発達した人類から、神通力は加速度的に退化していると思うが、他人の心も、自分の心も、互いに不特定多数の中で時空を越えて伝播されている現実の中、ときには、心の波(波形)が類似すると一瞬のひらめきにも似た心のひびきを受け取ることもあるものである。元々生物に備わっている古い脳(大脳辺縁系)にこそ、生命の根源を司る機能が組み込まれていると思われる。

 心を電磁波の光として考えるとき、お互いの心の波形の山と山、谷と谷が合うようであれば心の光は強くなると思うし、それとは逆に、波形の山と谷、谷と山がぎこちなく重なるようなお互いの心のタイプであれば、波の干渉によってその心の光は弱くなると考えられるから、心は打ち消されて伝わらない。

 心の波形といっても、ピンからキリまであることを思えば、千変万化の人心の中で、心の波は想像以上の階層となるから、以心伝心の声なき声の響きは、そう易々とは伝わりはしないであろうし、強いてその発生メカニズムを推量するならば、絶対的な心の静けさが伴ったとき、思念の精神感応が起こりやすいと、私は自分の体験をふまえて、そのように考えている。ここで、本題に入る前に一つの体験例を紹介する。

 平成四年七月一四日からの、たま出版(株)主催のスピリチュアル・ツアーに参加した後日談であるが、帰宅した私は、自分の心に、得も知れぬ変化が起きていることに気がついた。朝、目を覚まして起き上がろうとしたその一瞬のこと、顔の中から白煙にも似た湯煙のような気が出たかと思うと、その白煙が女性の顔に変わり、またたく間に、雲が流れるようにして消えたのである。その顔は、ツアーで一緒だった女性、Y・Hさんであると確信できたから、そのことを本人に電話で伝えてみて驚いた。受話器の向こうで、「あら、やっぱりっ!」と言うではないか。その女性と別れるときにちょっとしたドラマがあったことで思いを強く発したのと、また、似たような心の波調の持ち主でもあったようである。この一例からも、心は電磁波の光であり、一種の電波ととらえてみることができよう。この場合は時間的に、二、三日の間、私の心の中に彼女の心が滞在していたことになる。

 さてここから、本題の体験の話をすることにしよう。それは、妻の父方の伯母を見舞に出かけたときのことであった。いわば〝死の予告〟とも思われる、遠隔精神感応の体験である。二日続けた見舞の初日は、平成四年五月二二日金曜日であったが、その帰りの道中で、茨野新田という集落を通過していたときのこと、突然妻は、テレパシーを受けたのであった。

「お父さん、今、ヨシ婆さんの感じのする心が入ったけど何だろうか?」

 それは、「ツーヤクダー」という、いのちからのひびきが、妻のいのちに同調していたらしい。すかさず妻が時刻を見ると、五時二二分になっていた。

「あら、今日は五月二二日だよ」

と、妻が不思議に感じて言う。

 私は、ツーヤクダー…ツーヤクダー…という言葉の流れを二度、三度頭の中で繰り返していた。そのうちに、「通訳だ」という現実語となって浮き上がってきたのである。

 ヨシ婆さんは、九六歳という立派な長寿を全うしている。何といってもこの世は有限世界であるから、九六歳は立派なものである。

 だが、生死の臨界線にいるヨシ婆さんは、枕元で呼びかける妻の言葉にはほとんど反応をしなかった。しかし妻に対して、何かしらの神通力を感じていたらしいから、ヨシ婆さんの魂はきっと、「富美子(妻)は、私のいのちの通訳だ」と言ったのではないのか、と私はそのように理解した。

 さらに、五月二二日と五時二二分は、ぴたりと一致する数霊でもあるから、この数字には深い意志性を感じられてならない。この数字の同調性をどのように受け止めればいいのか、単に、数字が合ったとか合わないという次元でないことは肌で感じられる。数字の持つ意志性には、何か根源的次元からの能動的なひびきが感じられるのである。ある特定の魂からの、言葉以前の強烈な意志の伝達があるのではないか。それこそ通訳はできないが、数字は宇宙語(私の造語)のような感じがするのである。いのちの中は、数の魂(ひびき)で一杯なのである。

 そして、翌日、二度目の見舞を終えてからの帰路のこと、助手席の妻のいのちに再びテレパシーが入ってきた。

「フミコ ト アッテカラ スンデキタ」

「どういうことですか」と妻は自問した。

「コメノトギスルノヨウニスンデキタ

 イグドゴワガラネガッタガ

 コンドハッキリシテキタヨダ」

 昨日は「ツーヤクダー」と言い、今日はこのようなひびきである。

 ここで、はっきりとその内容が浮き上がってきたのである。

 妻に対してヨシ婆さんが、「あなたは魂の受け答えができる通訳なんです」と言ったのが昨日のことで、今日は、

〝富美子(妻)と会ってから心が澄んできたぞ

それは米の研ぎ汁のように澄んできたよ

わたしの行く先(逝く先)わからなかったが今度はっきりしてきたよ〟

という内容であることがわかる。

 ヨシ婆さんは、生死の臨界線上に来ていて、自分の還るところは極楽でも地獄でもない、澄み切ったいのちの原子世界、生命元素(食=原子=精神世界)の世界なのだということを、一心に伝えてくれたのではないのか…。

 ヨシ婆さんは、妻に伝え終えてから四日後の平成四年五月二七日に、澄みわたる生命元素世界(光の世界)へと旅立っていった。享年九六歳の天命長寿であった。

 心はいのちの本質、死ぬことのないいのちの宝。心の光は意志を乗せ、魂を乗せ、物申す電磁波のひびきであると思うのである。

 

 

 

 

 

 

酒と米と魂の守り

 

 自分を変えようと思い立ってから、早や二六年が過ぎた。言葉の上や、化粧とか衣装で別人に変身するのは簡単な話だが、魂までとなればまったく次元の違う話となるから、不可能にも近い現実となる。

 言葉を変えれば意識改革のことであり、その意識といえば万人みな違う人格であり、性格であり、いい換えれば遺伝子性の意識(心・魂)ということになる。これは大変なことである。中を開いて洗濯するわけにもいかず、本当に厄介千万なことだから、人は皆、ありのままで生きるのが一番いい。

 この体はいわば魂の貯蔵庫みたいなもので、その蓄積された魂の量といえば宇宙大にもなるから、中の魂を変えるなどということはできない。唯一それを変えるとすれば、よくいわれる「心の入れ替え」、しかし正確にいえば、「心を入れる」のであって、入れ替えるのではない。

 一度、生命コンピューター(記憶脳)にインプットされた心は、善くも悪くも、正直に自分の心の蔵に蓄積される。家族環境、社会環境、自然環境、生活の全般にわたっての生きることの環境が、自分をつくりつづけるツール(道具)なのであるから、それらのどれ一つとっても自分という者をつくり上げる要素になり、また要因ともなる。

 だから、生まれ持ったありのままで生きるのが一番いいことなのだが、さて、それがために、人生を大きく狂わせることなどが現れてくると、それはまた、一大事であって、悪性に引き落とすようなことにでもなれば人生がメチャクチャになってしまうから、それはいけない。

 ありのままの自分で生きられて、無難に人生をまっとうできるのであればそれにこしたことはない。

 私のように、ありのままに生きたがために大きな落とし穴にはまった人間は、否応なく、心の修行が必要となる。それが為に、冒頭に書いた通り二六年目を迎えても、内面の葛藤はいささかなりとも残るものである。

 今は、具合の悪い遺伝子に振り回される自分ではなくなったといい切れるところまで到達したと思っている。

[注1]私は酒で失敗を起こした。酒乱の自分との闘いはあまりにも熾烈であって、そのために、妻や家族を辛く不幸な環境に突き落とした。

 人は、さまざまな悪弊に悩まされるであろうが、その救いとしての心のよりどころといえば、宗教などさまざまなルートがあり、その門戸を開いてくれている。しかし私は集団で精神修養することにかなりの抵抗があり、独善としての自己改革を選んできた。

 心を変えることはできない。できるのは、新しい心を積み上げることだけだと思う。心に描いた文字は決して消すことはできないのである。

 パソコンには、ゴミ箱という便利な箱があって不要な情報は捨てることができるが、遺伝子性の魂の世界ではそれはできない。ひたすら、悪性因子(人生のマイナス要因)の、心の文字を薄れさせるしかないのだ。善くない自分の心が活躍できないほどに、新しい心を積み上げる。そういう修行に徹するしか方法はない。

 お陰で私は信仰心を持つことの大切さを知ることができた。酒の親である〝米のいのち〟に手を合わせる。すなわち、食のいのちであり、「生きる原点忘れまじ」であり、そのことから当然のように、心のふる里、いのちのふる里を、そして究極は「いのちとは何ぞや」と、一途に探求する人生街道となったのである。そこから得た心の世界を、新たな自分の心として蓄積することを心掛けている。

 それがためにはまず、「断酒」という二文字を確固として守り通すことであった。そして、昭和六一年元旦が私の断酒記念日となった。

 それからはや二六年目の歳月にさしかかったということになる。詳しいことは自分史『酒乱』に書いたが、それは、妻との二人三脚の日々であった。その中の一節を引用して話を進めたいと思う。

 妻の口からよく出てきた言葉に次のような話がある。

「お父さんが舞ったのではありません。酒が舞ったのです。酒の親は米です。米は透明なご神酒となりますように、澄んだ心になるための道のりでした。お父さんは酒の親の、米の心に還るのです。酒乱はそのための道のりでした」

 私は、米のいのちに還る修行者になったのである。

 続けて「天馬の如し女神の妻」の一節を引用してみる。

 一つの縁によって人の運命はその向きを変えてしまう。大きく小さく、善性に悪性にと、その方向は変わる。妻と私の生命は、厳しい縁を交えながら、今や遅しとばかりしっかと向きを変え、「あっちの水は辛いぞ、こっちの水は甘いぞ」と、子どもの頃のホタル狩りのように、いつも、その点滅する光明に向かって走りだす。

 これまで二〇年ほどの歳月を私に、ひたすら従順に、そして、一途の願いをかけて見守ってきてくれた妻だった。だが、矢尽き刃折れて、このままでいけば、妻のほうが黄泉の国(生命世界)へ連れて行かれても何ら不思議ではなかった。しかし、従順な女は一転して強い天馬のごとき力量に溢れ、迫力ある女神へと変身する。

 もうどうしても酒乱を許すことはできないと、手を変え品を変え積極化してくる。ときには「バシ!」と、鞭が音を立てて飛んできたこともある。今までの積もり積もったものが一気に突出してくるからその勢いは実に凄い。

 悪鬼のような酒乱のやからも最後の砦を守ろうと、これまた必死の応戦だった。祖先累々の酒乱の亡者を呼び集め、かつまた、他界からも援軍を引き連れての熾烈な戦火の火ぶたは切って落とされた。

 ここまでくると現実世界の領域を越して、霊界神界を交えての運命劇となった。そのころから私の母も妻の守護霊となり、援軍となって、妻は、この夫がわが子とばかり、腹を痛めたわが子なら、煮ても焼いても喰っても当然とばかり躍り出た。

 

継いでならぬぞ子々孫々
道をはずしたこの酒乱
きれいな生命いのちをつなぐのが
これぞ人の子人の道
何んで退がらりょ酒乱の夫
許してくれよ今しばし

 

あかい涙もやるせない
呑んで食い入る一文字
キリッと結んだ口元に
キラッと光る神光を
きよめたまわんこの夫

 

 妻は私を産んだ母親とも重なって動き出した。折りから雪は降りしきり、地上は見る見る白銀の光り輝く昼下がりのことだった。

 神と魔の対決は時の休まることもなく、その後一〇年はあっという間の生命の運びとなってゆく。

 夫は四六歳、妻も四六歳。後に妻は次のような声なき声の文字を残している。

 

雨だれの一粒にてもみたまは宿る
声となり言葉となりて世に残り
不思議な世界のつなぐ道となり

昭和五八年七月三日二時二六分

 

真実を見いだすこと
真実の道こそ他生の喜び重ねなり
正しく判断できる人こそ
限りなき幸せを生む

昭和五八年七月四日六時

 

 われわれの目に見えぬ生命。その声なき声の沈黙の世界、その声を聞きいただき示す文字となって残されている。妻は、この文字のことをいつしか〝四十八字〟と呼んだ。

 光り輝く一粒の雨だれその光の玉からは、烈しい生命の響きが伝わってくる。生きて何かを語ろうとする。その声なき声。そこには、奥深い生命の愛が響いているといえよう。[編者注、引用おわり]

 米の、いのちの光に近づけようとした妻の一心[注2] 夫の汚れた心が、酒の親である〝米のいのち〟に純化できますように、また、人間の心の元となる、米たち一切の食物の生命世界に純化できますようにと、妻は一途に心をこめて夫の陰になり、日向になって守ってきた。

 積み重ねてきた心の蔵(霊魂)を変えることは実に大変な仕事となるが、この心改めの大仕事も、すべて自分の力でやり遂げてきたと思いがちである。ところが、それは大きな誤りであることに気づくようになった。そこには多くの、共振共鳴する魂たちが集結するという、内的実在の世界があることに気づくのである。内なる魂たちの守りの世界があるという実在感である。

 内在する霊魂世界では、酒乱を引きずる心に共振共鳴する霊魂たちは、改心して新しく積み上げる心に対して波動が合わず、守りの魂から押し返されて次第に離れて行くものである。

 魂たちは、本人の心の向き(改心の方向性)がどちらに向いているかを灯台明かりとして、縁結びの舵取りをしてくれていることがわかるようになった。

 亡き心ごころの働きを知る唯一のひびきは、現実に見る文字・数・色の波動媒体である。昨今、私は、数霊=数字によるメッセージ性こそ、亡き魂の表現媒体になっていることを実感できるようになった。

 数霊は、数字によるメッセージ性といえるが、また、数字による意志エネルギーと考えてもいい。そのことはすなわち、数霊は霊魂の情報発信媒体であり、宇宙世界の共通語(造語)なのではないかとさえ思われてくる。

 普段は気づきそうもない世界に、善性に引き上げてくれる霊魂と悪性に引き込む霊魂が、誰のいのちの中にも内在している事実に驚かされる。すべて縁結びの秘密は、自分自身のいのちの中にあった。善くも悪くも縁結びの神は、わが身の中から目を光らせているのである。

 わがいのちは、天地に通じる送受信基地であり、今風にいえば、ライフ・インフォメーション(生命情報基地)といったところであろうか。

 ここから、拙著の自分史『酒乱』を出版したときの、霊魂の動きを追ってみることにする。

 断酒七年目に入った平成四年早々にかけて、自分史を残すことを思い立った私は、それまで文章や原稿書きには無縁であったにもかかわらず、書き始めると、八日間で粗稿を書き上げてしまった。

 もちろんのこと、出版界とは無縁であるから、何をどうしたらよいかわからない。まずは出版情報を知りたくて図書館を訪ねてみた。

 山と積まれている書籍の棚を夢中で探したが、出版の手立ては何一つつかめないまま立ち去ろうとして最後の棚に引かれるように目をやったとき、『百万人の出版術』という本に出会ったのである。私にとってはまさしく宝物となった。

 こうして、MBC21という出版社を知ることになったのは、平成四年七月七日のことであった。それからというもの、毎日ノートから原稿用紙に清書することとなり、書き終わって、その会社を訪ねたのは七月二三日のことであった。

 初対面の渡辺社長に図書館での出会いを伝えると、話は一気に煮詰まり、原稿を斜め読みの速読で概要を受けとめた社長から、「進めてもよい」という即断をいただくことになった。

 帰りには、社長が執筆した小説『天皇の魚屋』をいただき、帰ってから読み込んでみると、それは史実に基づいた実話のようであった。

 代々天皇の魚屋として、守り継いできた奥八郎兵衛の系譜が事細かに構成されている様子に読み入った。

 ところが、天皇の魚屋は表向きであり、そもそもの系譜は忍者らしく、陰ながらに、天皇を守ることに身命を賭けている様子。その奥家、七代・八代・九代と、京の都から江戸までのことが書かれてあった。

 史実に基づくこの小説から、奥家七代から九代までを系図に書きまとめてみると、ここではっきりと浮き出してきた、霊魂の叫びにも似た共振共鳴が発せられていることに気づくことになったのである。実に衝撃的な出会いであった。

 出版社から契約のことを伝えられたので、急遽八月五日に上京し、実質上の出版手続きを開始した。その頃から急に何かが盛り上がるのを感じた私は、予定より三時間ほど早い電車で東京駅を出発した。帰宅したのは夕刻の五時頃であったが、すでに妻は夕飯を食べ終えるところであった。

 食卓の上にあった容器の上には、食べ終えた大小二個の梅干しの種が置いてあった。それを見たとき私の目に映ったのは、「亀の姿」であった。そればかりか二個の種は、ほどよく「八の字」を描いていて、何かを言おうとしているようでもあった。

 私は「亀の姿と八の字」を感じた一瞬から、内的に、それとなくうごめく何かに気づき始めていた。天皇の魚屋の八代目、奥八郎兵衛は、確か幼名が「亀次郎」であったのだ。

 契約を終えて、予定を三時間も早く帰宅した私よりもひと足早く妻のところに飛んできていたのであろうか。妻のいのちの中で、何をどう伝えようとしたのか、「八代目の八郎兵衛が八の字となり、幼名・亀次郎の亀姿」となって、待って居てくれたのだと思った。

 食はいのちである。食の次元は原子の次元、純真に澄み清められていて、魂が迷うことなく帰られる世界なのである。ピカピカ輝く食のいのちにこそ、魂の愛が息づくことができるのである。

 生きる原点の食の次元で、梅干しの種に亀の姿を見せて、幼名「亀次郎」を示し、「八の字」姿に見せて、八代目の八郎兵衛をうったえるように待っていてくれた。さらにこの日、妻はもう一つの心結びの言葉(四八字)を発した。

 「二一日でおさんあけだよ、しげる」(七時二一分)

と、いうのだ。妻は、「お父さんぐずぐずするなよ、お産明けだよ! お父さんの母だよ、母は二一日の命日なんだよ」というのだ。そして、その心結びの時刻が七時二一分なのであった。

 断酒してから七年。新しい人生の扉は開かれて、まさしく〝お産明け〟となったのであり、二一分は、母の命日の二月二一日と共振共鳴していたのである。

 出版社のMBC21と出会ってからは、いのちの中から何かを促されるように突き上げてくる動きが続いたのである。『天皇の魚屋』に登場する奥八郎兵衛の系図を作りすすめてみると、やけに二一の数霊が迫ってくる。次にそれらを列記してみることにする。

■佐藤夫妻が書いた「米の文字」が届けられた日が、昭和六一年一月二一日であった。

■妻の心結びの「二一日でお産明けだよ、しげる」は、七時二一分であった。

■天皇の魚屋の八代目・八郎兵衛が一〇月二一日亡(三四歳)。その妻・み乃は九月一二日(=二一)亡(三八歳)。

■九代目・延造の襲名披露が一〇月二一日。

■私の母は二月二一日亡。祖母二一日亡。伯母二一日亡。

■妻の祖母二一日亡。

などと、一気に開いた開花のようだ。そればかりか、すべてをまとめて代弁するごとくに、出版社がMBC21であり、出版発行日が平成五年二月二一日なのである。それはまた、母の本命日でもあるのだ。

 ところが、それだけでこの話は終わらなかった。二一の数霊のあまりにも多いことで私は、その系図を作成して渡辺社長に速達便で送ったところ、不思議に思った社長は、電話をかけてきた。

 「僕は二月二一日生まれなんですよ」

と社長は言う。私が、「私の母は二月二一日が命日です」と付け加えると、社長はびっくりして言葉を続けた。「いいことですか、わるいことですか」と、真剣に迫ってきたので、一切が善いことばかりですと、妻が言っておりましたよ、と伝えた。

 共振共鳴現象はそればかりではなかった。社長は末子で父は漁師であるという。私の母は魚屋であり、私も末子だ。さらに、社長の執筆した『天皇の魚屋』が奇しくも魚屋の話であり、内なる霊魂の世界を押し開いてくれたようだ。

 いのちの中では、魂が全方向性のひびき合いの中で、ピカピカ生き生きと働いている姿を、文字や数字を介して見せてくれている。

 よく使われるアクセスという言葉があるが、内なる魂の世界でも、それと同じことがひっきりなしに起きている。出会いとか縁というものは、皆その霊魂のアクセスで成り立っている。生命世界の話であるから、草木や動物、その他あらゆる面で、いのちの光に乗った魂のアクセスが交信していることを私は信じている。

 この世はいのちの聖火ランナーで、すべてがいのちの光で結ばれている。今の世は、IT社会であり、光ファイバー通信時代でもあるが、いのちの世界は、初めから森羅万象にわたり、いのちの光ファイバーで結ばれている。

 だからこそ、波動が合えば共振共鳴し、感動の出会いや、思わぬ良縁を結ぶことが起こる。いのちと心を大切にするよう自分自身に言い聞かせて生きていきたいと思うのである。

 

 

編者注(註)

 

 

 

 

 

出会いは時空を越えて…

 

 私の心の中には〝米の文字〟が育ち続けている。それは実際のことなのである。

 その、米の文字が一つの生命体となり、力をつけて光を発し、そして、人生の道明かりとなっている。いわば、米の文字こそ私の人生観を変えた灯台明かりといえばいいかもしれない。また、米は田んぼであり、稲であり、酒となる。

 私にしてみれば、二六年来の新しい習慣である〝米〟を思う心が、田・稲・酒などの文字となって、文字的磁場のファイルに送り込まれている。また「米」は、数的には、八十八(=一六=七)というひびきを持っていることから、数的磁場のファイルにも送り込まれる。

 この心の磁場から四方八方に、文字と数と色の、いのちの光が飛び出しているのだと私は考えている。文字、数、色という心のファイルに収められている心の集団は、本人が気づかないだけで、常に触覚の働きとなって、無意識の中でも四方八方に、心の光を発信し続けているのである。物申す文字、数、色となって、自分の心のファイルから発信を続けていること、そして、反動し反発し、引き合い押し合いして、縁結びとなる心のメールを送ったり受けたり、繰り広げているのが世の中の実際の姿といえる。

 そして、ある日ある時、共振共鳴をして感動の一瞬を迎えることになる。その出会いの強弱によって、伴侶となったり、運命のターニングポイント(転機)となったり、いろいろな運勢運命の結果となって、目の前に現れてくる。文字的共振性一つとってみても、その奥には、そうならしめる起因となる魂が働いていることを考えることができる。一つの例として皇太子さまの婚約決定がある。

 平成五年一月一九日、皇太子さま(三二才)と小和田雅子さま(二九才)の婚約が、午前八時半からの皇室会議で、正式に決定された。

 そのとき、私の心に一際強く飛び込んだのは、「田」の文字であった。〝田〟の文字の共振性が、次のように図解できるのではないかと思ったのである。

図。中央の田圃の田と稲・米の文字から放射状に線が伸びている。その先に「田」の字がつく縁者の名前。時計回りの順に列挙すると、12時の方向に皇太子さまと小和田雅子さん、一月一九日婚約決定。2時の方向に皇后陛下:旧姓・正田美智子さま。4時の方向に二〇日・小和田家にお祝いの手紙を持参した小学生、福田さん。8時の方向に田園調布学園時代の先生、和田先生。そして10時の方向に美容院の先生、多田さん、とある。

 天皇家の皇祖神は、太陽信仰を起源とする天照大御神といわれており、伊勢神宮の内宮に主祭神として祀られている。

 この伊勢の地に鎮座された年代は、垂仁すいにん天皇二六年といわれている。それより約五〇〇年の後に丹波の国より、豊受大御神とようけのおおみかみを迎え祀られたのが、外宮である。

 豊受大御神は、衣食住やあらゆる産業などの守護神といわれているが、特に、食の神として認識されている。その中心を成すのが、稲作(米=田)であり、神宮の祭事といえば、五穀豊穣の祈念祭から始まり、神嘗祭、新嘗祭へと延々と執り行われる。まさしく、神宮の祭事は、稲(米=田)に集約された五穀豊穣と感謝の祭りといえる。

 天皇は、国を治めるにはまず国民の命を守ることを中心におき、その中心こそ、稲(米=田)であり、「いね」は「いのちの根」とも響くではないか。

 伊勢神宮に豊受大神を祀られて、すでに一五〇〇年。天皇家の祭事の中心に、いのちの中心としての稲(米=田)を尊い神として祀られてきた歴史こそ人のあゆむ道だと、私には感じられてならない。天皇家代々の霊魂の磁場として、稲(米=田)は消しがたい心の文字的磁場と考えてもいいのではないか。

 小和田雅子さんに響いた〝田〟の文字のひびきは、奥深い魂のひびきではないかと思える。見えざる魂のエネルギーが、あるいは、文字的エネルギー媒体となって、縁結びに一役を担っていたのかもしれない。

 さて、自分の心のファイルの中に、はたして共振共鳴力を持つ文字的、数的、色的、心の磁場がどれほど形成されているであろうか。そのエネルギーの強弱が、人生の中での縁結びに大きく作用してくる。

 皇太子さまと小和田雅子さんの婚約決定で、私の見る目は、「田」の文字という、ごくごく陰の次元から、その縁の流れを感じている訳である。

 だが、「田」の文字の共振共鳴は確かにそうなのであるが、その他の人たち(多田・和田・福田)は、実際に存在したのだろうか。

 平成二一年四月九日(旧暦の三月一四日)に、図書館で当時の山形新聞と読売新聞の縮刷版(No.四一三)を調べてみたが、私が図に示した方の名はまったく見当たらない。他に調べようもないから、自分のノート記録を信じることにした。

 帰宅すると一通のハガキが届いていた。米沢市立図書館からの図書寄贈への礼状である。それを見て、私の内なる磁場が動き出した。文字と数の心の磁場が共振共鳴を始めたのである。

 

米沢の〝米〟の文字

住所の〝三の一四〟(三丁目一の一四)

読売新聞・縮刷版のNo.〝四一三〟

今日四月九日は旧暦の三月一四日で〝三一四〟

 

 それだけではなかった。テーブルの上には、宮内庁病院の看護士(斎藤妙)から送られてきた皇居のパンフレットが置かれてある。写真には、アップで写る「瑞鳥」の彫刻が凛としてその威光を放っていた。この原型制作を成された方は、「米治一こめ じいち」先生。ここで〝米〟の文字が待っていたのであった。

 次々と内的世界にうどめく魂の潮流を感じた私の心の磁場には、米の文字が育っており、また、三一(一三)と四一(一四)の数が育っているから、米と三一と四一が激しく共振共鳴を始めているのが心の高鳴りで感じることができる。

 このような、心の内界と外界がともに反応し合うメカニズムにこそ時空を越えた出会いがあり、縁結びのリズムの原型があるのではないだろうか。

 深遠で霊妙で正確無比で、いかなる微細にも目を届けているいのちの目は、絶対調和力の宇宙生命の目であると思うのである。

 婚約決定の〝田〟の文字から発したこれらのことは、一見無関係のように思われるところだが、実際には密接な心の糸で、それらの関係性を結んでいる。それを図解にすると次のようになる。

図:田んぼの田の字・コメの文字に関連するような著者本人の出会いを時系列に並べた図。中心から外に向かって反時計回りの渦巻き状に書き記されている。著者自身の心の中心にある米への思いが出発地点。「私の米の磁場・31の磁場・41の磁場」とある。著者は酒乱から自分のいのちに目覚め始めた当初、全国放浪学びの旅に二度出たという。31と41はそれぞれの日数であろう。ちなみに31日間の旅は第四巻として出版している。以下、列挙すると「天皇家の磁場、田・稲・米」次に「図書館で田の字の検証・旧暦3月14日の三・一・四」次に「読売新聞縮刷版No.413」次に「ハガキ米沢市の「コメ」次に「住所3の1の14「三・一・四」」次に「皇居のパンフレット・瑞鳥と「米治一」(読み方は、こめ・じいち)」そして「神戸市へ」というキーワードに結ばれている。要するに、文字的・数字的な共時性が次々と発生していることを示している。天皇家は日本の象徴。日本の歴史が米とともに歩んできた事実、図書館で田んぼの田の字を調べた日付「さんいちよん」と新聞縮刷版の発行番号「よんいちさん」、届いた葉書の差出人所在番地「さんいちいちよん」というぐあいである。 思えば通わす命綱。心に思うことは、心の畑に心の作物を育てているのであり、それを食べてどこへ行くかは、ここまで読み進めてみれば、はっきりしてくると思う。

 思い抱くこと、また、行動することのすべてが心の磁場に記録され、それが人生街道の道先案内役となって、喜怒哀楽を生む人間模様をつくりあげていく人生。

 心の磁場に育った文字のエネルギーは、米のセンサーとなり、命数となる数霊のセンサーとなって、全方向に目を向けて行動を起こす。ましてや、米の文字は、四方八方に光を放つ姿に見えてくるではないか。

 私は、酒乱断酒の日から、米(稲)を精神修養の信仰の対象として、毎朝三畳間でヨガを行い、それが終わると自作の「祝詞のりと」を唱えてきた。それは稲穂(米)に感謝する一心の日々であった。門外不出のその祝詞をここに開かせていただく。

 

「米の祝詞」

 

変われども

時代変われど

いのちの光

米は変わらぬ

永遠とわの糧

鶴千年亀万年

稲穂の実りは億万年

人類栄えの糧となる

米が光ればみな光る

お陰で今日も生かされる

ありがとうございます

 

と唱え終えてから、たわわに実った稲穂を抱えている妻の写真を見ると、一緒の喜びが湧いてくるのである。二人で原野開拓をして、そこで育った稲穂を抱いている妻の姿である。

 これらすべては、酒乱からの脱出であり、酒の親の米に学ぶ心を目指して早や二六年となった。心の中には、米(稲)のいのちが輝き続けている。そして、「豊かな稲穂のように実りの頭を下げる人になれますように」と。

 ここで、稲穂を抱えた妻の写真のことから、意外な共振共鳴に発展することになった。

 皇居の瑞鳥と米治一先生まで結ばれた一連の出会いから数日後の四月十八日のこと、神の扉が開かれるほどの感動を迎えることになった。それは、神戸市在住のご夫妻との出会いのご縁であった。

 その日、かねてより大判に引き伸ばしたいと思っていた稲穂を抱えた妻の写真が、ようやくできあがった。それを早速妻に見せると、写真の前に正座して見つめていた妻の口からふと出た言葉が、

「実れば実るほどコウベ(頭)が下がる稲穂です。コウベが下がる人になりたいものです」

 妻はしみじみ言い終わってから畳に額をつけ、二、三回繰り返していた。そばにいた私はすかさずジョークを飛ばし、「神戸の次は姫路か、岡山か、上りは大阪だから…」

 つまり「頭(コウベ)が下がる」こと、新幹線の駅名と上り下りのことをもじって、神戸、神戸と呼んだのである。

 妻は、そんなことにはまったく反応せずに、真に稲穂の実りの姿と心を重ね合わせていたのであった。そして何を思ったか、田んぼのサクラを見に行こうと言いだした。急に、夕刻近い四時に出発したのであった。

 鶴亀桜と名付けられたそのサクラは、樹齢一二〇〇年の薬師櫻の苗木を植えたものであった。昨年は目を見張るばかりの満開を見せてくれたが、今年は枯れ枝が目だって花の数も少ないし、色も淡く、心配になった。満開前というのに緑の葉が開き始めてもいる。

 これは異常だと察し、帰りは村を大きく迂回しながら他のサクラを見て回ったがそれほどの異常は見当たらなかった。そして、ここまで来たのだからと、少し上がって水芭蕉を見てから帰ることにした。

 水芭蕉の群生地は、うちの田畑からさらに鳥海ブルーラインを五、六分上がった地域に群生しているのだが、来てみるとこちらも異常のようで水は涸れて流水の姿は消えていた。清流の水芭蕉は清楚で心まですっきりさせてくれ、なかなかいいものだが、少々残念に感じ帰ろうとしたそのとき、鳥海山道を下ってきた一台の乗用車が停車して、中から壮年紳士夫妻がうれしそうに降りてきた。水芭蕉を前にしてご主人は撮影していたが、何故か夫人がそのままこちらに近づいて声をかけてきた。

「神戸からきたのです」

うしろでそれを聞いた妻は驚いて、

「あら、私たちも家にいるときから神戸の話をしていたんですよ」

と、妻は続けて稲穂の実りの話を続けたいようであったが、二、三の言葉を交わした程度でここでいったん別れたのであった。そのまま帰ろうと道路に出てからご夫妻の車に目をやったことで事情は一変。車のナンバーを読んでみるなり心の次元がどこかに飛んでしまったのである。

 神戸◯ ◯ ◯・◯ 81‐88、その数霊の共振共鳴が激しくひびいた。妻は一〇月八日生まれで、心の磁場の数霊〝一八〟が動いた。そして、八八は米の数霊にぴったり共振共鳴していた。数霊で示している魂の通い合いの姿がここにあったのである。

 先ほどは〝神戸〟の話で驚いたばかりであったのに、車の前に立つことで、魂は不滅であることの確証を得た思いになった。

 車のナンバープレートは、いわば魂の名刺なのである。文字と数のナンバープレートで自己紹介している姿に見えてくる。

〝稲穂が実って頭(コウベ)が下がる〟の話から、神戸、神戸とジョークで話が飛び出したのも、今ここで神戸のご夫妻と出会うための道筋であったことがはっきりと浮き上がってきた。

 神戸の夫人は、奇想天外なこの出会いに感動して思わず妻と二人で抱き合いながら、共振の波は次々と押し寄せることになった。そして、妻が、

「わたしは一〇月八日生まれです」

と言うと、夫人の反応は早く、

「わたしも一〇月八日生まれです」

となった。さらに続けて夫人は、

「主人は八月一八日生まれです」

 そして夫人はご主人に「名刺を上げてください。自宅の住所と電話もわたしの名前も書いてください」と、息をはずませながら伝えていた。そして、

「わたしの名前は〝美穂〟です」

 稲穂の〝美穂〟であるから妙を得て見事だ。稲の波動が伝わってくる。田のひびきが鳴り渡り、米の光が天地を照らしていく。スピード感に乗った話は次々と場面を移す。夫人は続けた。

「ここに来る前に車が脱輪したのでみなさんに応援していただきました。それで一時間ほど遅れて来たのです」

 ご主人はきまりわるそうに制止したかったようだが、夫人には届かない。すかさず私は話に入って、「それは時間調整なんです」と言った。この出会いに向けた時間調整は、いのちの中できちっと統御され、プログラムされていることを私は経験知でわかっていたのである。ご主人は納得された様子であった。夫人は続けて、「鳥海山が大好きなんです」と言う。さぞかし鳥海山もうれしいであろう。神戸からの車旅のご夫妻は、三年前も訪ねているというし、鳥海山にひかれる気持ちはこちらも同じことで、鳥海山は、妻と私にも運命的出会いとなった山なのである。

 酒乱で迷惑をかけた翌朝、警察に私を引き取りに来た妻は、階段の窓越しに出会った鳥海山と生命一体となった瞬間、次のような心結びを受けたのであった。

窓越しの峰の心にあらわるる

声むすばれて生き証人の姿なり〟

 峰の心…とは、窓越しの鳥海山のことである。あれから二六年もの歳月が過ぎた。そして、今回このようにして鳥海山のふところの中で、神戸のご夫妻と出会ったことは、神の扉開きだったのかもしれない。

 出会いの条件は、微細なところにもその微調整が行われていることをうかがわせてくれる。稲穂を抱える写真の大判作成であったり、急に見にいったサクラ、そのサクラの枝枯れ異常があったからこそ、水芭蕉に向かうことになった。ご夫妻の車が脱輪したのも、出会いのための時間的調整であったということになる。

 特にこの日は一八日で、妻も神戸の夫人も一〇月八日生まれ、ご主人は八月一八日生まれということは、強烈なひびきである。数霊の輝きは魂の輝きである。

 どうして微調整してまで出会いのレールを敷くのか。それは、人の心と運命を知らしめるための、死んでも生きている魂のあかしのためであると、私はそのように考えている。

 それら一連のことは、目には見えないいのちの流れの中で、連綿としてそれらの関係性をひびかせ合いながら、縁結びの開花結実へと道先案内していることは、現実問題としてとらえることができる。

 この世の万物が普遍にして共有できるものといえば「いのち」の他に何があるであろうか。万物を貫き生かし続けているのは、いのちの光(原子・元素)以上のものはあり得ないであろう。その、いのちの光となる原子(元素)は、天の気(呼吸)と大地の食物からいただくほかはない。

 食は、自分の心を知る唯一のいのちの生き証人であり、縁結びのナビゲーターとなるのである。その核を成すのは主食の〝米〟であり、〝米〟は、人類救済の旗手として、億万年の実りになると私は信じている。

 私たちは、神戸のご夫妻と別れて帰宅したが、玄関を開けるとその直後のこと、電話のベルが鳴りだした。受けてみると電話の奥から女性の声が聞こえてきた。

「 ◯ ◯ 美穂です」

 今、神戸の〝美穂〟さんと別れてきたばかりなのに、耳元からの〝美穂〟さんは、広島の知人であった。

 

 

 

 

 

 

この世は卵が先か?

 

「意志の玉」

 

どんなことにも

どんなものにも

元がある

元には元があり

そのまた元にも

元がある

 

どんなことにも

どんなものにも

因がある

因には因があり

そのまた因にも

因がある

 

究極の元にも

究極の因にも

親がいる

丸い丸い真ん丸い

絶対調和の意志の玉

絶対調和の親の玉

 

 何ごとも、元をたどれば、いずことも知れない無限の彼方へといざなう世界。この世は、その混沌世界の渦の中から生まれ出てきた。

 日ごろ私たちが夢を見ることも、きっと、丸い丸い真ん丸い絶対調和の意志の玉、親の玉から生まれ出てくるのかもしれない。

 平成五年二月二日火曜日の朝方に見た夢もそうであった。ここは、最上川河口に面した酒田港。私は、埠頭に接岸している豪華客船の二階デッキに立っていた。

 しばしの間、乗り降りする人たちの波に目を奪われていた。かき分けながらでないと前には進めない。

 ふと気が付いたときには、雨が降りだしそうな空模様になっていた。真下を見ていると、二人の男が通り過ぎようとしていた。うしろの男が太く通る声で付き人らしい前の男に、

「菅原ってあの人か?」

と、話しかけていた。

 人混みの中でも私にははっきりとその声を聞き取ることができた。そして、その声の男が誰であるのかピンときた。元酒田市長の相馬大作氏だったのだ。

 二人はそのまま人混みのなかに姿を消し、次に夢の場面は一変した。酒田港の全景が映し出されていた。

 不思議なことに、よく見ると遠方にはさらに一隻の豪華客船がその船影をとどめていた。そのとき、夢の中で自分の思念が飛び出してきた。

「あの船はグリーン・ホテルで買ったそうです」

 と、心が流れたところで夢から醒めた。時計を見ると六時四〇分を指していた。夢の中ではずいぶんと長いようでも、実際は数十秒くらいの短い演出であろう。目覚め際の半意識の中に、記憶にとどめようとする意図さえ感じられる。

 朝食のとき、夢のことを妻に話してみると意外な言葉が飛び出してきた。

「それは六時四〇分くらいのことでしょ、そのころ私は部屋で片付けをしていて、一枚の写真を見つけたのです。元酒田市長の相馬大作さんの写真でした」と言うから、私は息を呑んだ。

 妻はさらに一言、

「それから箪笥の引き出しからグリーンのコートを出してハンガーにかけたんだよ」

と言うのである。

 これは一体どういうことだと思った。夢と現実が、それも同時刻頃に同時進行形で共振共鳴していることに驚いた。

 相馬大作氏の声と写真、それに、グリーン・ホテルとグリーンのコート。そのとき妻と私は、直線にして一五メートルほど離れたところにいたわけだが、事前の打ち合わせなどしているはずもなく、それなのに同じ頃に、妻は自室で、元酒田市長の相馬大作氏の写真を見ていて、私は夢で、元酒田市長の相馬大作氏と出会う。また、妻は自室で箪笥から〝グリーン〟のコートを出している。私は夢で、あの客船はグリーン・ホテルで買ったという。

 これらは、夢の現象と現実の行動とが文字的に激しく共振共鳴していることを示している。しかも、時間的にも一緒ということは、一体何がどうなっているというのか、その因果性が気になりだす。

 私の夢をキャッチした妻のいのちが相馬大作氏の写真と、グリーンのコートを引き出す衝動にかられたというのか。あるいは、私のいのちが妻の現実行動を見ていて、それを夢にアレンジして演出したというのか。どちらにしても、心光波(造語)といえる心の波が一体化していたに違いない。心を光の電磁波と思う私には、その心の周波数が同一調整されている証しではないのかと思えてならない。

 一体どちらが先か後なのか、妻が卵なのか私が卵なのか。あるいは、私がニワトリなのか妻がニワトリなのか。発信元はどちらが先か後なのか、いのちの世界は時空を越えた次元で共振共鳴現象を発現させてくれる。

 それもそのはず、いのちは元々光であるし、電気的磁気的な原子(元素)の世界であるから、心の波の振動数や波の形によって、当然にして共振共鳴が起こる世界だといえる。心の周波数が同調して増強されたり、あるいは、干渉し合って心の波を弱めたりするのであろう。

 いのちある限り〝意志の玉・親の玉〟に心のルーツが在るを知るならば、卵やニワトリ以前の元を知り、因を知ることに目覚めてゆくものであろう。

 

 

 

     

       

 

 

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