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図・写真を除く文章のみの掲載。

富士山と
  雲と神様

 

 

 

第十三話 富士シアター・星々招待

 

 昔むかし、その昔、人々は天に感謝し、大地に感謝しながら、稲作に精を出しておりました。

 ここは豊葦原の瑞穂の国です。米作りには恵まれているといわれています。山並みはどこまでも深く、冬になればその山にたくさんの雪が積もり、春ともなれば、里の田圃に豊かな水を届けてくれます。

 かつては、農家の人々が働く田圃のまわりの小川には、鶴などの鳥が当たり前に、ドジョウや小魚をついばんでいたのです。米を作る彼らとともに、安心して生きてきた姿があったのです。

 この豊葦原の瑞穂の国、すなわち日本は豊かな水と、多くの生き物たちに恵まれております。その水源を守る深い山々が連なる島の中ほどには、日本一高く、美しい富士山がそびえております。

 富士の神様は、女神のサクヤ姫であります。いのちの水を守りつづけてくれております。

 今は、昔とはちがって、田圃に鶴などの姿は見られませんが、農人の体の中には、鮮明な記憶となって残っております。山があって、川があって、そこに田圃がある、そのことは農人ならずも、万人のいのちに刻まれている、いのちのふる里なのであります。しかも、米は、いのちの主食です。

 いのちのふる里である日本の中央には、富士山がそびえております。世界の宝と認められたことで、富士の神様であるサクヤ姫は、ハタと考えたのでございます。世界遺産となったこの喜びをひとつの節目として、地球はもとより、宇宙の星々のみなさんと、その喜びを分かち合いたいものだと思われたのでございます。

 ちょうどそんな頃のことでした。富士の神様が、宇宙の星を見渡していた時、例によってカメラマンの田之助が、何やらパチリ、パチリと写していたのです。

 富士の神様は「それはきっと〝私と雲〟を撮っているのでしょう」と思ったのでございます。

 さっそく田之助にテレパシーで訪ねると、すぐに反応がありました。

「サクヤ姫様、よくぞお気付きになられました。たいそう気になる一枚が撮れまして……。サクヤ姫様にぜひともお伝えしたいと思っていたところでこざいます」

 富士の神様にしてみれば、世界の宝に登録されたこの喜びを、宇宙の星々の皆さんと共に分かち合いたいと思っていた矢先のことでしたから、田之助の写真の話は、どうにも気になるものでした。

「その気になる一枚とは、どんな写真なのか知らせて下さいな」

 そういうサクヤ姫様の言葉に、田之助は、胸がわくわくしてきました。その時、田之助の頭に、新しい考えが浮かんできたのです。

「サクヤ姫様。喜びを分かち合うというのなら、宇宙の星々の皆さんをこちらに招待して、私の撮影した一枚の写真で、バラエティショウを催されてはいかがでしょうか」

 田之助からこれを聞いたサクヤ姫様は大変驚きました。同時に、またとないチャンスとも思ったのでございます。

「田之助さん、これはうれしい話です。私も大賛成です」

 サクヤ姫様は少女のように喜んでくださったのです。田之助は責任の重さを感じはじめていました。

 宇宙には何千億と星のいのちがあります。それらの星々の皆さんを招待し、しかも一枚の写真で喜びを完結させようと考えたのですから地に足がつかない状態であります。

 そこで田之助は考えました。そうだ、宇宙の各星座の座長を招待するのがよかろう、そう思ったのであります。

「サクヤ姫様。宇宙の皆さんはむずかしくても、星座の座長さんをご招待するなら、話は早いと思いますが…」

そう田之助が伝えると、サクヤ姫様は、それが一番だと思われました。

「それが一番でしょうね。でも宇宙には、どれほどの星座があるのでしょう」

とたずねられました。

 そこで田之助は、宇宙のネットワークにアクセスして調べた結果……「驚いた‼︎」、田之助の全身に電撃が走るほどの感動を受けたのです。星座の数は、〝八十八〟であったのです。八十八という数字のあらわす意味は、田之助にとって〝米〟以外の何物でもありません。米の数霊かずだまは八十八です。人類のいのちを守る主食は〝米〟であります。

〝稲穂の実りは億万年 人類栄えの糧となる 米が光れば皆光る〟

 八十八星座はいのちの、米の光が全宇宙に輝いていることを明らかに示しています。宇宙の四方八方は、米の文字で彩られ、照らされているのであります。

 そして豊葦原の瑞穂(稲穂)の国の中心に立つ富士の神様であるサクヤ姫は、稲作の守り神でもあります。稲作を守る〝火と水の神様〟サクヤ姫も、八十八星座ときいて、全宇宙に遍満する米(八十八)の光に圧倒されておられました。

「私は胸がつまる思いです。宇宙が米の光で満ち満ちているとは。富士の神として生まれた私は、幸せの極みです」

 サクヤ姫は、涙をにじませて、こうおっしゃいました。

 宇宙が米の光で充ちあふれていることを知り、田之助は、お役目ですと心を引き締め、神様の助手をつとめてバラエティショウの準備を進めていきました。まず、〝富士シアター〟を開設して、初代の館長にサクヤ姫についていただきました。

 そしてショウのテーマを「いのちの饗宴・雲のバラエティショウ」と決めました。ショウに出演するのは、富士山の麓にある雲スクールの生徒たちであります。校長の雲右ェ門は喜んで引き受けてくれました。

 いよいよバラエティショウ当日。平成二十六年(二〇一四年)十一月十八日の夕刻でありました。ショウに招待された星座の座長八十八名は、快く参加を決めてくれました。上映に先立って、サクヤ姫からのあいさつがあり、次に各星座の座長たちの紹介が始まりました。そして「しし座」の番にきた時のことであります。

 天地が一瞬にして無音となり、天からエコーが鳴りひびき、淡い鈴の音と共に、天の声がひびきわたったのでございます。

「富士のサクヤ姫よ、おめでとう。美貌に安住せず、いのちの大調和を心して守れよ。わしも祝福いたすぞ」

 そして天から一斉に金粉、銀粉がキラキラ輝きながら降り注がれたのであります。それは宇宙創造の〝いのちの親さま〟からの、慈愛の光でありました。

 ちょうどこの日は、しし座流星群が出現する日でもあります。全宇宙には、いのちの光が通い合っております。絶え間なく、共振、共鳴のいのちの光で結ばれているのでございます。

 紹介をつづけるサクヤ姫は、涙を浮かべて声をつまらせながら、深々と頭を下げて感謝の意をあらわしました。その後、八十八名の座長たちの紹介を、すべて終えることができました。

 華やぎの中でいのちの饗宴〝雲のバラエティショウ〟も大団円をむかえ、ここで田之助の提案により、八十八名の座長たちと一緒に「米さん音頭」を合唱してお開きとすることになりました。

 

一、オーイ

米はいのちだ
いのちの米だ

一年一度の
米作り

ソレホントに
ホントに
米作り

 

二、オーイ

米はいのちだ
いのちの米だ

米の恩恵
富士の山

ソレホントに
ホントに
富士の山

 

三、オーイ

米はいのちだ
いのちの米だ

生かす力の
愛ばかり

ソレホントに
ホントに
愛ばかり

 

四、オーイ

米はいのちだ
いのちの米だ

ご飯みそ汁
日本食

ソレホントに
ホントに
日本食

 

五、オーイ

米はいのちだ
いのちの米だ

米を守るは
人の知恵

ソレホントに
ホントに
ひとの知恵

 

六、オーイ

米はいのちだ
いのちの米だ

米を作るは
山川田んぼ

ソレホントに
ホントに
山川田んぼ

 

七、オーイ

米はいのちだ
いのちの米だ

末代までの
宝です

ソレホントに
ホントに
宝です

 

 米さん音頭は、宇宙いっぱいに響きわたりました。これでバラエティショウも無事終了することができて、気分も新たに座長八十八名は宇宙に輝く〝米の光〟を心に刻んでお帰りになられたのでございます。

 それから数日後のことでした。八十八名の座長を代表して、しし座の座長から感謝の思いも厚く、八十八星座の紹介文が届けられたのでした。

 その夜、サクヤ姫様から預った八十八星座の紹介文を胸に抱き、満天に輝く星空の中、田之助は〝食なくて何の己がこの世かな……〟と繰り返しながら、生きる原点に心を合わせて、家路につきました。

 

*一九三〇年、国際天文連合は、全天に〝八八星座〟を設定した。

出典=藤井旭著「全天星座百科」河出書房新社

 

 

 

 

 

 

第十四話 フジ子姉さんと峠の孟宗爺もうそうじいさん

 

 その日は、空気がひんやりと澄み渡り、気持ちのよい昼下りでありました。

 駿河のフジ子姉さんは少々退屈気味で、里の方をぐるりと見渡していると、峠の孟宗爺さんが何か言いたげな素振りで、こちらに視線を向けてきました。

 フジ子姉さんが声を出しかけたその時、一瞬早く、孟宗爺さんがあいさつをしてきたのであります。

「今日は天にチリ一つなく気分上々でフジ子姉さんにごあいさつできるのが、うれしく思います。ご機嫌いかがでございますか」

 峠の孟宗爺さんは、日に日に老いも深まる中で、いつになく若々しくあいさつをしてくれました。

 フジ子姉さんにとっては、なんとなく気になる、孟宗爺さんであります。

「孟宗爺さん、お元気そうで何よりです。今日はなぜか私も、特別に燃え上る気分なの。どうしてかしら……?」

 普段は長話をすることなどありませんが、今日は少し退屈気味ということもあって、フジ子姉さんはやけに話しこみたい気持ちが湧いてくるのでした。

 でもこれはどうして、どうしてなのだろうと、フジ子姉さんは自問自答をつづけておりました。

 孟宗爺さんは勘のいい人ですから、フジ子姉さんの胸の内を先刻から察知していたようです。

「フジ子姉さん、わしはなあ、年をとると視力が衰えると思っていたんだが、どうもその逆もあるようで。この頃、視力が冴えているんだ。

 今日のフジ子姉さんは、際立って美しく見えている。お世辞なんかじゃない、本当に見直しました。フジ子姉さんは永遠の美人です」

 孟宗爺さんは本気でそう思ったことを、そのまま伝えたのであります。すると

「孟宗爺さん本当かしら。そうだとしたら、孟宗爺さんが若返ったのではないかしら。幸せなことでございます」

と、フジ子姉さんにすかさず切り返されたのであります。

 孟宗爺さんは返す言葉が直ぐに見当らず、話題を世間話に変えました。

「フジ子姉さん、四月から五月にかけて大変忙しかったのではないですか。里では、祭りの行事で連日の大賑わいの様子。その間、富士の神様は、里の社にお出かけなされたのではないかと」

 たしかにフジ子姉さんは、祭りの数日間は普段着から神の衣に着替えをされて、里に降りておられました。

「そうです。孟宗爺さんは、祭りに来られたのかしら」

ときかれた孟宗爺さんは、ハタと言葉に窮したのであります。

「今年は……行きませんでした。子供や孫たちにせがまれたのですが、なぜかその気になれなかったのです」

そんな話を聞いたフジ子姉さんは、不審に思いました。

「あれ、いつもの孟宗爺さんらしくもない。いつもなら好奇心いっぱいで出かけるものを。どこか具合でも悪かったの?」

孟宗爺さんは自分でもその気持ちがなぜだったのかすっきりせず、心にメリハリをなくしていたのです。

「いや、足がしぼんでしまって……」

 そう言うと、孟宗爺さんは口ごもりました。たしかに、忙しさも重なってはいたのですが、強いて言えば、あのニワトリの一件が、足を向けにくくなった原因でもありました。

 そのことをフジ子姉さんに話しかけようとしたその時、一瞬早くフジ子姉さんが話し出したのであります。

「孟宗爺さん、私は何かうすうす感じていたのよ。今年の正月すぎに、里の社にニワトリがいたことは、孟宗爺さんも知っているでしょ。あのニワトリ……」

 ここで急に孟宗爺さんが、話をさえぎりました。

「ニワトリが居なくなったのさ。あのニワトリのセン太が。風のうわさでは排除されたのだとか。わしが大いに気に入っていたニワトリのセン太が……すごく残念で心苦しいのさ」

 そのことを聞いたフジ子姉さんは、話し始めました。

「孟宗爺さんセン太のことは私も知っています。ある日、小さなヒナ鳥が里の社に捨てられて、そこで自立して逞しく育ってゆくのをわたしは、よく見ていました。野犬や野良猫に襲われたりして、命がけで生きていたのです。

 そのことを知った私は、ニワトリのセン太にこう言いました。

『これからは、社の姫が里親になるから、安心しなさい。苦しく、寂しい時は、私を呼んでね』と。こうして私は、セン太の里親になったのです」

 孟宗爺さんはこの話を聞いて、胸が熱くなりました。

 今、社には、セン太はおりません。でもここで二人の話題が重なったことで気分をよくした孟宗爺さんは、フジ子姉さんのプライバシーに口を出してしまったのであります。

「フジ子姉さんが里親になったこと、セン太の奴は本当にうれしかったでしょうな。セン太は今、神さまのふところに抱かれているのです。わしからも、お礼を申し上げます。ありがとうございます」

 ここでよせばいいのに孟宗爺さんは、ぶしつけな質問をぶつけてきたのであります。

「ところでフジ子姉さんには、お子さんは何人おられるのでしょうか」

 たずねられたフジ子姉さんは、急に体温が上がったようです。

「どうしたのよ、孟宗爺さん。わたしが独身であることは百も承知でしょう。そんなことは聞くものではありません、私は永遠の淑女なのよ。孟宗爺さんがそれこそ〝妄想爺さん〟になっていますよ」

 少しあせった孟宗爺さんは、話の軌道修正をしようと、自分のことを切り出しました。

「すまんすまん、フジ子姉さんを怒らしては大変なことになります。いのちがたぎる火の情熱の持ち主ですから……。わしは子だくさんなことで知られているように、子や孫たちのことを平気で話すクセがありましてな。孟宗竹のようなもので、春ともなれば雨後の筍のようにたくさんの子供たちが生まれてくるものですから。ついつい、子供のことをききたくなって、失礼しました。お許し下さい。それにしても、フジ子姉さんにはれします。端正で、毅然としていて、永遠の美の淑女です。この世の主役です。わしらは脇役となって、主役のフジ子姉さんを一層引き立てようと心がけていきます。年老いた孟宗爺ですが、精進の心構えは胆に銘じております。主役と脇役は、いのちのコンビだと思っておりますから、これからもよろしくお願いいたします」

 改まった孟宗爺さんの言葉を聞いたフジ子姉さんは、これほどまでに、孟宗爺さんが日頃から自分を守ってくれていることに、気づいたのであります。

「孟宗爺さんありがとう。今日は久しぶりにお会いして、話がいろいろに飛びましたが、私は孟宗爺さんが思っているような美人ではありませんの。何しろ冬ともなれば、雪の厚化粧で整えていますが、春ともなれば……ほら、この通り色黒で、流れた小皺こじわが線を引いているのだから。ほんとうは春になるのがこわいの」

 そう聞いた孟宗爺さんは、この話をどうやって収めたらよいものかと心がぐらぐらと揺れたのであります。

「フジ子姉さん、わしは決しておべっかを言っているわけではありません。心底、尊敬しております。フジ子姉さんは、化粧したお顔と素顔のお顔、どちらの美しさも一体となったお方なのでございます。わしは、大好きです。孟宗爺は〝妄想〟で言っているのではありません。主役のフジ子姉さんは、敬愛の的でございます」

 孟宗爺さんは真剣に答えました。その時。天地にとどろくエコーが鳴りひびいたのであります。天が二つに割れたかと思った時、それはぴたりと止み、天の声が降りてきました。

「フジ子よ、主役、脇役はこの世の仮の姿。共に光の玉を持っているのだから、互いにいとおしく思えよ」

 そういうと、天の声はぴたりと止みました。天地一切いのちの親さまのお声であります。

 ここでフジ子姉さんは改めて神の姿に戻り、孟宗爺さんは孟宗竹の姿に戻り、いのちの絶対調和を知り、どちらにも偏ることなく、調和無偏むへんを心に刻んだのであります。

 

 

 

 

 

 

第十五話 富士神様の愛用帽子

 

 富士山のいのちは、女神様であります。美しい女神様でありますから、折にふれて、ご自分のお姿を鏡に映し出します。

 三七七六メートルの富士神様を映し出せる鏡とは、一体どんな鏡でありましょう。その心配はいりません。伸縮自在の〝心霊鏡〟という、私たち人間には見えない鏡がありまして、天候にも左右されずに、よく映る鏡なのであります。

 富士神様は、どうやら帽子がお好きなようです。カメラマンの田之助は、これまでの三年間に出会った富士神様の帽子姿を、九回ほど確認していました。

 雲の造形による、お誂えの帽子です。

 富士山の麓にある雲の学校にオーダーを出すのですが、それが八月に二点、十一月に二点ありました。そして十一月に二点、一月には三点ありまして、あわせて九点のオーダーがなされたようです。その内の三点がスペシャルオーダーとなっております。

 カメラマンの田之助が撮影したという九点はどのようなものでしょうか。以下、紹介いたします。

 これまで確認できたのは、八月の夏期と、十一月から一月にかけての冬期で、春と秋のハットは、まだ確認できておりません。八月の一つは、「サンサン・ハット」です。三重のラインの入った、レース模様の大柄な帽子です。もう一つは、富士神様が最も愛用されているもので、八月の「アイアイ・ハット」です。清楚でシンプル。猛暑の夏には、大きさもほどよく、大変お気に入りの帽子でございます。

 冬期に入ってからは、立てつづけにオーダーがはいりました。十一月の二点はまず、「ナポリ・ハット」です。フランスの皇帝となられたナポレオンが被っていたとされる、あの帽子によく似た形にオーダーされております。ナポレオンの帽子に似て非なるナポリ・ハットです。女神様には重そうですが、ファッションは、とかく遊び心と一緒ですから、そこは富士神様の新しい挑戦のようでもあります。

 十一月のもう一つは、「オシャレ・ハット」です。ちょっぴりおしゃれ気分で、可愛らしく、淡紅色のカラーに染め上げられております。気分がのる日に、いたずらっぽく愛用されています。

 十二月の二点は、対照的なハットです。一つは、「ゼンエイ・ハット」です。これなどは、時代の先取りと言えましょう。神様としての躍動感にあふれた容姿は、もはや帽子の域を超えた、先駆的で行動力に充ちあふれたデザインです。富士神様の内的エネルギーの未知数を感じさせてくれる、デザインといえます。もう一つは、ぐっと対照的に、繊細で存在感が消えそうなほどの「カスミ・ハット」です。富士神様の繊細さと優しさを彷彿させてくれる一点です。

 一月は三点ありました。一つは「ウキウキ・ハット」。女性心理をうまく浮き立たせるような愛嬌あふれる感じ、これももはや、既存の帽子のイメージからは、かけ離れた一品です。

 次は「カエン・ハット」です。この帽子もまた意外性がいっぱい。富士神様は静止しているのに、あたかも疾走しているかのような流動感と強さがあります。富士神様が、宇宙の神様にお会いする時、このハットを着用されるようです。

 最後に御紹介するのは、「トラべル・ハット」です。富士神様が旅にお出かけされる時の帽子です。きりっと、身のしまるような、気品のある一品です。トラベル・ハットを着用されている間は、富士山に神様がお留守となります。ただしその間、富士山周辺の神様が山をお守りするので、神様が不在ということはありません。富士神様も安心して旅にお出かけされています。

 以上が、富士神様のご愛用帽子九点でございます。雲の帽子は、山の神様たちによく利用されていますが、富士神様ほどのファッション性をしのぐ神様はほかにはおられないようです。そして富士神様は女神様ですから、ファッションがいつ、どのように変化されるかわかりません。カメラマンの田之助は、これからも注意深く見守っていきたいと思っています。

 そして田之助は、変人の要素が多分にありまして、通常であれば科学的知見こそ普遍性があると思いがちですが、彼の目は富士山のいのちのハートに、思いをよせています。

 その証左が、雲の捉え方です。気象学的に見れば、雲は単なる雨の前兆を知らせるものです。そこを田之助は、神様の帽子と転化して、楽しんでいるのであります。

 カメラマンの田之助は今や八一歳となりました。ようやく人生のライフ・ワーク、〝いのちと心と出会いの縁〟というテーマに辿り着きました。雲を見れば何かを感じ、草木や生き物などを見ればその意志性を感じ、その根本を成すエネルギーに同調する。

 この世、万物一切は、心性エネルギーで充ちあふれている。

 宇宙全体が大調和の心性エネルギーで充ちあふれている。

 その、生命エネルギーを一言で「霊」であると、自覚して生きることができました。

 今回のテーマは、こうした基本的認識から生れたものでございます。

 これからも富士神様の帽子がどのように変化するか、注視して行きたいと、田之助は思っています。

 

 

 

 

 

 

第十六話 富士ヘリの夢

 

一、私は富士ヘリ へリコプター

パイロットには サクヤ姫

今日は神様 お休みで

夢にみていた 一度だけ

地上をはなれて 遊休飛行

羽根を回して スタンバイ

日本列島ぐるりと回る

富士の分家に 手をふって

今日は楽しい 空の旅

富士ヘリぐるぐる 雲の羽根

 

二、富士の分家を ぐるりと回る

羊蹄山は 蝦夷富士で

岩木の山は 津軽富士

岩手の山は 岩手富士

鳥海山は 出羽富士で

吾妻小富士は 福島で

筑波の山は 西の富士

鳥取・大山伯耆富士

開聞岳は 薩摩富士

富士ヘリぐるぐる 雲の羽根

 

 

       

 

 

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