区別は便宜的
河合隼雄氏が著書『宗教と科学の接点』において[西洋の医学が人間の身体を「客観的対象」とみなすことにより、科学的な医学を発展させてきた]と指摘しているように、西洋医学は人体を客体化・客観視することで高度に発達しました。
※上記図書「第6章 心理療法について」>「宗教と科学の接点」p.192
日本における客観・主観という言葉は明治期に西周(にし・あまね、啓蒙思想家、西洋哲学者)が訳したものだといいます。人間や人工的なものに対する「自然」という捉え方が一般的ですが、いわゆる客観的対象としての「自然」という概念や言葉も、もともと日本には無かったようです。客観と主観を区別するようになった背景として挙げられるのは、ヒトを取り巻く環境としての自然をどう位置づけてきたか、つまり「自然観」が発端にあることを河合隼雄氏は指摘しています。
(以下『宗教と科学の接点』)
今日では、日本人のほとんどが「自然」という言葉を、英語の nature と同じような意味に解していると言っていいだろう。人間および人工的なものに対するものとして、いわゆる山川草木、および人間以外の動物、それに鉱物などを含め、それを宇宙にまで拡大して、総称して「自然」と呼んでいる。しかし、実のところ、そのような客観的な対象としての「自然」などという概念も、また言葉も、もともと日本にはなかったものであり、nature という英語に「自然」という訳語を当てはめたために多くの混乱が生じることになった事実は、柳父章の周到な分析によって周知のこととなっている。従って、この点については省略するが、そうなると、現代の日本人は、自然をどう把握しているのか、そもそも古来からはどうであったのかなどが問題となってくる。(後略)
「自然」という語は、もちろん中国から由来しているわけであるが、(中略)自然という語は、「『オノズカラシカル』すなわち本来的にそうであること(そうであるもの)、もしくは人間的な作為の加えられていない(人為に歪曲されず汚染されていない)、あるがままの在り方を意味し、必ずしも外界としての自然の世界、人間界に対する自然界をそのままでは意味しない」ことを指摘している。この「オノズカラシカル」という考えは、天地万物も人間も同等に自生自化するという考えにつながり、「物我の一体性すなわち万物と自己とが根源的には一つであること」を認める態度につながるものである。(後略)
このような中国の「自然」に対する態度は、インドからの仏教を受けいれたときに影響し、福永は、「西暦七-一〇世紀、唐の時代の中国仏教学をインドのそれと比較して最も注目されることの一つは、草木土石の自然物に対しても仏性すなわち成仏の可能性を肯定していることである」と述べている。つまり、生物のみならず無生物も、森羅万象すべてが仏性をもつと考えたのである。
このような考えはそのままわが国にも伝来されてきたが、「自然」という用語は、従って、「オノズカラシカル」という意味で用いられ、それは「自然」と発音されることとなった。そして、西洋人のように自我に対する客観的対象として「自然」を把握する態度は存在せず、従って、そのような名詞も日本語にはなかったのである。「山川草木」というような表現が示すように、個々の具体的なものを認識の対象とはしたであろうが、おそらく、それは近代人のする「認知」とは異なるものであったと考えられる。対象と自分との区別は、昔の日本人にとって思いの他にあいまいなものであったろうと思われる。
西洋における(中略)「自然」を客観的対象としてみる態度の背後には、キリスト教による人間観、世界観が強く存在していると思われる。聖書には、神が世界を創造し、人間を創造するときに「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、それに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」(創世記一章二六)と言ったと述べられている。ここに、人間とその他の存在物との間に画然とした区別が存在することになった。このような宗教的な背景をもって、他と自分とを明確に区別し、他を客観的対象とし得るような自我が成立することになったと思われる。そして、その自我が「自然」を対象として観察し、そこに自然科学が発達することになったのである。このため、「自然」は西洋において科学の対象となるし、「自然」は東洋において宗教のもっとも本質にかかわるものとなったのである。
ところで、日本人は近代になって西洋の nature の概念に接したとき、これに「自然」の漢字をあて、「自然」と呼ぶようにしたのであるが、そのために柳父章の指摘するような混乱が生じた(後略)
出典『宗教と科学の接点』「第五章 自然について」>「自然とは何か」一四一〜一四五頁
「客観的」=科学的・普遍的、「主観的」=非科学的・個人的という印象の源は、上記のように自然観が根本にあるようです。西欧人に比べれば日本人には自然と人間との明確な分離によい意味で曖昧さが残ってはいるものの、科学が発達している以上、対象を分析的に、つまりありとあらゆる対象を分離分割して理解する考え方が浸透していると言えます。いっぽう一般に科学と相容れない世界観として対立してきた歴史があると言われる宗教ですが、西洋で誕生した科学の背景からは必ずしもキリスト教と対立するものではなかったことがわかります。
(以下『宗教と科学の接点』)
(中略)
西洋近代に確立された自我は、自分を他と切り離した独立した存在として自覚し、他に対して自立的であろうとするところに、その特徴がある。このようにして確立された個人を、英語でindividualと表現する。つまり、これ以上は分割し得ざる存在ということであり、その個人を成立させるためには、物事を分割する、切断するという機能が重要な働きをもつことを示している。有機物と無機物という分割、有機物をまた分割してゆき、人間と他の生物という分類が行われ、その人間をいかに分割していっても、個人が分割し得ないものとして残る。このことは逆に言えば、個人は他と切り離されることによって存在が明らかになると言える。
(中略)
このように他と切り離して確立された自我が、自然科学を確立するための重要な条件となっていることは容易に了解できるであろう。つまり、このような自我をもってして、はじめて外界を客観的に観察できるのである。このような「切り離し」による外界の認識は、個々の人間とは直接関係しないものとなり、その意味で「普遍性」をもつので、極めて強力な知を人間に提供する。これが、これまでの自然科学である。
(後略)
出典『宗教と科学の接点』「第一章 たましいについて」>「西洋近代の自我」二五~二六頁
客観・主観という具合に世界を二分する世界観や考え方は二元論と呼ばれ、明治以降現代の日本人はこの影響を強く受けています。日々の生活に恩恵をもたらしている科学の世界観・生命観の特徴や成立起源が一連の指摘から理解できます。
自然は人間の外部に存在する環境であるという認識は、自然と人間の分断によって心理的距離を生じさせます。現代人が「自然」に対して懐かしさや憧れの気もちを抱くのは、ある意味で当然かもしれません。また、想いや視線が外部へ向けば向くほど、自分の体へと注意が向きにくくなるようです。このような日常を送るなかで「自らを宇宙の中にどう定位するか」(下記より引用)、あるいは生と死、そういう視点や感覚、いわゆる「主観的」認識や実感を失ったとしても不思議ではないように思います。以下の文も河合隼雄氏の著書からの抜粋です。
ミクロコスモスとマクロコスモスの対応という考え方は、ミクロコスモスとしての人間をマクロコスモスとしての宇宙に関連づける思想であったが、西洋の近代自我が自我を世界から切り離し、自我を取り巻く世界を客観対象として見ることを可能にしたとき、そこに観察される事象は、個人を離れた普遍性をもつことになり、自然科学が急激に進歩したのである。普遍的な学としての自然科学はその後ますます力を発揮し、人間は世界を支配したかの如く見えながら、宇宙との「対応」を失ってしまったという点において、自らを宇宙の中にどう定位するかという点で、根本的な問題を抱え込むことになった。(『宗教と科学の接点』河合隼雄著「第二章 共時性について」>「共時性と科学」p.50)
「宇宙」を母体とする地球上の山河や大地、海洋や大気はもちろん、人間が生活を営むため、生きるための田畑も、そこから得られる食の生命もすべて「自然」。この自然との本質的なつながり無くして人間の生命はあり得ません。生命の根元的な由来を考慮すると、自然は人間の外部環境であるとして明確に分離する境界は本質的に存在しないはずです。食の生命は自分の外部にある自然として存在すると同時に、毎日の「食」はやがて自分の体に融合されるため内部にも自然は存在します。また、そもそも人間の体は本質的に人工造形物ではないため、元来、自然界であると言っても良いほどこれに準じる存在ではないでしょうか。たとえば「小宇宙」という表現がよい例です。
(以下『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』菅原茂著)
一生命体が完成するまでの原形は、十月十日(とつきとおか)の、子宮という小宇宙世界で、その基盤ができあがるわけです。母親の口から入った〝食〟が胃に入って、十二指腸に入り、小腸に入り、分子・原子次元まで分解された物が吸収細胞によって取り込まれ、全身に届けられます。そこでいのちの新陳代謝が起こり、生き生きと輝く命となります。そして、子宮の胎児が育ちます。(上記図書「第一章 心のつる草」 p.17~18)
人間は成長し自我や知力が発達するにつれて頭や心(考えや思い、気もち)を優先する年月とともに、上記のようないのちの原点から遠ざかり、無意識的に体を軽んじたり心理的距離が生じたりする傾向があります。自分の体の外観・外見やその外界には目が向いても、内側の臓器や食生命の行方に対しては意識が行きにくいものです。見えないためにつかみどころがなく、普遍的に正しいとされることを重視するあまり他人事のような感覚になりがちです。精神的につらいときほど体が置き去りになる傾向は、このことと無関係ではないと思われます。つまり体に対する主体性や当事者意識、個人的な内部感覚の希薄さ・未熟さです。これと体を客体視・客観視する習慣とは関連がないでしょうか。
いずれにしても科学的には自然と人間とを切り離すわけですから、小宇宙とも称される内界としての体や心、外界としての自然、双方の間にあるはずの関連性を見出せなくなるのは必然です。したがって自らの生命を大宇宙・自然界にどう位置づけるか、生存および死をどう位置づけるかという究極的な視点感覚を見失うのも当然の事態と言えます。このような課題についてあらゆる宗教を超えた、あるいはそれ以前の問題として適切に理解するためには、根元的な世界観・生命観で自らの生命・心身および自然と向き合う意識変革が欠かせません。
『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』▼
(中略)
このように、つれづれの思いを記録しているのは、自分の内面に向けたものであり、自己調和のための内なる魂の学習となっています。次のようなことも記しています。
母はわが子を宿した
そして
その子に母は宿る
母はわが子を生んだ
そして
その子の中に
自分をも産み落とした
そして
その子の中で生きる
母と父
その子の外にいる元の
母と父
そして
その子の中にも
生きている母と父
どちらも〝本物〟だ
そして
元の母と父は死んだ
そして
その子の中で育つ
母と父
永遠に繰り返される
母と子
子は母となり
子を宿し母となり
子の中に生きる
死に変わり生き変わりて
続く魂
自分の中は魂の博物館
母の子宮の中では
いのちがいのちを
いのちたらしめるための
十月十日
新しいいのちの再生世界
そこは母の〝呼吸と食〟以外は
立入禁止の聖域
また、いのちの道は一本道
口から入った食が
いのちを
いのちたらしめるための一本道
食はいのちで
食以外は立入禁止
一呼一吸天の気
一食一排地の気
天地の気はいのちの食
食はいのちの呼吸なり
(中略)
「日々の心 四八三」で記したように、母の子宮の中は、母の「呼吸と食」以外は絶対立入禁止の聖域なのです。いのち自身がいのちを育てている聖域なのです。その十月十日といわれる平均期間内で、人が人として再生します。このとき、圧縮し、凝縮された魂も同時に再生の道に入ります。
その間、母が摂取する「呼吸と食」以外は立入禁止の、いのちの聖域である「子宮」の中で、引き継がれてきた魂のすべても、この世の夜明けを待って、新生児として誕生します。肉体の誕生は魂の誕生でもあります。
子宮の中では、母がいただく大気の呼吸と食物の摂取によって、
いのちによる
いのちたらしめる
いのちのために
宇宙根源からの
生命エネルギーで
ごくごく自然に
肉体と精神の
一元一体の
いのちの姿になるために
その流れを続けます
ひたすら母親は、呼吸の気を送り、生命元素の〝食〟を送り続けての生命奉仕です。十月十日は、立入厳禁聖域となる子宮の小宇宙世界であり、宇宙意志のカプセルでもあるのです。
そして、機が満ちてこの世に出生した新生児は、やがて、一体のいのちとして、その骨格が完了するのは、男性でだいたい一八歳、女性で一五歳少々に達してのこと。骨の数は、新生児で約三〇〇本、最終的には全部で〝二〇六本〟になるといわれています。
一生命体が完成するまでの原形は、十月十日の、子宮という小宇宙世界で、その基盤ができあがるわけです。母親の口から入った〝食〟が胃に入って、十二指腸に入り、小腸に入り、分子・原子次元まで分解された物が吸収細胞によって取り込まれ、全身に届けられます。そこでいのちの新陳代謝が起こり、生き生きと輝く命となります。そして、子宮の胎児が育ちます。
胎児が出生するまでの、この完璧ないのちの組み立ての仕組みは、〝天のご意志〟というほかありません。
こうして積み上げられてきた人間の魂は、成長とともに、この世のあらゆる心身環境を取り入れながら、扉を一つ、また一つと開いていくこととなるでしょう。
(中略)
出典『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』「第一章 心のつる草」八〜二四頁
▼本の中身を見る
菅原茂/おりづる書房/2011年
平成5年8月6日の広島平和公園で出合った一羽の折鶴は、「倉敷市玉島」と印刷された広告で折られていた。その地名は「日月神示」で知られる岡本天明氏の出生地。縁結びのしくみを、「心のつる草」など比喩を用いた物語を織り交ぜて表現している。