共時性と因果性

A.共時性とは何か

⑸時空を超越する心の世界

 

ユング氏は、「狭義の共時性は、たいていは個人的な例で、実験的にくり返しがきかない。」(『自然現象と心の構造』p.138)としながらも、「空間、時間という承認されている三組の上に第四番目として」(同著)共時的要因の存在を科学的証明によって確かなものにしなければならないという、科学者としての並々ならぬ強い信念をもって研究に没頭していたこととおもわれます。 以下も同著書からの抜粋です。

 

  • 因果性は空間と時間の存在と物理的変化に拘束されて(p.39)
  • 意味深く偶然に一致する諸因子間の相互連関は、どうしても非因果的なものと考えられねばならない(p.39)
  • 共時的要因は、空間、時間、因果性という承認されている三組の上に第四番目としてつけ加えられるべき知的に必要な原理の存在を主張しているだけである。(p.132)

 

ユング博士の研究によって、共時性現象は時間の概念や空間の原理では説明がつかない、という認識が一般的です。心の中の世界は、それらの拘束を受けていないからです。私たちは、「時間や空間を超越している」という表現を耳にすることがありますが、心の中の世界は、まさしく時空を超える世界と言えます。

 

「時空を超える」とは、時間や空間の尺度では心の性質を量れない、ということであると同時に、心の中の世界は時間や空間の束縛からは自由である、ということです。つまり、心の奥底に存在する “ありとあらゆる要素や事象” は、時間的・空間的距離を超えて、「いま・ここ」に存在し得る、そして、場合によっては現象として表出し得るということです。

 

 

 

 

心の世界には、時間、空間はなく、一面的、一本直通だから、一瞬にして現れる。

出典『酒乱‐米の生命が生きるまで』「生命の樹」▼

 

 

 

◀︎◀︎◀︎画像4枚

  • ここから書籍『酒乱こめのいのちが生きるまで』の抜粋。「だから、自分という一個の生命体の中には、まぎれもなく、何億万年のいのちの歴史が刻み込まれていることになる。それぞれの遺伝子の中には、生命博物館のようなものではないか、と思われる。私は、自分の意識改革を実行する中で、この生命の流れに、本当に感心した。全人類を一本のいのちの樹と見て、そこに花を咲かせている梢の先々が、我々、現世の人間の姿と見たのである。
  • 私が、狂った果実となったことは、心という生命の養分が、祖先のどこかで、誰かが狂わしてしまったのだと思う。だから、私の身体に黒い花を咲かせ、黒い果実を実らせた。この生命の、心という養分を変えない限り、いつまでも、どこまでも、子孫の花が狂うのである。どこかで、誰かが、心の養分を自然体に戻してやらなければ、子孫のみんなに、迷惑をかけることになる。代々引き継がれた心の歴史(潜在層)は、次第に、ひとつの生命体として、独り歩きをし、それが、現在の自分を操作支配する力となる。
  • そして、今の心の習慣が、積もり積もって、自分を、さらに、子孫を支配する心の生命に育つ。自分の過去の心、祖先累々の心が、びっくり箱のように、現在の自分の前に躍り出てくるという仕掛けであると思う。こう考えてくると、勝手気まま、好き放題に、不調和な心を発散し続けてはならない。日頃の心の習慣が、ルーズになってくると、自己管理が不可能となって、人霊世界の思うままにされてしまうのだ。だから、酒を一杯飲むと、過去前世の悪心、亡者、括弧、今はなき者、括弧閉じ、が小躍りしてやってくる。
  • 心の世界には、時間、空間はなく、一面的、一本直通だから、一瞬にして現れる。こうして、いのちの樹を伝って、全方向から、飲み足りない亡者の援軍が集結することになる。もうこうなったら、現世の自分は、ブレーキなしの車が、下り坂を走るようなものだ。ある日、妻が、こんなことを言った。「お父さんが、少し飲みだすと、この世で飲み足りなかった人たちが、いっぱい集まってきます。」以上、抜粋はここまで

 

 

 

 

縁に偽りはない。

『酒乱‐米の生命が生きるまで』「神技一瞬、〝やいばに変わる水杓みずひしゃく〟」▼

 

 

 

 

神技一瞬、〝やいばに変わる水杓みずひしゃく

 

 縁は生命の調和力 。目の前にやってくる縁は、すべて自分に相応ふさわしい縁なのである。縁に偽りはない。私が引き寄せたものであり、みなさん自身が、引き寄せたものなのである。縁は、絶対の力を持って、私たちに逢いにくる。「よくやってくれた」と、ご褒美ほうびを持ってくることもあるし、あるいは、「えらいことをやってくれたなッ」と、言いながら、やってくることもある。

 だから、みんなの目の前に現われるは、すべて、己の目覚めのためにやってきてくれる。善きにつけ、悪しきにつけて、やってくる。私の酒乱についても、当然、「お前は不調和な生き方をしているぞッ、早く気づけーッ」と、催足する現象を示す。

 

(後略)

 

 

「神技一瞬、〝刃に変わる水杓〟」一六八頁

『酒乱‐米の生命いのちが生きるまで』について▼

 

 

 

A- 1ページ目  2ページ目  3ページ目  4ページ目  現在のページ、5ページ目  6ページ目、最後のページ

共時性とは何か⑹

「本質性・根源性こそ重要」

 

引用・参考図書

 

▼図書館をさがす

書籍『自然現象と心の構造』を図書館情報サイト「カーリル」で検索します

自然現象と心の構造
非因果的連関の原理

C.G.ユング,W.パウリ/
海鳴社/1976年

1955年に米国と英国で出版された英語版の『自然の解釈と精神』(The Interpretation of Nature and the Psyche)の日本語訳版。心理学者であるC.G.ユング氏の論文を、同じく心理学者である河合隼雄氏が、物理学者であるW.パウリ氏の論文を、科学史研究者の村上陽一郎氏が翻訳している。

 

 

▼本の中身を見る

書籍『酒乱 こめのいのちが生きるまで』の詳細・閲覧ページにリンクしています

酒乱
米の生命が生きるまで

菅原茂/MBC21/1993年

 

 

「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。

 

 


関連ページ

引用・参考図書  /  抜粋・引用文集  /  参照資料の索引

 

 

関連する主題

因果性とは何か

この画像は上の見出しのページにリンクしています。

「因果性」の実際は、それほど単純ではなく、もっと複雑。科学的な「法則」は、限定的な条件のもとでのみ有効だ。

 

偶然と因果

この画像は上の見出しのページにリンクしています。

因果性がないというより、今の科学の尺度では説明できない、と言うべきではないのか。

 

客観と主観

この画像は上の見出しのページにリンクしています。

自然界と人間とを切り離す「客観」的態度が潜在的に抱えている問題点

 


共時性の真価

この画像は上見出しのページにリンクしています。

平成5年8月6日、広島平和公園で偶然発見された一羽の折鶴。共時性の真の価値は、それが生命の真実を示していること。

 

こころとからだ

この画像は上記見出しのページにリンクしています。

私たち現代人が見失っている食の本質。生命と生命現象の根源は食にある。自分のいのち食のいのちに対する考え方が問われている。

 

参照資料の索引

この画像は上の見出しのページにリンクしています

「いのちと共時性の考察」各主題の文章作成に用いた参考文献や、理解の助けとなる参照資料を網羅。