図・写真を除く文章のみの掲載。
母子心中を超越した〝妻の一念〟
天の啓示に生きる妻
妻子を残して土方三昧
真っ赤に走る一台のトラック
かつて、品行方正と言われた自分はどこへやら、
「酒飲みの血統だからやめろッ。やめなさいッ。もっと、しっかりした家から決めるもんだッ。そんな家からは、やめろッ」
と、妻は何人もから言われた、とのことである。そしてさらに、私の母も、
「相性が合わねさげ、やめなさい」
という話も、していたという。
現実は、影の見えない世界を、如実に描写してくる。
因縁を解消することなく、この世を去った父の影には、その魔力が濃い影を引いていた。人間の悪習慣が、強烈な性格となって暗躍し出すのだ。しからば、悪習慣を消滅しなくてはならない。子孫の誰かが、きっと、必ず消滅しなくてはならなくなるだろう。そうでなくては、その因縁の根は、繁殖の限りを尽すことになるのではないか。
「悪は善を喰って生きる」と思うようになって久しい自分は、当時、精神性の屁理屈ほど嫌なものはなく、悪性因子への罪悪感は、からきし持っていなかった。
喜びの酒しか知らないで生きてきた、妻一家は、天から血の雨でも降ってきたという思いではなかったか。
暗室の写真道具一式は証拠品として押収され、そして、一人一人裏付け尋問を受けた。あれよあれよの中で、新聞・ラジオで一斉報道され、あわただしい年の瀬に向かって、急転直下、一家は地獄絵巻となった。
外は日を追って冬のきざしが強く、白銀世界はもうじきだ。冬になれば、窓を開放することも数えるくらいとなる。酒乱の牙は、平安な生活を正確に破壊してゆく。そして、酒乱の歩いた後は、砂漠の荒廃だった。この殺伐とした砂漠を、二十八年間も歩き続ける旅の幕開けである。
このことを境にして、私は農協の職場を去ったのだったが、それまでの間にも、小刻みにして、空恐ろしい、内輪の騒ぎを起こし続けていた。出刃包丁を振り回したりなど、度重なる乱行は、この時点で、すでに父の酒乱を二回り、三回りも凌いでいたのだった。
「酒さえ飲まねば……酒さえ飲まねば……」と当時、職場からも、周囲の人からも、同情とも、あるいは、ある種の期待感さえ持たれていたことも事実だった。そうした、厚意あふれる周囲の温情のお蔭で、赦免されてきた。
だが、このあたりで妻は、一度か二度、母子心中のことを考えていたようである。闇の中、鉄道線路を足探りで歩いたこともあった。望みない人生であるなら、いっそ一思いに死んでしまおう……と、思い詰めた日々が過ぎてゆく。
だが、こうした一区切りの悪行においても、心の底から詫びることのない神経が悔しい。どうしたというのか。生命の底から絞るような、罪悪感が湧いてこないのはなぜだッ。深く魂を傷つけた根源は、父の代からか、その先の代なのかと思う時、一日一日の心の大切さが、激しく押し上げられてくる。
酒の上でのこと……と、世間はとても寛大であるのは、大多数の人々が、なにかしらのアルコール分を愛飲しているからだろう。明日は我が身、といえる人たちも決して少なくはない。心の軟弱さをつけ狙われた人たちは、いつしか酒に飲まれ、酒に振り回されて、〝心〟不在の暴挙と化していく。罪の意識が薄れ、思慮分別の消えてしまったアルコール性精神病へと変質していく。あたかも、尾翼のない飛行機と同じで、後は、墜落を待つだけの人間となるから悲劇だ。全身麻酔であるから、爪跡を見ては、
「これは俺のやったことかッ、まさかッ……おらあーちっともわからねいェー」
と、他人ごとのように心が化けてしまう。罪悪感には決して通じない、霊界次元の話となるのだから恐ろしい。
その後、妻は、
「この人が立ち直ってくれるまで、決して死んでなるものか」
と、母子心中の思いを翻して、夫を更生させることへの一念に、賭けるようになっていた。
世間から見れば、こうしたことは生地獄だ。この生地獄の中から、神の心を見出した妻だった。
因果の波動は、音もなく、生命の糸を手繰り寄せる。妻は、縁の厳しさを知りながら、自分の人生に希望を失いながらも、夫の痛ましい姿に己を忘れ、無私の真心で守護を貫いてくれた。
断酒数年前のこと、妻は、ある声なき声を聞くことがあったという。
酒乱の断末魔が、響きをあげて近づく頃のこと。酒乱のやり口には身ぶるいするほどの恐怖を感じながらも、その中にあって、夫の狼藉にもいつしか感謝の気持を持てるようになっていた。
「お父さんのお蔭で、沈黙世界から、その心をいただけるようになりました。お父さん、本当にありがとうございます。」
と、どれほどに恐ろしい難儀だったことか。言うが早いか、顔をしばたたせながら、泣き出してしまっていた。
ある日のこと、刃物を振り上げている夫のため、家へ入ることもできず、たった一人の妹に助けを求めて駆け出して行ったが、巻き添えが恐ろしくて、家に寄せて休めさせてくれなかったようだ。あまりの酒乱の恐ろしさのため、そこの小屋にさえも、休ませてもらえなかった妻の憐れさ。
寒気が身をつんざく酷寒の夜。天を仰いで、無心の生命の中から、
「どんな苦しい思いも、どんな辛い思いも、感謝にかえたまえ」
と、心の奥深く刻んだ妻への伝言。
それを区切りに、妻は一心に、夫のいかなる乱行にも、ただ一念に頭を下げ、どんな苦しい思いも、どんな辛い思いも、すべて感謝に変えていくことに徹した日々を過ごすようになった。
この感謝に徹する日々こそ、神に生命を捧げ尽し切って得た、心開きの難行苦行であった。
ついに、妻の生命には、自然界の生命の愛が全開することになる。
ある日のこと、妻はこんなことを話すのであった。
「お父さんが悪いのではありません。米の生命がわかるまでの教えなのです。すべての食べ物、人参一本、大根一本、魚、なんでも、みな尊い人間を生かし続ける生命の元です。
人間以前のこの生命たちの、尊く、汚れない食物たちから、生命の声が聞こえます。食物たちの生命は、それぞれ違う者たち同士ですが、人間のように争うことはいたしません。
口から入った、いろいろな食物の生命は、一糸乱れず、人の生命を守り続けます。
そうして、一本道の人の体を通り、ふたたび、自然界へと戻っていく生命たち。
その代表である米の生命は、酒となり、神々にも捧げられます。透明で、汚れない姿となって神に供えられるのです。
その、米の生命を見て、悟って、お父さんの心も、米のように、汚れない心となるまでのお役目でした。
私は、このことを教えていただき、お父さんに、本当に感謝しなければいけないのです。ありがとうございました。」
私は、この奇想天外な話に面喰らうばかりで、感謝しないといけないのは、こっちのほうなのに、尋常ならざる超越世界を垣間見た思いだった。
息詰まるような酒乱の歳月の中で、妻のその辛い苦しい地獄から救う神の業であったと考えている。どんな過酷な試練をも、感謝、喜びに変えて生きていく、恐るべき神の智恵が授かったとしか言いようがない。
米の生命がわかるまで、そして、その米の生命が生きるまでの酒乱劇。これは、永々百年に及ぶ、母と妻の二代にわたる女神のような守りであった。
あの事件の蔭にあって、妻は、何度か母子心中を思い、また、離婚をも考えた。生まれて数カ月の一人息子を両手で抱きかかえながら、
「この子を父なし子にはできない。決して、この子を父なし子にはできない」
と、妻は心中することもできず、両親からの「離婚しなさい」という言葉も、受け入れることができなかった。この子が、ガッチリと強大なかすがいとなっていた。
「これからは、どんな辛い毎日であろうとも、きっと、夫を立ち直らせてみせる。この私の手で……」
と、新たな決意をしたのだった。そして、妻は母に対し、
「お母さんは、夫を自分の息子と思ってください。私は、他家から嫁に来た者と思って生きます。どうか、夫を腹を痛めた我が子と思ってください」
と、泣き伏して説得を続けたのだった。
私はそんなことがあったとも知らないままに、職場を去り、雪深い山奥のダム工事現場で、ただただ飯場暮らしに明け暮れていた。
朝から夜まで、さらに、夜間を通してのセメント背負いと、コンクリート削り、そして、寒中での水中作業も多かった。生まれて初めての重労働に、顔や体全身をむくませながらの共同生活は、男たちの世界で、楽しみはといえば、酒と花札バクチぐらいであった。今までの職場とは、天地がひっくり返ったほどの生き様だったが、もう逃げ出すこともできない。いずれ凍死して、熊にでも喰われるのがオチではないかとさえ思った。
食事も、無理してでも、たらふく喰わなければ、すぐにへタばってしまうから、食事の時は目玉をギラギラさせて喰いまくった。でっかい丼飯を山盛りにして、鱈などのドンガラ汁を片手に、大根漬をワッシと手摑みしての食事だった。そして、黙々働き続ける日々の中、
「エイッ、クソッ」
と、誰に言うともなく溢れ出る遣り場のない言葉。なんと不甲斐ない自分。勤め人から一気に突き落とされての、冬の山中だった。
だが、日が経つにつれ、体のむくみも消えていき、どうやら一人前に仕事もできるようになった。酒は二合瓶一本ずつの配給だったから、どうやらふんわり効いてくるくらいの量であり、この現場を引揚げるまでは、なんとか問題もなく過ぎた。やはり三年の執行猶予の身の上であるから、一丁間違えば終りだ。自粛をして、小康を保ちながらも、この現場を引揚げる日がやってきた。次の現場は、千葉方面の海中作業である。なぜか、土方作業が難なくこなせるようになっていた。父も抜群の器用さだったから、手さばきは親譲りであったのだろう。同じ親譲りでも、酒だけはご免蒙りたかったのに、これも、もろに引受けてしまったからたまらない。
この現場は、街にすぐ近いから、酒は飲みたいだけ手に入る。仕事は、海中でのプラント工事で、杭打ち作業が多かった。毎日、胴付きのトヨ合羽を着けて、海中での強圧ポンプ作業で、足を取られたら命を失うことにもなる。ダム現場と異なる危険な作業の中で、体はガタガタになりながらも、やらねばならなかった。
ある時、酒の上での言い争いとなってしまった。その飲み屋が暴力団の店とも知らずに、なけなしの金を持って大股で入ってゆく。今度の作業は金取りがよいから、それらしい姿恰好に「どうぞ、どうぞ」の歓待だった。出がけにグッとひっかけた五合の酒が、ちょうどその頃、効き出してきている。
飲み出してから、どれくらい過ぎたろうか。ウィスキーは最初の一杯だけ、後はビールになっている。
酒、ウィスキー、ビールとくれば、最も悪い飲み方と、これまでの経験から、いやというほど知っているつもりだったが、「おおー、帰るぞッ。なんぼだァ」
と、会計をせきたてた。ホステスが、
「あらッ、○千円になってるわー」
と、確か六千円くらいだったと思う。三十年も前の昔のことだ。
「なにッ、○千円だとーッ。うぬー、馬鹿にしやがってッ……」
と、唸りを発する。ポケットに手を入れ、つまみ出した金は、五〇〇円そこそこよりなかった。そこで、ますますカッカッとくる。注文をしないビール壜がゴロゴロ空になって、頼みもしていないオードブルも食い散らして、残飯みたいになってテーブルに散らばっている。店の中は、薄暗いから誰がいるかもよくわからない中で、
「おーいッ、マスターを出せッ、マスターをッ……」
と、少々興奮して、そこに出た支配人と、ひとつ、ふたつと遣り取りしているうちに、今にも喰ってかからんばかりの威勢となってきたのだった。用心棒も駆け出してきた。もう頭の中はゴチャゴチャで、前後の見境いもなくなっていたが、内心、
「こりゃいかんぞッ。一人二人の喧嘩ですまなくなるぞッ」
と、不思議なもので、泥酔の状態でよくも知恵がめぐったものである。ここでやれば百年目、高い塀の内側での生き様となる。ここは、なんとかしなければならないと、「おおー、オレは今五〇〇円そこそこの金しかねいが、これからいっしょに来てくれッ」
と、飯場に帰って支払いをつけるからとは言ったものの、もうこの時間になっては、飯場どころの話ではない。……とふたたび、ひらめいたことがあった。「お巡りさんから金を借りよう……」と思ったのである。そして、男の者たちを警察へと案内した。
「あのー、まことにすまないが、○千円を貸してくれませんか」
と、こうこう、これこれのところに働く者で、これだけを飲んで、支払いのことでもめたが、思い直して頼みに来たのだと、正直に申し述べたら、辻褄が合っていると思ったのか、
「よしッ、払ってやろうー」
と、その場は、お蔭様で、その良いお巡りさんのご厚意で一件落着の綱渡りとなった。当然、後日返済にあがった。今思えば、もしその時に、暴行でもやっていたら、今の自分はなかったことと思うと、ゾッとすることがある。
こうした出来事には、話の種に欠くことはないくらいあって、時は流れていった。
この当時はまだ、朝から酒がなくては生きられない、というようなアル中ではなく、そして、仕事も相変わらず熱の入れようである。
しかし、酒の乱れは、人生にマイナスを次々と積んでいくことになる。その積み重ねのツケが、一気にやってくるとも知らずに、「好きな酒をどうしてやめなきゃならんのかッ」「飲んでなぜ悪いかッ」と、頭の中は、理屈にもならない、あがきになっていた。そこには、恐ろしい〝地獄安定思考〟が定着していることも知らずに、悪い習慣、悪い因子を積み重ねていく。そして、心のガンは、着々と進行していた。
その埋立現場は、九州の親方の持分であったが、飯場での乱ちき騒ぎはなく、しばらくぶりで自宅に戻った。妻は、旅先でどのような生活があったかを知ることもなく、このたびの土方では、まあまあ心配をかけずに通した形だった。
帰ってからは、高校時代にアルバイトで働いたことのある商社を思い出し、就職を頼んでみることにした。そして、勤めたのが、その商社の営業だった。慣れないこととはいえ、肉体労働と異なり、とてもやり易い仕事であった。
お得意先に、連日人が変わったようにして訪問を重ねた。そのため、私の業績はグングンうなぎ上りになり、毎日トラック一台もの売り上げがあったことから、上司からも、新調の上下の背広をいただいたこともあった。
どうやら営業の仕事も板についてきて、心にいくばくかの余裕ができると同時に、酒乱の道の、誘惑の鐘が鳴り出していた。
営業は、お客との絡み合いだから、バーや、キャバレー、さらに、料理屋での接待が日毎に増えてくる。実績を上げれば、それなりに融通もきくし、ほどよく交際予算をまわしてもらうし、方便もあれこれ多く使うようになった。そして、好きな酒との絡みであるから、ついつい相手の機嫌ばかりをとってはおれない。そして紳士の仮面を脱いで、客三杯に手前八杯となってしまう。
この大酒飲みの評判は、短期間で定着し、会社持ち接待酒はエスカレートして、経理からもマークされ出してきた。こうして、またまた、大仕掛けの酒のワナにひっかかっていく。
悪性の因縁に押し流され、人格を奪い取られ、そして、酒に狂っていく〝心の老いた青年〟だった。そして、とうとう得意先から集金した小切手に血走った魔の眼が、キラリッと光った。
多くの金銭犯罪は、公人、私人の別なく横行するが、そんな悪度胸があるでもなく、一枚の小切手を手に、ふるえながらも酒の誘惑に負けてしまった。要領もない、ストレートの使い込み。良心の呵責も、酒毒のために応えないというお粗末さ。
その夜のこと、酒勢余って泥酔のまま、こっそり車を表へと引き出していた。二トントラックで突走る雪の中!!
正月も近い歳の暮れ。無免許で走る狂気の発想であった。天は、夜中に疾走する一台のトラックを見て、真っ赤に酔っぱらった一人の気違いに、ドカーンと一発、待ったをかけてきた。
大雪の午前二時頃であった。往来のない国道を、悪鬼の使者となり、雪煙りを上げて、田圃の中ヘスウーッと夢心地のまま落ちてしまった。大雪がクッション代わりとなって、あたかもレールの上の電車のように滑っていく。
「ありゃーッ、いけねぃー」
と、車庫に入った時のように、車を降りる。さて、どうしたらよいか、と、思案にもならない頭で、なぜか足だけが家に向いて進んでいく。歩くと三時間はかかる冷蔵庫のような深夜の雪道で、酔いはすっかり醒めてきた。正気を取り戻してくると、自分がしでかした事の重大さがわかってくる。「もういかん……」。帰る先が自宅ではなくなった。すっかり酔いが醒めた頃、私は駅に辿りついていたのだった。
「こりゃー、明日はまたニュースものだなぁ……」
と、今度は二度と家へ帰らぬ覚悟とも似た、泡のような心を、きしませた。
人間は、悪い習慣を自ら作り上げ、そして、その悪い心に打ちのめされていく。さらに、その腐った臭いを自ら避けるようにして、くだらないプライドが邪魔をする。そこでは、光のかけらも消え失せて、正しさの基準もなくなって逃げまどい、そして蓋をしようとする。自分本位のことしか頭にはないから、責任も人格もなくなってしまっていた。
まことに、哀れなるかな、無明の人生である。妻は、かつて母子心中未遂の時、夫の立ち直り一念に生きよう―と決心してから、まだそんなに経ってはいなかった。夫が飲んでおるのか、泊ってくるのかもしらないで、心配しながら疲れて寝てしまっていた頃だった。もう何の気力もないほどに飲み疲れた私は、どこへ行くともなく、朝一番の列車に、消えるようにして乗っていた。
どこまでも、どこまでも、何時間も、何時間も、トコトコ走る鈍行列車(各駅停車の汽車)の中で、
ガラスに映るは どこぞの者か
じいっとみつめる 吾れと我れ
何の因果で 世に出てきたか
泣くに泣かれぬ 身のさだめ
父を怨むか 誰うらむ
遠く吠えるか 汽笛の音
めぐる因果の 車輪のように
行くかいずこへ 酒恋い道中
©︎おりづる書房