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酒乱
米の生命いのちが生きるまで

 

 

  目次

 

序 心の目覚め

 

地獄期

 

酒乱の断末魔

自然界がさとす〝生命いのちの声〟

母の生い立ちと因果の流れ

酒精に呑まれた父

墓の塔婆木とうばぎに化けた魚代金

天に詫びる母

不思議な因縁の組み合わせ

頭上を飛ぶ御鉢

酒乱因子の吹きだまり

慈愛一路で生きた母の最期

母の心残り

目覚めなき、父の最期

酒飲みの血統に向けた神の矢

酒害因子の開花

酒乱人生の開幕

母子心中を超越した〝妻の一念〟

天の啓示に生きる妻

妻子を残して土方三昧

真っ赤に走る一台のトラック

お上り乞食の一夜の浅草

難行苦行の人あれど

久しく燃える酒乱の炎

守護の窓口となった妻と自然律(悪は、この世の仮りの姿)

息詰まる死の恐怖

泊められない宿

酒乱と嫉妬の協奏曲

神の絵図面を歩く夫

噴火口に真っ逆さまの霊夢

神のお膳立て、四十五歳計画

天馬のごとし女神の妻

神と魔の対決

澄みわたる妻と錯乱の夫

妻の〝心き〟(Tさんと日光のサル軍団)

酒乱の先祖おろし

一心同体、生命いのち運命さだめ

千日悲願(米の生命が生きるまで)

神技一瞬、〝やいばに変わる水杓〟ひしゃく

神が手向たむけた女の魔神

 

黎明れいめい

 

地獄に降ろされた御神火

酒乱童子の成仏

心霊へのいざない(死後に残る津波の恐怖)

人間改造への突入

七羽のカラスに襲われたガタガタの体

酒乱の因縁と闘う自己解体

妻との葛藤

浄土へ向けての過渡期

酒乱成仏、息子に残してなるものか

米は、いのちの光

生命いのち

輝け、人生の扉開き

 

むすび

 

 

 

 

 

 

お上り乞食の一夜の浅草

 

 薄汚れて、ツヤのかけらもなくなったゴムの長靴をはいて、会社のマーク入りジャンパーを重ね、上野駅へと吸い込まれていった。東京には全くの不案内である。それでも、話で知っていた浅草観音へと、尋ね尋ねながらたどりついた。もう、その頃は、夢遊病者のようだった。

 そして、夜の都は、ネオンまたたく男の天国。地方から出てきた〝おのぼりさん〟であることは、誰にも一目でわかる。どうみても、だらしのない姿であるし、顔には、精気がほとんどなくなっていて、二日酔いの苦痛ばかりが残ってはいるし、空腹でもある、情けない姿だった。

 なにかしらの銭は残っていたが、それを数える指先は、かすかにふるえていた。

 冬の東京は、肌を刺すような冷たさで、かえって田舎よりも厳しく感じられた。

「よしッ、死ぬまで自分だッ。野垂のたれ死ぬも年貢の納め時だッ。それーッ、一丁いくかッ」

と、急に元気を取り戻し、浅草六区のあるキャバレーに入った。用心棒も、「パッとしない奴だ」とばかりに、横眼でキラリッと睨みをきかせたが、その瞬間、

「やッ……いらっしゃい。ハイッ、お一人様ーッ」

と、奥へ通されてみれば、中はほどよく暗く、一番右奥の席へと案内された。一名様だからホステスが左に座って、「いらっしゃいませ。あらッ、初めてのお客様ですねェ……」とても信頼のおけそうな女だった。そして、一、二杯と気持を安らげると、自分の無様ぶざまさの一切を打ち明けてしまった。そうしたらすぐに彼女から反応が返ってきた。

「あらッ、あなた東北の方……私も東北なのッ。わけがあって、身をかえ、ここで働いているけど……、ここにくるまでは学校の先生でしたわァー」

と、何のためらいもなく打明けてくれた。そのせいか私は、もう何年来もの上客振りに変身した気易さで、気分を盛り上げていく。そして、こっちの素性も知った彼女は、

「あらッ、それは大変ネー。私の知り合いの社長さんに連絡してあげるから、お会いしてくださいね。私の紹介なら、なんとか通ると思うわ」

と、とてもただの親切からではない。人の心の縮図をよく知っておられた女の人であった。

「願ってもないことです。ぜひよろしくッ」

とは言ってみたものの、それから、何がどうなったのか、紹介された社長のことも、ホステスとどう別れたのか、また、そこの支払いがどうなったのかもわからぬ状態で、そのキャバレーを出ていた。

 翌日、浅草六区街をふらつきながら、まず住込みで働けるところを探すことにした。新聞を買って、懸命に求人欄に目を通した。

「あッ、ここにするかッ」

と、ある会社に、目が止まった。

 これほどの生き様にあっても、なぜか、不思議と悲壮感も湧いてこない自分だが、どこかで恐ろしい地獄が口を開けて待っていたに違いない。しかし、その真暗闇の中でさえ、一点の光明を追い求める、手探りのような気持が働いていた。

「今度こそは、故郷に錦を飾ってやるさッ。見ておれッ、今に、きっと……」

と、誰に言うともなく、心の中でうめいていた。

 

 

 

 

 

 

難行苦行の人あれど

 

 一方、妻のほうでは、二日目にして、雪の中から発見されたトラックのこと、使い込んだ金のことで、詰責きっせきを受けていた。当の夫は、行方不明で、雲を摑むような有り様だから、ただただ恐縮と不安の中で過ごしていた。会社側は、前代未聞の事件で、金を返済しなければ警察に届ける、と、きっぱり言い渡してきた。妻は、「それだけは勘弁してください」と、なけなしの遣り繰りをして、弁償することを約束して、どうやら、そのことだけは内々にしてもらったようだ。

 妻は、夫は必ず帰ってくると信じながらも、当座の返済には頭を痛め、洋裁で得た銭を遣り繰りしながら、返済をしていた。夫の消息不明の中で、またまた息詰まる日々を生きなければならないとは、なんと厳しい因縁なのか……。

 今、こうして、魂の入れ替えに生命いのちをかけながらも、書き綴っていても、心苦しい筆運びである。

 母が、父にかけた慈愛一路を継いで、妻は、母子心中の迷いを脱して、夫を立ち直らすことの一念を決意したという。そして、いかなる条件の中でも、明るく展開する真心の道を貫き通したのだった。

 話は、もっと後のことだが、妻は沈黙世界から響いてくる、生命いのちの波動を文字に綴って久しい。彼女の〝いただいた心〟を、名刺に刷って、縁ある人々に渡していた。今それを、私の『酒乱人生・浅草以降』を書く前に紹介しておきたい。

 

難行・苦行 人あれど

我が心開きも 難行苦行

人の心を 借りて出る

人の心の 打ち勝つ泉(文字よ)

守りの世界の 尊き言葉に 頭さがる(亡き心のつなぐ文字となる)

粗末な人生 送るなと―

神の心は 伝えたき(夫へ)

険しき日々 過ぎし時

涙で見守り 強くして

幸せ道へと 進む姿なり

 

 誰一人として理解できなかった妻の世界を、力強く支え、守ってくれたのは、自然界の生命波動であった。

「声となり、言葉となって生き通う、生命いのちの愛」

人間的自我の一切ない、浄め上げられた自然界。

「そこには、万物を、生かして、生かして、生かし続ける愛しかない」

 この生命世界には、人間界のような、他を殺し、争い、奪い、傷つけ合う心はない。特に、米をはじめとして、食物一切は一時も休みなく、人間を生かし続けてくれる生命たちである。これは、どんな知性をもってきても不滅の真理である。

 妻は、この食物(人類以前の生命たち)の心に通じたのが、最初の光明だった。どんな辛い、苦しい思いも、感謝、喜びに重ねて、生きねばならぬ日々の中、恐ろしい地獄酒の夫にも、神の光の輝く日がやってきた。

「酒を憎んではなりませんよッ。酒は、浄め上げられて、神に捧げるお神酒みきとなり、また、酒は米の生命でもある。汚れが一点もない米の精と酒の精。このような酒を飲んだ夫の心には、必ず、その愛が生きる日が、やってくる。その日は、必ずやってくる」

と、生命の奥深い世界からさとされたのだった。

「ハッ……」と思った妻は、そのさとしが真実であることを、断酒当日にまざまざと見せつけられた。

 夫の生命いのちに、米の生命いのちが生きたその日のことである。

 前後不覚の状態で自家用車を乗りまわす泥酔運転となった。ところが、路上に停車していた乗用車に引き寄せられるごとく激突したのであった。その自動車のナンバーは、〝888〟であった。

 妻は、その夜のことを次のように説明した。

「米の生命(心=ひびき)と、私の愛が生きたのです。お父さんを正常な人間に引き戻すため、必死に守ったのです。

 米の生命はこの世の数字に生きて示しているのです。米は〝八十八(88)〟と、数の生命になります。そして私は、八日生まれの〝8〟の数です。

 米の愛(調和力)と、私の一心の守りが生きたのです。本当に〝888〟という車は神様です。

 数字は、単に数と思ってはなりません。沈黙世界の心が、この世の数字のいのち(ひびき)に生きて、活躍していることを知らねばなりません」

こう言って涙ぐむのであった。

 米の生命、そして酒の生命は、調和のひびきでさとしつづけてきた。そして、妻の一念の守りとさとしは、〝888〟という数の魂となって現実化したのであった。それは米の〝生命が生きた〟のであり、妻の守り一念の心が生きたのである。

 沈黙世界と融合一体となった妻には、人智では計りしれない、神秘現象が、日常よく起こった。現実世界の〝文字、数、色〟といったことに、見えない、黙した生命が融合して、永遠の生命の流れを証してくれる、この現象は、学問的には〝共時性現象〟と呼ばれているようなのである。

 自然界のいろいろな心(宇宙心霊)、そして、亡き人霊からも、妻を通して、生きて〝師〟となる喜びが伝えられてくる。

 私が、酒乱から救われたのも、妻を通して〝心の光〟に、米の生命が生きたからであったと思う。

 こうして、沈黙世界の心ごころが、妻の、生命の光と融合するまでの苦労と、亡き人たちの〝心ごころ〟が、妻の、心の光に通い、結ばれるまでの険しかった道程と、さらに、この声なき声の心ごころ(生命の響き)が、妻の命を通して、この世の、文字に生き、数に生き、色に生きる、までの歳月こそ、生死を超越した、難行苦行の心開きであった。

(植物の心―意識反応―の存在は、三上晃著『植物は語る』、その他によって、科学的にも証明されている)

 

「生命の守り」

 

声なき声の いのちの叫び

亡き人々の 声と声

食べるいのちの 声と声

花一輪の 声と声

自然を流るる 全いのち

みんな師となる 守り声

人の心の 正しきを

いのちの尊さ 学びあれ

人のいのちの 米たちも

みんな師となる 守り声

人の心の 正さむに

いのちの愛を 学びあれ

磨きぬかれた 酒いのち

みんな師となる 守り声

人の心よ 浄めあれ

いのちの喜び 学びあれ

今日を生かさむ 食物に

耳をかたむけ 今一度

正しく生きれや 人ごころ

いのちの愛に 目覚めあれ

愛一念に 目覚めあれ

人を育てる 米一同

知って生きるは 人の道

知って学ぶは 人の道

いのちの原点 ここにあり

 

 

 

 

 

 

久しく燃える酒乱の炎

 

 さて、話を浅草六区にもどして続けていく。

「あッ、この会社に話をつけてみるかッ」

と、連絡をとった。住込みであるということはなによりだった。ただ働きでよいから、住む所があって、食っていけるなら、と、不案内な都内だったが、どうやらそこへ行くことができた。

「新聞を見て、先ほど、電話いたしました菅原です」

と、挨拶をする。

「あーッ、ご苦労さん。今、少しお待ちください。どうぞ、こちらで、お待ちください」

と、応接間に通された時は、長靴姿の風来坊だった。年齢以上に年寄りじみた田舎者と、一見してわかる。心の中で「なんとか使ってください」と念じていると、

「やあー、どうも、僕が社長です」

と、社長自らの面接だった。「どちらからおいでになったのか」と尋ねられ、「山形から、いろいろの事情があって出てまいりました」と答えたが、社長に少々不審感を持たせたかと思い、

「養子のために、家族との折り合いが悪く、上京して、なんとか、新しい区切りをと思って……」

と、語尾が濁ってしまった。甘えと、依頼心という性格から出てくる言葉は、相手には、人懐っこく、正直で、真面目な感じを与えたようだった。

「そうですか。ウチはネー、北海道、秋田、山形、長野、長崎など、全国から働きにきてもらっている。特に、東北には縁が深いです。僕も、若い頃、あまり若気が過ぎて、東北へ島流しされたことがありましたよ」

 社長は、若い頃、教師をしていたようである。そして、三代も続く江戸ッ子だったから、その元気のほどがよくわかった。山形には、特に郷愁にも似た思い出が多いという話を伺うことができ、不思議な巡り合わせであった。

 話は、トントン拍子に進んで、その日から、会社の寄宿舎に寝起きさせてもらうことになった。早速、翌日からの作業の割り振りを受けた。「よしッ、一丁やるかッ」。仕事には、自分なりに自信があった。ダム工事の経験、危険な海中作業の体験など、腕力と努力は、お手のものとばかり、二日、三日と日を重ねた。

 この仕事に没頭した間は、酒の涙は出てこなかった。少々飲んでも、行儀のよい晩酌程度で済ました。みんなといっしょの食事がすんで、自由になる時間の少ない中で、ちょいと表へ出て、グイッと一杯、食道をうるおすのだった。

「ここで、失敗しくじっては、もうーおしめいだッ」

と、心に言い聞かせながらの、ビル現場の仕事だった。ここの会社は、ビルの補修と新規工事を主力の事業とする技術屋で、フル回転の繁盛ぶりだった。社長が創意・発明した諸材料、諸施工法、その他の学術的理論を武器に、業界の先頭に立っていた。この社長との縁が、私の人生の一大転機となって、郷里に錦を飾ることができ、経済基盤を固める発端ともなった。

 だが、このように充実した日々であっても、私の酒は、ただ黙って眠っているわけではなかった。生命いのちの奥深く巣喰った、地獄の亡者どもが、ほどよきを見すかして、一気に躍り出ようとして、悪魔の嫉妬が、またまた始まり出そうとするのだった。

 ここで私は、事件に次ぐ失態を、もう一度やってしまったら第一巻も、二巻も終りになってしまうと、「ここが正念場」とばかり、心を締めるのだった。一念奮起、そして、錦を飾っての里帰りを夢見る気持が、自制心となって、悪魔の思うままに、させなかった。

 悪い因縁は、一分の隙を見て燃え上がろうとする魔性の地獄火だ。その本質は、執念深き、底なし沼である。

 そうこうしているうちに二、三カ月が過ぎ、仕事に熱中していたことで、雑念が消えそうになっていたが、どうしても悪い因縁に狙い射ちをされる日がやってきてしまった。

 またまた、私の生活が一瞬にして崩れた地獄火の勝利の日、私は、いくらか疲れ気味となって、なにやら、えもしれない薄雲に覆われていた。なんであるのかは、わからない。なにも思い当たることもなかった。だが、無性に酒が飲みたい、たらふく酒が飲みたい。飲んで飲んで、飲みまくりたいッ、衝動にかられた。

「どうしたッ、なんだというのかッ、体の中で、なにが起きたというのかッ」

 私は、同僚のほうにかけよっていた。

「井村さん(仮名)、オレに金を貸してくれないかァ」

とにかく、飲む金が欲しいのである。

「次の給料まで、どうか貸してくれーッ」

と、泣き込むばかりにして、いくらかの銭を手にした私は、表の本局通りへと躍り出た。そして、行きつけの店で、一、二杯あおり立て、後は、どこでも関係なく、酒のあるところであれば、商売でもない家庭へでも、頼み込むくらいの勢いだ。これまでの我慢が、なんだったのかわからぬ。突然闇雲にそうなるのだから、全く始末におえないのだ。とうとう門限の十時どころか、午前様となって、息を殺してコソ泥のように、泥酔天使のお帰りとなる。

 それから、どれほど過ぎたろうか。ヤケに腰のあたりが熱くなってきた。あまりの熱さに、さすがの泥酔も醒めてしまった。

「あッ、こりゃなんだッ……。エィーッ」

と、生命いのちが縮んでしまうほど、びっくり仰天!!

 二燭光の明るさの中で、布団をめくる間もなく、煙と臭いが鼻をつく。腰の辺が、メラメラ燃えていて火の海になろうとしていた。ガッポと起きて、誰かを呼ぶ間もなく、敷布団を叩いたり、踏んづけたり、大騒ぎとなった。

 同僚も、これは何事かと思ったろうが、事の事情を察して、大慌てで消火作業をするのだった。

 布団は焼け崩れて、畳に突き刺さった火の呪い。綿についた火は、なかなか面倒千万。懸命の消火で、長くはかからず鎮めることができたが、息は絶え絶え、酔いも忘れ、ただ茫然となって、

「とうとう、やっちまったー」

 翌日まで、二日酔いと、火事騒ぎの狼狽で、一気に傷心している己の姿は、まるで魔性につかれた、だらしのない塊みたいになっていた。

 夢と希望をかけた今の仕事の中で、因果の流れが、一分の隙間を見つけて、息を吹きかえしてしまった。また、惨敗である。「クソーッ」。泣くに泣けず、生命 いのち にこびりついて離れない黒い心。魂の底まで、傷つき病んでしまっている酒乱の因縁。

 その夜のことは、部屋が二階だったことと、同僚たちがかばってくれたこともあって、穏便に済ますことができた。だが、二日酔いはおろか、三日酔いにもなって、フテ腐れかけていたところを、社長はジッと見ていたのだった。火事のことはわからぬまでも、私の所在を知らせたことで、妻から、酒乱のことを知ることになり、

「どうか菅原よ、飲んでくれるな毒の酒を……。酒を飲まないお前は言うことがない。どうか心してやってくれッ」

と。社長の胸中がどうして当時の自分に通じたのか。

「菅原ッ、二日酔いで仕事を休むのは、よくないことだ、わかるだろッ。酒をやめられないのか……」

と。ところが私は、言うことにも事かいて、

「体がいうこときかないんです。体が要求するのです」 

と、そり返って答える始末。まだ、アルコールの毒が、全身の中を威勢よく駆け回っていた。

「体が要求するとは、うまいことを言うもんだッ」

 社長は、ポツリ一言、残して出ていった。初めて露見した酒乱の有様にも、日頃の仕事ぶりが帳尻を合わせたかのようにして、ここはこれで過ぎてゆく。

 

 

 

 

 

 

守護の窓口となった妻と自然律(悪は、この世の仮りの姿)

 

 あの火事の発見が、もう少し遅かったなら、大惨事になったと思うと、なぜか、私の今日ある、ゴールの灯明が輝いていたのかもしれない。勝手な想像をと思うだろうが、そこに、見えざるなにかが動いていたようにも思える。

 その橋を渡り終えるとその橋が落ち、その次の橋を渡り終えると、また、その橋が落ちていく。この時、もし大惨事になっていたなら、執行猶予が、声を立てて躍りあがって喜んだことだろう。波乱の止め金だったが、そこを、どんな神様が守ってくれたのか、どんな仏様が守ってくれたのか、その護りの窓口が、〝妻の真心の一念〟だったように思える。

 その頃、妻には、親戚たちが詰め寄ってきていた。残された家族を見るに忍びなく、「離婚しなさいッ」と詰め寄られていたが、妻は、一念、夫を立て直すとの決意は固く、「夫婦の縁を粗末にするなッ」と、決して動かなかった。

 この心の奥には、どれほどの悔しさと、憎しみと、愛が、グチャグチャ揉み合い、砕け合っていたことだろうか。妻の口から、そうしたグチめいた言葉を聞いたことはなかったが……。それをよいことにしてか、心に入れてか、入れずにか、私は、泥棒にも三分の理ありとばかり、「ああでもない、こうでもない」と言い返していた。正邪善悪が麻痺する酒乱、薬物中毒患者は少々の不祥事について、本人には責任感が全くなくなっている。意識がぼけて、心神耗弱状態なのだから、やむをえないことだ。自意識がはっきりしていて、自分がなにをやっているのか、いいのか、悪いのか、思慮分別がわかるようならば、馬鹿な真似はできない。すべて、意識の埒外らちがいの出来事として、罪悪感が湧いてこないのが、厄介なアルコール性痴呆症なのである。せめても、せめても、取りつく島がないのだから、始末におえない。

 平常心で、酒と付き合える人たちには、はるかな、くだらない人たちと思えるだろう。だが、人間の進化の中で、今日までの遠い道程で、生活の友として、飲み続いているいとしき酒を、祖先の誰かが、道を少しずつはずしてきたことは、明白な事実だろう。

 こうした生命いのちが、子々孫々へと伝わる中で、きちんと飲める人と、乱れてしまう人とに分かれてしまった。そうして、時代を経て、〝悪い酒〟のほうの人が、遺伝子性の申し送りとなって、肉体的、精神的に、酒乱の素養が成長することになったようだ。

 そのため、心の習慣と肉体の習慣を、日々、粗末にできない理由が、生命いのちの裂けるほど、わかってくる。そして子孫のどこかで、必ず目覚めなくてなんとするか!!

 この永々と続いた悪習慣は、自分の過去だけのものなのか、あるいは、両親の代からのものなのか、さらに、それよりも、もっともっと先の時代にまで遡るのかは、人それぞれに異なっている。

 ただ、ここではっきりしていることは、子孫の誰かが、この先祖ぐるみの悪習慣を断ち切らなくてはならない。命がけで、生命に恥じない人間性を取り戻さなくてはいけないのである。

 そのためにも、単に人間的自我というくらいでは到底太刀打ちができない。自然界の愛が窓口にならなくては、汚れ切って、軟弱化した人間の心を、浄めることはできないだろう。

 人間発生前の、生命いのちの愛に戻って、我々を、

「生かして、生かして、生かし続ける愛の力」

を借りなければ、人間は改心できない。

 すべての宗教を超えて、生命の愛に目覚めなくては、心の汚れは浄められない。私に潜んだ、酒乱で汚れ切った心は、妻の真心の一念で、生命の愛に目覚めさせてくれたのだった。米と酒の生命が、妻の生命の光を通して、私の心の中で生き返ったのである。

 このことは、とても理解に苦しむこと、あるいは、低俗なことだと言われるかもしれない。だが、今、本当に、自分が迷っている時、そこから目覚めるためには、高尚な精神論や、宗教論で救われるだろうか。

 少なくとも、酒乱の人生から自分を目覚めさせてくれたものは、ただの主婦である妻の守りのお蔭だった。一念の真心(愛)は、人間的自我(煩悩的自我)を超えた愛の心となり、私の汚れた心を浄めてくれた。

 この妻の愛は、あまりに当たり前過ぎて、かえって説明に苦しむところだが、それは、人間的、都合的、犠牲的な愛ではない。また、男女の愛、親子の愛とも違う。それでは、どういう愛なのか。一口で言うなら、生かし続ける沈黙の愛だと、言える。また、宇宙心霊(生命界の心)が、妻の生命にがっちりと生きたのだと思われる。

 妻が、よく言う言葉に、

「人間以前の食物たちの生命(心)に戻らないと、人は成仏できない。人霊の活躍は、まだ自我がある。人間以前の生命の愛がないと成仏できない」

と、いうことがある。

 このことを知るためには、まず、毎日の食事に心を向けるがよい。食べることによって、生きることができるのは、当たり前のことだ。

 もの言わぬ米を食べ、そして、野菜、魚、その他一切の食物を食べて、こうして、自分の心が生まれ、が生まれ、言葉が生まれ、走り回り、今日を生きる人間。この、生かす力(愛)しかない食物たちと、融合一体となって、その尊い声なき心を受けることができる。酒乱の夫と過ごす尊い人生、三十三年の中で、人間を諭し続ける生命界の心と、通じ、結ばれ、生きた。そこには、いかなる理論の余地もない。

 そこにあるものは、丸裸の透き通った光だけの生命いのちしかない。そして、黙する生命の光の受け皿となった妻。しいて言うなら、沈黙の心々の世界から見たなら、灯台の光のような妻を見ているようなものであった。

 だから、米の生命は、妻の生命の光を見て、心を寄せる。酒の生命も寄ってくる。酒の心は、妻を通して叫ぶ。

「喜び、安らぎで飲むんだよッ。浄まりの生命いのちだよッ。神に捧げる生命だよッ。汚すのは、人の心だぞッ」

 また、米の心は言うだろう。

「米寿の祝いとなる生命だよッ。八十八(88)の数にも、生きられる生命だよッ。磨き抜いて、御神酒にもなる生命だよッ。生命を汚してはならないよッ……」

と、人の体の中から叫んでいるだろうし、米、酒、食物一切、また、自然界の心々、そして、人霊の心々たちも、人の世のために、代弁してくれる妻の生命に寄ってくる。となって、文字に生きて、に生きて、に生きて、寄ってくる。そして、見えざる生命の世界の心々を、人々に伝えていただく喜びが、こちらにも感じられる。

 天地の生命の愛で生かされる人間界は、必ず、一人一人の生命の中から、目覚めさせられるであろう。そして、妻の守りは、沈黙世界の、見えざる、生かし続ける愛、その愛そのものの守り姿であった。

 だから、米の生命も、酒の生命も、私の生命の中で、力強く生きた。

 まず、心の突破口は、食物たちや、自然界の生かし続ける生命の愛を、自分の心で、ガッチリと感じられるようになれば、不調和な人生から、目覚めることが早まると思う。概念としての知識だけでは、むしろ、混乱が生ずるから注意しなければならない。

 こういう、生命の原点に、真心から感謝できる心(愛)が目覚めたなら、自らを救うことが必ずできる。

 不調和な心(悪性)は、目覚めなき迷いの心だから、悪はこの世の仮りの姿だと言える。

 

妻を介する 神力かみぢから

今ぞ晴れての 人の道

断って立ちゆく 酒の道

いのちの原点 目覚めゆく

 

 

 

 

          10 11 12 13

 

 

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