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酒乱
米の生命いのちが生きるまで

 

 

 

序 心の目覚め

 

 酒乱地獄二十八年から目覚めた自分。目覚めることのいかに、素晴らしいことか。

 今までの自分の、不調和な生き方から、本当に目覚めた時、生命いのちの中から、喜びが湧いてくる。

 その喜びは、生かし続けた、米の生命いのち(愛)の喜びであり、透明な光となった、清酒さけ生命いのちの喜びであり、食物一切の、生命いのちたちの喜びである。

 さらに、自然界の、生命いのちたちの喜びでもある。

 人となった、その生命いのちたちは、真理(調和)の中で、生かさねばならぬと、祈り願った、愛の喜びである。

 酒の生命いのちに、目覚めることは、素晴らしいことだ。

 酒乱人生を通して、五十八歳にして目覚めた自分。

 死よりも強き力(生命)の中で守った妻。

 自然界の心を生かされた妻の愛。

 限りなき、生命いのちの愛に感謝したい。

 

いのちの守り(いのちの原点)

 

日々に苦しむ 夫の酒乱

妻の苦しみ 見いかねて

亡き人々も 立ち上がり

米一同も 立ち上がり

酒一同も 立ち上がり

自然のいのちも 立ち上がり

天地の愛が 立ち上がり

妻よしっかり しなはれと

いのち一同の 守り声

守りの声は 文字となり

いのちの愛が 文字となり

夫の中で 生き通う

生きて通わす 断酒の日まで

働き続ける 米の精

働き続ける 酒の精

働き続ける 自然界

守りの力 重なりて

妻はここまで 生きてきた

感謝の喜び 胸一杯

米のいのちよ ありがとう

酒のいのちよ ありがとう

食べるいのちよ ありがとう

天地の愛よ ありがとう

やっと目覚める 我がいのち

天下晴れての 人の道

いのちの原点 ここにあり

 

 

 

 

 

  目次

 

序 心の目覚め

 

地獄期

 

酒乱の断末魔

自然界がさとす〝生命いのちの声〟

母の生い立ちと因果の流れ

酒精に呑まれた父

墓の塔婆木とうばぎに化けた魚代金

天に詫びる母

不思議な因縁の組み合わせ

頭上を飛ぶ御鉢

酒乱因子の吹きだまり

慈愛一路で生きた母の最期

母の心残り

目覚めなき、父の最期

酒飲みの血統に向けた神の矢

酒害因子の開花

酒乱人生の開幕

母子心中を超越した〝妻の一念〟

天の啓示に生きる妻

妻子を残して土方三昧

真っ赤に走る一台のトラック

お上り乞食の一夜の浅草

難行苦行の人あれど

久しく燃える酒乱の炎

守護の窓口となった妻と自然律(悪は、この世の仮りの姿)

息詰まる死の恐怖

泊められない宿

酒乱と嫉妬の協奏曲

神の絵図面を歩く夫

噴火口に真っ逆さまの霊夢

神のお膳立て、四十五歳計画

天馬のごとし女神の妻

神と魔の対決

澄みわたる妻と錯乱の夫

妻の〝心き〟(Tさんと日光のサル軍団)

酒乱の先祖おろし

一心同体、生命いのち運命さだめ

千日悲願(米の生命が生きるまで)

神技一瞬、〝やいばに変わる水杓〟ひしゃく

神が手向たむけた女の魔神

 

黎明れいめい

 

地獄に降ろされた御神火

酒乱童子の成仏

心霊へのいざない(死後に残る津波の恐怖)

人間改造への突入

七羽のカラスに襲われたガタガタの体

酒乱の因縁と闘う自己解体

妻との葛藤

浄土へ向けての過渡期

酒乱成仏、息子に残してなるものか

米は、いのちの光

生命いのち

輝け、人生の扉開き

 

むすび

 

 

 

 

酒乱の断末魔

 

 平成の世も近い、ある年の初夏を迎え、日射しも次第に輝きを増してきた日々のこと、私は、車庫の下屋で一心不乱、開発作業に手を染めていた。

「これでもいかんな」「こうでもいかん」と、まるで狂ったように試行錯誤を続けながら、世間を遮断しての作業である。この一念の思いは異常なまでになってくる。だが、そこにはひとつの隠れみのがあったわけで、一種の自己逃避であった。

 この開発作業も、片手に酒のワンカップを持ち、もう一方の手にはヘラやハンマーやいろいろの道具を持ちながらのことであった。

 一時も手放すことのできないこの友は、私にとって生涯唯一の正直者でもあったようだ。

 酒を飲めば、全身から次第に意志の力は消えてゆくし、自分を取り巻く経営のこと、仕事のこと、妻や家族、その他一切合財のストレス性心労を消してくれるものであった。

 人を信ずることができなくなって、さらに、自信の消えてゆく時間の中で、この開発作業と酒こそ唯一の相棒であり、真の信頼関係にあった。

 ところが、時間の経過の中でこの酒との信頼関係も、こっちの一方的な都合で、そのリズムは崩れていった。作業の手も、ほとんど酒の缶にしか向かなくなっていき、全身麻酔は極度に深まり、思考がほとんど自分のものではなくなり、全身は自動操縦の状況へと変わっていった。

 心のブレーキも全くだめになって、心の操作は、日頃ひた隠しに隠れていた深いうっ積の心が支配するような状態になってきていた。

「あいつめッ! 今に見ておれッ」

と、見えざる奥座敷の心が、悲痛の思いで叫びだす。このような心を一体誰が制止することができるのか。もちろん、自分以外の誰もできない。それなのに肝心の自分は、すっかりメロメロ気分になっていて、全くの用立たずである。

 殺したいほどに思いつめていた日頃の不満が、ついに爆発することになった。やにわに腰のベルトに差し込んだ道具は、人を刺すにしてはあまりに奇妙なものばかりだ。だが、酔っぱらいの狂気は、その瞬間においては大真面目で、差し込んだ道具というのは、千枚通し、ハンマー、ドライバー、バリといった作業用の道具ばかりだった。

 本当に、人をるのなら、ノミ一丁くらいでいいものに、何の迷いなのか、色とりどりだ。

「……なにッ、ようしッ、これからお前を殺しにゆくッ、おぼえておれッ」

と相手に電話をかけた受話器をガチャッと置いて、今度は、タクシーに電話をかけ、すっぱと車に乗って飛び出した。

 どうしたことか、入り口の引き戸にはカギがかかっていない。扉はがっちりと締められていて当たり前なのに、そうじゃない。こっちも、用意周到というような観念のかけらもないから、そのままドドッーと中に入っていって、

「オイッ、おるかッー」

と言うが早いか、忍者のような者たち四、五人に取り囲まれて、がんじがらめの金縛りにされてしまった。待ち構えていた刑事たちだった。その場で現行犯として逮捕され、本署に連行されてしまった。腰に差し込んでいた諸道具は凶器として没収された。

 酒乱の断末魔は、その、限り知らぬひとり歩きを続けていた。ここで、人一人をることなく、無念の心もどこへやら、連行の道すがらの仔細も記憶にはなく、翌朝、目醒めざめるまでの一切が、かすみの中へと消えていた。ただ薄ぼんやりと残る記憶は、留置場に放り込まれるまでの取り調べの中で、何やらわめき続けていたことだけだった。

「おーいッ、菅原ッ、醒めたかッ、ゆうべは凄かったなーッ」

 私は無言のまま恐縮を通している。署内がいやにまぶしくて、何か、まともに室内を直視できないようだ。

 頭の中は早鐘を打っているごとくにガンガン痛みが残るし、全身ふらふら、足は言うことが利かなくなっている。だが、ありったけの緊張感で身をもたせていると、

「ここで待ってなさい」

と、指示があって、小さい取調室で待つことになった。椅子に腰を下ろして外を見た時、

「ああーたいへんなことをやっちまったなー、だが、らずに済んでよかった。でも今回は殺人未遂か傷害未遂で有罪になるかもしれん。これから仕事はどうすりゃいいのか、妻はどうしておるのか、テレビ、新聞も賑やかになっておることだろう……」

と、独り想いにふけって、二日酔いの苦痛もすっかりと忘れてしまっていた。また、こういう時には不思議と過去の事象が一気に脳裏をかすめて通り過ぎていくものである。

「俺の酒人生もこれで終わりだなー」

と、考えにふけっていた。

 取り調べのときになったら、二、三人の警察官が声をかけてきた。

「おーッ、菅原さんどうしたッ、やりましたなッ」

と、声をかけてくれたのは、知り合いのかたたちだった。署内には仕事上での知り合いの警察官が何人かいる。ゆうべ逮捕されたときにもおられたそうだ。

「何とか大目に見てくれるといいが……」

と思う半面、今まで酩酊上での経歴を数々持つ自分を振り返って、

「やはり今度という今度は往生しなきゃいかんかッ、そうだなーッ、仕事も家族も社会的にも、もう、これで終わりかーッ」

と、頭の中は、自問自答の連続だった。

 今度こそはッ! 今度こそはッ! と思いながらはや二十八年、妻の心を踏みにじってきた。これは、とりもなおさず自縄自縛の醜態ということである。こともあろうに、今回は女性問題で、えげつない争いとなり、見るも無残な、ぶざまな姿である。

 これで妻とは最後じゃないか、と考え込んでいたのである。その時、

「じゃッ、これからゆうべのことを聞かせてもらいますよッ。危ないところだったなーッ」

 それから二時間くらいの間、すべてを掘り起こされ、調書に拇印を押すことになった。

「酒をやめられねえじゃッ、病院に入ったらどうだッ。アルコール依存症!アル中ってやつだよ、酒乱ではねえー」

 取調官は、昨日は非番で、引き継いでの取調べだった。

 ここでも、二度とこうした迷惑をかけてはならぬ、と、固い覚悟をするのではなく、決して酒をやめるとは思わないから恐ろしい。アル中には常に甘い対処が待っていて、少々は大目に見てくれるのではないかと、そんな危険な考え方を持っている。取調べが進む中でも、そうした甘い心、自己中心的な心が、次第に頭を持ち上げてくるものだ。

 罪悪感ということは常に後回しであって、〝どうも悪かった〟という程度の形式的謝罪で終わってしまうことが往々であり、そこには血のにじむような決意は全くないと言い切れる。なぜなのか、それは自分をも欺いている無意識的悪心のせいであろう。

 取調べが終って、

「奥さんに、引取りに来るよう伝えてあります。それまで、ここにいてください」

と、指示された。

 時間が経つ中で、次第に湧き出てくるのは奴のことで、どうしても腹の虫がおさまりつかない。そのことを察してかどうか、妻が現れて引取りの手続きを終え、課長に挨拶をした時、

「お礼参りをやったら終わりだよッ、分かったなッ」

と、機先を制されて厳重注意をされたのだった。

「わかりました。どうも申し訳ありません。本当にありがとうございます」

と恐縮する私に、

「お前は今回限りとして表面に出さずに済ましたが、奥さんにはよくよく詫びるんだなッ」

と、申し添えられた。〝いやー助かったッ〟と、生きていく上での安全弁を利かしてもらったことで、一息ついたのだった。起訴猶予になったことで、後々、再起への大きな足がかりができた。

 事件の夜、刑事に逮捕され、連行された後、妻は奴から電話を受けたという。

「お宅の旦那は、今、逮捕されて警察に連れて行かれたよッー。明日のテレビ、新聞はいっせいにトップに出るぞッ……」と……。

 今は既に感謝する心になった。刑事たちの守りで、未然に重罪を犯すことなくすんだからである。妻はその電話で、開発作業に没頭していたはずの夫が、とんでもない事件を犯したことを知ったのである。

 心臓のタガがはずれたかのように踊り上がったことであろうし、女のことで馬鹿馬鹿しいとも思ったであろう。悔しさも入りまじり、酒乱の限りを尽くされても添った二十八年が、一瞬に通り抜けた思いであったはずだ。

 一心に「普通の酒飲みの夫であってほしいッ」、「酒をやめてほしいッ」と、一日も安まる心とてない生活であったことと思う。

 酒は、裏切りをしないと飲めるものではない。癖の悪い酒飲みは、どんなにしてもうそを先行させ、妻をたぶらかして飲む。ことあるごとに、

 断酒を誓い、禁酒を誓い、紙に書き、壁に貼り、実印を押し……。

 そして、二、三日のよい子を見せながらも、頭の中は酒瓶で一杯であった。そして、二十八年の泥沼の中で、悪あがきで、もがきながら、妻を裏切り、家庭を地獄に落とし、近隣や歩く人々に物損、暴力の限りを尽し、今度は、評判悪くしちゃ終わりとばかり、馬鹿のようになって仕事に熱中する。これが酒乱偽装の実態だった。酒乱の帳消しのためにはたらく人生ともいえる。

 最後の十年間くらいは、いよいよ拍車に拍車がかかり、狂気と化して過ぎた。このエスカレートし、やむことを知らぬ暴挙に、いくら仕事熱心に火消をしようが、ついに、刀折れ、矢尽きる結果となってしまった。

 かたや、信頼される〝昼の顔〞、かたや、非人間と化する〝夜の顔〟にさいなまれた五十二歳までの乱行であった。

 この狂気の酒と心中した一人の男に、悲願をかけて更生させた二人の女が付き添っていてくれた。それは、母と妻である。

 母は七十六歳までの生涯を、父の酒乱と共に生き、愛情一筋に尽くしながら、医者の手を煩わすこともなく、胃がんで青紫になりながらこの世を去った。肉体を脱ぐまでの母は、不平不満や、愚痴の一言もこぼさず、父に尽くしたのだった。

 また、妻は因果の生命いのちの流れも知らずに、品行方正な夫になるべき私を信頼してきてくれた。そして、結ばれてから、ついに仮面が破れ、酒乱の夫となったのだが、命をかけた愛一筋で、因縁解消を見事果してくれた妻のご苦労の二十八年であった。

 ところが、この事件があっても、すぐに断酒に入ることはなく、その後、泥酔運転によって惹き起こした事故を境に、ついに断酒を決意することになった。

 この一件は、路上にあった車に突っ込み、警察沙汰から避けるため、必死の手回しをした妻のおかげで表面に出ることなく処理された。奇しくも、被害者は、先輩の隣家の方であったから、先輩の温情によって、被害を弁償する示談で解決することができた。そして、当夜は、人格も二重三重とメタメタに傷つき、前後不覚の泥酔であった。

 

 

 

 

 

 

自然界がさとす〝生命いのちの声〟

 

 あれから過ぎゆく五年の歳月は、一瞬のように短く感じられてならない。

 今は、不惑の心も着実に実り、心も肉体も、正しい自己の言うとおりに動いてくれる日々となっている。酒乱人生、その神経症からも立ち直り、人生再起の五十八歳にして、残りの生命いのちを一心に、正しく生き、この生命いのちを燃やしてゆきたい。生命いのちある限り、人間らしく、現実の中で、価値ある人生にすべてを捧げたい。

 そう覚悟を決めて生きようとする今、迷える同士や、現世の心失われてゆく不幸性なかたたちに、翻意をもたらし得る一灯なりともともすことができれば喜びである。その思いにかられて、ここに酒乱物語として世に問うものである。

 酒の生命いのち、それは米の生命いのち。この米の生命いのちは、やさしくさとしている。

〝酒乱を教えた覚えなし〟

と、一点の濁りもなく、汚れもない酒。それは米の生命いのちの精である。その汚れなき米の生命いのちをいただいて、何故、人は心を汚すのか。

「なぜ、人はアルコール依存症、酒乱になってゆくのか」

米の生命は尊く叫ぶ。

 

いのちの調和に生きてくれ

愛と調和と喜びの

いのちの道に目覚めあれ

米のいのちが生きるまで

飲ませつづける米の精

母一念と妻一念

やっと目覚める人ごころ

三日の習慣百までも

人の心を思い知る

 

 妻は、夫を警察から引取りに来たその日のこと、天井に響く階段の踊り場で、一瞬、心ひかれて外を見た。窓を額縁がくぶちにして、天下晴れての秀峰〝鳥海山〟の全容を一望した。

 妻は、すでに心浄めも高く、沈黙世界の永遠の生命いのちに、心は結び通じていた。峰の心いただきは、次のような文字となった。

 

窓越しの 峰の心にあらわるる

声むすばれて 生き証人の姿なり

 

 どんな動きが目の前に来ようとも、夫を憎んでどうなるものか。それよりも、今、肉体があるではないか。生きておればこそ、必ずや目覚めてくれるはずだ。

 夫は知らずとも、夫の生命いのちがすべてを知っている。それが自然界の調和と愛ではないか。

 生かしつづける生命いのちを通して、自然界の愛と結ばれている夫の生命いのちではないのか。

 その愛と調和と喜びの生命いのちの光が、夫の中で輝く日は必ず来る、と、妻は決して憎むことはせず、守り一念で警察に出向いたのだった。

 自然界には、声も言葉もないが、心が通えば、声なき声で愛が結ばれる。

 この時にいただいた峰の心こそ、その真実を言いあらわした声ではないか。

「苦渋に満ちたあなたの夫は、きっと、酒の生命いのちを証してくれることのできる人になります。永遠の生命いのちの証し人になる今の姿なのです。

 米の生命いのち、自然界の生命いのち、その生命いのちを証してくれることのできるまで、その道程を行く姿こそ、夫の今のありようなのです」

と、その声が結ばれた。

 振り向いた妻は、鳥海山の澄みわたる沈黙の中から、限りなき永遠の響きを、身をふるわせながら、伝え受けたのであった。

 そして、心洗われ、さとされたのである。酒乱の勢いをかりて、女性問題を起こし、醜い嫉妬で人殺しまでやろうとした夫、その私を引取りに来た妻は、こうして、峰の心に守られながら、憎しみの一切も消えていた。
 外は、晴れて澄みわたる昼下がりのこと、警察に深々と感謝をして、帰宅することができた。

 

 

 

 

 

 

母の生い立ちと因果の流れ

 

 本気で、この酒乱物語を書こうと思ったのは、つい先日のことで、年の瀬も迫る十二月中旬のことである。

 断酒後、五年を過ぎたが、あっという間の歳月であった。かつて本当に酒びたりだったのかと疑いたくなるくらいなのである。一体、今、誰の話を書く手はずなのかと、白々しい気分さえ起きているといっていい。見事に、未練のかけらもなく過ぎてきた。酒を忘れられず、飲みたくて、居ても立ってもおれない心で毎日を生きていたなら、それは、五年の歳月は狂気の沙汰だったであろう。

 忘却の彼方に追いやった、かの酒乱行も、その一片一片が客観的リズムに乗って、追憶の影絵姿を見せてくれる。あの、ブラック・アウトの記憶喪失の出来事でさえも、この生命いのちは、細大漏らさず知っている。

 人生の新しい扉開きの信念、そして、反省と新たなる喜びを噛みしめながら、懺悔心を深めていきたい。この頑固な自分を、柔らげながら、いまわしき〝先祖呪い〟までした自分の赤裸々な姿を、今ここに開陳してまいりたい。

 人の〝縁〟は、その者の運命を変える重要な鍵になるといえる。縁ほど、霊妙にして、生命いのちの流れを示してくれるものはないと思う。運命は日々訪れる〝縁〟によってすべて方向づけられ、有無を言わせず我々の未来絵巻として、展開してくれることになるといえる。

 この〝縁〟の中でも、最大の運命の出会いは、〝出生〟の縁といえる。〝出生〟ほど神秘なことはない。選択できない両親をかりて、この世に〝縁〟となって誕生する。

 旅を続けていたある日のこと、足尾焼の里で、ある窯元のお母さんから次のような話を聞くことができた。

「子供は、親を選ぶことができません。だから、子供は大切に育てなくてはいけませんねェ」

と、この「大切に」と、「甘やかす」とは、全く違うことがわかる。

 親は、出生を調節することはできるであろう。しかし、子供はその選択ができない。運命なる出生の縁は、厳しくも、容赦なく洗礼を授けてくれる。

「過酷なるかな、この、生命いのちの縁よ」

 この生命いのちの縁によって、酒乱の夫のもとに飲まれていく一人の女性がいた。母は、この過酷な運命の波にさらされていたのである。

 明治二十三年九月二十六日。ある城下町で出生する。父・本多弥門、母・本多金江の中に、一人娘としてこの世に生を受けた。だが、生後二カ月と五日にして、両親は離婚という最悪の事態を迎える。

 そして、八歳を迎えるまで、父の手の中で育った。両親の婚姻期間は、一年と十八日という、なんと、母を生むためのさがではなかったのかとさえ思われてならない。

 現代のご時勢なら、それほど珍しくない出来事だが、当時の気風からしたなら、よくよくの事情があったのに違いない。その決定的事情を示すかのごとくに、父、弥門の墓石が語っている。現在も、きちんと守られているが、二年前までは、無縁仏として、放り出されていたものであった。全く、耳にしたこともないこの墓を、私の神秘体験の中で、奇しくも発見することができた。

 その墓石の頭上を見ると、その対角線上に刀傷が生々しく残っている。この傷跡は、その当時のいかなる状況を物語っているものか、容易に察しがつくというものである。

 母は、生後六十五日の新生児として、一体、誰の乳で育ち、誰の手によって育てられたのか知るよしもない。その後、生母は四年過ぎてから再婚しており、昭和の初期にブラジル国サンパウロ市に移住した。そして、父、弥門も明治二十九年、母五歳の時、再婚した。以後、里子に出されるまでは、継母と共に暮らすことになる。

 本多弥門の系譜を調べると、累代酒井藩に仕える藩士とわかった。この藩は、明治維新とともに、賊軍に転じたから、明治の世にあって、不遇から雨露を凌ぐにも窮していたのではないかと察する。そして、明治三十一年十二月十九日、よわい二十九歳の若き血潮は、悲運の運命のもと、この世を去った。母八歳の時のことだった。

 継母が建てたのか、誰の手で施されたのか、弥門の墓は現在も残ってはいるものの、弥門の父の墓に比べて風化がひどく、何百年の時代を越したと思える痛みようであった。その波乱の運命と共に、墓石にさえ窮していた。

 母は父の逝去後、継母とも離別して、まさに孤児となって歩き出す。八歳の春のことだった。その後、山村に住む義理の従兄弟の所に一時身を寄せていた。この山村は山岳信仰で名高い出羽三山の霊場入口にあり、手向とうげという門前町である。

 そこには、多くの宿坊や民家が軒を並べ、風情あるたたずまいとなっていた。当時、ここの軒並の屋根は、茅葺かやぶきがほとんどであったから、屋根葺師ふくしという職人が、大勢出入りして、とても賑やかだった。様々な情報も、口から口へと行き交う中で、一人の職人から、里子になる娘を探している話が持ち上がった。身寄りもなく、孤児となっていた八歳の母の話は、たちまち、職人たちの耳へと伝わってゆき、これは願ってもない話と、里子を探していた職人を喜ばせた。早速、母はその職人に引き取られ、ここからは五里(二〇キロメートル)ほどの、北に向けての幼い生命いのちの橋渡しとなった。

 その当時、持参していたのは生母の形見と思われる懐刀一本と、オランダ製の金時計であった。生母のものと思われる懐刀は、当然、武士の娘、武士の妻としての護身用のものであったにちがいない。

 離婚はしたものの、遠からず近からずに、我が子の姿を追い求めながら、守ってくれたのではないか……。生母もまた、父は武士であり、さらに、祖父(母の曾祖父)は、京都・吉田家に縁を引く飛鳥神社の世襲神主、第四十一代であり、現在もその直系がその代々を継いでいる。

 このように、母は険しい環境の波に飲まれながらも、生命いのちの縁のあるがままに、木の葉のような我が身を委せていたようだ。どうやら、屋根職人の家族として、小さな生命いのちを預けることとなって、そこで、酒乱の女神とならねばならぬ運命が待っていたとは、神ならでは知る由もなかったが、そこから、母の怒濤の人生が始まった。

 おしんのドラマではないが、生後六十五日で生母と別れ、五歳で継母の試練に屈せず生き抜く。そして、八歳にして、父は二十九歳の若さでこの世を去った。二十一歳まで、里親宅で乳飲み兄妹として育った。この間の十三年間は、厳しい奉公の日々となり、血涙の嵐の時期だったと伝えられている。

 そして、二十一歳で父と結ばれることになった母だが、よもや、二十一歳までの血涙の悲運に、さらに、油を注ぐことになろうとはどうして知り得ただろう。夢にも見たであろう、娘盛りの自分の安らぎを、祈り願ったはずだったのに……。

 父の酒乱の日々については、兄弟・近親たちからうかがうすべもなく、私の人生を通じて、ここで描き出さねばなるまいと思う。

 生涯、母は法華経信者となり、

〝コバツケ商人〟(焚き木、マッチ売りと思えばいい)、〝屑物商人〟、〝魚売り行商〟

という生き様の中で、次々と蓄えを積み重ねながら、楽しみの一切れもなく、運命の向くまま、慈愛一筋で生きてきた。

 神仏にその心の一切を預けて、八人の子供を次々と産み出し、蓄えた金で田畑あわせて二町歩ほどの財を所有するようになっていた。常識で考えるならば、マイナスの一途を辿るはずなのが、逆に、上昇運を駆け登った、このエネルギーは、一体どこから出てきたものなのか……。

 武士の直系を持つ両親のもとに、一人娘として生まれた母が、家は断絶となり、明治の法律によって、廃家となった。ここで、母は二十一歳で、隣村の父と結婚することになり、第二の熾烈な運命を歩むこととなった。

 流れる酒の因縁の、幕が切って落とされたのである。時は、明治四十四年十二月十二日のことである。

 

 

 

 

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