図・写真を除く文章のみの掲載。
千日悲願(米の生命が生きるまで)
神技一瞬、〝刃に変わる水杓〟
神が手向けた女の魔神
黎明期
地獄に降ろされた御神火
それからの妻は、一心に看病を続け、私の傷口もどうにかおさまり、人と逢えるほどになった。この時ばかりは、店の旦那の回復祈願を一心にたてて、妻から言われたとおりに、祝詞を唱える日々が続いた。声高く、朗々と読み上げている姿を見て、お父さんも、そろそろ心浄めを始めたようだ、と思ったらしい。
だが、そこまでいっても、私にはまともな懺悔心が湧いてきていなかった。店の旦那のことでは、本当に、人間らしく、込み上げてくる熱いものが感じられたのだが、その時だけのことであった。「オレには、なにかが欠けている。人間の血がッ。妻と私では、火と水ほどに心の温かさが違っているのは、一体、どうしたことなのだろうか。今後、二度とするまいッ、今度こそはッ……」と、どれだけわめいたことか、しれない。
だが、この因縁のしがらみには勝つことは難しい。悔しいことだが。だから、この原因の悪い心を、二度と子孫に残してなるものか。このオレは、いや、この世の人々よッと、訴えたい。子孫を苦しめてはいけない、と。
自分の欲望、快楽を満足させて、子孫に毒を蒔く親は、親の資格はないものだッ。生まれた価値もないッ……と、心が引き裂かれる思いなのである。
年回りも、もう五十歳を過ぎてしまった。「毒を喰らわば皿までも」、という心境にもなってくる。形式ばった詫びなど、いっそ、やらぬほうが、まだ罪が軽い。せめて罪滅ぼしと、妻が行きたいというところには、無条件で同行することにした。
車の旅は、全国の神社、仏閣、宗教関係、霊能者のところ、名所旧蹟、美術館などと、心霊の旅は果てしもなく続いた。
この頃から、妻のいる場所、行く先々で、心霊現象がしきりに起き出した。俗に、偶然と言われるような現象が、妻がいるところにおいては、必然の現象といってもよい、出来事として起こった。
この心霊現象が、最も顕著になってきたのは、秋田沖地震で、津波に飲まれた児童一三名からのいのちの結びであった。
「おばちゃん、○○○……」
「おばちゃん、△△△……」
と、永遠の生命の、声なき声が、妻には、はっきりと通い結ばれていたのだった。
このことは、亡き人々の、心々ということであるのだが、それのみか、自然界一切の、沈黙の声が、通い結ばれる。こうした、黙した声の結びは、その生命=意志・心の証しとして、
「文字に生き、数に生きて証し、色に生きて証し」
亡き心々の、生きて活躍する、その証しを立ててくれるのだ。
たとえば、誰かを相手に話をする時で、そこへ、その人の心が入ってきて、それを四十八字の文字に示す。そして、最後に時間(数字で)を記すのである。ところが、その数字が、相手の話された人の命日である、という具合になる。それが、〝9時16分〟と記された時、実は、命日が、9月16日であるというようにである。
それは、なにかというと、妻への心結びの主が、亡き霊界から、生きて通う、実在を示している証しなのである。
私の酒乱人生は、こうした心霊世界と深く合流しながら、見えざる手によって、心の浄化へと導かれていった。そして、ここまで続いてきた商売の火も、もはや消えようとしており、これまでの蓄財も、音を立てて崩壊する、砂上の楼閣となっていた。私は、妻に、もう反抗することはなにもなく、微かにくすぶる一抹の鬼火が残るだけであった。「これで終ってたまるかーッ」……と。
だが、そこには、さらに、無情の風が容赦なく吹きつけてきたのだった。外は、すでに落葉が足を早めている秋。養母は、ついに、我が家の極楽を見ることなく、七十一歳で、この世を去った。酒乱地獄の火が、まだ燃え盛っていた、昭和五十八年十月二十日午前十一時十五分だった。
勝気な性格と、女の優しさを、全身に表わしていた養母は、十九歳の頃、下に、四人の妹を残して、生母は四十一歳で亡くなった。その後、残された妹たちに、母代わりをつとめたという。また、結婚後も、我が子は当然のこと、喘息持ちの理容業の父を支えて、全く、心身が休まることなく人生を過ごしたのだった。
そして、その後も、私のために、生家をたたみ、数百年続いた故郷を去り、この町に出て来たのだったが、私の酒乱の渦の中で、無念を超えて、死の一瞬を迎えたのだったと思う。母と別れるという無常の風を、全身に吹きつけられた妻は、いまだ安心立命の光も見えぬ夫を守り、なにを支えに、自分の生命を歩ませていけばよいのか。
その頃、妻は、神社に悲願をかけ歩いて、はや〝千カ日〟となっていた。雨風の日も、雪の日も、五〇分はかかろうというところを、早朝三時頃起きて、歩いての日参である。真冬の吹雪を真正面に受けながら、草木も眠る早朝三時頃、夫の寝息を気遣いつつ、這うようにして部屋を出る。
「酒が憎い、この世の酒が憎い。酒蔵は、みな焼け落ちればいいのにッ。夫を狂わせた酒は、この世から消えてなくなればいいのにッ」
と……。だが、この酒には太刀打ちができない。ほとほと我を忘れる日々が続いた。夫の寝顔を、ジイッと見ては、何度となく、そのまま、いっそ、この生命を、と、思ったという。だが、殺すことはできない。病院に入れることもできない。だからといって、この世から酒をなくすこともできない。
思案にくれながら、通い続けている神参りは、夫の乱行の危険な時、いつも守って体を休ませてくれる神の懐だったのである。
「神様、どうか、夫の心が、この特級酒のように、一点の汚れなき心に、変わりますように……」
と、特級酒を捧げたこともあったという。
人間を生かし続ける米の生命、その生命の根源を成す米の生命が磨き上げられ、一点の濁りなき、特級酒へと成長する。
「どうぞ、夫の心に、酒の生命が、生きますように……」と、命の限り、祈り続ける。
また、「夫が、米の生命を、わかりますように。夫の心に、米の生命が生きますように……」と、夢中で通い、祈って、アッと気づいた時には、早三年の月日が過ぎていた。
翌朝、目を醒ました私に、「お父さん、わたしは、千カ日の神参りを終えました」と、言ってくれた。にべもない私は、「こっちも同じだッ。千日参りを終えたと同じことよッ」と、言い返す。なんのことはない。自分の思うようにならぬのも、仕事も財産も、ズタズタになったのも、お前が、あんまり振り回すからだ。辛抱は、こっちこそ同じ千カ日だッ、という心の裡だった。
縁は生命の調和力。目の前にやってくる縁は、すべて自分に相応しい縁なのである。縁に偽りはない。私が引き寄せたものであり、みなさん自身が、引き寄せたものなのである。縁は、絶対の力を持って、私たちに逢いにくる。「よくやってくれた」と、ご褒美を持ってくることもあるし、あるいは、「偉いことをやってくれたなッ」と、言いながら、やってくることもある。
だから、みんなの目の前に現われる縁は、すべて、己の目覚めのためにやってきてくれる。善きにつけ、悪しきにつけて、やってくる。私の酒乱についても、当然、「お前は不調和な生き方をしているぞッ、早く気づけーッ」と、催足する現象を示す。
酒乱の夫を正すため、縁の強力な化身となった妻は、酒乱に耐えうる身仕度を整えて結ばれてきたのであろう。そして、夫の心の中に、米の生命が生きるまで、酒の生命が生きるまで、と、一心に祈った千カ日の神参りも終えた。が、しかし、私は、汚れの知らない酒飲んで、〝飲んで咲かそか地獄花〟では、神不在の不届者である。
だがいよいよ、私を正さんがための、縁の化身が、その攻勢を強めてきた。というのは、とうとう、私は自宅を売る羽目となってしまった。まさに、悪魔の毒で、崩壊寸前となってしまった私に、縁が次々とやってきたのだった。今度は、女の魔神が足音を高めてやってきた。それと並行して、時代劇まがいの酒乱を起こしてしまった。
妻は、素速く現場に現れて、神技で夫を守る。「お父さんは、杓を持っていたんですッ。これこのとおりッ…」と、ハッタと右手にかざした手杓を見せてやる。それを見せられた警官は、杓じゃ、大したことではない、と、たかをくくった。
ところがである。真実は杓どころではなかった。刃渡り四〇センチほどの、キラリッ、と光る本物の刺身包丁である。それを、店から持ち出し、いとも慣れ切った侍姿で、相手に切りかかっていく。殺られたら、第一巻の終りとばかり、一目散に跳び逃げた。「ブッ殺してやるッ」と、うなりをあげて呟いた。そこへ、急場をきいて駆けつけてきた警察官の前に、どこから来たのか神姿で、一本の水杓を持って、立ちはだかった妻!。
人智も及ばぬ、一瞬の神技が働いたのだった。
この一件は、私の後をつけて来た妻が、いつの間にか、私の持っていた刺身包丁を奪い取り、警察官が来た時には、水杓を見せて、事実を隠してくれたというものであった。
この酒乱が終ったが早いか、今度は酒と女の挟みうちがあろうとは、神ならでは知る由もない。もうこうなったら、タコ踊りか、馬鹿踊りか、見世物以外の何ものでもなくなった。
神が手向けた 女の餌に
パックと喰いつく 酒乱の妄者
前後不覚の 人生街道
黒い血煙り ハッタとあげて
どこへ行くのか 魔の姿
今ぞ地獄の ドン底へ
落ちるを知らねで 命がけ
人の心の 恐ろしさ
早く目覚めろ 血走るまなこ
耳をすまして 聞いてくれ
いのちの調和を けがしちゃならぬ
いのちの真実 汚しちゃならぬ
戻ってくれよ 人の道
妻の気持で、入院だけは免れていた。そして、薬を飲むこともなく、そして、生命の輝きに目覚めることができたのは、妻の信念の光に結ばれた、米の生命と酒の生命が、私の心に生きたからであったと思う。
三十年前、知人が、酒乱で、強制入院をさせられた。アッという間に、夢心地醒めやらぬ中の入院だったそうだ。彼自身の心の迷いから、狂った人生だったが、長い期間の薬物投与のため、言語がレロレロになる薬毒安定という、恐ろしい日々となってしまった。
かく言う私も、その二の舞いになりかねないという保証はなかったことを思えば、三十三年間、死闘の中で守り続けてくれた妻に、どんなに感謝をしても、し過ぎることはない。
こうして、妻の愛一念のお蔭で、私は入院することもなく過ぎてきた。ところが、今度は、女のことで、真昼の乱劇を起こし、その足で、列車の中に、泥酔姿で飛び込んだ。
頃は、年末年の瀬のジングルベルも鳴り終り、大晦日の夜のこと、ショボクレ天使は、妻の元へ引き取られるごとくに帰ってきた。今まさに、除夜の鐘が鳴り響かんとしている時、夢遊病者のようにして玄関に立っていたのは、哀れ五十二歳の生きた屍であった。
ショボクレ天使となって戻ってからは、心気も運気も熱病上がりのように、気が抜けてしまい、そこに、悪運が音をたてて襲ってくる。
酒乱人生の野放しも、もはやこれまでと、次々と、神の矢が突き刺さってきた。一生の仕事と思っていた商売も、一日の遅れで資格が破棄され、廃業の憂き目にあい、また、資産も次々と手放してゆく。さらに、最後の砦となっていた住居に移ると、今度は、債務を保証した債務者が自殺するという事件が起き、保証弁済が転がり込んできた。
なんだか、過去の毒が一気に流れ込んできたような気がした。これは、あまりにも当然のことで、これまでの曲折した生き方から、真っ直ぐに正される時生ずる、感謝すべき苦の洗礼であった。
そして、妻の心と結ばれた米の生命も、苦の洗礼を次々と与えてくれた。私は、裸同然の奈落の底で、今度は、開発作業に没頭していく。この後、ついに、酒乱の断末魔がやってくるとも知らず、黙々と続けている手作業……、右手にハンマー、左手に材料……と言いたいが、左手にはいつも酒壜を持っての仕事振りだった。
ある日、募る思いが爆発した。「あいつめーッ……」と、悲痛にも似た叫びとともに、車に乗って、駆け出した。
(この事件は、本書の冒頭書き出し〝酒乱の断末魔〟へとつながるものである)
この事件から数カ月過ぎた、ある夜のこと。そして、いよいよ最後の最後がやってきた。泥酔で乗り出した暴走車は、路上にあった〝888〟ナンバーの車に、ドカァーンと一発、衝突して、それで、なにもかもが終ってしまった。
ついに地獄の火も燃え尽きて、後は、暗黒世界へと落ちていく。断酒の滝壷深く落ちていった。
だが、そこへ、一筋の光が降ろされたのである。妻の御神火であった。
夫はいずこか 闇の中
これにつかまり はい上がれ
神の光が 見えないか
生まれ変わって 天国へ
昇る勇気を ふるい出せ
すべてを忘れ 一念に
あとふり向かず 一念に
光の糸に 喰いさがれ
酒のいのちが わかるまで
米のいのちが 生きるまで
浄めつくせよ その心
妻は夫の 御神火と
なって引き出す 人の道
と、ここまで原稿を書き進めたところで、階下へ降りた。すると、妻は、次のような話をするのだった。
「本を書くには、泣きながら書くくらいでないと、本当のものは書けない。人を感動させるものは書けない、という作家がいたが、それは本当です。泣きながら書くくらいでないと、本物は出てきません」と、言われて、私は、「オレには、それ(涙)がないんだよなー。どうしてなのか……」と、とても情けない心が湧いた。すると、妻は、台所仕事の手を休めることなく、「お父さんは、まだ本物でないんです」と言う。まだ、酒乱について命がけの懺悔になっておらず、心の浄まりも、まだ足りないということなのだった。
どうして……、親子二代にわたって傷ついた魂が、並のものでないのは当然だが、なまじなことでは、オレの心は、直らないのか、と悔し涙が押し上がってくる。
私は、「オレは、なぜ酒がやめられたのかなー」と言うと、妻は、「米の生命が……」と、そこまでは言葉になったが、後は続かない。そして、「涙が出ます」と、言ったきりで沈黙していた。
この後、三十分くらい買物に出かけ、その帰り道の車中での会話である。
「お父さんは、〝888〟という車にぶつかって、それから酒をやめた。〝888〟は、米の生命と、私の生命なのです。米は、八十八(88)の数に当てはまります。米寿という米の祝いこそ〝88〟の数の生命なのです。
そして、私は、八日生まれ、〝8〟の数の生命なのです。〝888〟というナンバーの車が、米の生命と、私の生命の、祈りそのものだったのです」と、話してくれた。「ウンウン……」と聞いている私。その時妻に心が入ってきた。
「お父さん、米の生命が愛になるんだって……。お父さんが酒をやめたのは、〝888〟の数の生命が生きたのです。泣かせられるのーッ」と、涙ぐむ妻だった。
米と妻の愛が生きた888の車、そして、母の五十五年、妻の三十三年、合わせて〝八十八年〟。それが、酒乱の幕閉めとも符合する不思議さ。私は、やっと、米の生命に帰ることができたのだった。
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