図・写真を除く文章のみの掲載。
目覚めなき、父の最期
酒飲みの血統に向けた神の矢
酒害因子の開花
酒乱人生の開幕
父は、母亡き後、九年間、兄といっしょだったが、どうも酒の上で問題が絶えず、生き地獄の火の消えることはなかった。そして、酒を飲み続けた父は、四つん這いになりながらも、生きのびた。
いよいよ、酒乱地獄の火も消え、波瀾万丈のまま、飲み続けてきた自らを、酒の精に預けるごとくに、この世を去った。時に、昭和四十九年五月十九日、享年八十五歳の生涯であった。
母は、自らの因縁を、慈愛一筋の生涯によって消滅させることができた。なぜなら、私自身に、祖先的罪障感が感じられないのも、そのひとつの理由である。だが、父の因縁はどうかというと、全く母の逆であった。それは、父自身によって、因縁解消の改心が得られなかったためなのであろう。
父は酒の精に飲み込まれながら、目覚める動機を逸してきた。動機となる〝縁〟が、いつも目前にあるというのに、自ら避けるようにしてきたせいだ。だから、その業・因縁は、もろに私たちに吹きつけてきたものと思ってよいだろう。
だが、このカルマを、さらに、子孫へ送り続けることは許されない。父が、私の霊体の中で、生きている限りは、今度、父に代わって、この私が、この現世で、肉体ある限り、調和ある自然体(自然心)に戻さなくて、なんとするか。
父の生命の中で育った悪性因子を、子の誰かが、いや、全員が揃って、命がけで、解消しなくて、なんとするか。この自分の目覚めこそ、すなわち、亡き父の目覚めそのものであり、父を責めてどうなるものか。
現世の、この我が身こそ、天命の自覚に燃えて、睦まじい人生にしなくてはならないのだ。
ここまで気づくには、早五十八年の人生を費やしていたのだった。それも、酒乱の限りを尽し、地獄の底を這いずり回りながら摑んだ、目覚めの一灯なのである。
つい最近のこと、私は〝人間は目覚めゆく動物である〟と思った。万物から抜きん出た知恵ある動物の人間は、自分自身を反省できる、唯一の動物である。自分に目覚めるということこそ、人間と動物の大きな違いのひとつではないか。
この目覚めるということには、それなりの〝縁〟という動機付けがある。なにによって、目覚めるのか。自らの苦悩の中で、目覚めるのか、他人の不幸性を見て、自らに言い聞かせて目覚めるのか、わずかな失敗によって、早くも目覚めるのか、他人を傷つけ、苦しめて、自らの不甲斐なさに目覚めるのか、そのほか、どういう動機で、自分というものに気づくことができるかなのである。
私の目覚めは、生命の愛(米の生命、酒の生命の愛)に導かれた目覚めだと、妻は言う。
目覚めも、自分の生涯の中でか、あるいは、次の世代でか、その目覚め方に差があろうとも、生命の調和力というものは、その者に〝死〟を与えても、正しい人の道に向きを変えるものだと信じている。必ずや、人は目覚める。
父は、その目覚めゆく、良心の扉を開かずに、我々子孫に、その扉開きを委ねるようにして、この世を去って行った。
だが、強烈に迫る調和の力は、この私を矢表に立てたのだった。そして、父を背負い、どっかと立って、地獄のドン底から立ち上がらせたのである。それも、母と妻の守りの中で、見事、目覚めさせられたこの生命。父子二代の酒乱劇となったのである。
この『告白記』は、あくまでも、悪性因縁を中心に展開するため、俄然、非人間性を露呈したものとなっている。しかし、父の光の部分も、多くあるのも、もちろんのことである。
人間にひそむ〝光の部分(善性)〟と〝闇の部分(悪性)〟の闘いの中で、いかに、悪性が善性を喰い散らして生きているかなのである。
いくら善性部分が多くとも、悪性の自分に打ち殺されたなら、それは二足三文というものだ。このことは、他の動物には見られない、人間独自の、笑うに笑えない、深刻な滑稽さではないだろうか。
バランスで、どこまでも生きるこの生命。緩めたら引締め、引締めたら緩めることではないか。どちらにも片寄らずに、〝心のハンドル〟を握りたいものである。また、苦しい縁で心を正し、うれしい縁で感謝のできる、心の羅針盤を持ちたいとも思っている。それでこそ、父も成仏できる、ということではないだろうか。
ここで一席、
『しっちゃか節』(即興『目覚め節』)
㈠
悪い種をば 蒔き散らし
散らした種は 芽が生えて
生えた芽には 花が咲き
咲いた花には 実が成って
その実を喰って 生きてゆく
ソレッ しっちゃかめっちゃか どっこいしょ ソレッ
㈡
喰って喰って 喰いまくり
孫子の代まで 喰いまくり
喰った実の毒 気の毒に
頭かかえて 腹かかえ
肝臓腎臓 おかされる
ソレッ しっちゃかめっちゃか どっこいしょ ソレッ
㈢
肝腎かなめを おかされて
いつも泣き面 ベソだらけ
いったい原因 どこにある
しらべもせずに 慢性病
ついに苦しむ 子々孫々
ソレッ しっちゃかめっちゃか どっこいしょ ソレッ
㈣
早く目覚めろ 旦那さま
早く目覚めろ 人ごころ
名医はあなたの いのちだぞ
眠りこけずに 目覚めろちゃ
いのちを汚さず 目覚めろちゃ
ソレッ しっちゃかめっちゃか どっこいしょ ソレッ
㈤
目覚めりゃこの世は 天国だ
目の前パッと 光りさす
釈迦もびっくり わけもなし
塵も積もった 塵毒を
やめた途端に 極楽だー
ソレッ しっちゃかめっちゃか どっこいしょ
世間では、血統のことが話題となることがよくある。「あそこの家は○○の血統だよッ」「あれは、△△の血統だよッ」と、さしずめ、我が家の評定は、酒飲みの血統だというレッテルを貼られていたに相違ない。
普通、どこの家でも、酒飲みのいない家は珍しいから、一般的飲酒では、酒飲みの血統だとは、言いはしないだろう。それが、酒豪で、酒癖がよくなく、酒の上での争いが絶えないような家庭を指しての言葉なのである。
酒飲みの血統と、評判高い自分たちは、好きでこの家に生まれついたわけではない。生まれつくということは、生涯で最も尊厳な〝縁〟ということである。生涯においての、一連の縁は、人生そのものであるし、縁によって、運命というものが、すべて支配されていくとも言えるだろう。
この世に出生する縁が、最も尊厳であるなら、次に尊厳であるのは、〝結婚の縁〟であろう。
だが、よく考えてみる時、この結ばれた生涯の伴侶の縁は、生き続けていく人生に、偉大な因縁の調和力を秘めていることに気づく。
これまで、父母の半生において述べたように、〝酒乱対慈愛心〟の夫婦像のことであった。そして、これから述懐しようとする、傍若無人の人生は、私自身の〝酒乱人生対妻の不惜身命〟の魂が組み合わされたものである。そして妻の真心によって、幸いにして断酒ができて、人生を再出発することもできたのだった。この顛末を読み進めていく中で、必ずや、〝縁〟の凄さを、垣間見ることができるものと思う。
生命の存続する限り、子へ孫へと引継ぐ中で、必ずや、幸せの道へと引揚げてくれることに気づくであろう。
いかなる狼藉を働く世間のハミダシ者でも、生命ある限り、ピッカピッカの魂(真性魂=生命)を持っているものだ。魂自身は、表面を曇らすことはできても、破壊することはできない。生命は、我々の心を育み、常に、自然律の調和の心に、引戻してくれる〝良心の里〟であると思う。
いくら酒乱の極におる者でも、生命の授けた〝縁〟によって、必ずや、幸せ、安定へと引揚げてくれるものなのである。
だが、そうは言っても、その縁は、正さんために、すさまじい苦しみを与えてくれるようなのである。〝苦〟は、やはり、正さんための実弾のようなものだ。時によっては、死の実弾も、当然に射ち込んでくる。
妻との結婚が決まってからも、やはり、「あの酒飲みの血縁ではッ……」という反対者もあって、結構強い風当たりであったということだ。努力家で……という心の中では、「あな恐ろしき酒乱の息子かッ」と、懸念されたことも至極当然であった。
今思えば、酒の時限爆弾を抱えながら、一心に、酒もタバコも飲まない自分を作りあげてきたのであった。
私たちは、中学までの同期生であり、お互いに戦中派だ。妻は、好きな洋裁の道に進み、文化服装学院へ入り、私は、県立商業高校へと進んだ。だが、中学までは、学級も別で、ずいぶんと薄い面識でしかなかった。
ところが、ある年の同級会でのこと。その場が縁の着火となったのだった。一瞬の見合いに過ぎないことだったが、本当にその一瞬一秒が、二人の運命を決定することになっていた。
〝縁〟というのは、人智の届かぬ、生命の世界からのメッセージのようなものだ。とても、生命の世界に逆らうことなどできない。一秒も休まず、自分を見ている生命の世界は、なんと神秘で、尊厳で、畏れ多いばかりだ。斜め七メートルくらい向かいにいた妻、「ウッ……」と、一瞬の緊張。単にそれだけのことだった。
妻とは、その後、結婚するまで、一筋に付き合うこと、八年くらい、そして、その間、農協に就職した。
さて、二十三歳まで、酒とは縁遠い年月であったし、また、他人の酒飲み姿を見ては、「決して父のようにはならんぞッ」と、心の中で酒をはねつけてきた。
思えば、この回避しようとする、反抗というか、義憤というか、そうした心が、むしろ仇となったのか、抑圧されていたものが、いつしか爆発のエネルギーとなって鬱積していたようだ。
内向的で、自己表現が不器用な私は、内圧を高めてゆかねばならない。高められた内圧は、一種の性格となって定着し、抑圧安定という〝爆弾性格〟に変容していく。こうした私にも、ついに酒の洗礼がやってきた。
農協という職場は、連日のように酒宴が待ち構えている。傍系団体が多いことから、会議が頻繁に開かれる。そのたびごとに、酒がくっついてくる。口悪く言えば、酒の温床のようなところなのである。これも、先人たちから継承された、善意の因習にほかならない。
さて、この職場に就職した私は、なにはさておいても、この酒の洗礼を受けねばならなかった。考えれば、今日あるがための〝生命絡み〟の〝縁〟の差し向けであったように思う。心の奥にあるものを、飲ませて吐き出させ、飲ませては吐き出させる、神の業であったのか。
「一杯どうぞッ……。いい若い者が、酒も飲めねいェとはッ、一丁前ねいーぞッ」
と言われる。人付き合いの信念が甘いから、断わり切れない。
「おうー、やるッやるッ……。その調子ッ、その調子ッ……」
と囃される。わけもなく雰囲気に呑まれて、酒の受付開始だった。酒屋からは、今日もまた、なんダースかの酒が届けられた。そして、明日も翌々日もと、続いてゆく。酒豪揃いの先輩たちの中で、こっちの酒量は急ピッチで上昇し、番付もどんどん上がっていく。ついには、職場きっての大酒飲みとなるには、なんらの努力もいらなかった。酒の味覚を確立していく中で、さらに、二次会の味を覚え、料理屋に出かければ、当然ながらに女が待っている。もっともらしく囃されれば、その気にもなる。変に押し上げてくる性的欲求も擡頭してくるから、それらしい女の口車に、若気の蒸気は頭の天井をブチ破っていく。二次会どころか、二次災害、三次災害へと、場面は急速に展開してしまう。
恐るべき速度で、酒の洗礼を受けた私は、ついに異性にも走って、悪魔の誘いは、上下から毒づいて離れてくれない。
ここから先、少々話を脱線させていただきたい。
人間は、進化の中で、生殖本能を享楽本能まで悪性転化してしまった。人間以外の動物は、むやみやたらに、乱発するということは、見たことも聞いたこともない(鶏だけは例外)。まさか、人間が鶏以下というわけにもゆかないが……。
自然界は、自然律の中で、秩序よく守られた性行為に慎み深く生きている。人間は、誰が発明したのか、性を享楽へと悪性転化して、しかも正当論をぶちまけるから、始末におえない。淫乱の間に間に、乱れに乱れ、自由思想を楯にとり、犯罪・非行・家庭不和の坩堝になった。
正しい男と女が本当に結ばれ、夫婦の慈しみを守ることこそ、人間本来の万物の霊長たる由縁ではないかと、自分の失敗を棚に上げて、ひとり義憤やるかたない現在である。
大酒の合併症としての女性問題は、「飲んだら乗るな……」の標語じゃないけれど、酒飲みは馬鹿なもので、乗りたくなるから処置なしだ。車なら、免許取消しされて、乗れなくなるが、男と女の乗る乗らないは、取締官も門外漢だからやりたい放題と相成る。
ここで一席、
『なんじゃい節』(即興『ニワトリ節』)
㈠
ニワトリさんが 腰ぬかす
おれより上手が いるもんだ
色即是空 空即だー
そりゃなんじゃいな なんじゃいな
㈡
二本足なら 同じでも
人間様も 二本足
足からみれば おんなじじゃー
そりゃなんじゃいな なんじゃいな
㈢
男と女の やることも
ニワトリさんと おんなじじゃ
悪性転化の 性欲は
そりゃなんじゃいな なんじゃいな
㈣
女の多いニワトリさん
男と女が かわりない
人間様の やることは
そりゃなんじゃいな なんじゃいな
㈤
産めよ増やせよ ニワトリさん
卵を産んで 人助け
人間様の やることは
命殺して ナンマイダー
そりゃなんじゃいな なんじゃいな
この頃から、結婚するまでの二、三年の中で、酒と女を一気に成就することになった。
日頃の品行方正はどこへやら、父の酒乱には、死んでもなるものか。「俺はならんぞッ」と、歯ぎしりした自分は、どこへやら。ある日、一人の理事から言われた。
「あの酒飲みのオヤジの息子かッ。ハキダメに鶴だッ。アッハッハー」
と笑われた、あの屈辱はどこへやら、今まさに、そのとおりの足跡を、歩いていくのであった。ついに、酒乱の因縁が吹き出しやがって、ぐんぐん成長していくではないか。
心身共に乗っ取られた自分は、半ば、一杯呑んだら操縦不能となっていた。次第に、酒の上での失敗もやってしまう。そのため、日中の仕事は、いよいよ熱を入れて、酒癖の悪い分を挽回しようと、一心に頑張っていく日々であった。
酒飲めば女、女を求めては酒を飲み、ある時は、行きつけの料理屋に、同僚とバイクを駆って突っ走る。帰りは、グテングテンの酩酊の中、外に出りゃッ、そよ吹く風がなんとも言えぬ心地よさ、
「じゃー、またねーッ」
とばかり、道路狭しと相乗り音頭となっての帰途。だが、警察署の十字路を曲がり切ろうとしたその時、勢いあまって、遠心力で吹き飛ばされてしまった。同僚の運転であったが、おかしなもので、酔っぱらいは、半意識というより無意識に近い薄ボンヤリである。意識が薄れる時には、体の緊張感が失われているから、赤子のようで、ゴムマリみたいに解放された状態となっている。だから、不思議と大した怪我はしなかった。
だが、こともあろうに、警察本署に飛び込んでしまったから、〝飛んで火に入る夏の虫〟と、相成る。
悪魔の生命(心)というものは、人々を次々と転落させていく。小学校三年生の頃から、興味を持った写真は、その後、セミプロ・クラスになっていた。学校でも、部落においても、なにかと重宝がられていた。小さい頃から憧れていた、海外取材の写真家の夢は、ずいぶんと続いてはいたが、この技量は、ついに、悪性に転じてゆくことになる。
料理屋で手にした二、三枚の猥褻写真を見て、「これはモノになるぞッ……」と直感した。当時は、裏から裏へ、暴力団にとってもよい資金源となっており、この写真の犯罪が、時々、新聞をにぎわしていた。だが、その時一瞬の機縁が、その魔力を次々と発揮していく。
「よしッ……これだッ、金になるぞッ……」
と思ったものだった。酒飲みは、どうしても金がかかる。それに女となると、余計に金が欲しい。これは金蔓になるぞと思い「一丁やってみるかッ」と、不届きにも、罪の意識は地の底へ追いやってしまった。「善は急げ」という言葉はあっても「悪は急げ」とはないのに、「それーッ」とばかり、実行した。
商品としてのこの手の写真は、いくらでもできる。とうとう、営業を開始してしまった。
とかく、表面と内面の心は異なっているものだ。「ノウ」は「イエス」であり、「イエス」は「ノウ」であるというようなことは人間心理のイロハであろうか。猥褻写真と聞けば、目の色を変えて飛びつく善男善女たちだ。
「ちょッと……ちょッと……」と、声をかけ、「これはどうだッ……んッ」と、促すようにして見せてやる。反応は早い。「ウン、ウン、オウー、オウー」、第一声は、たいてい、こんなところである。
後は、お決まりのコース。
「オウー、頼むよッ頼むよッなんぼだッ」と、最後には、代金まで聞いてくる。「いや、いや、いいよ、いいよ」と、こっちは、悠然と、この道のベテランをきどりながらの低落ぶりだった。自分には、もってこいの、やり甲斐あるサイド・ビジネスとなった。かくかく、エスカレートしている悪の温床だが、母は、からきし知らなかった。
ついに、この写真狂いが命とりのガンとなって、音もなく生命を縮めてゆく。
この業務? は、派手に組織立ってきて、関東方面にまでも拡大されるようになった。そして、こっちは、〝メーカー即直売〟といったところ、また、一、二杯の冷酒をグイ飲みし、タクシーを突走らせて街へ繰り出すほどの闇商人ぶりであった。その乱行の日々は天国で、悪のスリルに陶酔した結果が、ついに酒乱の発病と相成ってしまった。
バーのママが待っていて、
「ハイッ、おみやげ」と言っては、ポケットから例の写真を無造作に手渡してやる。
「あらーッ……」
当時、これを五、六枚も持っていけば、一晩中飲めるほどだったから、おおよそ想像できることだろう。こうして、酒と女に囲まれた酒乱の旅は、だんだんと立ち上がれぬほどの深みへと陥ちていくのである。
ある日曜日のこと。知人から利き酒会の券をもらって、隣り町まで出向いて行った。商工会議所の二階が会場である。出席の面々は、とても慎重な顔をしていたが、こっちは、利き酒よりも、多くの銘柄の酒をタダで飲めるということで乞食酒もいいところだった。表向きは、新酒の品定めだから、会場狭しと目まぐるしく回っていくが、一カ所だけで飲んでいたんでは、恰好がつかない。
昼下がりの日本酒、それも冷酒とくるから喉を通すももったいないほどだった。その頃の酒は、酔いのためのものばかりではなく、そのしびれくる玉露のような甘味が、舌先を転げ回るのであった。味のほうも無上の天下一品揃い。あれこれ、良し悪しなど、もったいなくて言えたものではない。どの酒を飲んでも、喉が鳴り響くような爽快感があった。
下戸が聞いたら「馬鹿かッ、お前はッ」と言いたいほどの時を過ごしたのである。
この頃は、もう酒が相当に強くなっていたから、少々のことでは足許はふらつかない。
「もうー、これでよい……」と、独り言を言いながら会場を出た。外の風はなんともいえない。体中が熱燗になっているから、微風は、心の解放感に余計に拍車をかけてくれる。
よい気分のまま、そのまま、まっすぐに家へ帰ればよいのを、「最終列車で帰れば上等だァー」とつぶやく。陽が西日となって、ようやく薄暗く、町の灯も一つ二つと点灯し始めてきた。「このあたりに、もう一ぺいくらい、飲ませるところはねえものか」と、歩き出す。次第に酔いも回ってきて、ふらつき加減。冷酒が親の意見となって、グングン、グルグル、天まで回り出す。
そして、ある一軒に入っていく。そこで、なにをどうして、どうなったのかは、全くわからなくなっていた。
酔いが醒め、目を醒ましてみたら、なんと檻の中!! これじゃ〝虎様〟だ。
「あッいけねいィ、警察かッ!!」。もう後悔しても遅い。それだけならば、帰って、妻に、いくらでも言いわけができる。また、警察の旦那にも、「いやー、どうもすみません、ご面倒かけました」と謝ればいいのだが、
「お前ッ、どうして警察に留められたか、知っておるかッ……」
と、尋ねられた。だが、頭の中は空白で、体の中は、熱病あがりのようにドンヨリ無力感が淀んでいる。
「いやーわからないです」
すると、
「じゃッ、おしえてやろうかッ……。その前に……」
と、言ってから、机の上に私のカバンをどっかと置いて、
「これは、お前のカバンだッ。中を確認しなさい」
ときた。そんなことは雑作もないことである。「早く始末つけて、ここを出ないと……、農協へは遅刻にもならんぞッ……」とばかり、カバンの中味を、ひとつ、また、ひとつと、摘み出しては係官の前に揃えていく。
「ンッ……やられたーッ」
いっペんに酔いが天井を突き抜けて吹っ飛び、冷や汗三斗、体は金縛りに会ったように、時間は止まり、言葉もどまづきながら、「あのー……写真とネガが……」
と、すっかり忘れてしまっていた商売道具のことだが、こんなところで店開きをするとは、神ならでは身の知る由もない。
顔を見れば、これみよがしと、満面余裕しゃくしゃく、手柄顔の取調官であった。
「オイッ……これは何だッ。これはッ……」
と、急に、威嚇的に変わった。もうその頃は、ある思いが横切っていた。農協はだめだし、新聞・ラジオは、もちろんすっぱ抜くだろうと。
「おー、やってしまったぞ」と、覚悟のようなものが全身を流れた。
取調べが進行する中で、刑事室は慌ただしさを増してきた。事件と見たのだ。容疑は、猥褻物頒布等及び暴力行為の罪であった。
自宅には、早速、家宅捜査が行なわれた。東京方面には聞込捜査、そして、農協役員・職員さらに購入者も手が回った。まだ、取調室にいた自分だが、一気に、天は破れ、地が砕け落ちてしまった感じである。
おかしなもので、酒というものは、精神面と密着しているためであろう、このショックで、酔いは吹っ飛んでしまった。時は、昭和三十五年秋のことである。
妻と挙式したのが、前年の四月十二日。そして男の子が誕生して数カ月のことだった。利き酒会の酒が効きすぎた、では洒落にもならない。公園の前にある商店で、ちょうど、居合わせた裁判所のかたに暴行を加えた、というのが発端だった。
ここで、自己の悔悟の目覚めがあるなら、満点だが、酒乱人生に火が点いたばかり。良心が命賭けで呼び止めるのを尻目に、真暗闇へと走り出してしまった。
生まれて間もない赤子は、声を張り上げて泣き叫ぶ。心配のあまり母乳が止まり、ミルクを哺乳ビンで飲ませるが、舌で激しく押し返して泣き叫ぶ。思案の末、脱脂綿に砂糖水を浸して、飲ませなくてはならなかったという。
前後左右、身動きできない新婚生活の中で、妻は、愛と恨めしさの戸惑いの真只中で、まさしく真昼の暗黒を歩き出すことになった。
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