図・写真を除く文章のみの掲載。
噴火口に真っ逆さまの霊夢
神のお膳立て、四十五歳計画
天馬のごとし女神の妻
神と魔の対決
ある夜のこと、原色の生々しい夢を見た。噴火口に、急転直下、落下する自分、「オウーッ、オウーッ……」と、ハッと目を醒ました。不気味な夢は脳裏を独占する。なにがあるというのだろうか。隣地に墓地があり、時には、法要や葬儀があって、供養の読経や、鐘の音が、チィーンチィーンと響きわたる。
ある日、同業の社長が通りかかった。「今度、ここに移ってきました。よろしく……」と、挨拶をすると、「おう、おう、そうか……」と、まではよかったが、「ここは、霊がウヨウヨしておるからなー……」と、付け加えられた。「なんてことを言うかッ」と心が騒ぐ。もっと、ましなことを言ってくれてもいいのではないか、と、思う。だがその時は、冗談とばかり通り過ぎた。
ところが、それから一週間も経たぬうちに、その社長が急逝された。あのピンピンした人がである。「まさか」、言葉ひとつの因果とは思わずも、「あるいはッ……」と、一瞬、四、五日前の会話が思い浮かんだ。
当時、その因果関係を関連づける知識は持っていない。ただ、「不思議なもんだなー、人の生命というものは……」と、なんとなく思った。ところが、それから一年過ぎ、二年目あたりから、どうしたことか、心が落着かなくなってきた。落着かぬ心はいよいよ具体化して、心の奥から浮き出し始める。
「この家を売りたいッ」。不安は、薄気味悪く、生命を揺さぶってくる。「この家を売ろうーッ」、そして、「四、五千万円もの、なんもならん銭を寝かせるような商人は、下の下ではないか……」と、自問自答をして、苦しみ悩む。ホテルの建設中止の心残りもあって、気持が次第にエスカレートする。ついに、そこを売却することを決定した。二年少々の居住だったが、譲渡した。
そうして、そこを引渡して間もなく、そこに住んだ主人が急逝してしまった。どうしたことなのだろうか。見えない因果の流れは、なにを語ろうとしているのか。
そこに、なにかわからない必然性が感じられてならない。大きな事業に着手しようと思った時、思いもかけない家族の反対にあい、それからというものは、なにかが離れていくようにして、見えざるものの流れが変わっていく。小刻みに、酒乱行を積んでいた日々の中で。
自宅を引渡してから、かまどは二軒分となり、私たち夫婦は、三DKの借家住まいとなっていた。
酒乱の生活の中にあっても、私の〝四十五歳計画〟は頭から離れることがなかった。「四十五歳で億万長者になろう」、そして、「二度生まれてきても左団扇で暮らそう」という夢を心のドン底に叩き込んでおいたからだ。「母の苦労を二度としてなるものかッ、幸せになろうッ」と。そうまで思いながらも、夜になると、私はどうして乱れるのか。
やはり、そこには、計り知れない黒い影が、足早にやってきていたのだった。子供は大学へ、両親との二重生活の中で、夫婦水いらずだった。だが、私の夜の帰りが変化してきた。なんと、警察タクシー(?)によることが多くなったのである。今の借家は、警察署から至近距離にあって、虎箱に入れられるところだが、住まいが通りがかりなので、私を乗せたパトカーが家の前に横づけになる。そして、「いつも、申しわけありません」と、深夜、深々と詫びるのが妻の役だった。
もうその頃は、朝からでも酒を飲める雰囲気だが、それでも、それだけは、懸命に避けてきた。相当に精神的にも重症となっていた私、そして、妻の心の中では、異常な意識が、渦巻いていた。この頃が、本当に限界であったように思われる。
アルコールによる神経障害は、真綿で首を締めつけるといった程度のものではない。切っても切れないワイヤーロープで、家族もろとも、五年、十年と、正確に締めつけていくのである。
しかし、仕事だけは、かろうじて全うしていく中で、妻の心労は限界を越えていた。さらに、以後の七年間、酒乱の血祭り地獄が幕を切って降ろされていくのだった。
そして、私も四十五歳に手がかかった。その頃、我が家に、店舗併用住宅の話が持ち込まれた。ちょうど、借家住まいでもあったから、「これは、オレにちょうどだッ」と思い、二千万円ほどの買物となった。
持主は、ある宗教団体の地元指導者だという。不審感も抱かず、生活を続けていく中で、妻は、ある宗教に誘われるままに入信した。その頃の私の最も嫌いなことは、宗教だった。信者同士の争いを見るにつけ、「馬鹿なことよ」と思っていた。
だから、妻は、私に隠れて、信仰を深めなくてはならなかった。
どんな方法も通じない、酒乱の夫をいさめ、立ち直らせるためには、精神力しかない。人一倍信念の強い妻だったから、今まで宗教に頼ることなく渡ってくることができた。が、刀折れ矢尽きようとする中で、思いあまっての一本の頼みの藁であった。
ひとつの〝縁〟によって、人の運命は、その向きを変えてしまう。大きく小さく、善性に悪性にと、その方向が変わる。
妻と私の生命は、厳しい縁を交えながら、今や遅しとばかり、しっかと向きを変え、「あっちの水は辛いぞッ、こっちの水は甘いぞッ」と、子供の頃のホタル狩りのように、いつも、その点滅する光明に向かって走り出す。
これまで、二十年ほどの歳月を、私にひたすら従順に、そして一途の願いをかけて、見守ってきてくれた妻だった。だが、矢尽き、刀折れて、このままでいけば、妻のほうが、黄泉の国(生命世界)へ連れていかれても、なんら不思議ではなかった。しかし、従順な女は、一転して、強い天馬のごとき力量に溢れ、迫力ある女神へと変身する。
もう、どうしても、酒乱を許すことはできないと、手を変え、品を変え、積極化してくる。時には、バシーッ、と、鞭が音を立てて飛んできたこともある。今までの、積もり積もったものが、一気に突出してくるから、その勢いは実に凄い。
悪鬼のような酒乱やからも、最後の砦を守ろうと、これまた、必死の応戦だった。祖先累々の酒乱の亡者を呼び集め、かつまた、他界からも、援軍を引き連れての、熾烈な戦火の火蓋は切って落とされた。
ここまでくると、現実世界の領域を超して、霊界、神界まで交えての、運命劇となった。その頃から、私の母も妻の守護霊となり、援軍となってくれ、妻は、この夫が我が子とばかり、腹を痛めた我が子なら、煮ても、焼いても、喰っても当然、とばかり躍りでた。
継いでならぬぞ 子々孫々
道をはずした この酒乱
きれいな生命を つなぐのが
これぞ人の子 人の道
何んで退がらりょ 酒乱の夫
許してくれよ 今しばし
紅い涙も やるせない
飲んで喰い入る一文字
キリッと結んだ 口元に
キラッと光る 神光を
浄めたまわん この息子
浄めたまわん この夫
妻は、私を産んだ母親とも重なって動き出した。折りから、雪は降りしきり、地上は見る見る白銀の光り輝く昼下がりのことだった。
神と魔の対決は、時の休まることもなく、その後十年は、アッという間の生命の運びとなってゆく。
夫は四十六歳、妻が四十六歳、後に妻は、次のような、声なき声の文字を残している。
雨だれの、一粒にても、
みたまは宿る。
声となり、言葉となりて、
世に残り、不思議な世界の、
つなぐ道と成り。
昭和五十八年七月三日二時二十六分
また、
真実を見い出すこと、
真実の道こそ、
他生の喜び重ね成り。
正しく判断できる人こそ
限りなき幸せを生む。
昭和五十八年七月四日六時
我々の眼に見えぬ生命。その声なき声の沈黙の世界、その声を聞きいただき示す文字となって残されている。妻は、この文字のことを、いつしか〝四十八字〟と呼んだ。
光り輝く一粒の雨だれ。その光の玉からは、烈しい生命の響きが伝わってくる。生きてなにかを語ろうとする。その声なき声……、そこには、奥深い生命の愛が響いているといえよう。
単に感傷ではなく、生きる根源の響きが、その生命の世界を語り出している。妻は、一粒の雨だれを見て、限りない魂の世界へ生命の同化を感じ、深い感激の響きで胸が一杯になった。そして、その響きを文字に残している。一粒の雨だれの生命は、この世の生命の歴史を知っている生き証人でもある。
妻が、よく使う言葉がある。「人は、死んだら、師となる生命」と、いうものだ。「虎は死んで皮を残し、人は死んで名残す」という言葉があるが、そんな現実的なことではない。死んで、心となったあの世では、心浄めて真実の道を生きなければならない。生きている時はこうであった、死んで初めて、その誤りに気づいた、と、師となる声は妻に伝えてくる。真の幸せが続くためには、正しい心で生きる判断が求められる。そして、死んで真実に気づき、あの世からの喜びを伝えてくる。
一方、私は、心の転変を続ける妻を前にして、わけのわからぬ話だと、妻の隠れ信仰に、ますます、心を硬化させ、乱行の度合はいよいよエスカレートする。妻が私の嫌な宗教をやめぬならば……と、いきり立つ毎日ではあった。もう、ここまでくると、世間もなにも、あったものではない。信用も信頼もあったものではなかった。
ネオンまたたく 夜の街
マルモの酒乱は その名も高く
ドアはバリバリ 車メタメタ
店の主人を 瀕死にわたり
抜身するどい 刺身の刃
客を相手に 切り込む始末
駈けた警官 ぐるりと巻いて
「おとなしくせいッ」 も糞もなく
やりたい放題 酒乱劇
ついに御用か 女のために
奴を殺りゆく 闇の中
待つは猛者デカ ハッタと受けて
連れてゆかれる トラ箱へ
明日は来るやら 来ないやら
妻を道連れ 酒乱劇
こうした乱行の中にあっても、商売のほうは、どうやら実績を落とさずに続くかに見えたが、やはり、めぐる因果の地獄火は、音を立てて消えようとしていた。
その中で、突然、妻は、「お父さん、北海道に行こうー」と、言い出した。心はすでに飛行機に乗っている。婦唱夫随と転変してからは、磁気圏が変わってしまっていた。そして、こっちのやることは、なにもかも、裏目に出るようになっていた。
「なにを言ってるんだよッ。今、取引きをうっちゃって、北海道まで行けるかいッ。なんのためかは知らないが」
私の言葉が、耳に入ったかどうか。妻は、「明日の○○時に乗ったらいいんですかッ」と、聞いてくる始末だ。もう、こっちの都合は、対岸の火事となった。一度は突き返すが、なんとなく、その気になってくるから、変だ。
「いいよッ、いいよッ。わかった、……行こうーッ」
と、いうことになる。
そして、翌日、二人の旅が始まった。ところが、車酔いするほどの妻にとって、天高く舞い上がるジェット機は、とても心地よい乗り物なので、天女のような気分にみえた。視界の限り続く雲海も、この世のものではない。地上での地獄は、どこへやら、忘却の彼方の夢物語の気分であった。なんだか、昨日までとは違う、別世界だ。心とは一体なんであるのか、精神とは、人生とは……。私はなぜ生まれたのか……と、次から次へと湧き出る〝生への問い〟に、罐ビールを片手に、茫洋たる境地に浸ってしまっていた。側では、妻が一心に、文字を書いていた。
視界に入る雲のジュータンを見て感激、この世の存在すべてが、別世界のように響いてくる。そして、汚れなく、新鮮な生命として湧き出ている文字。妻は、自然との一体に浸って、草木一本、水一滴、音ひとつを聞いても生命の限り、すべてに、喜びと美しさが広がっていた。
青天の霹靂となったこの旅では、行く先々の当てなど全く知る由もなく、妻自身もわからぬというのだから偉いことだった。だが、時間を無駄にする息抜きは、一切許されない。
まず、札幌神社にいきたいという。もちろん予備知識はない。だが、どうやら、尋ね尋ねて到着できた。感激に咽び、側にいる私のことも忘れて、一心に合掌をしている。そして、無言のままに、眼光紙背、文字をしたためている。
次はどこぞえ 西東
見えぬ手ひく 流れるいのち
現世の自我は 抜きにして
行くか札幌 神の道
こうして一度、北海道へ足を踏み入れてからは、ついに、歩くも歩く、行くも行く、全国行脚の旅烏となってしまった。
旅先では、酒乱は出てこない。時には、「始まるのかッ……」と思ったこともあったが、ドクター・ストップが働いてくれた。酒乱の始まりには、甘えと狡さが隠されているのか、旅ではそれがない。それとも、酒の量が少ないせいなのか、あるいはどちらも作用したためだと思う。それでも、旅の間も酒が切れることはなかった。電車であれ、宿であれ、酒はもう一人の友となっていた。
ところが、何日かの旅を終え、自宅に戻ると、薬玉が割れたようになって、一気に乱気流のようになる。「お父さんッ、夕べェー、何をやったか、わかりますかッ」妻の語気が強くなる。「わからねー、オレが、なにしたんだよー」かえって、証拠でもあるのかと詰め寄る始末。だが、そこが以前の妻とはちょっと違う。「では、ひとつひとつ、一軒一軒案内するから、あベーッ(行こう)」
だが、こっちは、「なに言うんだよッ、そんなの知らねいーよッ、お前行けばいいんじゃねいーかッ」となって、神と魔の戦いは、理窟にもならない会話が始まる。
「被害者のかたは、〝弁償してくれたら訴えは下げます〟と言っておるんですよッ、見積書もみな、警察に届いておるんです。どうするんですかーッ、お父さん」言葉が出ない私は、「あー、またやってしまったー」と、内心はショボクレかける。
そして、旅から帰りゃ帰ったで、またまた、やってしまう。仕事をしようと思えば、妻に誘われて京都だ、九州だ、恐山だと、運び屋みたいな始末。「一体、どうなってるんだいッ……」と、頭の中は、ゴチャゴチャだ。頭が散乱なら、酒乱の始末も散乱で、私の心は、急転直下、異常な精神症へと落ち込んでいく。近しい人たち、友人知人の間では、「頭が少々おかしくなっているのじゃないか……」と、ささやかれるようになっていたようだ。
警察に届いた被害見積書を見て驚いた。客を脅迫、バーのドアをぶち破る、通りの車をメタメタに壊す、その他諸々と酒乱のツケが回ってきた。妻が、「病院には入れない、きっと、立ち直らせてみせる」と、命がけの決心から、早二十年が経っていた。
あとは野となれ 山となれ
添った夫は 運の尽き
尽きて尽かせぬ 夫のいのち
浄く正しく一人の男
生きてくれよと 悲願の決意
死んでたまるか この夫
死なしてたまるか この息子
母の一念 妻一念
極楽浄土の 来る日まで
愛する夫を この手で守る
行くぜ果たせる 人の道
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