いのちと共時性の考察

引用・参考図書

概要

 

当サイトにおける「いのちと共時性の考察」各ページに引用した本、参考にした本を列挙しています。また、主な引用箇所、どの主題(=下記⒊)に引用したかを明記しています。

 

目次

  1. 分類リスト
    • 合計7項目
  2. 本の一覧(概要・引用箇所)
    • 合計18冊
  3. 各ページの主題
    • 共時性とは何か
    • 因果性とは何か
    • 偶然と因果
    • 客観と主観
    • 共時性の真価
    • こころとからだ

 

 

分類リスト

 

図書一覧

 

ナガサキ
核戦争後の人生

スーザン・サザード/宇治川康江訳/みすず書房/2019年

書籍『ナガサキ』を図書館情報サイト「カーリル」で検索します▲図書館をさがす↗︎長崎で原爆被害に遭った人々の半生を描く、米国で出版されたノンフィクション小説『NAGASAKI:Life After Nuclear War』の日本語訳版。原爆被害者の痛ましい経験を米国人の多くが知らない現実と背景に踏み込む姿勢、被害当事者の体験を忠実に描いたであろう内容に驚嘆させられる。

主な抜粋箇所

  • 平和の原点は人の痛みがわかる心をもつこと(p.379)
  • 引用→「共時性の真価

 


 

いのちの
エッセーと詩歌集

菅原茂/おりづる書房/2019年

『いのちのエッセーと詩歌集』の詳細・閲覧ページにリンクしています▲本の中身を見る夫人と米の生命愛による守護の中で、酒乱の因縁から自分の生命に目覚め、いのちへの誠実な思いを深めていった著者。〝自己調和〟をむねとする日常生活において試行錯誤する様子をありのままに綴っている。第一章は自らの日記から抽出した文章(エッセイ)。六十歳代、七十歳代、八十歳代と自己調和の日々とともに年齢を重ねた著者。その等身大の生きざまとその心意気が伝わってくる。

主な参考箇所

  • いのちは、強さと弱さの両面を持っている総合体なのかもしれない。食品の毒性が社会問題されるようになって久しいのだが、実はこれら食物に含有する毒性(環境関係・医薬・農薬関係・その他各種汚染一切)は、徐々に徐々に歳月をかけ、世代を積み重ねていく中で、一種の〝いのち〟の構成員となっていくのではないかと思っている。よく言われている「杭体」化していく感が湧いてくる。今、いのちを縮め、或いは死をもたらしている人間社会一切の毒性物質は、やがて、いのちの一構成員として稼働するようになるんじゃないのか、と。(「いのちの不思議」p.136)
  • 参照→「こころとからだ

 


 

富士山と雲と神様

菅原茂/おりづる書房/2016年

書籍『富士山と雲と神様』の詳細・閲覧ページにリンクしています▲本の中身を見るこの世のすべてが心性エネルギーに満ちているという生命観・世界観の物語。ヒトは万物霊長の存在と言われるが、著者は万物霊の視点で生命世界を観ている。ともすれば私たち人類はあらゆる生物の頂点に立つ最も優れた存在であると勘違いしがちではないだろうか。本作は子どもから大人まで読んで理解できる内容になっている点で、ほかの著作とはひと味ちがう作品。

主な参考箇所

  • ひるがえって自分の中の世界を顧みてみれば、人体の一つひとつ、その完成度には神意を感ぜずにはいられません。生命の最小単位といわれる細胞は、あらゆる生命機能を備えていて、人体は一〇〇兆個ほどの細胞で構成されているといわれています。その細胞もまた、三〇〇種類近くにも分かれており、人体の各部位・器官を構成しています。(「第十二話 細胞からの三つの願い」p.76)
  • 参照→「こころとからだ

 


 

神秘の大樹Ⅳ
田之助とミロクの亀

菅原茂/おりづる書房/2012年(H.24)

書籍『神秘の大樹 第四巻 田之助とミロクの亀』の詳細・閲覧ページにリンクしています▲本の中身を見る酒乱から脱却し、自分のいのちに目覚めて間もない著者が、心おもむくままに訪れた旅先で次々と出会う〝亀〟。体験の記録を、第2巻と共通するシナリオ形式のコミカルな物語として展開し、縁は単なる偶然ではなく、宇宙根源に根ざす生命の本質(真性魂)による道案内だと伝えている。

主な参考箇所

  • 結果はまた新たな原因体となり、縁を結んでまた新たな結果を生む。そのリズムは代々消えることはない。因‐縁‐果=因‐縁‐果=因‐縁‐果=因……(「中編——鹿児島から三重へ」p.161)
  • 参照→「共時性とは何か
  • 参照→「こころとからだ

 


 

神秘の大樹 Ⅲ
文字・数・色で証す新次元

菅原茂/おりづる書房/2012年(H.24)

書籍『神秘の大樹 第三巻 文字・かず・いろであかす新次元』の詳細・閲覧ページにリンクしています▲本の中身を見る文字・数・色は人間の意思だけではなく、生死の境やほかの生物などと境なく、いわゆる「霊」や「魂」の意志性を代弁している。共時性現象(=偶然の一致)は、それを認識させてくれると同時に、一人ひとりに対するあたたかい道案内の現象だ。

主な参考箇所

  • この日は一〇月二〇日に亡くなった妻の母親の月命日で、二〇日の数霊が波のように寄ってきた。(「思えば寄せ来る文字と数」p.193)
  • 参照→「共時性とは何か
  • 参照→「こころとからだ

 


 

神秘の大樹Ⅱ
ヒロシマとつる姫

菅原茂/おりづる書房/2011年(H.23)

書籍『神秘の大樹 第二巻 ヒロシマとつる姫』の詳細・閲覧ページにリンクしています▲本の中身を見る「現実を生きる自分が、実は億万年から連なる亡き心たちの複合霊体(魂)であること、そして、死んで消えたのではなく、心は実に生き生きと輝いていて、自分を自分たらしめている原動力であるということ、そして、死んでも生きている心の世界」にも言及している。

主な抜粋箇所

  • 一人ひとりのいのちの中で命が新たないのちを育て上げるまでの運びには、いかなる人知も、いかなる自我も立ち入ることができません。立入厳禁の〝聖域〟なのです。(「第二章 魂を乗せた一羽の折鶴」p.69 / すべて見る
  • 引用→「共時性の真価
  • 引用→「こころとからだ
  • 引用→「客観と主観

 


 

神秘の大樹Ⅰ
偶然が消える時

菅原茂/おりづる書房/2011年(H.23)

書籍『神秘の大樹 第一巻 偶然が消える時』の詳細・閲覧ページにリンクしています▲本の中身を見るいまを生きている自分(あなた)自身の存在こそ、肉体をまとい、服を身につけている霊魂そのものだという。霊魂というと、わが身の外に存在し、わが身の外で起きる「現象」と考えがちだが、そもそもそれは私たちのからだやこころに内在し、わが身の中で起きていることがらなのである。

主な抜粋箇所

  • 心も体も同一、同元、同質のもので、一元一体二象体となって現れることがいのちと呼ぶものではないのか。心と体は一人二役のようなものだ。(「いのちは磁気・磁波・磁性体」p.210)
  • 引用→「こころとからだ

 


 

いのちの顔

菅原茂/おりづる書房/2009年(H.21)

フォトエッセイ『いのちの顔』の詳細・閲覧ページにリンクしています▲本の中身を見るいのちは動植物ましてや人間だけのものではなく、万物に宿るという生命観は究極的に宇宙観へと通じる。生命をどこまでもさかのぼれば、生命の起源が宇宙にあることは明らかだ。森羅万象に共通するいのちの原子という点を踏まえて写真に映る〝霊顔〟を眺めると気づく点があるだろう。

主な参考箇所

  • 外国勤務の息子が帰省するというので、その時妻は愛犬の写真を頼んでいた。そして10日のこと、台所の布巾が「犬」の顔に見えたのである。その時〝1時14分〟息子が出発したのが〝1月14日〟のことである。帰宅した息子から写真を見せてもらい驚いた。布巾で見せた犬とそっくりなのだ。(p.18)
  • 参照→「共時性とは何か

 


 

いのちのふる里

菅原茂/おりづる書房/2008年(H.20)

フォトエッセイ『いのちのふる里』の詳細・閲覧ページにリンクしています▲本の中身を見る便利な生活を享受するために、工業を中心にしてひた走ってきた日本社会。そのいっぽうで、むかしもいまも、ずっと変わらずいのちの原点でありつづける食のふる里。個人の生き方として、また社会の健全な姿としてのバランスを、どうやって回復したらよいのか。私達の体と心は原点に帰れるのか。

主な抜粋箇所

  • 思考の世界では主観と客観に分離出来るが、いのちの世界から見るならば、主観も客観もなく世界は一つだ。外の世界と自分は完全に分離していると考えがちだが、いのちの世界から見た時そうではなくなる。内なるスクリーンには常に外の世界が映し出されているのが真実だ。〝内は外なり、外は内なり 主観は客観、客観は主観なり〟ということになる。(「いのちのスクリーン」p.19)
  • 引用→「客観と主観
  • 引用→「こころとからだ

 


 

ニールス・ボーア論文集1
因果性と相補性

ニールス・ボーア/山本義隆編訳/岩波文庫/1999年(H.11)

書籍『因果性と相補性』を図書館検索サイト「カーリル」で検索します▲図書館をさがす↗︎原子構造の解明、原子核理論の構築など、量子力学を開拓した理論物理学者のN.ボーア氏による論文集の邦訳。ボーアはノーベル賞受賞者でもある。

主な抜粋箇所

  • 作用量子の発見により、私たちは、原子的過程のたちいった因果的追跡は不可能であり、その過程の知識を得ようとするどのような試みも、その過程に基本的に制御不可能な影響を及ぼすということを学んだ。(「作用量子と自然の記述」p.74 / すべて見る
  • 引用→「因果性とは何か
  • 引用→「客観と主観

 


 

死んでも生きている
いのちの証し

菅原茂/たま出版/1997年(H.9)

書籍『死んでも生きているいのちのあかし』の詳細・閲覧ページにリンクしています▲本の中身を見る平成5年8月6日の広島。岡本天明絵画展を訪れた著者夫妻は、〝一羽の折鶴〟と運命的な出合いを果たした。これを機に同夫妻が山形から天明氏の墓参に訪れる旅の道中で出合う数々の縁を通して、偶然の一致の必然性を強調するとともに、生命の本質は死んでも消えないことを訴える。また、生命の本質的な視点から食に言及している点が印象的。本の表紙に描かれた稲穂はこの本を象徴している。共時性現象を切り口に生命とは何かという命題を語っている。

主な抜粋箇所

  • 生命界の情報量において、動物界は、植物には到底及ぶものではないと思うし、ましてや知性を最大の武器とする人間は、自然界の生命エネルギー情報キャッチにおいて極めて退化傾向にあるのではないか。そのことは、自然力、自然智という感覚から次第に遠のくことを意味する。(「コスモスの色と妻の〝ヘソの中〟」p.47 / すべて見る
  • 引用→「こころとからだ
  • 引用→「共時性の真価
  • 引用→「共時性とは何か

 


 

ひふみ神示(上巻)

岡本天明/コスモ・テン・パブリケーション/1994年(H.6)

書籍『ひふみ神示』を図書館検索サイト「カーリル」で検索します ▲図書館をさがす↗︎

岡本天明氏の「自動書記」による著書。心の目を開いて自己調和に努めるよう人類に警鐘を鳴らし気づきを促す書として知られている。文中には、この神示そのものについて、人としての「道」を示したものであり、特定の宗教として広めてはならないという主旨のことが書いてある。長編であり、難解な箇所もある。諸説あるが、「アレの巻」の冒頭に書かれたごく短い二文(下記)が最も重要な部分だとも言われている。

主な抜粋箇所

  • いわとびらきなりなるぞ。まこといわとはとはぞ。(言答開き成り成るぞ。誠言答は永遠ぞ。)「円カッコ丸カッコ閉じの中に点が描かれている図
  • 引用→「共時性の真価
  • 引用→「こころとからだ
  • (いずれも『神秘の大樹Ⅱヒロシマとつる姫』に引用されており、その部分を抜粋)

 


 

酒乱 米の生命が生きるまで

菅原茂/MBC21/1993年(H.5)

書籍『酒乱こめのいのちが生きるまで』の詳細・閲覧ページにリンクしています▲本の中身を見る

暴走する酒への欲望と現実。その一部始終を生々しく描き、欲望が湧き出る私たち人間の心のメカニズムを明るく誠実に伝えている。もがき続けた著者を目覚めさせたものとは何だったのか。人間はいわゆる「煩悩」を抱えている生き物だ。早晩、自分のいのちに目覚めてゆかねばならない。その点で、この本が伝えようとしていることは、極めて普遍的。

主な抜粋箇所

  • 人間以前の食物たちの生命(心)に戻らないと、人は成仏できない。人霊の活躍は、まだ自我がある。人間以前の生命の愛がないと成仏できない(「地獄期」>「守護の窓口となった妻の自然律(悪は、この世の仮りの姿)」p.110〜111 / すべて見る
  • 引用→「共時性とは何か
  • 引用→「共時性の真価
  • 引用→「こころとからだ

 


 

全体性と内蔵秩序

デヴィッド・ボーム著、井上忠・伊藤笏康・佐野正博訳/青土社/1986年(S.61)

書籍『全体性と内蔵秩序』を図書館検索サイト「カーリル」で検索します▲図書館をさがす↗︎『WHOLENESS AND THE IMPLICATE ORDER』(1980年) の邦訳版。科学は物質を微細に分け入り、その「構成」粒子を発見してきた。一般に私たちは、それが物を形作っている最小単位だろうという見方をしがちだが、分析して見える粒子は、ある文脈によって「全体」から顕現した一時的な抽象物であって、そもそも宇宙は分割できない一つの「流動する全体運動」だという。専門の物理学(量子力学)をもとに論じるこの世界像は、あらゆる物事を部分化・断片化する見方に慣れてしまった私たちに、重要な示唆を与えている。

主な参考箇所

  • 「例えば、局所化可能な構造は世界管として表すことができる。(中略)[古典物理学で言われる]「物体」は、世界管の中の相対的に安定な形態からの抽象物に過ぎないのである。すなわち、それは自律的かつ永久に存在する固いばらばらの物体というよりも、運動のパターンのようなものなのである。」(p.222 / すべて見る
  • 引用→「こころとからだ
  • 引用→「客観と主観」 

 


 

宗教と科学の接点

河合隼雄/岩波書店/1986年(S.61)

書籍『宗教と科学の接点』を図書館検索サイト「カーリル」で検索します▲図書館をさがす↗︎ここでいう宗教とは、特定の教義をもつ各宗教のことではなく、心や魂を担当してきた分野という広い意味をさしている。これまで単純に対立的にとらえられてきた物と心の問題をだれもが真剣に考えることは、21世紀の人類を考える上できわめて重要だとしている。

主な抜粋箇所

 


 

量子力学と意識の役割

ブライアン D.ジョセフソン
フリッチョフ カプラ
O.C=ド・ポールギャール
リチャード D.マトゥック
デヴィッド.ボーム
竹本忠雄監訳
たま出版/1984年(S.59)

書籍『量子力学と意識の役割』を図書館情報サイト「カーリル」で検索します▲図書館をさがす↗︎物理系とは異質の観測主体(意識)の存在を認めないと、量子の物理的過程の解釈はできないという課題に挑んだ物理学者たちの論文集「Quantum Mechanics and the Role of Consciousness」の翻訳版。デヴィッド・ボーム氏による論文は、「宇宙の暗在系‐明在系と意識」。

主な抜粋箇所

  • 次の段階に何が湧出するかを主として決定するものは、茫漠とした意識の背景に大きく横たわる暗然たる内容のほうなのである。(中略)あとの瞬間の内容が前の瞬間に含まれた内的本質を顕わにするのであり、そこに生ずるものこそは、まさに、この内的本質の巻きもどしなのである。(p.265 / すべて見る
  • 引用→「共時性とは何か
  • 引用→「偶然と因果

 


 

自然現象と心の構造
非因果的連関の原理

著・訳者下記/海鳴社/1976年(S.51)

書籍『自然現象と心の構造』を図書館検索サイト「カーリル」で検索します▲図書館をさがす↗︎1955年に米国と英国で出版された『The Interpretation of Nature and the Psyche』(『自然の解釈と精神』) の日本語訳版。心理学者であるC.G.ユング氏の論文を、同じく心理学者である河合隼雄氏が、物理学者であるW.パウリ氏の論文を、科学史研究者の村上陽一郎氏が翻訳している。

主な抜粋箇所

  • 共時性は、ある一定の心の状態がそのときの主体の状態に意味深く対応するように見える一つあるいはそれ以上の外的事象と同時的に生起することを意味する。(p.33~34 / すべて見る
  • 引用→「共時性とは何か
  • 引用→「偶然と因果

 


 

現代物理学における
因果性と偶然性

デヴィッド・ボーム/村田良夫訳/東京図書/1969年(S.44)

書籍『現代物理学の因果性と偶然性』を図書館検索サイト「カーリル」で検索します▲図書館をさがす↗︎量子力学の成果や有用性を認めながらも、量子力学に対する永久的・絶対的な見方や論法に批判的な立場をしめしたボーム氏。機械論的自然観への批判的考察を通じて、直面しつつある(するかもしれない)物理学の限界を打ち破り、進化し続けねばならないと考えていた。『Causality and Chance in Modern Physics』の邦訳版。

主な抜粋箇所

  • 「第5節と第7節で述べたように,ボーアは,量子論の通常解釈においては,このような性質は,被観測系に客観的に存在すると考えるべきではないことを示したのである.けれども,彼の観点にしたがえば,あらゆる問題,意向,および目的に対して客観的であると認められるものは,確かに存在する.すなわち,観測可能な大規模な現象がそれである.」(「第三章 量子論 ⒐量子論の通常解釈」p.144 / すべて見る
  • 引用→「因果性とは何か
  • 引用→「客観と主観

共時性とは何か

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時空や生死を超え、人種や生物種も超えて、いのちには境界がない証し

 

因果性とは何か

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「因果性」の実際は、それほど単純ではなく、もっと複雑。科学的な「法則」は、限定的な条件のもとでのみ有効だ。

 

偶然と因果

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因果性がないというより、今の科学の尺度では説明できない、と言うべきではないのか。

 


共時性の真価

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平成5年8月6日、広島平和公園で偶然発見された一羽の折鶴。共時性現象の真の価値は、それが生命の真実を示していること。

 

こころとからだ

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私たち現代人が見失っている食の本質。生命と生命現象の根源は食にある。自分のいのち食のいのちに対する考え方が問われている。

 

客観と主観

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自然界と人間とを〝切り離す〟「客観」的態度が潜在的に抱えている問題点。